Encyclopedia of 1:1250 scale model ship

my collection of 1:1250 scale modelships

大好きな日本海軍の小艦艇総覧

本稿の読者(そんな人いるのかな、と想いつつ)はなんとなく気配を感じてもらっているかもしれませんが、筆者は通商路を巡る海軍のあり方に大変興味があり、その流れで通商路保護の主役である「小艦艇」が大好きなのです。

ここで、小艦艇を総まとめ。

 

小型駆逐艦(二等駆逐艦水雷艇

二等駆逐艦 

「二等」と付くと、なんとなく派生系・補助系の艦種の様に見えてしまうのですが、実はこちらが駆逐艦の本流だ(であるべきだった、と言うべきでしょうか)と、筆者は思っています。

本稿でも何度か触れてきた事ですが、日本海軍は「艦隊決戦」をその艦隊設計構想の根幹に持ち続けてきました。幸い(?)、日本という国は海外に大規模な植民地を持たず、「艦隊決戦」は常に大洋を押し渡ってくる敵艦隊を想定していれば事足りる、と言う環境ではありました。こうして主力艦隊同士が雌雄を決する「艦隊決戦」の前に、いかに押し寄せる敵艦隊を削り細らせるか、と言う「漸減戦術」が決戦の前哨戦として構想されてゆきます。

並行して、それまであまりパッとしなかった魚雷が急速にその威力・性能を向上させ、これを主要兵器とする駆逐艦が大型化、高速化し、「漸減戦術」の主役として位置付けられる様になります。強力な魚雷を装備した有力な駆逐艦部隊で数次に渡る攻撃をかけ、決戦前に敵艦隊を細らせておこう、と言うわけですね。こうして十分な航洋性を持つ大型で高速な駆逐艦、「一等駆逐艦」という分類が生まれたのです。ある意味、「一等駆逐艦」は艦隊決戦専任艦種、と言っても良いかもしれません。

 
大正期から昭和初期にかけ、駆逐艦設計はそれまでの欧米模倣による模索の時期を終え、日本オリジナルとも言うべき艦型にたどり着きます。それが「峯風級」駆逐艦から「睦月級」駆逐艦に至る本稿では「第一期決定版」と呼んでいるデザインです。

特徴としては航洋性を重視して艦首を超えてくる波から艦橋を守ために艦首楼と艦橋の間にウェルデッキという切り欠き部分が設定されています。さらに操作要員が露出する当時の防楯付き単装砲架の主砲は全て一段高い位置に装備され波浪の影響を少なくする工夫がされています。

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(直上の写真:「日本オリジナル」デザインの一等駆逐艦「神風級」と二等駆逐艦「樅級」:同一のデザインコンセプトを持ち、武装を削減しています)

これらの「日本オリジナル」の艦型を取り入れて設計され、警備や護衛など多種多様な任務に対応する量産性も担保しつつ、大型高性能艦(一等駆逐艦)の補完も併せ持つ「スペックダウン版」の駆逐艦が以下の「樅級」駆逐艦と、それに続く「若竹級」駆逐艦でした。両級あわせて34隻が建造される予定でした。

しかし計画半ばで、ワシントン・ロンドン体制の制約により「八八艦隊計画」は中止され、加えて特にロンドン条約により駆逐艦保有数にも制限がかけられます。「艦隊決戦」に重点を置く日本海軍としては、割り当てられた保有枠は「艦隊決戦専任艦種」である「一等駆逐艦」に重点を置かざるを得ず、結局「樅級」は21隻、「若竹級」は8隻で建造が打ち切られ、、以後、「二等駆逐艦」は建造されなくなりました。

 

第一次世界大戦で示された戦争の形態の変化を考慮すると、来るべき戦争は「総力戦」となることは明らかであり、「艦隊決戦」の様な雌雄を決するような戦いが起きることは稀で、「補給」「資源供給能力」の維持に重点をおいた浸透性と常備性の高い戦いにおいては消耗に耐えられるだけの数の装備はどうしても必要になるはずでした。

しかし結局、日本海軍はあくまで「艦隊決戦」に備えた装備計画方針を変えられず、「二等駆逐艦」相当の戦力の不足による「補給」「資源供給能力」への脅威にさらされ続ける事になります。

 (直下の写真:二等駆逐艦「樅級」の概観。68mm in 1:1250 by Hai :「若竹級」も外観的には大差ありません)

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「樅級」駆逐艦ja.wikipedia.org

前述の様に「峯風級」駆逐艦のスペックダウン版で、実際には種々の平時艦隊任務だけでなく主力艦隊護衛や、水雷戦隊の基幹戦力となるなど、建造当時は艦隊の中核戦力を担いました。800トンを切る船体(「峯風級」は1200トン)に、12cm主砲3門(「峯風級」は4門)、連装魚雷発射管2基(「峯風級」は3基)を主要兵装として装備し、36ノット(「峯風級」は39ノット)の速力を発揮することができました。

 

「若竹級」駆逐艦

ja.wikipedia.org

「樅級」駆逐艦の改良版で、課題とされていた不足する復原力を艦幅の増加(15センチ)により改善しました。

 

哨戒艇に改装 

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 (直上の写真:二等駆逐艦は太平洋戦争では、両級あわせて10隻が島嶼部での陸戦隊の上陸作戦を想定した哨戒艇に改装されて活躍しました。哨戒艇は20ノット程度に速度を押さえ、大戦中、時期によって武装が異なりますが、基本は雷装を削減、もしくは撤廃し、主砲等も削減し対空砲を強化しています。一部には艦尾に上陸用舟艇の搭載用のスロープを設けた艦もありました。直下の写真は、哨戒艇武装配置)

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太平洋戦争当時には両級共に既に老朽艦で、「樅級」は3隻、「若竹級」は6隻が駆逐艦として、両級あわせて10隻が哨戒艇として参戦し、駆逐艦籍の艦は9隻中7隻が、哨戒艇籍の艦は10隻中9隻が戦没しました。

 

水雷艇

ワシントン・ロンドン体制で、駆逐艦にも保有制限がかかると、日本海軍は制限外の水雷艇に重武装を施し、小型駆逐艦として活用する事に着目します。

 

「千鳥級」水雷艇

ja.wikipedia.org 600トンを切る小さな艦体に、当時の主力駆逐艦と同様に50口径5インチ砲(12.7cm砲)を、艦首部に単装砲塔、艦尾部に連装砲塔という配置で3門を搭載し、さらに連装魚雷発射管を2基、予備魚雷も同数装備、30ノットの速力を発揮する高性能艦として誕生します。駆逐艦なみの主砲装備のために射撃管制塔の要請から艦橋も大型化し、設計中から既に重武装に起因する復原力不足は課題として意識されていました。

公試時の転舵では大傾斜が生じ、急遽大きなバルジを追加装備する形で対策がとられ竣工しました。

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 (直上の写真:「千鳥級」水雷艇の竣工時の概観。63mm in 1:1250 by Neptuneベースのセミ・スクラッチ)

 

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 (直上の写真:「千鳥級」水雷艇の竣工時の特徴のアップ。上段:艦首部の単装砲塔と背の高い艦橋部。舷側には復原性対策として急遽増設されたバルジを再現してあります。下段左:連装魚雷発射管を2基装備、下段右:艦尾部の連装主砲塔)

 

その後、同型艦の「友鶴」で、40度程度の傾斜から転覆してしまうという事故が発生し(設計では90度傾斜でも復原できる事になっていました)、深刻な復原力不足が露呈します。

友鶴事件 - Wikipedia

事件後、設計が見直され、ほぼ別設計の艦として同級は生まれ変わります。その変更点は、艦橋を1層減じ小型化すると共に、バルジを撤去し代わりに艦底にバラストキール(98トン)の装着によるトップヘビー解消。そして武装を再考し、主砲口径を5インチ砲から12センチ砲へと縮小し、搭載形式も砲塔式から防楯付き単装砲架への変更(22トンの重量削減)、あわせて魚雷発射管を連装1基へ削減し予備魚雷も搭載しない(40トンの重量削減)、等により復元力は改善されましたが、速力は28ノットに低下してしまいました。

 (直下の写真:「千鳥級」水雷艇の復原性改修後の概観。63mm in 1:1250 by Neptune)

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竣工時と復原性改修後の比較は以下に。竣工時のモデルはイタリア海軍の水雷艇によく似ている気がします。海面のおだやかな地中海であればこれで大丈夫なのかもしれませんね。

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戦争中は、敵潜水艦に対する速力不足が常に課題とされた「海防艦」と異なり、その優速を生かした理想的な対潜制圧艦と評価され、船団護衛等に活躍しました。

同型艦4隻中3隻が戦没。

 

「鴻級」水雷艇ja.wikipedia.org

 (直下の写真:「鴻級」水雷艇のの概観。72mm in 1:1250 by Neptune)

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「千鳥級」の改良型として設計中に上述の「友鶴事件」続く「第4艦隊事件」等が発生したため、復元性、船体強度が見直され、大幅な設計変更ののち完成しました。

基本設計、武装等は復原性改修後の「千鳥級」に準じ、速度を「千鳥級」が竣工時に発揮していた30ノットに回復しています。当初16隻の建造計画でしたが、ワシントン・ロンドン体制の終了に伴い、8隻で建造が打ち切られました。

改修後の「千鳥級」同様、護衛任務等には最適な艦型と評価が高く、この艦級の戦時急造に向けた工程簡素化等が検討されていれば、その後の日本海軍が陥った深刻な状況に対する早い段階での回答となり得たのかもしれません。

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 (直上の写真:「千鳥級」(上段)と「鴻級」水雷艇(下段)の武装比較。主砲(左列)は同じ12センチ砲ながら、「鴻級」では仰角を55°まであげたM型砲架を搭載しています。魚雷発射管(右列)は「千鳥級」が連装発射管であるのに対し、「鴻級」では3連装発射管に強化しています)

 

対潜水艦戦専任艦種(海防艦駆潜艇

海防艦という艦種

海防艦(新海防艦と言った方がいいでしょうか)は、実は筆者が最も好きな艦種の一つです。華々しい活躍こそありませんが、来る日も来る日も船団に寄り添って、目を真っ赤にしながら海面や空を通る黒点に目を凝らす、その様な正に海軍のワークホースとでも言うべき姿に、いつも胸が熱くなるのです。

本稿でも、下記の回に少しだけ登場してもらいました。本稿は八八艦隊計画を具体化した辺りから、少し架空戦記っぽい手触りになってゆくのですが、下記もその体現化と受け止めて楽しんでいただければ、と思います。

fw688i.hatenablog.com

今回は、初稿では、海防艦はもっと小さな扱いだったのですが、やはり思いが募って、結局、新海防艦のご紹介的なミニコーナーにしてしまいました。

 

甲型海防艦(「占守型:同型4隻」択捉型:同型14隻」)

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(直上の写真は、甲型海防艦:「占守型」(手前)と「択捉型」(奥))


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(直上の写真は、甲型海防艦「占守型」の概観。64mm in 1:1250 by Neptune: 平射砲を主砲とし、なんとなく平時の警備艦の趣があると思いませんか?)

 

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(直上の写真は、甲型海防艦「択捉型」の概観。64mm in 1:1250 by Neptune: 「占守型」と外観位は大差はありません。南方航路の警備・護衛を想定し、爆雷の搭載数が定数では「占守型」の倍になっています)

 

当初、海防艦は、北方で頻発していた漁業紛争への対応を目的として整備されました。漁業保護、紛争解決に主眼が置かれたため、武装は控えめで、高速性も求められないかわり、経済性が高く長い航続力を有していました。こうした経済性と長い航続力は、船団護衛には最適で、ほぼ北方専用に設計された「占守型」の設計を引き継いで、南方での運用も視野に入れた「択捉型」が建造されました。国境での紛争解決等を想定したため、主砲は平射砲を装備し、南方の通商路警備をもその用途に含めたため若干の対潜装備を保有していました。870トンの船体にディーゼルエンジン2基を主機として搭載し、19.7,ノットの速度を出すことができました。

 

乙型海防艦甲型海防艦(「御蔵型:同型8隻」「日振型:同型9隻」「鵜来型:同型20隻」)

**実は設計時には「乙型」と言う分類でしたが、完成時には「甲型」に分類されました。従って、乙型海防艦は記録上は存在していないかもしれません。しかし明らかに設計の主目的等が変更されているので、なぜ、同分類としたものか疑問です。どなたか、理由をご存知の方がいらっしゃったら、ぜひ教えてください。とりあえず、便宜的に「甲型改」とでも呼んでおきましょうか。「甲型改」は正式名称ではないので、ご注意を。

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(直上の写真は、甲型改(乙型海防艦:「御蔵型」(手前)と「日振型」(奥):「日振型」には建造工程を簡素化した準同型艦の「鵜来型」がありました)

 

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(直上の写真は、甲型改(乙型海防艦「御蔵型」の概観。63mm in 1:1250 by Neptune: 主砲が高角砲となり、艦尾部の対戦兵器が充実しています。この艦級のあたりから、船団護衛の専任担当艦の色合いが濃くなってゆきます)

 

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(直上の写真は、甲型改(乙型海防艦「日振型」の概観。63mm in 1:1250 by Neptune.:基本的な外観は「御蔵型」と変わりませんが、建造工数の簡素化が図られ、工数が57000から30000へと大幅に減少、工期が9ヶ月から4ヶ月に短縮したと言われています)

 

戦争が深まるにつれ、南方の通商路での船舶の戦没が相次ぎ、航路護衛には潜水艦、航空機に対する戦闘力を求められるようになり、主砲を高角砲に変更、あわせて対潜装備が充実してゆきます(乙型海防艦甲型海防艦「御蔵型:同型8」「日振型:同型9」「鵜来型:同型20」)。あわせて、数を急速に揃える要求から、艦型は次第に小型化し、建造工程の簡素化が模索されます。写真を掲げた「日振型海防艦」は、940トンの船体に、12cm高角砲を艦首に単装砲架で、艦尾に連装砲架で装備し、加えて25mm3連装機銃を2基、艦尾に爆雷投下用の軌条を二本、爆雷投射機を2基搭載し、爆雷120個を搭載していました。ディーゼルエンジン2基を主機として、19.5ノットの速度を出すことができました。ヒ86船団の護衛隊には「大東」が参加しており、「鵜来型」のネームシップである「鵜来」は準同型艦でした)

 

丙型海防艦:同型56隻

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(直上の写真は、「丙型海防艦」の概要。54mm in 1:1250 by Neptune:簡素化はさらに進み、艦型が直線的になっています。船体は小型になり、武装は高角砲が1門減りましたが、対潜装備は投射機など充実しています

戦争後半、米潜水艦の跳梁は激化し、海防艦の量産性はより重視されるようになります。「丙型海防艦」では艦型の小型化、簡素化がさらに進み、艦型もより直線を多用したものになってゆきます。エンジンも量産性を重視して選択され、「日振型」同様ディーゼルエンジン2基の仕様ながら、速力は16.5ノットに甘んじました。甲型乙型よりも一回り小さな745トンの船体を持ち、武装は12cm高角砲を単装砲架で艦首、艦尾に各1基、25mm3連装機銃を2基を対空兵装として搭載し、爆雷投射機を12基、投下軌条を一本装備して、爆雷120個を搭載していました。同型艦は56隻が建造されています。艦名はそれまでの様に日本の島嶼名ではなく、番号に改められました。「丙型海防艦」は全て奇数の艦番号が割り当てられました。ヒ86船団の護衛隊には「23号艦」「27号艦」「51号艦」がが参加していました。

 

丁型海防艦:同型67隻

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(直上の写真は、「丁型海防艦」の概要。56mm in 1:1250 by Neptune:「丙型」と武装等は変わりませんが、主機が変更になり、煙突の位置、形状が変わっています。排水量は変わりませんが、やや全長が長くなっています) 

再三記述していますが、海防艦には量産性が求められましたが、一方でディーセルエンジンの生産能力にも限界があることから、上掲の「丙型海防艦」と並行して蒸気タービンを機関として搭載した「丁型海防艦」も建造され、こちらは偶数番号が割り当てられました。同型艦は67隻。船体の大きさ、武装には「丙型」「丁型」で大差はありませんが、主機の違いから、速力は「丙型」よりも早い17.5ノットでしたが、ディーゼルに比べると燃費が悪く、「丙型」のほぼ倍の燃料を搭載しながら、航続距離が2/3程度に下がってしまいました。

 

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(直上の写真は、「海防艦」の艦級瀬揃い。手前から「占守型」「択捉型」「御蔵型」「日振型」「丙型」「丁型」:実際には「日振型」の準同型「鵜来型」がありました)

 

海防艦は171隻が建造され、71隻が失われました。

 

駆潜艇

昭和期に入り、日本海軍ではそれまで漁船等を改造した特務駆潜艇の業務としていた沿岸での局地対潜防御活動に専任する艦種として駆潜艇を建造しました。

沿岸防御をその想定戦域としていたために、あまり航洋性には配慮が払われていませんでしたが、太平洋戦争では多くが南方での哨戒任務や船団護衛に従事しています。

艦級は以下の通りです。

 

 第1号級駆潜艇

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 (直下の写真:「第1号級」駆潜艇の概観。52mm in 1:1250 by HB :日本海軍が初めて設計した駆潜艇ですが、その後、「第13号級」が現れるまでの駆潜艇の基本形となりました。**余談異なりますが、このモデルのモデルの供給元であるHB社は日本の小艦艇に強いメーカーです。駆潜艇の主な艦級を揃えています) 

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260トンの船体に40mm連装機関砲を主要装備としていました。24ノットの高速を有していましたが、航洋性は必ずしも良好ではありませんでした。以降の第12号艇までは本級の艦型を基本設計として、「友鶴事件」等の影響で復原性を高めるために艦橋位置や構造を改める等の回収を施しています。

 

第51号級駆潜艇

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直上の写真「第51号級」駆潜艇の概観。44mm in 1:1250 by Trident 前部マストをプラロッドに変更)

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マル二計画(1933年度)で計画された小型駆潜艇です。

150トンの船体に40ミリ機関砲と爆雷18個を搭載し、23ノットのこの艦級としては比較的高速の速力を有していました。主として主要海軍根拠地の防備隊で使用され、同級3隻全てが終戦時に現存していました。

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(直上の写真:駆潜艇の系譜。左から「第1号級」駆潜艇、「第51号級」駆潜艇、「第13号級」駆潜艇

 

第四号型駆潜艇 - Wikipedia

(モデル未)

 

第13号級・第28号級・第60号級駆潜艇

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 (直下の写真:「第13号級」駆潜艇の概観。42mm in 1:1250 by HB :日本海軍の駆潜艇の決定版、と言ってもいいでしょう。量産性を意識して機関を商船型のディーゼルとするなど、特徴が見られる設計です。次級の「第28号級」もほぼ外観は変わりません) 

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前級をやや大型化した400トン弱の船体に、高角砲1門、13mm連装機銃等を装備していました。急造性を考慮して商船向けのディーゼルエンジンを搭載しています。主機をディーゼルとしたことで航続距離は伸びましたが、速力は16ノットとなりました。開戦後は適宜対空兵装を強化しています。

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(上下の写真:太平洋戦争後期には、対空機関銃が増設され、対空兵装が強化されました)

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次級の「第28号級」はその改良型です。

 

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「第13号級」の準同型艦。「第13号級」で課題が見つかった保針性改善のために、艦尾形状を直線的に改めました。量産性を高めるために艤装や船体構造の簡易化が図られました。

 

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「第13号級」の準同型艦で、「第28号級」で取り組まれた戦時急造のための簡易化を一層進めていたと言われています。

 

上記の5クラスで61隻が建造され、41隻が戦没しています。

 

機雷戦艦艇機雷敷設艦・機雷敷設艇・掃海艇)

機雷敷設艦というジャンル

本稿前回でも少し触れましたが、日本海軍はその創設以来、機雷敷設業務には専用艦船を建造せず、旧式の装甲巡洋艦や徴用した商船等を改造し、その役務に配置してきていました。

ようやく八八艦隊計画の時期に、機雷敷設専用艦船の保有に意向を示し、設計を始めました。大まかに設計された艦級は3種類に分類されると言っていいと考えています。

 

第1グループ:強行敷設艦敷設巡洋艦

第一のグループは「八八艦隊計画」に象徴される艦隊決戦の補助戦力として、想定決戦海面、あるいは敵前で機雷を敷設する大型の強行敷設艦で、これは目的海面までの長い航続能力を持ち、敵前敷設に対応するための強力な砲力、多数の機雷を搭載できる大型の艦型という特徴を備えています。「厳島」「沖島」「津軽」がこれに該当します。これらの艦は、太平洋戦争開戦後は、本来の機雷敷設任務以外にも、その大きな搭載能力(機雷庫)を買われ、高速輸送艦としても活躍しています。

 

機雷敷設艦厳島」(1929-1944)

掃海艇同様、日本海軍は機雷敷設業務に、旧式の装甲巡洋艦等を当てていましたが、大正期の八八艦隊計画に準じて、初めて本格的な機雷敷設艦の設計に着手しました。それが「厳島」です。
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(直上の写真は、機雷敷設艦厳島」:89mm in 1:1250 by Authenticast)

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2000トン級の艦型に、主機にはディーゼル機関を採用しています。設計当時の艦隊決戦主戦場と想定されていた南洋諸島方面での機雷敷設任務を想定し航続距離と機雷搭載量が重視され、速力は17ノットと少し控えめに設定されています。

日本海軍の常として強行敷設、敵前敷設をも想定したため、2000トンの駆逐艦クラスの艦型の割には比較的強力な砲力をもっています。(14センチ砲単装砲3基)

2000トンの小ぶりな船体ながら、500個の機雷を上甲板直下の第二甲板の機雷庫に収納する事ができました。上甲板の4条の機雷投下軌条と第二甲板後方の6つの扉を開放する事で、機雷庫から直接機雷敷設ができる仕組みも併せて持っていました。

太平洋戦争開戦時にはフィリピン攻略戦を皮切りに南方作戦に従事し、機雷敷設、船団護衛、上陸支援、物資輸送等に大戦を通じて活躍しています。

1944年10月、スラバヤ方面で、オランダ潜水艦の雷撃で撃沈されました。

 

機雷敷設艦沖島」(1936-1942)

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ロンドン海軍軍縮条約の補助艦艇への制限下で生まれた本格的機雷敷設艦

ロンドン条約では補助艦艇の保有に関してもその形状、保有数の両面で制限が課せられるようになりました。機雷敷設艦についても制限が設けられ、新造される敷設艦は5000トンを超えたはならず、最大速力を20ノットとしています。さらに搭載砲の口径をは6インチ(15cm)以下、搭載数を4門までと制限され、さらに魚雷発射管の搭載は認められませんでした。

そもそもロンドン条約では「主砲口径が6.1インチを超え、8インチ以下で、10000トン以下の艦」をカテゴリーA:重巡洋艦とすると言う定義が行われ、この定義は、「夕張」「古鷹級」と、画期的なコンパクトな重武装艦を生み出し始めた日本海軍を警戒して列強が定め、「古鷹級」とこれに続く「青葉級」をカテゴリーAの総排水量の中でカウントし、その重巡洋艦保有数に限界を持たせることを狙ったとも言われています。

同様に機雷敷設艦艇に関する制約でも、日本海軍が高速で強力な兵装を持つ、軽巡洋艦或いは重巡洋艦に匹敵するような高速機雷敷設巡洋艦保有することを制限する狙いがあった、と言われています。

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(直上の写真は、上述の機雷敷設艦沖島」の概観:104mm in 1:1250 by semi-scratched based on Neptune)

 

機雷敷設艦沖島」は 4000トン級の船体を持ち、条約制限いっぱいの20ノットの速力を有していました。主砲には、敵前での強行敷設を想定し、軽巡洋艦と同等の14cm主砲を防楯付きの連装砲架形式で2基、保有していました。機雷搭載能力は600発とされ、これを収納できる大きな機雷庫を持っていました。併せてカタパルトを搭載し水上偵察機の運用能力を備え、広域な偵察能力も保有していました。

前述のようにロンドン条約は、機雷敷設艦の名目で日本海軍が軽巡洋艦として運用できる強力な敷設巡洋艦を建造することを予防した、と言われていますが、実際に太平洋戦争では、開戦直後の中部太平洋での島嶼攻略戦での上陸作戦支援やソロモン諸島方面で輸送船団の護衛や、巨大な上記の機雷収納庫を利用して自ら輸送・揚陸任務など、高速を必要とする水雷戦隊旗艦等の任務を除けば、他の軽巡洋艦と同等に活躍しています。

1942年5月11日、ソロモン諸島方面で米潜水艦の雷撃で失われています。

 

機雷敷設艦津軽」(1941-1944)
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(直上の写真は、上述の機雷敷設艦津軽」:104mm in 1:1250 by Neptune)

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 「津軽」は前述の「沖島」の準同型艦で、4000トンの船体を持ち、条約制限いっぱいの20ノットの速力を有していました。「沖島」と異なり「津軽」は12.5cm 連装対空砲を2基を主砲として搭載し、より対空戦闘能力に配慮した設計となっています。

沖島」同様、巨大な機雷収納スペースを生かし、太平洋戦争中盤までは、中部太平洋ソロモン諸島方面で輸送船団の護衛や、自ら輸送・揚陸任務などに活躍しています。

大戦後期にはレイテ島方面での機雷敷設を行い、併せて南西方面での輸送任務につく事が多く、1944年6月に米潜水艦の雷撃で失われました。

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(直上の写真は、上述の機雷敷設艦沖島」と津軽」(左上)・「沖島」「津軽」の艦尾部の拡大(左下):機雷は上甲板乗の軌条と艦尾の第二甲板の後方扉からの投下設置が可能でした。・右列は「沖島」(右上)と「津軽」(右下)の主砲比較:右上の「沖島」の主砲は、ストックパーツを加工してして換装しました)

 

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(日本海軍の本格的機雷敷設艦のそろい踏み:本当はここに「八重山」の入れたかったけど・・・。奥から「津軽」「沖島」「厳島」)

 

機雷敷設艦八重山」(1932-1944)

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(Midwayレーベルでモデルあり、モデル未入手:概観は、後述の「白鷹」に似ています)

同艦は1100トン級と、やや小型の艦型を持ち、平時の訓練、戦時には哨戒や船団護衛等の汎用的な目的への対応も考慮して設計されています。兵装は当初から盾付きの12cm単装高角砲を2門搭載していました。小さな艦型ながら185個の機雷を搭載する設計でした。

同艦の大きな特徴は、なんと言っても電気溶接が最初に採用された事で、技術的にも用途的にも実験的な試みの軍艦となっています。同艦で使用された電気溶接の技術は、当然の事ながら未熟で、不具合が多発したようです。併せて復原性に課題があり、大規模な改修工事を受けています。

太平洋戦争では開戦時に南方攻略戦に帯同し機雷敷設業務に従事していますが、その後は対空兵装、対潜装備を強化し、護衛艦として船団護衛等に活躍しました。

1944年9月、フィリピン中部で米艦載機による攻撃で沈没しています。

 

雑談:機雷という兵器

ここまで、機雷敷設艦艇の第1グループを紹介してきたわけですが、そもそも「機雷」というのはどのような兵器なのか、少し説明を試みます。

「機雷」とは、水中に設置され艦船が接触、もしくは接近した際に爆発し艦船に損害を与える兵器です。「機械水雷」を略して「機雷」と言われています。

港湾封鎖、航路封鎖、あるいは逆に港湾・航路への侵入防御等の目的に使用される事が多く、敷設には艦船による海面敷設、航空機による空中投下、あるいは潜水艦による水中敷設等の方法が用いられます。

機雷を設置された海面を機雷原と呼びますが、機雷原の設置には大量の機雷を計画的に設置する事が必要ですが、「機雷」そのものの強度の脆弱さを考慮すると、短時間での大量の機雷敷設には専用敷設装備を持った艦船が必要でした。

第二次世界大戦の後半には空中投下が可能な強度を持った機雷が開発され、日本周辺の海域では米軍爆撃機から空中投下された機雷での海上封鎖が行われました。

「機雷」自体の起爆作動方法は大きく以下の3種類に大別されます。

触発機雷:機雷の触覚、あるいは機雷から延長される水中線などに艦船が接触した際に爆発する機雷で、一般的に最もよく知られているタイプと言えます。

感応機雷:艦船の発生させる磁気、音響、通過時の水圧変化、艦船の機械類が発生させる電流等を感知して爆発するタイプの機雷で、現状はこれらの複数の刺激を併用して攻撃対象の艦船を特定し爆発するこのタイプが主流になっています。

管制機雷:簡単にいうと有線で陸上の管制室等から起爆指示が送られるタイプの機雷です。根拠地の周辺、あるいは要地に設置され、平時には艦船通過等を探知するセンサーから、音響や発生電流等の情報集取も可能です。

太平洋戦争時に日本海軍が保有していたのは触発機雷のみでしたが、同時期に米海軍は感応機雷の運用も開始していました。この背景には日本海軍のレーダー技術や対潜水艦戦用装備、特に水中聴音やソナー関連の電子技術の立ち遅れが大きく影響していたと言わざるを得ません。

現在ではセンサーで条件に合致する(音紋特性・磁気特性等)特定の艦船の通過をした際に起動し、目標を追跡する自走能力を持ったホーミング機雷なども実用されています。

 

以前、本稿で紹介した光岡明氏の「機雷」という小説では、大戦中は海防艦に乗り組んでいた主人公が、終戦後、掃海艇に乗務して日本近海に設置された「機雷」を処理する、という物語なのですが、ここで米海軍が空中投下した「感応機雷」について詳しく語られています。

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音響感知式の「感応機雷」は、「艦船の通過回数を検知し特定回数に達した場合に起爆する」というような記述があったと記憶します。つまり、こうした機雷の場合には除去(掃海)にあたっては、ダミー音源を牽引した掃海艇が何度もその上を通過せねばならず(例えば起爆セットが「通過7回目」だった場合には、ダミーがその上を7回通過しないといけないのです)、それだけ掃海艇そのものも危険に曝される、という訳です。それにも増して気の遠くなるような地道な作業です。まるでテロ。地雷と似ていますね。

実際に日本はこの米軍が敷設した機雷の除去に、20年の年月を費やしています。

 実はこの小説、私の最も好きな小説の一つです。「海防艦」が冒頭現れるのもその魅力の一つですが、主人公が終戦を挟んで静かに生きてゆく姿に感動します。興味のある方は是非。

 

本稿では「防潜網」という用語も出てきますが、多くの場合、この「防潜網」も一定間隔で機雷を装備しており、「防潜網」に接触した潜水艦に損害を与える仕組みになっています。

 

「機雷」=「触雷」というと、本稿の主題であった「主力艦開発史」の流れで思い出されるのは、やはり日露戦争のロシア太平洋艦隊の司令長官マカロフ提督の遭難と、その直後の「魔の5月15日」でしょうか。

当時、世界的な名将として知られ、新たに旅順要塞の太平洋艦隊の司令長官として着任したマカロフが、1904年4月13日、旗艦「ペトロパブロフスク」に座乗して旅順周辺海域での日本艦隊の追撃戦からの帰還途上で、日本海軍の敷設した機雷に触雷して戦死しました。

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このマカロフの死は、明らかにその後の旅順周辺でのロシア艦隊の活動に大きな影響を与え、例えば旅順要塞自体の不備から、その後、ある意味必然的に発生せざるを得なかったであろう「黄海海戦」などは、おそらく全く異なった展開となっていたと思われます。マカロフはおそらくその出撃の主題を冷静に捉えて、ウラジオストックへの遁走に邁進し艦隊を保全。もしくは積極的な攻勢に転じて損害を出しながらも日本海軍はその主力艦隊をこの海戦で消耗し、その後、極東へ回航されて来るバルティック艦隊の迎撃は叶わなかった、というような結果も想定されます。いずれの場合にも、バルティック艦隊の回航は全く異なる意味を持ち、戦争の帰趨は変わっていたかもしれません。

この直後の5月15日、今度は旅順要塞海域を哨戒中の日本海軍の戦艦「初瀬」と「八島」が、今度はロシア海軍が敷設した機雷に触雷、両艦は轟沈してしまいます。当時、6隻しか保有していなかった戦艦のうち2隻が同時に失われる、という悲劇でした。

 

と、まあ、少し脱線。

 

第2グループ:急設網艦

第二のグループは、主力艦隊に帯同し艦隊の泊地に、第一次世界大戦以来、飛躍的に性能を向上させ水上艦にとって重大な脅威となりつつある潜水艦の侵入、攻撃を防ぐための防潜網を転調する急設網艦のグループで、この艦種は機雷敷設の能力も併せて持っていました。「白鷹」

「初鷹級」の3隻がこのグループに属します。この艦級は、太平洋戦争中盤以降、防潜網の展張装備を対潜兵装に換装し、船団護衛等の任務に活躍しています。

 

急設網艦「白鷹」(1929-1944)

その名の通り、艦隊泊地などに対潜水艦侵入防止用の防潜網を展張する役目を負う艦種ですが、機雷敷設の能力もあるため、正式の艦種分類は日本海軍では機雷敷設艦となっています。

「白鷹」(「ハクタカ」ではなく「シラタカ」と読みます)は日本海軍が建造した最初の「急設網艦」ですが、同時に世界で初めて防潜網敷設艦として設計された船でもあります。

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(直上の写真は、急設網艦「白鷹」:69mm in 1:1250 by Superior?ちょっと怪しい。兵装配置はほぼ最終時点=8cm高角砲2基を主兵装とした時点を再現しているつもりです。もう少し爆雷投射機等があったほうがいいかも)

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就役当初から復原性に大きな課題を抱えており、重装備であった砲兵装が順次改められてゆきました。また(1300トン、12cm高角砲3基(竣工時)、のち8cm高角砲2基、速力16ノット)

太平洋戦争開戦時には南方攻略戦に従事、その後主としてインドネシア海域での機雷敷設・防潜網敷設等に活動したのち、他の敷設艦同様、防潜網・機雷の収納庫を活用した輸送任務等に活躍しました。大戦の推移にともない防潜網の展張、機雷敷設の機会の減少に準じ、敷設関係の装備を撤去して代わりに対潜装備を搭載。最終的には船団護衛が任務の主体となりました。す。

 1944年8月、バシー海峡で米潜水艦の雷撃で失われました。

 

「初鷹級」急設網艦 (1939-:同型艦3隻「若鷹」のみ残存)

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(Oceanicレーベル、もしくは Superiorレーベルでモデルあり、モデル未入手)

 「初鷹級」急設網艦は、「白鷹」以来、約10年ぶりで建造された急設網艦です。基本設計は「白鷹」の改良型で、乾舷を引くくして復原性を改善、主機を「白鷹」のレシプロ機関から蒸気タービンとして速力を20ノットに向上させ、併せて航続距離を「白鷹」の1.5倍としています。重量軽減のために主兵装を40mm機関砲としています。その他、復原性の改善のために煙突を低くするなど、全体的に駆逐艦のようなスマートな艦型となりました。

後に不具合の多い主兵装40mm機関砲を8cm高角砲や25mm機関砲に換装するなど、兵装には変更が加えられました。

「初鷹級」は、いずれの艦も太平洋開戦当初から上陸作戦支援や船団護衛につく事が多く、本来の機雷敷設・防潜網敷設任務に従事する機会はあまりありませんでした。特に1944年からは船団護衛が主任務となり、敷設関連の軌条を撤去して対潜装備が配置されています。

1944年9月に「蒼鷹」、1945年5月に「初鷹」がいずれも米潜水艦の雷撃で失われ、「若鷹」のみ終戦時に残存していました。

 

第3グループ:敷設艇

第三のグループは、より小型の基地防御用の敷設艇です。基地周辺の防潜網敷設や、沿海航路保全の機雷敷設などに従事する艦種です。

このグループには「燕級」「夏島級」「側天級」「神島級」の4つの艦級が建造されました。

この艦種は太平洋戦争末期、日本本土決戦構想が具体化するにつれ、必要性が増した艦種でもありました。

 

 「燕級」敷設艇(同型2隻:1929-) 

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(直上の写真は、「燕級」敷設艇の概観:57mm in 1:1250 by Oceanic ?ちょっと怪しい。主兵装のみそれらしく乾燥したつもりです) 

八八艦隊計画の一環として、港湾防御用に設計された小型艦級です。防潜網・機雷等の敷設のみでなく掃海も対応可能とした一種の万能艇を目指していました。(450トン、19ノット、主兵装:8cm高角砲×1・13mm機銃×1、機雷80基)

太平洋戦争では佐世保防備戦隊の所属し、主として南西諸島方面の船団護衛や機雷敷設に従事していました。

「燕」「鷗」の2隻が建造されましたが、1944年から1945年にかけて、両艇ともに南西諸島近海で失われました。

 

 「夏島級」敷設艇(同型3隻:1933-) 

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(直上の写真は、「夏島級」敷設艇の概観:63mm in 1:1250 by Oceanic ?ちょっと怪しい。主兵装のみそれらしく乾燥したつもりです) 

「燕級」敷設艇の改良型で「夏島」「那沙美」「猿島」の3隻が建造されました。(450トン、19ノット、主兵装:8cm高角砲×1・13mm機銃×1、機雷120基)

太平洋戦争では各根拠地の防備船体に所属し船団護衛や機雷敷設に従事しましたが、3隻とも1944年に3隻とも相次いで失われました。

 

 「測天級」敷設艇(同型15隻:1938-終戦時4隻残存)  

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(Oceanicレーベルでモデルあり、モデル未入手)

それまでの敷設艇を大型化した艦型で、機関をディーゼルとしてより汎用性を高め、太平洋戦争における敷設艇の主力となりました。前級までの復原性不足を解消し、航洋性に優れ活動範囲は日本近海に留まらず広い戦域に進出し活躍しています。(720トン、20ノット、主兵装:40mm連装機関砲×1・13mm連装機銃×1、機雷120基 /6番艦「平島」以降は主兵装:8cm高角砲×1・13mm連装機銃×1)

終戦時に「巨済」「石埼」「濟州」「新井埼」の4隻が残存していました。

 

 

 「神島級」敷設艇(同型2隻:1945-終戦時に2隻とも残存) 

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(Oceanicレーベルでモデルあり、モデル未入手)

本土防衛のために「測天級」の簡易版として急遽建造された艦級です。3隻が着工し、1隻が建造中止、「神島」のみ1945年7月に就役しました。「粟島」は艤装中に終戦を迎え、終戦後に復員輸送船として就役しました。(766トン、16.5ノット、主兵装:40mm機関砲×1・25mm機銃×3)

 

掃海艇について

掃海艇は本来、その名の通り掃海任務を担当する艦種ですが、日本海軍は「八八艦隊計画」までは旧式の駆逐艦をこの任務に当てていました。「八八艦隊計画」により初めて専任艦艇を設計する事になるのですが、この計画自体が「艦隊決戦」構想に基づく計画であり、日本海軍では主力艦隊の前路開削のための敵艦隊前での掃海任務を想定し、その艦型に比較すると大きな砲力を備えている特徴がありました。

大戦中は掃海装備のための後甲板に対潜装備を搭載し、掃海任務だけでなく、船団護衛等にも活躍しました。

艦級としては以下のクラスがありますが、本稿で扱う1:1250スケールで模型化されているのは

私の知る限り「第13号級」、「第7号級」と「第19号級」の3クラスです。

 

第1号級掃海艇(既存モデル、あった!?)

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(直下の写真:「第1号級」掃海艇の概観。59mm in 1:1250 bt ??? メーカー不明)

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筆者が頼りにしている艦船モデルのデータベースsammelhafen.deで調べても、「第1号級」掃海艇のモデルは登録されていないのですが、筆者のストックモデルでそれらしきものを発見。少しディテイルアップをしてみました。

 

「第1号級」掃海艇は、それまで旧式駆逐艦等を掃海任務に割り当てていた日本海軍が、大正期の八八艦隊計画の一環として初めて「掃海艇」として設計した艦級です。日本海軍の掃海艇の常として、敵前での主力艦隊の前路開削を想定しているため、本級も艦型に比して比較的強力な砲力を搭載していました。(600トン、12cm平射砲2門、20ノット)

同型艦に、本級を改良した「第5号級」掃海艇があります。

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同級も外観的には大差がなく、「第1号級」「第5号級」併せて6隻が建造され、太平洋戦争には、その汎用性を買われて本来の掃海任務の他、船団護衛等にも従事しました。第4号掃海艇を除いて、全てが太平洋戦争で失われました。

 

第13号級掃海艇

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 (直下の写真:「第13号級」掃海艇の復原性改修後の概観。58mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces) 

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設計当時の日本海軍の艦艇設計の共通点として、重武装でトップヘビーであり、復原性に課題がある艦級とされていました。上述の「友鶴事件」で改修工事が行われ、艦橋が一段低められ艦底部のバラストキールが装着されるなどの対策が取られました。(690トン、12cm平射砲2門、19ノット:復原性改善工事後)

 

次級の「第17号級」は元々は本級の5番艦、6番艦でしたが、設計段階で上記の改修が反映され、船体が少し小さくなりました。

第十七号型掃海艇 - Wikipedia

 

第7号級掃海艇 

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(直上の写真「第7号級」掃海艇の概観。59mm in 1:1250 by Trident 前部マストをプラロッドに変更)

「友鶴事件」「第四艦隊事件」等を経て、設計された掃海艇です。艦型は復原性・船体強度などの前級が抱えていた問題を考慮して、異なる外観となっています。しかしその任務想定が艦隊の前路開削や、上陸地点の航路掃海等、敵前での業務を想定していたため、船体の大きさに対して大きな砲力を有していました。(630トン、12cm平射砲3門、20ノット)

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(直上の写真:「第7号級」掃海艇と本稿では既出の「第19号級」掃海艇との艦型比較。直下の写真:主砲が「第7号級」掃海艇では平射砲であるのに対し(上段)、「第19号級」ではM型砲架の採用により、仰角が挙げられているのが分かります) 

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 第19号級掃海艇

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 (直下の写真:「第19号級」掃海艇の概観。59mm in 1:1250 by Trident: 「鴻級」水雷艇と同様に、主砲は55°の仰角での射撃を可能したM型砲塔を搭載していました。艦種も第25号艇以降は戦時急増のために簡素化した直線的な艦首を採用しています) 

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 同級では主砲が仰角をかけることの出来るM型砲架に改められています。同砲架は55°まで仰角をかけることができましたが、対空戦闘ではなく、対地上砲撃等を想定したとされています。実際に前出の「第13号級」では太平洋戦争の緒戦のボルネオ攻略戦闘で、陸上砲台からの射撃で2隻が失われています。上陸作戦等に伴う前路開削等には、その様な陸上砲撃を行う機会が伴ったのかもしれません。(650トン、12cm3門(M型砲架)、20ノット)

また同級の第25号艇以降は、戦時急造適応のため簡易化が行われ、艦首形状が直線化しています。

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 (直上の写真:「第13号級」と「第19号級」掃海艇の概観比較。「第13号級」は設計当時の日本海軍の通弊だった幅広の艦型を持ち喫水が浅く重装備のためにヘビートップの傾向がありました)
 (直下の写真は、「第7号級」掃海艇までが装備していた防楯付き12cm平射砲(上段)と、「第19号級」掃海艇が装備したM型砲架12cm砲(下段):写真はいずれも前出の水雷艇のものですが、掃海艇でも同様の主砲搭載形式の変更があ行われました。M型砲架の採用により55°までの仰角での射撃が可能になりましたが、この変更の目的は対空戦闘よりも対艦・対陸上砲撃への適応を考慮されたものでした)

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上記の6クラスで35隻が建造されましたが、30隻が戦没しています。

 

 

海上自衛隊 潜水艦開発史

旧日本海軍は、その潜水艦開発に、独自の戦略と技術の方向性を持つユニークな存在であった。用兵面では、その海軍の成立の背景から、あまりに艦隊決戦にこだわったため、潜水艦本来の特性を十二分に活かす事ができなかったが、長い航続距離と優れた航洋性を持ち、一部には航空機を搭載するなど独自の発展を遂げたと言っていい。

大戦末期にはいわゆる「可潜艦」からの脱却を目指し、潜水航行を主眼においた水中高速潜水艦の保有に至っていた。

海上自衛隊の潜水艦開発史は、海上自衛隊発足直後の米海軍からの貸与艦に始まり、上記の技術の上に早い時期に国産艦の建造に着手した。

海上自衛隊の創立から今日に至るまで、以下に紹介する11級の潜水艦を保有している。

 

黎明期の貸与潜水艦 

 潜水艦くろしお(1955:再就役-  同型艦なし:1526トン、水中8.8ノット・水上20.3ノット、魚雷発射管:艦首6門・艦尾4門)

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USS Mingo (SS-261) - Wikipedia

海上自衛隊の発足直後、日米艦艇貸与協定により米海軍から貸与された。前身はガトー級潜水艦ミンゴである。

ガトー級潜水艦は都合77隻が建造され、多くはガピー改装と称する艦齢延長のためを受け近代化されるなど近代化対応したが、ミンゴはモスボール艦の状態から貸与艦となったため、そのような改装は受けず、それどころかシュノーケルさえ装備されていなかった。

(Takara 1:700 世界の艦船 海上自衛隊潜水艦史「くろしお」(1955)130mm in 1:700)

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「くろしお」は、本稿でも紹介した私の幼少期の愛読書「サブマリン707」の初代707のモデルとなった。「どんがめ」の愛称で、その旧式性を謗られ、あるいは親しまれながら、大活躍する。

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(直下の写真は、Takara:世界の艦船シリーズ サブマリン707 1:1000スケール。ちょっと、わかってもらいにくかもしれませんが、懐かしい。涙モノ、なのです。 93mm in 1:1000)

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(さらに、Takara:世界の艦船シリーズ サブマリン7072世 1:1000スケール。右下写真に注目!シュノーケルには「ガー(噛み付き)」マーク(小沢さとる先生命名)が再現されています。これも、涙・・・101mm in 1:1000)

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併せて「くろしお」は、映画「潜水艦イ57降伏せず」には、日本海軍の潜水艦役で登場した。

www.youtube.com

 

初の国産潜水艦

 潜水艦おやしお(初代)(1960-  同型艦なし:1150トン、水中19ノット・水上13ノット、魚雷発射管:艦首4門)

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JDS Oyashio - Wikipedia

日本が戦後初めて建造された初の国産潜水艦である。

前出の米海軍からの貸与艦「くろしお」が、第二次世界大戦の中期までの潜水艦の主流であった水上航行を主体としたいわゆる「可潜艦」であるのに対し、旧日本海軍が戦争末期に建造した水中高速潜水艦(潜高型:せんたかがた)伊201級をタイプシップとして、水中を高速で航行する水中高速潜水艦の系列に属するシュノーケルを装備した潜水航行を通常とする「潜水艦」であった。

機関は米国から貸与された「くろしお」を範にとりデーゼル・エレクトリック方式とし、二軸推進であった(ディーゼルエンジンで発電機を回し、その発生電力でモーターを回し推進力を得る形式。旧日本海軍の潜水艦は、浮上時にはデーゼルエンジンで推力を得ると同時に発電機を回し充電を行い、潜水時には充電された電力でモーターを回し推力を得ていた。第二次大戦期までは、ドイツの高名なUボートなど、こちらの推進方式の方がどちらかというと主流であった)

(Takara 1:700 世界の艦船 海上自衛隊潜水艦史「おやしお」(1960)110mm in 1:700)

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本格的国産潜水艦の登場

はやしお級潜水艦 (1962- 同型艦2隻:750トン、水中14ノット、水上11ノット、魚雷発射管:艦首3門)

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Hayashio-class submarine - Wikipedia

第1次防衛力整備計画で建造された局地防衛用の対潜水艦戦用潜水艦である。

セイル前方と艦首には索敵用パッシブ・ソナーを配置し、攻撃用のアクティブ・ソナーを艦底に装備した。

機関はディーゼル・エレクトリック方式を採用し、推進機は二軸である。海中での運動性には優れていたが、小型の船体ゆえ荒天下でのシュノーケル運用に課題があり、水上航行にも問題を抱えていた。さらに居住性は劣悪であったとされている。

(Takara 1:700 世界の艦船 海上自衛隊潜水艦史「はやしお」級(1962)85mm in 1:700)

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なつしお級潜水艦 (1963- 同型艦2隻:790トン、水中15ノット、水上11ノット、魚雷発射管:艦首3門)

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Natsushio-class submarine - Wikipedia

前級「はやしお」級の発展形として2隻建造された。「はやしお」級同様、局地防衛用の対潜戦用潜水艦である。船型をやや拡大し、大型のアクティブ・ソナーを船体下方に昇降式で装備した。

(Takara 1:700 世界の艦船 海上自衛隊潜水艦史「なつしお」級(1963)88mm in 1:700

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(直上の写真は、「なつしお」級の外観的な特徴である昇降式のアクティブ・ソナードーム)

 

潜水艦おおしお (1965- 同型艦なし:1628トン、水中18ノット、水上14ノット、魚雷発射管:艦首6門、艦尾2門

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JDS Ōshio - Wikipedia

米海軍からの貸与艦「くろしお」の代替艦として、建造された。

前出の「はやしお」級、「なつしお」級はいずれも船型が小型で、運動性には優れるものの、荒天下でのシュノーケル運用、あるいは水上航行性能等、性能的には限界があった。

これらを踏まえ「くろしお」の代艦は、ほぼ「くろしお」に等しい大型の船型で建造された。

推進方式はこれまで同様、ディーゼル・エレクトリック方式で、二軸推進である。

パッシブ・ソナーは艦首下部とセイル前端に装備し、アクティブ・ソナーは「なつしお」級と同様に艦底、発令所下部当たりに吊り下げ式で装備した。

 

(Takara 1:700 世界の艦船 海上自衛隊潜水艦史「おおしお」(1965)126mm in 1:700)

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(直上の写真は、おおしおの外観的な特徴である吊り下げ式のアクティブ・ソナードーム)

 

あさしお級潜水艦 (1966- 同型艦4隻:1650トン、水中18ノット、水上14ノット、魚雷発射管:艦首6門、艦尾2門

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Asashio-class submarine - Wikipedia

基本的に「おおしお」をタイプシップとして、発展させたものである。

機関はデーゼル・エレクトリック形式を踏襲しているが、騒音軽減のための防振・防音対策が図られた。二軸推進である点は変わらない。

前級との大きな相違点は艦首形状が水上航行を意識した形状に変わり、併せて艦底に吊り下げ式で装備されたアクティブ・ソナードームは、艦首下部に移動された。 

(Takara 1:700 世界の艦船 海上自衛隊潜水艦史「あさしお」級(1966)126mm in 1:700)

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(直上の写真は、あさしおの外観的な特徴である艦首の吊り下げ式のアクティブ・ソナードーム。艦首の形状が前級の「おおしお」とは異なる)

 

涙滴型潜水艦の建造

うずしお級潜水艦 (1971- 同型艦7隻:1850トン、水中20ノット、水上12ノット、魚雷発射管:艦首部6門

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Uzushio-class submarine - Wikipedia

本級から、海上自衛隊の潜水艦形状は水中性能をより重視した涙滴型の艦型に移行する。機関はディーゼル・エレクトリック形式を踏襲するが、これまでの二軸推進から一軸推進へと改められた。これにより20ノットに水中速力は向上し、形状から不適と見られた水上でも12ノットで航行ができた。

これまでパッシブ、アクティブの二系統に分かれ分散装備されていたソナーを統合ソナーとして艦首のドームに配置し、全方位の同時監視を実現した。艦首部に大きなソナードームが配置された事で、魚雷発射管は艦首部よりもやや後ろに片舷3門づつ、やや斜め、艦中心線から外側に10度の角度を持って配置されることとなった。

操舵装置に初めてジョイスティックを採用し、それまで船体に装備されていた潜舵はセイルに移動した。

(Takara 1:700 世界の艦船 海上自衛隊潜水艦史「うずしお」級(1971)103mm in 1:700)

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(本級から、ソナーが統合ソナーとして艦首部に装備された。これに伴い、魚雷発射管は、艦首より少し後方に中心線から少し角度をつけて配置された)

 

ゆうしお級潜水艦 (1980- 同型艦10隻:2200トン、水中20ノット、水上12ノット、魚雷発射管:艦首部6門

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Yūshio-class submarine - Wikipedia

うずしお」級の発展形であり、涙滴型潜水艦の第二世代にあたる。

船体を大型化し、武器・操縦システムの強化、さらにスクリューの形状改良、防振・防音対策の充実などから、静粛性の向上が図られた。

ソナー等は基本「うずしお」級の形式を踏襲したが、デジタル化等が図られ、性能は黄向上している。4番艦「おきしお」では曳航ソナーが装備され、探知能力が受実した。その装備にともない、セイル後方から艦尾に曳航ソナー周用のための鞘が装備された。

この装備は、順次他艦にも追加装備されていく。

5番艦「なだしお」以降の艦では、艦首部の魚雷発射管から対艦ミサイル「ハープーン」が発射可能となった。

(Takara 1:700 世界の艦船 海上自衛隊潜水艦史「ゆうしお」級・「せとしお」(1980)105mm in 1:700)

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(「せとしお」を反対舷から撮影したもの。4番艦「おきしお」以降、準じ装備された曳航ソナーの収納鞘が見える:ちょっとわかりにくいですが、セイルの付け根から艦尾にかけて長く伸びている膨らみが、それです) 

 

はるしお級潜水艦 (1990- 同型艦7隻:2450トン、水中20ノット、水上12ノット、魚雷発射管:艦首部6門 

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Harushio-class submarine - Wikipedia

海上自衛隊の涙滴型一軸推進潜水艦の第三世代であり、7隻が建造された。

雑音低減対策が最優先して実行され、「ソノブイ視認までは、シュノーケル航行しても探知されない」静粛性を獲得したと言われるほど、徹底化した水中放射雑音低減が図られている。

本級で日本の潜水艦の静粛性は世界レベルで見ても最高水準に達したと言われている。

装備面での特徴はソナー等のデジタル化および国産化が挙げられる。

(Takara 1:700 世界の艦船 海上自衛隊潜水艦史「はるしお」級・「はやしお」(1990)110mm in 1:700)

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 (「はるしお」級の曳航ソナーの収納鞘の形状。前出の「ゆうしお」級の長い収納さや形状と比較して小型化しており、この辺りにも水中放出雑音対策の一環がうかがえる)

 

「あさしお」の改装

同級の7番艦「あさしお」は練習潜水艦籍への移行後、先進潜水艦技術のテストヘッドとしての役割が与えられ、多くの改装が施された。

最も大きな改装は、スターリング式AIP(非大気依存推進機関)追加搭載のために、艦中央部に区画を追加し9メートル船体が長くなったことである。これにより基準排水量は2900トンとなった。

本艦で、2003年からスターリング式AIPのテスト運用が行われ、その結果、後述の「そうりゅう」級潜水艦への搭載が決定された。

(船体を延長した「あさしお」Takara 1:700 世界の艦船 海上自衛隊潜水艦史「はるしお」級2隻の船体を結合してセミクラッチ 123mm in 1:700)
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 (直上の写真は、「はるしお」級と「あさしお」の艦型比較)

 

涙滴型一軸推進(SSS)潜水艦 の艦型比較

(直下の写真は、海上自衛隊が建造した涙滴型一軸推進潜水艦の関係を比較したもの。

左から「うずしお」級、「ゆうしお」級、「はるしお」級の順。艦の大型化の推移がよくわかる)

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涙滴型から葉巻型へ

側面アレイ・ソナーの導入の要請から、従来の涙滴型から葉巻型へと艦型が移行した。

おやしお級潜水艦 (1998- 同型艦11隻:2750トン、水中20ノット、水上12ノット、魚雷発射管:艦首6門
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Oyashio-class submarine - Wikipedia

水中吸音材と側面アレイ・ソナーの二つの新開発装備導入を主目的として本級は建造された。

側面アレイ・ソナーの装着には高い精度が要求され、この目的のためには耐圧殻への設置が望ましいとされた。併せて、魚雷発射管は艦首へ移動し、艦首部ソナーとの関係から魚雷発射管を上部に、ソナーを下部に設置する配置となった。

これらの経緯から、本級では、これまでの涙滴型一軸推進から、葉巻型一軸推進へと、艦型が変化した。

今一つの特徴が、ステルス性の追求であった。1980年代以降、ソナー関連技術の発展はめざましく、水中放出雑音の低減では対応しきれない状況に至っていた。一方で、艦型も大型化し、このため本級では新開発の水中吸音材が導入された。これは発振された音に対し逆位相の音を発することでこれを打ち消すというパッシブノイズキャンセラーとして機能する吸音材であった。

(Takara 1:700 世界の艦船 海上自衛隊潜水艦史「おやしお」級・「なるしお」(1998)117mm in 1:700)

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(直下の写真は、「おやしお」級の最大の特徴である側面アレイ・ソナー。

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(直上の写真は、側面アレイ・ソナーの導入により艦首に設置された魚雷発射管。上部2基、下部4基の配置となっており、さらにその下部にはソナーが装備されている)

 

AIP(非大気依存推進)潜水艦の登場

そうりゅう級潜水艦 (2009- 同型艦12隻:1650トン、水中20ノット、水上13ノット、魚雷発射管:艦首6門 

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Sōryū-class submarine - Wikipedia

海上自衛隊では1950年代以降、通常動力潜水艦(非原子力潜水艦というほどの意味です)の水中持続性を高める推進システムとしてAIP(非大気依存推進:Air-Independent Propulsion) の研究を進めてきた。

AIPの詳述は例によって他の優れた解説に譲るが、前出の「あさしお」での試験運用の実績を経て、本級の建造に至り、スターリング式AIPの実装が行われた。

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11番艦以降では、リチウムイオン電池の導入により、さらに水中持続性の向上を目指すと言われている。

機関以外の部分は、基本的に前級「おやしお」級の発展形で、システムのアップグレード、効率化などが図られより高性能な潜水艦に仕上がっている。外観的な特徴としては、X字型の艦尾舵を採用したことである。この採用により、水中での運動性を高める効果があった。

一方で、全長11メートルに及ぶスタリング式AIPユニットを「おやしお」級よりも2メートルだけ長い艦体に搭載したため、居住スペースは大きな圧迫を受けた。

 武装は「おやしお」級に準じ、艦首の6門の魚雷発射管から、魚雷と対艦ミサイル「ハープーン」を発射できる。

(PitRoad 1:700 海上自衛隊潜水艦史「そうりゅう」級(2009)120mm in 1:700 )

 

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(「そうりゅう」級の外観的特徴の一つであるX字型艦尾舵)

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そうだ、思い出した。AIP推進といえば・・・

前出の筆者幼少期の愛読書小沢さとる先生の「サブマリン707」には、姉妹シリーズ(などという、いい加減極まりない紹介をしてもいいものでしょうか?)「青の6号」がある。

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この青の6号が所属する国際海洋組織の敵役が秘密結社マックスなのだが、その主力潜水艦が「ムスカ」である。

この「ムスカ」、なんとAIP推進(ワルター機関)なのである。

ワルター機関(ヴァルター機関)とは、高濃度の過酸化水素電気分解した際に発生する酸素を用いて推力を得ようとする機関で、実際に第二次世界大戦中にドイツで試作艦の建造にまでこぎつけた。その後、この方式は研究されることはなかったのだが、秘密結社マックスがこれに目をつけ実用化した、というお話の展開になっている。

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秘密結社マックスの潜水艦「ムスカ 

実は筆者は、この「ムスカ」がこれまでに見た最も美しい潜水艦だと思っているのです。

ムスカ」と言っても、「青の6号」が少年サンデーに連載されたのが1967年からですので、例の高名な「ムスカ大佐」の登場する映画の約20年前に筆者はこの名前に触れていたことになるのです。まあ、あまりたいした意味はありませんが。

(Takara 世界の艦船シリーズ  in 1:700)

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(直下の写真は、ムスカ66号。この艦は、セイル後尾に装着したコントローラーで、なんと「赤ハゲ」なる巨大な海獣(怪獣?写真右下)を操ることができるのです)

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いい機会なので、本命の「青の6号

海洋の安全を守る国際機関「青」に参加している日本の潜水艦「くろしお」。元々は通常動力潜水艦だったが原子炉を搭載し原潜に改装、つまりここでも「どんがめ」というような評価です。性能は腕でカバー、というような設定で、大活躍します。セイル後ろに「フリッパー」という名前の潜航艇を搭載しています。旧日本海軍甲標的ややがては回天など、潜航艇を多く運用していましたね。その名残かも?

 (Takara:世界の艦船シリーズ 112mm in 1:1000)

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もう一隻「青の1号」

「青」に参加しているアメリカの潜水艦「コーバック」。圧倒的な高性能艦として活躍します。が、初代は、前出の「赤ハゲ」に翻弄されて、岩壁に衝突する、という最後を迎えます。でも、そこはアメリカ海軍、すぐに二代目を就役させるのですが。

(Takara:世界の艦船シリーズ 112mm in 1:1000) 

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「青」の本部ドームを守るガードロボットの「ノボ」

世界の潜水艦の推進基の音をデータベースに持ち、音紋から敵味方を判断し、必要であれば肩口部分のスロットから「スクリューパンチ」なる対潜ロケットを発射して相手を行動不能にします。

(Takara:世界の艦船シリーズ 54mm hight in 1:1000?)

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・・・ということで、ここまま放っておくとどんどん「青の6号」ワールドに迷い込んでしまいそうですので、この辺りにしておきましょう。

 

 

本稿に登場した未成艦・IF艦

未成艦・IF艦

本稿には、都合37級の未成艦・IF艦が登場した。

これらを一覧にまとめておく事も、ある種有用ではないかと考え、今回はその特集である。

 

未成艦とIF艦の定義だが、正直に言ってそれほど厳密な区分は、筆者は行なっていない。敢えて言うと、「起工され、あるいは少なくとも計画が存在したもの」を未成艦、それ以外をIF艦、と言うよう概ねの定義である。

 

以下が各国海軍とその未成艦、IF艦のリストである。

オーストリア=ハンガリー帝国海軍:超弩級戦艦(未成艦)1クラス

イタリア海軍:超弩級戦艦(未成艦)1クラス

ドイツ帝国海軍:超弩級戦艦(未成艦)1クラス、超弩級巡洋戦艦(未成艦)2クラス

ナチスドイツ海軍:新戦艦(未成艦:主砲換装計画を含む)2クラス・(IF艦)2クラス

新型通商破壊艦(未成艦)1クラス

フランス海軍:超弩級戦艦(未成艦)2クラス、新戦艦(未成艦)2クラス

イギリス海軍超弩級戦艦(未成艦)1クラス、超弩級巡洋戦艦(未成艦)1クラス、新戦艦(未成艦)1クラス

アメリカ海軍:超弩級戦艦(未成艦)1クラス、超弩級巡洋戦艦(未成艦)1クラス、新戦艦(未成艦)2クラス・(IF艦)3クラス

日本海軍:弩級巡洋戦艦(IF艦)2クラス、超弩級戦艦(未成艦)2クラス・(IF艦)1クラス、超弩級巡洋戦(未成艦)2クラス・(IF艦)1クラス、新戦艦(未成艦)1クラス・(IF艦)2クラス

その他:海上自衛隊:(IF艦)1クラス3タイプ 地球防衛軍(?):(IF艦) 1クラス

 

何れにせよ、ここで紹介した軍艦は実在しなかったものばかりである。建造されていたら、どのように活躍したのか、想像を逞しくする一助になればと考える。

 

 

オーストリア=ハンガリー帝国海軍の未成艦・IF艦

超弩級戦艦(未成艦のみ)Super-Dreadnought battleship

未成艦:モナルヒ代艦級戦艦 - Wikipedia

Ersatz Monarch-class battleship - Wikipedia (projected)

本艦は、その名の示す通り(Elsatzはドイツ語で代替:replaceを意味する)、本稿号外 Vol.1: カタログ: 近代戦艦のカタログでご紹介したオーストリア=ハンガリー帝国海軍モナルヒ級海防戦艦の代替えとして計画されたもので、前級に当たるテゲトフ級弩級戦艦を一回り大きくした24,500トンの船体に、これもひとまわり口径の大きい35センチクラスの主砲を、背負い式に三連装砲塔、連装砲塔の組み合わせで、都合10門、艦の前後に振り分けて搭載している。速力は21ノットを予定していた。

前級のテゲトフ級も、三連装砲塔の搭載など、先進性に満ちた設計の強力な戦艦だったが、本級はさらにそれを凌駕する設計で、完成していれば強力な戦艦となったであろう。

(projected、24,500t, 21knot, 14in *3*2 + 14in *2*2, 4 ships planned)

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オーストリアハンガリー海軍が計画した超弩級戦艦。上記のスペックはオリジナル案である。

3Dプリンティングモデルに、プラスティックロッドでマストを追加し、エナメル塗料で塗装を施した。主砲等は、予定通り1:1200スケールのイタリア戦艦アンドレア・ドリア級のものを流用した。

船体は明灰白色(日本軍機の塗装色)を使用。少し明るめに仕上げた。甲板にはデザートイエローと部分的にデッキタン。あとはフラットブラックとメタリックグレーを少々、という組み合わせを行った。

 

前級のテゲトフ級は三連装砲塔の採用で艦型をコンパクトにまとめるなど、先進性が評価されていたが、一方で、三連装砲塔には実は発砲時の強烈な爆風や、作動不良など、いくつかの課題があったとされている。

そのため、本級ではドイツ弩級戦艦の砲塔配置の採用が検討されていた、とも言われているのである。そうなれば連装砲塔5基を装備したデザインになったいたかもしれない。下の写真は、当時のドイツ戦艦ケーニヒ級の主砲塔配置案を採用した想定でのその別配置案。

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いずれにせよ、計画は第一次世界大戦の勃発により発注直後にキャンセルされた。

 

(制作雑感)(補遺6-1)回航中のオーストリアハンガリー海軍新戦艦、到着 より

かねてから発注していた本稿号外Vol. 2で (no photo) 扱いだったオーストリア=ハンガリー帝国海軍初の超弩級戦艦モナルヒ代艦級の1:1250モデルが手元に到着した。

 

本艦は、その名の示す通り(Elsatzはドイツ語で代替:replaceを意味する)、本稿号外 Vol.1: カタログ: 近代戦艦のカタログでご紹介したオーストリア=ハンガリー帝国海軍モナルヒ級海防戦艦の代替えとして計画されたもので、前級に当たるテゲトフ級弩級戦艦を一回り大きくした24,500トンの船体に、これもひとまわり口径の大きい35センチクラスの主砲を、背負い式に三連装砲塔、連装砲塔の組み合わせで、都合10門、艦の前後に振り分けて搭載している。速力は21ノットを予定していた。

前級のテゲトフ級も、三連装砲塔の搭載など、先進性に満ちた設計の強力な戦艦だったが、本級はさらにそれを凌駕する設計で、完成していれば強力な戦艦となったであろう。

エルザッツ・モナルヒ級戦艦 - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Ersatz_Monarch-class_battleship

 

今回は、艦船模型サイトらしく、少し仕上げ過程など交えながら、ご紹介しよう。

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写真は、到着したモデルに早速サーフェサーを塗布した状態。

実はこのモデルは下記で求めた3Dプリンティングモデルである。。 

www.shapeways.com

到着時点では上記サイト紹介にあるような、透明なsmooth fine detail plasticで出力された状態で届いた。多くの場合、出力材質を選ぶことができる。材質によって価格が異なる。

本モデルでは、元々は1:1800スケールでの出品だったものを、リクエストして1:1250にコンバートとしてもらった。3Dプリンターモデルの場合、1:1800から1:1250 へのコンバージョンの場合、それほど細部に修正が必要でない場合が多く(あくまで製作者側の判断なので、必ずしもこちらのリクエストが承認されるとは限らないが)、そのようなケースでは、比較的気軽に応じてもらえることが多い。

但し、3Dプリンターモデルの多くは、砲塔も一体成型されている場合が多く、このモデルもサイトの写真でご覧いただけるように、一体成型だった。

もちろん、そのままでも1:1250スケールでは気にならない場合が多く、これから本稿でご紹介する予定の日本海軍八八艦隊の多くが3Dプリンティングモデルであり、そのいくつかはモデルオリジナルの砲塔をそのままにした。

もし手を加える場合、代替をどのように手当てするかが大きな問題で、筆者は、ストックパーツで充当できる場合には、できるだけリプレイスしたいと考えている。

今回は三連装砲塔と連装砲塔の組み合わせという難度の高い条件であったが、幸い1:1200スケールのイタリア戦艦の砲塔が流用できそうだったため、リプレイスを試みることにした。

冒頭の写真は、一体成型された砲塔を切り落とした状態である。(しまった!切り落とし前を撮影するのを失念していた。手を加える前の状態については、やはりサイトの写真を見てください)砲塔基部に開いた穴は、筆者が加工したものである。

 

お目当のイタリア戦艦からの流用予定の砲塔をはめてみる。(下の写真)

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 なかなか、よろしい、のではなかろうか。(ああ、これで1隻アンドレア・ドリア級が廃艦になった)

 

次いで、前級に当たるテゲトフ級戦艦の1:1250スケールモデル(Navis社)と並べてみる。こちらも、なかなか、である。

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あとは塗装を施し、マスト等を整えるだけ。

塗装には、多くの場合エナメル塗料を用いている。十分に乾燥させれば上塗りが効き、気に入っている。

マストなどには真鍮線か、プラスティックのロッドを用いる。1:1250の場合、マスト類には0.5mm径、もしくは0.3mm径を用いる。

 

遅くとも今年中には、筆者のカタログに写真がアップできるだろう。

 

完成した時点で、再度、補遺にてお知らせする予定である。

 

さて、模型を離れ、実際のモナルヒ代艦級戦艦いついて、少し補足情報を。

計画は第一次大戦の勃発で中止されたが、本級では別の設計案が検討されていた、ともいわれている。

前級のテゲトフ級は三連装砲塔の採用で艦型をコンパクトにまとめるなど、先進性が評価されていたが、三連装砲塔には実は発砲時の強烈な爆風や、作動不良など、いくつかの課題があったとされている。

そのため、本級ではドイツ弩級戦艦の砲塔配置の採用が検討されていた、とも言われているのである。そうなれば連装砲塔5基を装備したデザインになったいたかもしれない。 

ケーニッヒ級の拡大版、のような形状ででもあったろうか?

 

幸い、1:1000スケール(かどうか不確かだが)のドイツ帝国海軍ケーニヒ級戦艦のモデルが手元にあるので、例によって砲塔をストックにある、あまりドイツ色の強く出ない適当なものに置き換えてみた。

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 作成中のモデルと並列し大きさを比較してみる。大きさもまずまず同等である。

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なるほど、別案はほぼこんな感じか、と・・・。

 

こうした想像は未成艦ならではの楽しみ、と言えるだろう。

 

イタリア海軍の未成艦・IF艦

超弩級戦艦(未成艦のみ) Super-Dreadnought battleship

未成艦:フランチェスコ・カラッチョロ級戦艦 - Wikipedia

Francesco Caracciolo-class battleship - Wikipedia (projected)

イタリア初の超弩級戦艦として計画された。34,000トンの巨体に強力なタービンを搭載し、28ノットを発揮する高速艦を目指した。

上述のオーストリア=ハンガリー帝国海軍が建造を計画したモナルヒ代艦級超弩級戦艦に対抗することを目指し、その主砲にはイギリス海軍が提供を申し出た15インチ砲をオーソドックスに連装砲塔4基に搭載することが決定されていたと言う。

(projected,  34,000t, 28knot, 15in *2*4, 4 ships planned) (167mm in 1:1250)

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1914年に起工されたが、第一次世界大戦勃発に伴い、建造停止となった。

 

ドイツ帝国海軍の未成艦・IF艦 

ドイツ帝国海軍は超弩級戦艦を1クラスしか建造しなかった。完成は第一次世界大戦の開戦後であり、結局その2隻の超弩級戦艦は実戦には参加する機会がなかった。開戦時には弩級戦艦弩級巡洋戦艦しか保有していなかったが、これには彼らが装備した主砲性能に自信を持っていたことに起因しているようの思われる。

独帝国海軍は、その主要装備である50口径の12インチ速射砲は、英海軍の14インチ主砲程度までであれば対等に交戦できると考えていた。おそらくその背景には、英海軍が50口径12インチ砲の開発に失敗し、その代替として主砲口径を拡大した、と言う事実があったかもしれない。(英独の主砲事情については、本稿第13回 ユトランド沖海戦ドイツ帝国海軍の終焉」にも、少し詳しい記述をしている。もしよろしければそちらもご参考に)

fw688i.hatenablog.com

そして英海軍が15インチ砲装備の高速戦艦クイーン・エリザベス級を建造したことにより、ようやく15インチ砲装備の超弩級戦艦バイエル級の建造に踏み切った。以下、ここでご紹介する未成艦はその延長にある。

 

超弩級戦艦 Super-Dreadnought battleship

未成艦:L20e 級戦艦

 L 20e α-class battleship - Wikipedia

(planned, 43,000t, 26knot, 16.5in *2*4)(192mm in 1:1250)

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ドイツ帝国海軍が計画したバイエルン級に続く、超弩級戦艦。主砲に42センチ砲の採用を計画していた。速力も26ノットと格段に改善され、高速戦艦を目指す設計であった。

 

超弩級巡洋戦艦 Super-Dreadnought battlecruiser 

未成艦:マッケンゼン級巡洋戦艦 - Wikipedia

Mackensen-class battlecruiser - Wikipedia

(imcompleted, 31,000t, 28knot,13.8in *2*4, 4 ships planned)(178mm in 1:1250)

f:id:fw688i:20181012223441j:plainドイツ帝国海軍は、デアフリンガー級弩級巡洋戦艦の設計を拡大し、初の超弩級巡洋戦艦の建造を計画した。主砲を50口径35.6センチ砲と強化する予定であった。 

 

未成艦:ヨルク代艦級巡洋戦艦 - Wikipedia

Ersatz Yorck-class battlecruiser - Wikipedia

(imcompleted, 33,500t, 27.3knot, 15in *2*4, 3 ships planned)(182mm in 1:1250)

f:id:fw688i:20181012223506j:plain基本的に上述のマッケンゼン級の設計を引き継ぎ、加えて主砲を 38.1センチとする予定であった。 

 

ナチスドイツ海軍のIF艦・未成艦

ドイツ海軍のZ計画

 第一次世界大戦の敗戦で、ドイツはその海軍力に大きな制限を課されることになった。1万トン以上の排水量の艦を建造することが禁じられ、その建造も代替艦に限定された。戦勝国側の概ねの主旨は、ドイツ海軍を沿岸警備の軍備以上を持たせず、外洋進出を企図させない、というところであったろうか。

しかし、戦後賠償等の混乱の中で、ドイツにはナチス政権が成立し、1935年に再軍備を宣言、海軍力についても、同年に締結された英独海軍協定で、事実上の制限撤廃が行われた。

主力艦についても、それまでの建艦制限を超えたシャルンホルスト級が建造され、その後、就役時には世界最大最強と謳われるビスマルク級戦艦を建造するに至った。

Z計画は、1939年以降の海軍増強計画を記したもので、このプランには二つの大きな柱があった。一つは英国を仮想敵とした場合、通商破壊戦を展開することが有効であることは、第一次世界大戦の戦訓で明らかであった。これを潜水艦(Uボート)と装甲艦(ポケット戦艦)のような中型軍艦 、あるいは偽装商船のような艦船で行うにあたり、英海軍による北海封鎖を打破することは必須であり、そのためには強力な決戦用の水上戦力が必要であった。

史実では1939年のドイツのポーランド侵攻と共に、英仏がドイツに対し宣戦布告し、第二次世界大戦が始まったため、Z計画は中止となったが、本稿ではドイツのポーランド侵攻後も英仏はこれを非難しつつも宣戦布告せず、Z計画は1942年まで継続する 

 

未成艦:シャルンホルスト級戦艦(15インチ主砲換装型) - Wikipedia

en.wikipedia.org

(1939-, 31.500t, 31.5 knot, 11in *3*3, 3 ships, 191mm in 1:1250 by Hansa)

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シャルンホルスト級戦艦はフランス海軍によって建造されたダンケルク級戦艦に対抗するべく誕生した。この為、主砲は、当初15インチ砲の搭載を想定したが、建造時間を考慮しドイッチュラント級と同様の11インチ砲3連装砲塔を1基増やし9門に増強するにとどめた。一方でその装甲はダンケルク級の33センチ砲弾にも耐えられるものとし、ドイツ海軍伝統の防御力に重点を置いた艦となった。

速力は重油燃焼高圧缶と蒸気タービンの組合せにより、31.5ノットの高速を発揮した。

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(シャルンホルスト級3隻:手前からグナイゼナウ、マッケンゼン、シャルンホルスト)手前味噌的な記述になることを恐れずに言うと、本級はバランスのとれた美しい外観をしている、と感じている。

 

のちに、11インチ主砲はビスマルク級戦艦と同様の15インチ連装砲に置き換えられ、攻守にバランスのとれた、加えて31.5ノットの高速力を持つ優秀艦となった。

特に31.5ノットの高速性能は、当時、ヨーロッパにはこれを捕捉できる戦艦がなく、ヨーロッパ諸国の危機感を強く刺激した。

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(主砲を15インチ連装砲塔に換装後のシャルンホルスト級3隻:手前からシャルンホルストグナイゼナウ、マッケンゼン)

 

IF艦:戦艦フリードリヒ・デア・グロッセ(Freidrich der Grosse):改ビスマルク級戦艦

フランス海軍のリシュリュー級の優秀な主砲に対抗するために、ビスマルク級の強化改良型として、一隻のみ建造された。設計、配置などその殆どがビスマルクに準じ、唯一、主砲のみ55口径の長砲身15インチ砲を採用した。

この艦をZ計画の派生と見るか、ビスマルク級の改良と見るかは意見が分かれるところである。

(1941, 44,000t, 30 knot, 15in *2*4, 218mm in 1:1250 by Superior)

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ビスマルク級とフリードリヒ・デア・グロッセの艦型比較:上、ビスマルク、下、フリードリヒ・デア・グロッセ 砲塔配置などほとんど同じレイアウトで若干大きさが違うことがわかる)

 

未成艦:バイエルン級(H級戦艦) - Wikipedia

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Z計画に基づき、1939年に起工された。基本はビスマルク級の拡大改良版である。装備の配置、上部醸造のレイアウトなど、酷似している。主砲口径を拡大し、ドイツ海軍初となる16インチ砲を連装砲塔で4基8門搭載した。速力はビスマルク級と同じく30ノットとして、主機はオール・ディーゼルであり、本級の艦体規模においての採用は非常に特異なものであった。

巨大なディーゼル主機の搭載により、長大な航続距離と高速航行が可能となり、一方で艦型は巨大なものになり、煙突が二本となった。

バイエルンプロイセン、バーデンの3隻が建造された。

(1942-, 53,000t, 30 knot, 16n *2*4, 3 ships, 225mm in 1:1250 by Hansa)

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(直上写真はバイエルン級の3隻:手前からバイエルンプロイセン、バーデン)

 

IF艦(未成艦?):戦艦グロースドイッチュラント(Grossdeutschland)

Z計画に基づき、1941年に起工された。前級バイエルン級をさらに拡大したもので、当初主砲に17インチ砲を採用する計画があった。しかし、風雲急を告げるヨーロッパの情勢に鑑み、建造が急がれたため、主砲にはバイエルン級と同じ実績のある16インチ砲が採用され、ただし三連装砲塔4基12門と搭載数を大幅に増やしたものとなった.

主機は全級に引き続きオールディーゼルとし、長大な航続距離と、この巨大な艦型にも関わらず、28.8ノットの高速を発揮した。

計画では3隻が建造される予定であったが、第二次世界大戦開戦とともに2隻がキャンセルされ、グロースドイッチュラント1隻が完成した。

 

本艦の就役がZ計画艦の最後となり、ドイツ海軍はシャルンホルスト級3隻、ビスマルク級3隻、フリードリヒ・デア・グロッセ、バイエルン級3隻、グロスドイッチュラントの計11隻の戦艦で、第二次世界大戦に臨むこととなった。

(1942, 63,000t, 28.8 knot, 16in *3*4, 233mm in 1:1250 by Superior)f:id:fw688i:20190413191251j:imagef:id:fw688i:20190413191302j:image

(直上写真は、ドイツ海軍の誇る戦艦群の艦型比較:左から、ビスマルク級、フリードリヒ・デア・グロッセ、バイエルン級、グロスドイッチュラント:レイアウトの相似性、艦型の拡大傾向が興味深い

 

新たな通商破壊艦

冒頭に記述したように、Z計画には有力な二つの柱があった。一つは強力な決戦艦隊の整備による英海軍主力艦の撃滅であり、それらはこれまでに記した諸戦艦の建造の目的とするところであった。

もう一つは、上記の艦隊決戦により英艦隊による海上の封鎖線を解き、そこから広範囲に向けて浸透した潜水艦・通商破壊艦を用いた通商破壊戦の展開であり、英国を屈服させるには、こちらの有効な展開にこそ、戦争そのものへの勝機を見出すことができるはずであった。

アフリンガー級巡洋戦艦は、この目的のために建造された、いわば通商破壊専任戦闘艦であった。

未成艦:デアフリンガー級巡洋戦艦(O級巡洋戦艦) - Wikipedia

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本級は、通報破壊を専任とする為に、通商路の防備に当たる巡洋艦以上の艦種との戦闘を想定せず、従ってこの規模の戦闘艦としては、非常に軽い防御装甲しか保有していなかった。基本、単艦での行動を想定するが故に、複数の巡洋艦との交戦を避けることができるだけの速力を持ち、あるいは運用面では、その強力な火砲で敵艦隊の射程外から、アウトレンジによる撃退を試みるとした。 

一方で機関にはディーゼルを採用し、長大な航続距離を用いて神出鬼没に敵の通商路を襲撃することを企図して設計された。

主砲にはビスマルク級と同じ15インチ砲を採用し、これを連装砲塔3基に収めた。

アフリンガー、モルトケ、フォン・デア・タンの3隻が建造された。(史実では建造されていませんので、ご注意を)

本級は、開戦初期こそ、設計通りに戦線背面への浸透を果たし、その戦果を挙げたが、航空機の目覚ましい発達により、次第にその活動に神出鬼没性が失われ、あわせて軽めに設定された防御力が裏目に出て、主として航空機による攻撃により、すべて撃沈されるという結果となった。

(1941, 38,000t, 33 knot, 15in *2*3, 3 ships, 207mm in 1:1250 by Hansa)

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(直上写真は、デアフリンガー級の3隻:手前から、デアフリンガー、モルトケ、フォン・デア・タン)

 

 

フランス海軍の未成艦・IF艦

超弩級戦艦 Super-Dreadnought battleship 

未成艦:ノルマンディー級戦艦 - Wikipedia

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(Planned,  25,230t, 21knot, 13.4in *4*3, 5 ships planned)(141mm in 1:1250, Navis)

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フランス海軍が計画した、超弩級戦艦。主砲塔を4連装 とした先進的な設計である。以降、新造されたフランス戦艦はこの4連装砲塔を継承していくことになる。

 

未成艦:リヨン級戦艦 - Wikipedia

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(Planned, 29,600t, 23knot, 13.4in *4*4, 4 ships planned)(155mm in 1:1250)

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 ノルマンディー級の拡大強化版として設計された。4連装砲塔を1基増やし、34センチ主砲を16門搭載した強力な艦になる予定であった。

 

新戦艦

未成艦:ガスコーニュ (戦艦) - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Richelieu-class_battleship#Gascogne

本級はリシュリュー級の改良型である。そのため基本的なスペックはほぼリシュリュー級に準じている。大きな変更点としては、主砲塔の配置をリシュリュー級の前甲板への集中装備から、上部構造の前後への振り分け配置として事である。

この配置の変更については、リシュリュー級の就役後に、同級の真艦尾方向への火力不足への懸念が、運用現場から強力に挙げられたことによるとされている。ガスコーニュ、クレマンソーの2艦が建造された(史実では建造されていません。ご注意を)

(1941-, 48,180t,  30 knot, 15in *4*2, 2 ships, 197mm in 1:1250 by Hansa)

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(直上の写真:ガスコーニュ級の2隻:手前:ガスコーニュ、奥:クレマンソー) 

 

未成艦:アルザス級戦艦 - Wikipedia

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本級はリシュリュー級をタイプシップとして、これを改良・拡大したものである。

特にリシュリュー級以来採用されている1935年型正38センチ砲は非常に優秀な砲で、20,000メートル台の砲戦距離ならば、日本海軍が後日建造する大和級を除くすべての戦艦の装甲を打ち抜くことができると言われていた。

このリシュリュー級以降、フランス海軍自慢の4連装砲塔を、後部甲板に一基追加し、主砲12門を搭載する強力な戦艦となった。

その他の構造的な特徴は、ほぼリシュリュー級を踏襲し、近代的で美しいフォルムを持つ艦であった。

アルザスとノルマンディーの2隻が建造された(史実では建造されていません。ご注意を)。

(1942-, 51,000t, 30 knot, 15in *3*4, 2 ships, 214mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs 3Dprinting model)

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(直上の写真:アルザス級の2隻:手前:アルザス、奥:ノルマンディー)

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(フランス海軍新戦艦の艦型比較:下から、ダンケルク級リシュリュー級、ガスコーニュ級、アルザス級 艦型の大型化の推移と、主砲等の配置の水位が興味深い)

 

イギリス海軍の未成艦・IF艦

英海軍の整備計画

特に第一次大戦の惨禍に疲弊著しい英国は新造艦の計画を持たなかったが、保有枠一杯に既存艦を維持することとした。あわせて、すでに相当数該当する代替艦手当の可能なクラスから、一部建造計画を見直したG3級(インビンシブル級巡洋戦艦、N3級(ブリタニア級)戦艦を置き換えていく検討を始めた。

しかし、当初の設計案を条約の制約内でそれぞれの設計を実現することは困難で、あわせて疲弊した国力下での財政て縦の目処は立たず、条約期間内に建造されることはなかった。

わずかに、代替艦として、ロドニー級を新たに2隻建造し、艦隊に編入した。

以下に、検討にあがったG3級巡洋戦艦、N3戦艦の要目を示しておく。

 

未成艦:G3型巡洋戦艦 - Wikipedia

G3級の特徴は、まずそれまでの概念を覆すほどの外観である。その得意な武装配置、機関配置が具現化しようとしたものは、集中防御と砲撃精度、さらには機関の集中による高速力の確保であった。巡洋戦艦に分類されているが、これは同時期に計画されたN3級戦艦との対比によるもので、同時期の戦艦よりも早く、重武装、重防御であった。

しかし条約の定めた42,000トンの制約ではどうしても実現できず、条約期間中に建造される事はなかった。

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(48,400t, 32knot, 16in *3*3, 2 ships, 215mm in 1:1250 semi-scratched based on Superior)

 

未成艦:N3型戦艦 - Wikipedia

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前出のG3級巡洋戦艦と同一の設計構想に基づく得意な外観を有している。G3級が速度に重点を置いた一方で、N3級戦艦は重武装にその重点が置かれていた。計画では、速度をネルソン級戦艦と同等の23.5ノットに抑える一方、主砲を18インチとした。

こちらも条約制約により16インチ主砲装備とした場合、ネルソン級で十分で、条約期間中に建造される事はなかった。
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(48,000t, 23.5knot, 20in *3*3, 2 ships, 200mm in 1:1250 semi-sucratched based on Superior)

 

日米両海軍が、条約下でその戦力を充実させることに一定の成功を収めたのに対し、英海軍は既存戦力の維持にとどまり、明暗が分かれる結果となった。

 

新戦艦

未成艦:ライオン級戦艦 - Wikipedia

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軍縮条約の継続を望んで、新造戦艦の第一弾であるキング・ジョージ5世級をやや控えめな設計とした英海軍であったが、やはりその諸元は列強の新造戦艦に対し、やや物足りず、ライオン級はこれを大きくしのぐ意欲的な設計となった。

前級のキング・ジョージ5世級戦艦は攻撃力にはやや見劣りがしたものの、その防御設計には見るべきものが多く、結局ライオン級は前級をタイプシップとしてその拡大強化型として設計された。

その為、艦容はほぼ前級を踏襲したものとなった。

主砲には新設計のMarkII 16インチ砲を採用し、同じ16インチ砲を搭載したネルソン級の手法よりも15%重い弾体を撃ち出すことができた。この結果、垂直貫徹力で2割、水平貫徹力で1割、その打撃力が向上したとされている。

この新型砲を三連装砲塔にまとめ、前甲板に2基、後甲板に1基を配置した。副砲には、前級と同じく対艦・対空両用砲を採用した。

防御形式は、定評のあった前級のものをさらに強化したものとした。

速力は、基本、前級と変わらないものとされたが、短時間であれば30ノットの高速を発揮することができた。前級同様、5隻が建造された。

(1942-, 44,000t, 28.5 knot, 16in *3*3,  5 ships, 207mm in 1:1250 by Superior)

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未成艦・IF艦の性格について、ちょっとトーク

時折、IF艦・未成艦を作成するために、コレクションをしているような気さえします。そして、間違いなく、コレクションの醍醐味、最大の喜びと言っていいと思います。

コレクションを続けていくと、設計の流れ、と言うか、装備の流れ、デザインの流れ、と言うようなものがなんとなく見えてくるように思います。その流れの中で、次級はこうなるな、とか、この時期の未成艦はこのようになっているはずじゃないか、などと「流れ」の中で考えてゆきます。

いっぽうで、コレクションを続けてゆくと、部品取りに適したモデル、各社の特徴など、模型視点での情報の把握ができます。私の経験で言うと、Delphin社、Hansa社のモデルは部品取りに適しています。さらにこの両社のモデルは構造がはっきりしており、パーツへの分解が可能です。従って、架空艦、IF艦などのオリジナルモデルを製作するときなどは、ベースとしても、部品としても、重宝します。

ご紹介している各モデルも、ほぼ、そのように成り立っています。

 

アメリカ海軍の未成艦・IF艦

超弩級戦艦 Super-Dreadnought battleship

未成艦:ケンタッキー(サウスダコタ1920)級戦艦  - Wikipedia

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前級のコロラド級戦艦は、既述のように日本海軍の長門級が16インチ砲を搭載しているという情報に基づき、本来はテネシー級の改良型として建14インチ砲搭載艦として建造される予定であった。その為、備砲のみ16インチでその防御は16インチ砲に対するものではなかった。

従って、ケンタッキー級は、初めて当初から16インチ砲を搭載することを念頭に設計された戦艦であった。パナマ運河航行を考慮して、艦型に大きな変化を与えず、従来のいわゆる米海軍の標準的戦艦の設計を踏襲した上で、機関、備砲(16インチ12門)と16インチ砲に見合う防御を兼ね備えた艦となった。備砲と防御はもちろん最強であったが、あわせて速力もこれまでの米戦艦を上回るものであった。

とはいえ、日本海軍の同時期の戦艦には大きく劣り、実戦となった場合には、このことは相当の不利に働くことになる。

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(42,000t, 23knot, 16in *3*4, 3 ships, 176mm in 1:1250 by Superior)

 

ケンタッキー級、コンステレーション級の近代化改装モデルの到着

本稿第22回でご紹介した通り、日米両海軍は、太平洋を挟んだ緊張の中で、新戦艦の建造と併せて、保有する既存戦艦各級の近代化改装を、数次にわたって行なった。

既存戦艦としては最も最後に建造されたケンタッキー級(史実ではサウスダコタ1920級として知られている)、コンステレーション級(史実ではレキシントン級として知られている。同級のレキシントンサラトガは、航空母艦として建造された)についても、同様の対応がとられ、その外観が一変した。

その改装の目的は、他の既存艦に対する改装同様、射撃システムの一新への対応と副砲を廃し対空・対艦両用砲への変更やその他の対空火器の強化、防御力強化等に置かれていた。

 

これも第22回でご案内した通り、両級は未成艦であるため新造時の模型は製造されていたが、近代化改装後の模型までは存在せず、筆者は、ごく最近になって両級の近代化改装後の3Dプリンティングモデルを発見し、その製作者Tiny Thingajigsに発注をかけ、模型の到着を心待ちにしていた。

直下の写真が到着した未塗装の模型である。

今回、筆者は、比較的柔らかい樹脂であるWhite Natural Versatile Plasticという素材でのプリントアウトを依頼した。柔らかい素材である分、ややフォルムが甘く、もし原型に忠実なシャープな模型を期待する場合には、Smooth Fine Detail Plasticという素材で製作依頼をした方が良いかもしれない。ただし、その場合には、約2.3倍の費用を覚悟する必要があるのでご注意を。

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(直上の写真は、到着時の両モデル。上:ケンタッキー級(サウスダコタ1920級)、下:コンステレーション級(レキシントン級

www.shapeways.com

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ケンタッキー級(サウスダコタ1920級)近代化改装後

他級の近代化改装同様、射撃システムの変更、副砲撤去、両用砲を砲塔形式で装備、上部構造物の一新、等々で、艦様は新造時と全く異なる、文字通り近代化された様相となった。

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(直上の写真は、ケンタッキー級の新造時(上)と最終改装後(下)の艦様の比較)

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(直上の写真は、いずれも近代化改装後の既存戦艦各級の比較。右下から、ネバダ級、テネシー級、ケンタッキー級。上部構造物の配置と、その周辺の対空火器の強化が興味深い。さらに、米海軍としては初めて設計当初から16インチ主砲搭載艦として設計されたケンタッキー級の大きさがよくわかる)

 

超弩級巡洋戦艦 Super-Dreadnought battlecruiser 

未成艦:コンステレーション級(レキシントン級)巡洋戦艦 - Wikipedia

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同級のうちレキシントンサラトガ航空母艦に転用建造され、コンステレーションとコンスティチューションの2隻が建造された。

米海軍はこれまで巡洋戦艦を建造せず、米海軍初の巡洋戦艦となった。

それまで、米海軍の主力艦は21ノットの戦隊速度を頑なに守っており、高速艦で揃えられた日本艦隊、あるいは英海軍のクイーン・エリザベス級、レナウン級、アドミラル級などの高速艦隊に対抗する術を持たなかった。これを補うべく設計された同級であったが、当初の設計では、備砲(16インチ8門)と速力は強力ながら(当初設計では33.3ノット)、その装甲は極めて薄く、ユトランド沖海戦以降に、防御に対策を施した諸列強の高速艦には十分に対抗できるものではなかった。

この為、装甲の強化を中心とした防御力に対する見直しが行われ、代わりに速力を30ノットに抑える、という設計変更が行われた。
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(42,000t, 30knot, 16in *2*4, 2 ships, 213mm in 1:1250 by Hai)

 

コンステレーション級(レキシントン級巡洋戦艦 近代化改装

同級もケンタッキー級に準じた、射撃システムの変更、副砲撤去、両用砲を砲塔形式で装備、上部構造物の一新、等々の近代化改装を受け、艦様が一変した。

特に、外観上での米海軍主力艦の特徴の一つであった艦上部構造の前後に佇立する篭マストが、塔状の構造物に置き換えられた。

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(直上の写真:舷側に迷彩塗装を施してみた)

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(直上の写真は、コンステレーション級の新造時(上)と最終改装後(下)の艦用の比較)

 

この後、「レキシントン級」については、以下のモデル・バリエーションを製作した。

少し文体が違うが、再掲。

(以下は2020年5月31日の投稿)

 

レキシントン級巡洋戦艦(オリジナルデザイン)

 

レキシントン級巡洋戦艦について、少し基礎知識のおさらいを。

レキシントン級巡洋戦艦は、ダニエルズプランで建造に着手された、米海軍初の巡洋戦艦の艦級です。元々、米海軍は、戦艦の高速化には淡白で、21ノットを標準速度としてかたくなに固守しつづけ、巡洋戦艦には触手延ばしてきませんでした。

しかし本稿でも既述のとおり、第一次世界大戦の英独両海軍主力艦による「ドッカー・バンク海戦」や「ユトランド沖海戦」の戦訓から、機動性に劣る艦隊は決戦において戦力化することは難しいという情況が露見し、米海軍も遅ればせながら(と敢えて言っておきます)高速艦(巡洋戦艦)の設計に着手した、というわけです。

(背景情報は下記を)

fw688i.hatenablog.com

 

レキシントン級巡洋戦艦の設計当初のオリジナル・デザインでは、34300トンの船体に、当時、米海軍主力艦の標準主砲口径だった14インチ砲を、3連装砲塔と連装砲塔を背負式で艦首部と艦尾部に搭載し、35ノットの速力を発揮する設計でした。

その外観的な特徴は、なんと言ってもその高速力を生み出す巨大な機関から生じる7本煙突という構造でしょう。

モデルは、Masters of Miitaly社製で、White Natural Versatile Plasticでの出力を依頼していました。

(直下の写真は、到着したレキシントン級巡洋戦艦のモデル概観。Masters of Miitaly社製。素材はWhite Natural Versatile Plastic)

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本稿で行った「レキシントン級デザイン人気投票」では、「籠マスト+巨大集合煙突デザイン」に継ぎ第二位という結果で、私も大変気になりながらも、14インチ砲搭載艦というところに少し引っかかりがあり(あまりたいした理由はないのですが、この巨体なら16インチ砲だろう、という思いが強く)、なかなか手を出していなかったのですが、この人気投票に背中を押してもらった感じです。ありがたいことです。(なんでも都合よく解釈できる、この性格もありがたい)

www.shapeways.com

 

と言うわけで、今回はその完成形のご紹介です。

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モデルは非常にバランスの取れたスッキリとしたプロポーションを示しています。どこか手を入れるとしたら、当時の米主力艦の特徴である「籠マスト」をもう少しリアルな感じに、かなあ、とは思いますが、今回は手を入れずに仕上げることにしました。

なんかいいアイディアあれば、是非お聞かせください。

 

レキシントン級巡洋戦艦(デザインバリエーション)

上記のように、同級の原案設計の当時には、米海軍の主力艦標準備砲ということで14インチ砲搭載の予定だったのですが、その後、日本の八八艦隊計画が「全て16インチ砲搭載艦で主力艦を揃える」という設計であることを知り、急遽16インチ砲搭載に設計変更した、という経緯があったようです。

こうして同級は、結局16インチ砲搭載の巡洋戦艦として着工されるのですが、その後、ワシントン軍縮条約で制約、整理の対象となり、同級のうち2隻がその高速性と長大な艦形を活かして大型の艦隊空母として完成されました。「レキシントン」と「サラトガ」ですね。

つまり巡洋戦艦としては、同級はいわゆる「未成艦」に分類されるわけですが、その「未成」故に、完成時の姿を想像することは、大変楽しいことです。

 

筆者もご他聞に漏れず想像の羽を伸ばしたがるタイプですので、今回の「オリジナル・デザイン案」の完成に勢いづいて、筆者の想定するバリエーションの完結を目指してみました。

肝は「煙突」かな?

 

バリエーション1:二本煙突シリーズ

竣工時:籠マスト+二本煙突

en.wikipedia.org

上記リンクにあるように、実際に16インチ砲搭載巡洋戦艦として起工されたものが、完成していたら、と言う想定ですね。(こちらは本稿でも既にご紹介しています)

起工当時の米主力艦の標準デザインであった籠マストと、さすがに7本煙突という嬉しいほどユニークではあるけれど何かと問題のありそうなデザインは、実現しなかったんだろうなあ、と、その合理性には一定の納得感がありながら、一方では若干の落胆の混じる(かなり正直なところ)デザインですね。アメリカの兵器は時として、量産性や合理性にともすれば走り、デザインは置き去りになったりします。あくまで筆者の好みですが、「デザイン置き去り」が、「無骨さ」として前に出るときは、言葉にできないような「バランス感の無さ」につながり、それはそれで「大好き」なのですが、正直これは「味気なさ」が先に立つと言うか・・・)
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(42,000t, 30knot, 16in *2*4, 2 ships, 213mm in 1:1250 by Delphin :こちらはDelphin社のモデルに少しだけ色を入れた程度です)

 

最終改装時:塔状艦橋+二本煙突

同級の近代化改装後の姿で、米海軍が主力艦に対し行なった、射撃システムの変更、副砲撤去、両用砲を砲塔形式で装備、上部構造物の一新、等々を実施、と言う想定です。艦様が一変してしまいました。

特に、外観上での米海軍主力艦の特徴の一つであった艦上部構造の前後に佇立する篭マストが、塔状の構造物に置き換えられました。

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(直上の写真:舷側に迷彩塗装を施しています。筆者のオリジナルですので、ご容赦を。本級は未成艦であるため新造時の模型は製造されていましたが、近代化改装後の模型までは存在せず、ごく最近になって近代化改装後の3Dプリンティングモデルを発見し、その製作者Tiny Thingajigsに発注をかけ、模型の到着を心待ちにしていました。ベースとなったモデルはこちら)

www.shapeways.com

 

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(直上の写真は、上)と最終改装後(下)の艦様の比較)

 

バリエーション2:巨大集合煙突シリーズ(こちらは筆者の妄想デザインです)

竣工時:籠マスト+巨大集合煙突

そもそも発端は、ワシントン・ロンドン体制で、巡洋戦艦から空母に転用された「レキシントン」の巨大な煙突からの妄想でした。

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この煙突がついている主力艦は、どんな感じだったろうか、作っちゃおうか、という訳です。で、その巨大な煙突の背景には大きな機関があり、元々は7本の煙突が初期の設計段階では予定されていたことを知る訳です。おそらくは転用されたのが「空母」なので、高く排気を誘導する必要があったんでしょうが、まあ、今回はそれはそれで少し置いておきましょう。

完成後に改めて見ると、ああ、半分くらいの高さ、と言うデザインもあったなあ、と。(うう、こんな事に気が付いてしまうと、いつか手を付けるんだろうなあ)

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 直上の写真は、今回急遽製作した竣工時の「レキシントン級巡洋戦艦」で、籠マストと「レキシントン級」空母譲りの巨大集合煙突が特徴です。

本稿でも以前ご紹介しましたが、本来は下記のTiny Thingajigs製の3D Printing Modelをベースに制作する予定だったのです。

www.shapeways.com

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しかしShapeways側のデータ不備とかの理由で入手できず、この計画が頓挫。では、ということで、ebay等で、これも前出のDelphin社製のダイキャストモデルを新たに入手しそれを改造しようかと計画変更。しかし少し古いレアモデルだけに新たに入手が叶わず(ebayで、格好の出品を発見。入札するも、落札できず:ebayは1:1250スケールの艦船モデルの場合、当然ですが多くがヨーロッパの出品者で、終了時間が日本時間の明け方であることが多く、寝るまでは最高入札者だったのに、目が覚めると「ダメだった」というケースが多いのです)、結局、手持ちのDelphinモデルをつぶす事にしました。(つまり、これ↓を潰す事に・・・)f:id:fw688i:20190310173715j:image

Delphin社のモデルは、こうした改造にはうってつけで、パーツが構造化されており、その構造が比較的把握しやすいのです。従って、少し注意深く作業をすればかなりきれいに分解することができます。今回は上部構造のうち、前後の煙突部と中央のボート甲板を外し、少し整形したのち、Deagostini社の空母「サラトガ」の完成模型(プラスティックとダイキャストのハイブリッドモデル)から拝借した巨大な集合煙突(プラスティック製)を装着する、という作業を行いました。

f:id:fw688i:20200525135229j:image

で、出来上がりがこちら。設計の合理性は爪の先ほども感じませんが、なんかいいなあ、と自画自賛。この巨大な煙突は格好の標的になるでしょうから、まず、この設計案は採用されないでしょうねえ。

或いは、上掲の2本煙突デザインでは、7本煙突からこのデザインへの変更の際には機関そのものの見直しが必須のように思うのですが、それが何らかの要因で困難だった(あまりに時間がかかる、とか、費用が膨れ上がる、或いは新型の機関を搭載するには一から設計し直したほうが早い、とか)というような状況で、ともあれ完成を早めた、というような条件なら、有りかもしれませんね。

(やっぱり、煙突の高さ、半分でも良かったかもしれません。ああ、気になってきた!

 

最終改装時:塔状艦橋+巨大集合煙突

そして、巨大集合煙突のまま、近代化改装が行われます。米海軍が主力艦に対し行なった、射撃システムの変更、副砲撤去、両用砲をこの場合には単装砲架で装備、上部構造物の一新、等々の近代化改装を受けた後の姿、と言う想定です。

この場合でも、やはり篭マストが、塔状の構造物に置き換えられました。煙突の中央に太い縦線が入れられ、2本煙突への偽装が施されています。

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こちらは下記の3Dプリンティングモデルをベースとしています。

www.shapeways.com

このモデルの煙突をゴリゴリと除去し、Deagostini社の空母「サラトガ」の完成模型(プラスティックとダイキャストのハイブリッドモデル)から拝借した巨大な集合煙突(プラスティック製)を移植したものが、下の写真です。f:id:fw688i:20200328161044j:image

 この後、下地処理をして、少し手を加え塗装を施し完成です。

 

 (直下の写真は、巨大煙突デザインの竣工時(上)と最終改装時(下)の艦様の比較)

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レキシントン級巡洋戦艦」デザインバリエーションの一覧

上から・・・もう説明はいいですかね。

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こうやって一覧すると、「どれが好きですか?」と聞きたくなるのですが・・・。また、アンケートかよ、という声が聞こえてきそうなので、今回はやめておきます。

(そのうち、もう一回、巨大集合煙突の高さ、ちょっと変えてみました、なんて紹介をするかもしれませんね。きっとするなあ、これは)

 

ともあれ、合理性はさておき、やはり巨大煙突、いいと思うんですがねえ。

 

と言うことで、今回はここまで。

 

以下に、これまで「レキシントン級」関連の投稿回を下記にまとめておきます。関心がある方は、下記も合わせてお楽しみください。

fw688i.hatenablog.com

fw688i.hatenablog.com

fw688i.hatenablog.com

 

 

米海軍の新型戦艦

新型戦艦の黎明期

米海軍はワシントン軍縮条約明けに向けて、これまでの標準的なアメリカ海軍の戦艦とは大きく異なる設計思想を持つ新型戦艦を設計した。

これまで、アメリカ海軍は、常に圧倒的な物量を展開することを念頭に、個艦の性能、速度などの優位性よりも、戦艦戦隊の戦闘単位としての威力に重点を置いた艦隊構想を持っていた。

しかし、ユトランド沖海戦の戦訓、さらには発展著しい航空機と新たなその運用戦術となるであろう航空母艦等との連携には、従来の速度では不十分であることが明らかとなり、新型戦艦はこれまでの標準速力を一新する、高速戦艦が俎上にあげられた。

 

さらに、この新型戦艦の搭載主砲には複数案あり、当初は、それまでの標準型戦艦と同様の14インチ主砲を四連装砲塔3基12門搭載艦の建造が予定された。

ほぼ各国海軍の戦艦開発の定石として、当然のこと、新型戦艦は前級を上回る性能を有することを目指す。「前級を上回る」と言う要件に照らして考えると、主砲は前級と同等あるいはそれよりも口径の大きな砲を装備する、と言うことになるが、ここでは敢えて前級のケンタッキー級の16インチを下回る14インチとした。速度はそれまでの標準戦艦に対し大きく改善されているので、必ずしも一方的な後退、と言うわけではないが、非常に珍しい選択と言えるであろう。

新開発の14インチ砲は長砲身を採用し従来の14インチ砲よりも高初速、直進性を高め、かつ新型砲塔により、より高い速射性を有し、ケンタッキー級の16インチ砲を上回る性能と評された砲だったが、日本海軍が開発中の新型戦艦には新型16インチ砲を搭載する(実際には18インチ砲)、と言う情報に接しては、やはり16インチ砲にその標準装備を切り換えざるを得ないという背景から、その4番艦、5番艦を16インチ主砲装備艦として建造することになった。

史実では、日本海軍が条約明けに建造する艦が16インチ主砲を搭載することがほぼ確定した段階で、16インチ主砲装備艦として建造された。

都合、新型戦艦はメイン級(1938年 14インチ砲搭載) 2隻

改メイン級(1939年 14インチ砲搭載) 1隻

ノースカロライナ級(1941年 16インチ砲搭載) 2隻

サウスダコタ級(1942年 16インチ砲搭載) 4隻

の合計9隻が就役した。

 

未成艦:メイン級戦艦

新型14インチ主砲搭載の新型戦艦である。米海軍の戦艦として初めて27ノットの高速を発揮できる戦艦として設計された。14インチ主砲を四連装砲塔3基に搭載している。水平防御にも十分な配慮が施された設計となっている。

(1938: 35,500t, 27knot, 14in *4*3, 2ships, 177mm in 1:1250 by Hansa/Semi scratched)

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(メイン級戦艦2隻:サウスカロライナ(手前)、メイン)

製作メモ)Hansa社のノースカロライナ級戦艦をベースとし、これに、Atlas製のプリンス・オブ・ウエールズから4連装14インチ主砲塔を転用した。

 

IF艦:戦艦 バージニア(改メイン級戦艦)

メイン級の改良型として、建造された。メイン級を合理化してより集中防御方式を徹底したコンパクトな上部構造を持つ設計とした。主砲はメイン級と同じ14インチ主砲を四連装砲塔3基に搭載している。設計当初は、日本海軍の新戦艦が16インチ主砲を装備していても、同級の新型14インチ砲で対処できるのではないかという見方もあったが、検討の結果、十分な防御を得られたとは判断されず、1隻のみの建造となった。後に建造されるサウスダコタ級戦艦の基本設計となった。

(1939: 35,500t, 27knot, 14in *4*3, 2ships, 165mm in 1:1250 by Hansa/Semi scratched)

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**この後に建造されたノースカロライナ級2隻とサウスダコタ級4隻は、実在する為、今回は紹介しない。

興味のある方は、本稿、第22回を参照されたい。 

製作メモ)前級同様、Hansa社のサウスダコタ級をベースとしてこれに、Atlas製のプリンス・オブ・ウエールズから4連装14インチ主砲塔を転用した。

1:1250スケールモデルでは、Hansa社、Delphin社のダイキャストモデルは、細部まで作り込まれている割には、Neptune社に比べて、比較的安価で中古モデルを入手することができる。筆者は架空艦・IF艦の製作の際に、そのベースとして両社のモデルを利用することが多い。

 

アイオア級以降の新型戦艦 

IF艦:改アイオア級(イリノイ級)18インチ搭載艦の建造

アイオア級建造中に、日本海軍の新型戦艦が18インチ砲搭載艦であることが判明し、加えてその前級である相模級戦艦も18インチ砲を搭載していることが判明した。このため、急遽、建造される予定であったアイオア級5番艦、6番艦を18インチ砲搭載艦として建造することが決定し、さらに、2隻を同級に追加し、4隻の18インチ砲搭載艦を建造することとなった。(イリノイネブラスカデラウェアジョージア

一方で、パナマ運河の通行を可能とするために、艦幅はアイオア級に準ぜねばならず、33ノットの速力を保持した上で、18インチ砲搭載による重量増加、さらには同砲射撃時の砲撃精度をこの艦幅でどのように担保するか、難しい課題に対する設計見直しが行われた。

結果、上部構造をコンパクトにすることにより浮いた重量分を主砲関係の重量増加と、18インチ砲装備による防御力向上に向けられることとなった。結果、機関対する余裕が前級よりも少なくなり、30ノットの速度に甘んじる結果となった。

(1944, 55,000 t, 30 knot, 18in *3*3, 4 ships, (6 ships planned), ***mm in 1:1250  by Superior)

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(イリノイ級:イリノイネブラスカデラウェアジョージア

 

IF艦:改イリノイ級(バーモント級)の建造:16インチ砲への回帰

上述のように艦幅と排水量の上限が課せられた条件で、様々な工夫が盛り込まれたイリノイ級の設計であったが、そもそもが18インチ砲対応の防御力が予定されていないこと(日本海軍の長門級に対応したコロラド級の設計変更、条約明け後のノースカロライナ級の設計変更時にも、主砲口径のアップとその防御力のアンバランスという同様の事象が発生した)、併せて18インチ砲搭載には不十分な艦幅からくる射撃時の精度不足が判明したことから、イリノイ級5番艦(バーモント)・6番艦(ロードアイランド)は、16インチ砲搭載艦として建造することが決定した。

(1945, 55,000 t, 34 knot, 16in *3*3, 2 ships, ***mm in 1:1250  by Superior)

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この設計変更は非常に成功で、速度はタイプシップであるアイオア級を上回る34ノットとなったし、その射撃精度も、米国の戦艦史上最高を記録した。

製作メモ)主砲には、Atlas社のニュージャージー級戦艦の主砲塔を転用した。
 

未成艦:モンタナ級戦艦 - Wikipedia

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アイオア級の項で記述したように、米海軍では来るべき日米の艦隊決戦では、空母機動部隊を中心とした前哨戦で制空権を握った後に、主力艦同士の砲撃戦を行う、という構想を持っていた。これも前述のようにアイオア級はその前哨戦を制するべく設計された空母部隊との帯同を想定した高速戦艦として建造されたが、モンタナ級は、前哨戦の後、主力艦同士の砲撃戦を想定して設計、建造されたいわゆる「低速戦艦」であった。低速といっても、28ノットを発揮でき、サウスダコタ級、ノースカロライナ級などとは同等に行動できる。

主力艦同士の砲撃戦を制すべく、アイオア級と同じ、新開発の55口径16インチ砲を三連装砲塔4基12門、搭載する強力な戦艦となった。

(1946, 60,500 t, 28 knot, 16in *3*4, 4 ships, ***mm in 1:1250  by Superior) 

f:id:fw688i:20190428134152j:image

モンタナ級が搭載した主砲は、アイオア級以降の戦艦が搭載していたMk.7 50口径16インチ砲であったが、この砲はサウスダコタ級やノースカロライナ級が搭載したMk.6に比較して、発砲初速が速く、長い射程を誇る高性能砲であった。早い初速から風等の影響を受けにくく、散布界(斉射時の砲弾のばらつき)が小さくなり高い射撃精度を得ることができ、遠距離砲戦に適していた。

 

 

日本海軍の未成艦・IF艦 

弩級巡洋戦艦 Dreadnought battlecruiser

日露戦争日本海軍は大躍進を遂げた。

戦争には間に合わなかったが、戦時予算で急造した鹿島級戦艦、筑波級巡洋戦艦などが相次いで就役し、併せて5隻の戦艦、1隻の二等戦艦、2隻の海防戦艦などが戦利艦として編入され、数的視点から見れば戦前の倍の規模の主力艦を擁する陣容となった。

更にその後、巡洋戦艦鞍馬級の就役に続いた薩摩級戦艦は、世界最大の戦艦として就役した。

しかし、同時期に英海軍が就役させたドレッドノートによって、これら全ての主力艦は、一夜にして「旧式艦」となってしまった。

日本海軍としては初の弩級戦艦である河内級戦艦の建造と並んで、「旧式艦ばかりの二流海軍」からの急遽脱却を図るべく、海軍は欧米列強の既成弩級戦艦の購入を模索し始めた。

あわせて、より深刻な要素として、当時、各国の海軍で導入されていた装甲巡洋艦の高速化への対応が、検討されねばならなかった。すなわち、当時の日本海軍が保有する主力艦の中で最も高速を有するのは装甲巡洋艦巡洋戦艦)「伊吹」であったが、その速力は22ノットで、例えば膠州湾青島を本拠とするドイツ東洋艦隊のシャルンホルスト級装甲巡洋艦(23.5ノット)が、日本近海で通商破壊戦を展開した場合、これを捕捉することはできなかった。

これらのことから、特に高速を発揮する弩級巡洋戦艦の導入が急務として検討され、その結果、弩級巡洋戦艦「蓼科」「劔」の購入が決定された。

「劔」「蓼科」は、2 艦で巡洋戦艦戦隊を構成し、この戦隊の発足がシュペー提督のドイツ東洋艦隊の本国回航を決意させた遠因となったとも言われている。

 

IF艦:弩級巡洋戦艦「蓼科」(独装甲巡洋艦ブリュッヒャー2番艦改造)

ブリュッヒャー (装甲巡洋艦) - Wikipedia

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Battlecruiser Tateshina(Fictional: Based on armoerd cuiser SMS Blücher. IJN purchased 2nd ship of her class under cinsruction and remodled to battle cruiser)

(1912-, 16,500t, 25.4knot, 12in *2*3)(127mm in 1:1250 by Navis)

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ドイツ海軍の装甲巡洋艦ブリュッヒャー」の2番艦を巡洋戦艦に改造、導入したものである。

ブリュッヒャーは、従来の装甲巡洋艦の概念を一掃するほどの強力艦として建造されたドイツ帝国海軍の装甲巡洋艦である。装甲巡洋艦におけるドレッドノートと言ってもいいかもしれない。主砲は44口径21センチ砲を採用し、戦艦並みの射程距離を有し、搭載数を連装砲塔6基として12門を有し、また速力は25ノットと、当時の近代戦艦(前弩級戦艦)、装甲巡洋艦に対し、圧倒的に優位に立ちうる艦となる予定であった。

しかしながら、同時期にイギリスが建造したインヴィンシブルは、戦艦と同じ、30.5センチ砲を主砲として連装砲塔4基に装備し、速力も25.5ノットと、いずれもブリュッヒャーを凌駕してしまったため、ドイツ海軍は急遽同等の弩級巡洋戦艦建造に着手しなければならず、ブリュッヒャーは中途半端な位置づけとなり、後続艦の建造が宙に浮いてしまうこととなった。

日本海軍はこれに目をつけ、この2番艦の建造途中の船体を購入し、「蓼科」と命名、これを巡洋戦艦仕様で仕上げることにした。主な仕様変更としては、主砲をオリジナルの44口径21センチ砲12門から、日本海軍仕様の45口径30.5センチ連装砲塔3基および同単装砲塔2基、として計8門を搭載した。この配置により、首尾線方向には主砲4門、舷側方向には主砲7門の射線を確保した。機関等はブリュッヒャー級のものをそのまま搭載したところから、ドイツで建造した船体をイギリスで仕上げる、といった複雑な工程となった。が、狙い通り就役は「河内級」とほぼ同時期であった。

速力は25ノットの、当時の日本海軍主力艦としては、最も高速を発揮したが、装甲は装甲巡洋艦ブリュッヒャーと同等の仕様であったため、やや課題が残る仕上がりとなった。

 

IF艦:弩級巡洋戦艦「劔」(独弩級巡洋戦艦 フォン・デア・タン2番艦改造)

 フォン・デア・タン (巡洋戦艦) - Wikipedia

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Battlecruiser Tsurugi (Fictional: Based on battlecruiser SMS Von Derr Tann. IJN purchaed 2nd ship of her class under cinsruction and remodled to battle cruiser with 12in L50 )

(1912-, 19,800t, 25.5knot, 12in L50 *2*4)(136mm in 1:1250 by Navis)

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弩級巡洋戦艦「蓼科」の保有に成功した日本海軍であったが、上記のように、本来は装甲巡洋艦であったために、その防御力には課題が残った。併せて、河内級搭載のイギリス製の50口径主砲がやはり前述のような課題(しなりが大きく、精度が出ない。命数が短い)があったため、日本海軍は当時50口径砲の導入に成功していたドイツを対象に、もう一隻、弩級巡洋戦艦の購入を模索することにした。

白羽の矢が立ったのは、ドイツ海軍初の弩級巡洋戦艦「フォン・デア・タン」の2番艦で、すでにドイツ海軍の上層部の関心が、より強力な次級、あるいはさらにその次のクラスに向いてしまったため、やはり宙に浮いていたものを計画段階で購入することにした。

ブリュッヒャー級2番艦の場合と異なり、今回はその基本設計はそのままとし、主砲のみ、既に戦艦ヘルゴラント級で搭載実績のある1911年型50口径30.5センチ砲に変更し、船体強度などに若干の見直しを行った。同砲では河内級でイギリス製の50口径砲に見られたような問題は発生せず、ドイツの技術力の高さを改めて知ることになる。

主砲の口径の拡大と、それに伴う構造の変更があったにも関わらず、速力はオリジナル艦と同等の25.5ノットを確保することが出来た。

同艦は1912年に就役し、弩級巡洋戦艦「劔」と命名された。

 

日本海軍の整備計画(八八艦隊計画の背景)

第一次大戦への関与の度合いは欧米諸国よりは低かった日本ではあったが、大戦終了後の景気後退等不況の影響は大きく、さらに大戦終了時から行われたシベリア出兵などの出費からくる厭戦気分から、せっかく英米の譲歩を勝ち得た条約下での主力艦建造の継続に対する世論は、必ずしも支持的と言える状況ではなかった。

しかし、これを一変する状況が、日清・日露両戦争、更には第一次世界大戦中、その後のシベリア出兵を通じて、一貫して実質支配権確立に努めてきた満州で発生する。(ちょっと仮想小説的になってきてしまいますが)

満州北部の北満州油田(史実では大慶油田として1959年に発見)、満州南部の遼河油田(史実では同呼称の遼河油田として1973年発見)の発見である。もちろんこれらの油田発見は、即、本格操業というわけには行かないのではあるが、これに既存の鞍山の鉄鉱山を加え、日本は有力な財政的な基盤を得た。

一方で、北満州油田は新生ソ連との国境が近く、その防衛も含め、日本は満州の日本傀儡下での独立を画策していくことになる。

ともあれ、これにより、日本海軍は八八艦隊計画を部分的に維持し、ワシントン海軍軍縮条約締結時にすでに進水していた加賀級戦艦2隻の建造をそのまま継続し、1925年に艦齢10年を迎える扶桑級に代えて紀伊級戦艦の紀伊尾張を、1927年には伊勢級2隻の代替艦として、改紀伊級戦艦の相模、近江を就役させる計画を立て、これを推進した。

 

未成艦:加賀型戦艦 - Wikipedia

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前級長門級戦艦を強化した高速戦艦である。16インチ砲を連装砲塔5基10門とし、搭載主砲数に対応して大型化した艦型を持ちながら、速力は新型機関の採用で長門級と同等の26.5ノットとした。長門級で取り入れられた集中防御方式を一層強化し、さらに傾斜装甲を採用するなど、防御側面の強化でも新機軸が盛り込まれた。

長門級では前檣への煙の流入に悩まされたが、加賀級でも同様の課題が発生し、二番艦土佐では新造時から長門型で一定の成果のあった湾曲煙突が採用された。しかし、長門と異なり新機関採用により前檣と後檣の間隔を短くしたため、今度は後檣への煙の流入が課題となってしまった。結局、大改装時の新型煙突への切り替えまで、加賀・土佐共に煙の流入に悩まされることになった。

(39.979t, 26.5knot, 16in *2*5, 2 ships, 185mm in 1:1250 semi-scratched based on C.O.B. Constructs and Miniatures /3D printing model)

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(就役時の加賀級戦艦2隻:加賀(手前)と土佐:土佐は就役時から前檣編煙流入対策として長門級で採用されていた湾曲型煙突を採用していた)

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製作メモ)C.O.B. Constructs and Miniatures社製の3D Printing modelをベースとして、前檣をストックのパーツとプラスティックロッド等で、セミクラッチした。土佐の湾曲煙突は、Superior社製の天城級巡洋戦艦から転用した。

 

最終改装時(1941年次)の加賀級戦艦

バルジの追加、装甲の強化、艦橋構造の変更に加え、従来から課題とされてきた煤煙の流入対策のために煙突の換装が行われた。これらの重量増加への対応として、機関の換装も行われたが、基本設計に機関の増強等に対する余裕が十分でなく、結果として速度は低下してしまった。

そのため大戦中は、主力艦隊の序列を離れ、主としてシンガポールにあって西方警備の任務に当たった。

(1941: 47,500t, 25 knot, 2 ships, 187mm in 1:1250 semi-scratched based on C.O.B. Constructs and Miniatures /3D printing model)

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(直上:改装後の土佐(手前)と加賀(奥))

製作メモ)C.O.B. Constructs and Miniatures社製の3D Printing modelをベースとして、前檣上部をストックのDelphin社製の伊勢級戦艦から転用した。

 

未成艦:紀伊型戦艦 - Wikipedia

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1925年に艦齢10年を迎える扶桑級戦艦に対する代替艦として建造が進められた。紀伊級の2隻の完成により、扶桑級戦艦2隻は、練習戦艦籍に移され、舷側装甲の撤去、砲塔数の削減等が行われた。

紀伊級戦艦は、防御方式等は前級の加賀級戦艦の経験に沿いながらも、加賀級を上回る高速性を求めたため、その基本設計は条約締結時に計画破棄となった天城型巡洋戦艦に負うところが多い。巨大な機関を搭載し、艦型はそれまでの長門級加賀級とは異なり長大なものとなった。

主砲としては加賀級と同様、16インチ連装砲塔5基10門を搭載し、29.5ノットという高速を発揮した。当初、同型艦を4隻建造する計画であったが、建造途上で、米海軍の新戦艦サウスダコタ級が、16インチ砲を三連装砲塔4基12門搭載、という強力艦であることが判明し、この設計では紀伊尾張の2隻にとどめ、建造途中から次級改紀伊級の設計と連動して建造が進められた。

長門級加賀級で悩まされた煙の前檣、あるいは後檣への流入対策として、本級から集合煙突が採用され、煙対策もさることながら、艦型が整備され、優美さを加えることとなった。
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(1926-, 42,600t, 29.5knot, 16in *2*5, 2 ships, 202mm in 1:1250 semi-scratched based on Team Blue Games  with funnel by Digital Sprue /3D printing model )

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(就役時の紀伊級戦艦2隻:紀伊(手前)と尾張

製作メモ)Team Blue Games 社製の3D Printing modelをベースとして、前檣をストックのパーツとプラスティックロッド等で、セミクラッチした。さらにオリジナルモデルでは二本の煙突を Sprue社製の集合煙突(3D Printing Model)に換装した。

 

1933年次 第一次改装時の紀伊級戦艦

紀伊級戦艦は、以降に建造された戦艦群が、その高い機密性保持のために表舞台に登場できなかった事情から、連合艦隊の象徴的存在として長門級とともに長く国民に親しまれ、また海外にも紹介された。

このため比較的若い建艦年次から数度にわたる改装を受けた。

第一次改装においては、防御装甲の強化に加え、前檣、後檣の上部構造を近代化し、あわせて対空装備の強化、航空艤装の追加などが行われた。機関の改善も行われたが、速度はやや低下した。

(1933, 46,600t, 27.5knot, 16in *2*5, 2 ships, 202mm in 1:1250 semi-scratched based on Team Blue Games  with funnel by Digital Sprue /3D printing model )  

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(第一次改装時の紀伊級戦艦2隻:紀伊(手前)と尾張

製作メモ)前出の竣工時のモデルから、さらに前檣上部と後檣をDelphin社製伊勢級戦艦から転用した。

 

最終改装時(1941年次)の紀伊級戦艦

1941年次の改装においては、バルジの追加、対空兵装の強化、装甲の強化はもちろん、機関の大換装も行われ、あわせて艦首部の延長、艦尾の延長など、艦型の見直しも行われ、速度を新造時にまで回復することができた。

長く連合艦隊旗艦の任にあって、通信設備、旗艦設備が充実したため、大戦中も旗艦の任を継続した。

(1933, 50,600t, 29.5knot, 16in *2*5, 2 ships, 208mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs /3D printing model )  

 f:id:fw688i:20190420165526j:image
f:id:fw688i:20190420165613j:image

(最終大改装時の紀伊級戦艦2隻:紀伊(手前)と尾張

 

未成艦 or IF艦:改紀伊型・相模型戦艦(参考:十三号型巡洋戦艦) - Wikipedia

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1927年に艦齢10年を迎える伊勢級戦艦に対する代替艦として建造が進められた。相模級の2隻の完成により、伊勢級戦艦2隻は、扶桑級と同様の措置の後、練習戦艦籍に移された。

相模級戦艦は、前述のように本来は紀伊級の同型3番艦、4番艦として建造されるはずであったが、米海軍が建造中のケンタッキー級(サウスダコタ級1920)戦艦が16インチ砲12門搭載の強力艦である事が判明したため、改紀伊級として設計が見直された。

まずは備砲が見直され、三連装砲塔開発案、連装砲塔6基搭載案、連装砲塔複合による4連装砲塔の新開発など、種々の案が検討されたが、いずれもケンタッキー級を凌駕する案とはなり得ず、最終的には新開発の2年式55口径41センチ(16インチ)砲と称する新型砲を連装砲塔で4基搭載する、という案が採択された。(それまでの16インチ砲は45口径であった)

この新砲搭載と、これまでの高速性を維持するため、艦型は紀伊型を上回り大型化し、実質は条約制限を上回る44,000トンとなったが、これを公称42,000トンとして建造した。

本級は最高軍事機密として厳重に秘匿され、さらに長く建造中と称して完成(1929年)が伏せられ、その完成が公表されたのは条約切れの後(1932年)であった。

ここには日本海軍の詐術が潜んでいた。2年式55口径41センチ砲は、実は18インチ砲であった。他の条約加盟国は、このクラスの建造(特に主砲口径)に強い疑惑を抱いており、これも条約更新が行われなかった要因の一つとなったと言われている。

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(1932-, 44,000t(公称 42,000t), 28.5knot, 18in *2*4, 2 ships, 219mm in 1:1250 semi-scratched based onTeam Blue Games with funnel by Digital Sprue /3D printing model)

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(就役時の改紀伊級・相模級戦艦2隻:相模(手前)と近江)

製作メモ)Team Blue Games 社製の13号型巡洋戦艦の3D Printing modelをベースとして、前檣をストックのパーツとプラスティックロッド等で、セミクラッチした。さらにオリジナルモデルでは13号型巡洋戦艦の特徴の一つである巨大な煙突を、 Sprue社製の集合煙突(3D Printing Model)に換装した。

 

最終改装時(1941年次)の相模級戦艦

初の18インチ主砲装備艦として、最終改装時には、その艦橋構造を行動を共にするであろう同じ18インチ主砲を装備した大和級に準じたものに換装し、バルジの追加、垂直装甲の強化、 対空火器の強化、機関の換装が行われた。

(1932-, 53,200t), 28.5knot, 18in *2*4, 2 ships, 219mm in 1:1250 semi-scratched based onTeam Blue Games with funnel by Digital Sprue /3D printing model)f:id:fw688i:20190420165539j:image
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(最終大改装時の相模級戦艦2隻:相模(手前)と近江)

製作メモ)前出の竣工時のモデルをベースに、さらに前檣上部をAtlas社製の大和級戦艦から転用した。主砲塔を3D Printing modelの18インチ連装砲塔に換装した。

 

奇しくも、ようやく八八艦隊のうちの戦艦8隻の装備が完了し、日本海軍はこれに第一線戦力として、旧式ながら高速の金剛型巡洋戦艦4隻を加えた、高速艦による八四艦隊を完成させた。

 

未成艦: 金剛代艦計画

ワシントン軍縮条約下で、日本海軍は英米海軍に対し数的な優位には立てないことが確定した。このため高い機動力による戦場での優位性を獲得するために、条約制約下で速力に劣る扶桑級伊勢級の4戦艦を破棄し、最も古い金剛級巡洋戦艦を残すという選択をしなくてはならなかった。

金剛級巡洋戦艦は、その優速性ゆえ貴重で、その後数次の改装により、防御力の向上等、近代高速戦艦として生まれ変わっていくが、如何せんその艦齢が古く、いずれは代替される必要があった。

こうして金剛代艦計画が進められることになる。

 

この計画には、文字通り海軍艦政の中枢を担う艦政本部案と、当時、海軍技術研究所造船研究部長の閑職にあった平賀中将の案が提出された。

ja.wikipedia.org

 

未成艦:平賀案:畝傍級巡洋戦艦

海軍技術研究所造船研究部長平賀中将の設計案で、40,000トンの船体に16インチ砲を10門搭載、30ノットを発揮する高速戦艦として設計された。(ちょっと史実とは異なります)副砲を砲塔形式とケースメイト形式で混載。集中防御方式を徹底した設計となった。

 

畝傍級巡洋戦艦高速戦艦)として採用され、当初4隻が建造される予定であったが、設計変更が発生し、「畝傍」「筑波」の2隻のみ建造された。

(1936-, 40,000t, 30knot, 16in *3*2+16in *2*2, 2 ships, 185mm in 1:1250 semi-scratched based on C.O.B.Constructs and Miniatures /3D printing model)

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徹底した集中防御方式を意識したため、上部構造を中央に集中した艦型となった。初めて艦橋を新造時より塔構造とし、その塔構造艦橋の中層に高角砲を集中配置するなど新機軸が取り込まれ、その結果、やや重心が高くなってしまった。

結果、操艦と射撃精度にやや課題が発生した。

そのため当初4隻の建造予定が見直され、2番艦までで建造を打ち切りとし、3番艦・4番艦に対しては設計変更が行われた。これらは高千穂級巡洋戦艦として建造された。

製作メモ)C.O.B.Constructs and Miniatures 社製の平賀案の最大特徴である素晴らしいモールドの湾曲煙突を持つ3D Printing modelをベースとして、前檣上部をストックのNeptune社製大和級戦艦初期型に換装した。

 

未成艦:艦政本部案 巡洋戦艦 信貴

海軍艦政本部藤本少将が中心となって設計した。このため藤本案と呼ばれることもある。40,000トン、30ノット等、設計の基本要目はもちろん平賀案と同様である。

平賀案と異なり、比較的広い範囲をカバーする防御構造を持ち、主砲は3連装砲塔3基9門、副砲はすべて砲塔形式とした。

 

「信貴」1隻が試作発注され、同型艦はない。兵装・機関配置等、後に大和級戦艦の設計に影響があったとされている。

(1936-, 40,000t, 30knot, 16in *3*3, 190mm in 1:1250 semi-scratched based on C.O.B.Constructs and Miniatures /3D printing model)

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製作メモ)C.O.B.Constructs and Miniatures 社製のモデルをベースに、前檣上部と煙突をAtlas社製大和級戦艦の両者に換装した。

 

IF艦:高千穂級巡洋戦艦高速戦艦):改畝傍級

畝傍級には、上述のような課題が発見され、 特に上部構造の改修に力点が置かれた設計の見直しが行われた。

こうして、畝傍級3•4番艦は高千穂級として建造された。両艦は「高千穂」「白根」と命名された。

 

主要な設計要目は畝傍級と同じで、40,000トンの船体に16インチ砲を10門搭載し、船体配置の若干の見直しにより、より大型の機関を搭載することができ、速力は32ノットを発揮することができた。副砲は畝傍級同様、砲塔形式とケースメイト形式の混載としたが、後に対空兵装の必要性が高まるにつれ、対空兵装への置き換えが行われた。

(1939-, 40,000t, 32knot, 16in *3*2+16in *2*2, 2 ships,, 193mm in 1:1250 semi-scratched based on Superior)

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(直上:新造時の高千穂級)

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 (直上:改装後の高千穂級:副砲塔を撤去し、対空兵装を集中装備した)

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 (高千穂級高速戦艦2隻:白根(手前:対空兵装強化後の姿、高千穂(奥:新造時))

製作メモ)Superior社製のモデルをベースに、竣工時のモデルには前檣上部をDelphin社製大和級のものに、副砲塔をAtlas社製大和級戦艦の副砲塔に換装した。改装後のモデルについては、上部構造全体をAtlas社製大和級の上部構造に換装した。

 

こうして金剛級代艦は都合5隻が建造された。

 

IF艦(未成艦):超大和級戦艦:播磨級(播磨・伊予)の建造

大和級の建造によって、日本海軍は個艦の性能で米戦艦に凌駕する戦力を保有することに成功したが、いずれは米海軍が18インチ砲搭載艦を建造することは明白であった。事実、既述のようにアイオア級の5番艦以降、改アイオア級(イリノイ級)で米海軍の18インチ砲搭載艦は実現する。

この予見される脅威への対抗策が、A-150計画であった。

 

超大和型戦艦 - Wikipedia

en.wikipedia.org

A-150計画では、米海軍が建造するであろう18インチ砲搭載艦を打ち破るために更なる大口径砲の20インチ(51センチ)砲を搭載することが計画された。日本海軍は、2インチ毎の口径拡大を目指すのが常であった。12インチ(前/凖弩級戦艦弩級戦艦)、14インチ(超弩級戦艦)、16インチ(八八艦隊)、18インチ(相模級、大和級)、20インチ(播磨級))

艦型は時勢の展開を考慮して短縮を目指し、前級である大和級の基本設計を踏襲した強化型、発展型として計画が進められた。

当初、新設計の20インチ砲を大和級同様、三連装砲塔形式で3基9門を搭載する予定であったが、その場合、90,000トンを超える巨艦となることが判明し、当時の日本にはこれを建造する施設がなかった。さらに言えば、18インチ砲三連装砲塔以上の重量の砲塔を回転させる技術もなく、短期間での完成を目指す日本海軍はこれを諦めた。

さらにいくつかのデザイン案の模索の後、20インチ砲を採用して連装砲塔3基搭載であれば、既存の大和級の艦型をほぼそのまま使用し建造期間を短縮できるということが判明し、同案が採用された。

(1943-: 66,000t, 27 knot, 20in *2*3, 2 ships, 217mm in 1:1250 by semi-scratched based on Neptune)

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(直上の写真は播磨級戦艦2隻:手前から伊予、播磨の順。両艦ともに、当初から対空兵装強化型として建造され、対空砲として新型の長10センチ連装砲を採用していた)

製作メモ)Neptune社製大和級戦艦の初期型をベースに、前檣上部をAtlas社製大和級のものに換装、主砲等は1:700スケールの山城級戦艦のものを利用している。さらに高角砲の半数を長10センチとするために、1:2000の愛宕重巡洋艦の主砲を転送した。

 

IF艦:改大和級戦艦:駿河の建造

前級播磨級において、日本海軍は念願の20インチ砲搭載戦艦を建造したが、その設計過程には無理が多く、結局、時勢の流動への対応から、大和級の船体を流用し、建造を急いだことから、主砲射撃時の散布界が大きく、さらには搭載数が6門では 単艦での運用では十分な射撃精度が得られないことが判明した。

このため米海軍が建造する18インチ砲搭載艦への対応に、大和級の設計をベースとして、18インチ主砲の搭載数を増加させる案が検討された。

駿河級は計画では2隻が建造される予定であったが、日米開戦により1隻、駿河のみ建造された。

18インチ主砲を大和級と同様、三連装砲塔に装備し、大和級よりも1基増やし、4基12門搭載とした。砲塔の増設によって船体は大型化し排水量も大幅に増加したが、機関を強化し、大和級と同速の27ノットを確保した。射撃管制システムも新型が搭載され、改良された装填機構の採用などにより、発射速度を大和級よりも早めることができた。射撃試験の結果、良好な散布界を得ることなどが検証され、日本海軍の最強艦となった。

(1945-: 71,000t, 27 knot, 18in *3*4, 220mm in 1:1250 by 3D printing: Tiny Thingajigs)

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製作メモ)Tiny Thingajigs社製の3D printing modelをベースに、前檣をAtlas社製の大和級戦艦の艦橋、アンテナ、主砲塔を流用した。

 

IF艦:富士級高速戦艦:富士・劔の建造

大和級の建造と併せて、この18インチ砲搭載戦艦の時代にふさわしい前衛支援艦が必要と考えられた。高速で展開するこの前衛艦は、後続する主力艦隊に敵艦隊の速度、運動等の詳細なデータを送信し、射撃管制を高める役割が期待された。

当初、大和級と同じく18インチ砲を搭載する相模級の2隻をこれにあてる予定であったが、やはり前衛には敵艦隊に肉薄、あるいは捕捉から逃れる高速力が必要とされることが明らかとなり、この目的のためには相模級を上回る速度を保有するこれに専任する艦が新たに設計された。

 

建造期間を短縮するために、ここでも装備類は大和級から流用されることが求められた。機関には大和級と同じものが使用されることが決められ、33ノットの速力が期待されるところから、船体の大きさが逆算された。また、同級は大和級と行動を共にすることが想定されるところから、主砲には同じく18インチ三連装砲塔の搭載が決定された。

これらの要件を満たすために、これまでの主力艦とは一線を画する特異な設計となった。艦前部に主砲塔を集中装備し、その後方に機関を配置、後部には副砲塔等と航空装備、という奇しくも仏海軍のリシュリュー級に似た配置となった。射撃管制機器、上部構造等を大和級と共通化したために、遠距離からの視認では、大和級に実に似通った外観を示している。

(1945-: 38,000t, 33 knot, 18in *3*2, 2 ships, 197mm in 1:1250 by semi-scratched based on Hansa) 

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(直上の写真では、船体後部に航空兵装、副砲塔等が集中しているのがよくわかる)

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(直上の写真は富士級高速戦艦2隻:手前から「劔」、「富士」の順。両艦は対空兵装で異なる装備を有していた。2番艦の「劔」は、建造時期がジェット航空機の発展期に当たったため、当初から対空兵装強化型として実験的に自動砲を採用していた)

 

製作メモ)Delphin社製のリシュリュー級戦艦をベースに、主砲塔、艦橋、煙突、アンテナ、副砲塔を、Atlas社製大和級戦艦から転用した。

本級は本稿のオリジナルと言っていいと思う。史実でもこのような計画があったと聞いたことはないし、資料も見たことはない。ニーズもあったかどうか、すこぶる怪しい、と言うことでもあるのだが。

製作のきっかけは、全く偶然にDelphin社製のリシュリュー級戦艦の主砲塔基部の直径と、Atlas社製大和級の主砲塔の直径がぴったり一致することに気づいたことであった。ここから大和級戦艦の前衛を務める高速戦艦、と言う構想に発展した。

こうした「気づき」の積み重ねが、今回冒頭でつらつら述べたコレクションの醍醐味であり、こうした成果は、その出来は別として、至福の時、と言っていいと思う。

 

 
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(直上の写真は大和級 18インチ砲搭載艦の系譜:左から富士級高速戦艦大和級、播磨級、駿河の順。大和級の系譜は、18インチ砲の強烈な反動を受け止めるため艦幅を広く取っている。一方で水線長を抑え、装甲を効果的に配置するなど、全体的にコンパクト化に成功していると言っていいだろう)

 

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(直上の写真は日本海軍の高速戦艦巡洋戦艦)の系譜。:左から、金剛級(比叡)、畝傍級、高千穂級、富士級の順。高速化への模索の取り組みとして、艦幅と水線長の工夫が興味深い)

 

 

海上自衛隊 護衛艦「やまと」 Battleship "YAMATO" in JMSDF

海上自衛隊の発足と自衛艦「やまと」の誕生

太平洋戦争降伏に引き続き、日本は戦争放棄と戦力不保持、交戦権の否認を憲法に掲げる国家となった。

しかし欧州における米英とソ連の対立に関連すす不安定な周辺情勢、殊に日本の共産化を防ぎ、アジア全体の共産化阻止の拠点としたい米英(特に米国)の思惑から、様々は注釈に彩られた憲法解釈が行われ、やがて朝鮮戦争の勃発とともに自衛隊の前身である警察予備隊が発足し(1950年)、日本は再び戦力を保持することとなった。

 

同時期に旧海軍残存部隊は海上警備隊として組織され、1954年自衛隊法施行とともに海上自衛隊と名称変更された。

上述のようにその発足時には国共内戦朝鮮戦争等で、米英とソ連のある種代理戦争が極東地域では展開されていた。これら共産勢力、あるいはソ連自身の日本への侵攻に対する抑止力として、当時、武装解除の上で海外に展開していた旧日本軍の復員輸送の従事していた残存する行動可能な主力艦を、再武装の上で戦力に組み入れてはどうかという議論が主として英米間で行われた。

当時、主力艦で行動可能だったものは、「大和」「紀伊」「加賀」「土佐」「長門」であったが、これらすべてを戦力化することについては強大すぎ旧軍の復活につながるとの懸念があり、抑止力としてのプレゼンス、という視点から「大和」一隻のみを自衛艦「やまと」として再武装し、自衛艦隊に編入することが決定された。

 

IF艦:海上自衛隊黎明期の自衛艦「やまと」

海上自衛隊編入された「やまと」は、艦隊防空艦としての役割を負うべく、再武装と改装を受けた。

再武装にあたっては、主砲は従来のままとし、自衛艦隊の艦隊防空艦としての役割期待が大きいところから、対空火器とレーダー装備が一新された。主要な対空火器としては、旧海軍の最も成功した対空砲と言われた長10センチ高角砲を自動化した単装砲を多数搭載している。この砲は最大射程18キロ、最大射高13キロ、毎分19発の発射速度を持つとされ、旧日本海軍では、この対空砲にVT信管を組み合わて運用したが、日本製のVT信管そのものの信頼性が低く、その能力を十分に発揮できたとは言い難かった。

それでも旧海軍では「格段の命中率」「抜群の効果」と賞賛され、その実績以上に士気向上に効果があった。

今回の装備にあたっては米海軍のVT信管技術の導入し、さらに砲塔に自動化機構を組み入れてその信頼性と発射速度を高めた。

一方、個艦防衛用兵装として、多数の機関砲を搭載しているが、これらの小口径砲についてはVT信管には対応しておらず、実戦で効果が期待できないことは、大戦で実証済みであった。

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(直上の写真は自衛艦「やまと」:外観は大戦時のそれとほとんど変わらない。艦隊防空用の兵装として自動長10センチ高角砲を16基、個艦防衛用の兵装として、多数の機関砲を搭載している)

 模型視点でのコメントを少し:上記の模型は、Delphin社製の「大和」をベースとし前部艦橋と通信アンテナ、主砲砲塔を換装している。更にその主対空砲とした自動長10センチ高角砲として、イタリア戦艦「ヴィットリオ・ベネト」の対空砲を流用した。

 

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(直上の写真は自衛艦「やまと」とその僚艦:奥から護衛艦「あきづき(初代)」「むらさめ(初代)」、「やまと」「あやなみ」の順。いずれも国産の護衛艦第一世代に属する。この時期の自衛隊は、こうした国産の護衛艦に加え、米海軍からの貸与艦で構成されていた)

***予告)登場する護衛艦いついては、近々、別途「開発史」的なシリーズを展開する予定です。お付き合いください。

 

上記は、本稿前回で紹介した自衛艦「やまと」であったが、もう一案「B案」を作成してみた。 

IF艦:自衛艦「やまと」B案

「やまと」は、艦隊防空艦としての役割を負うべく、再武装と改装を受けた。

再武装にあたっては、主砲は従来のままとし、自衛艦隊の艦隊防空艦としての役割期待が大きいところから、対空火器とレーダー装備が一新された。主要な対空火器として米海軍の38口径Mk 12, 5インチ両用砲を連装砲塔に装備し、14基28門を搭載した。

この砲は、米海軍の戦艦、巡洋艦に広く採用されている砲で、最大射程21キロ、最大射高11キロ、発射速度15-22発/分とされていた。これに加えて毎分45発の発射速度をもつラピッド・ファイア型のMk 33, 3インチ砲を連装で8基、さらに個艦防衛用に40mm機関砲を装備し、もちろんこれらは全てVT信管を標準仕様としていたため、その対空能力は、旧海軍時代から格段に強化された。

(直下の写真は、自衛艦「やまと」:外観的には、多数の対空機銃が徹去されたことを除けば、旧海軍時代とそれほど大きな違いはない。この時期、水上偵察機、観測機等の航空兵装の搭載は廃止されているが、後部の航空機用の運用装備はそのまま残されている)

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模型視点でのコメントを少し:こちらのモデルも、前出のDelphin社製の「大和」をベースとし、前部艦橋と通信アンテナ、主砲砲塔を換装している。さらに3D printing makerのSNAFU store製のWeapopn setから、いくつか武装を選択し搭載している。

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(直上の写真は自衛艦「やまと」の対空兵装:艦の上部構造物周辺にMk 12, 5インチ連装砲塔を配置している。下段お写真はいずれもMk 33, 3インチ連装砲塔(ラピッド・ファイア)の配置状況。すこし分かりにくいが上部構造周辺にも、同砲が防楯なしの露出砲架で配置されている)

 

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(直上の写真は自衛艦「やまと」とその僚艦:奥から護衛艦「あきづき(初代)」「やまと」「はるかぜ」「あやなみ」の順。いずれも国産の護衛艦第一世代に属する。この時期の自衛隊は、こうした国産の護衛艦に加え、米海軍からの貸与艦で構成されていた)

 

(質問)どちらの方が、自衛艦「やまと」にフィットするとお考えになりますか?感想など伺えれば、幸いかと。

もちろん他のアイディアもあるかと思います。

幸い、まだ数隻の「やまと」のストックがありますので、私が実現可能なアイディアは模型に落とせるかもしれません。ぜひお知らせください。

これも、If艦ならではの楽しみ方かと。

お待ちしています。私のスキルの問題で「実現不可能」も十分ありえますので、その際には平にご容赦を。

 

IF艦:DDHとDDG時代の護衛艦「やまと」 

海上自衛隊は、領海警備とシーレーン保護がその主要任務であり、従って、対潜戦闘能力を中心に、その活動保護のための艦隊防空を、両軸で発展させてきた。

1970年代に入ると、対潜ヘリを搭載したヘリ搭載型護衛艦(DDH)を中心に、汎用護衛艦を複数配置し、この艦隊の艦隊防空を担う防空ミサイル護衛艦(DDG)から構成される護衛隊群、という構成をその艦隊編成の基幹として設置するようになった。

海上自衛隊の発足時から艦隊防空をその主任務としてになってきた「やまと」もこの構想に従い、防空ミサイルシステムを搭載する。

主要艦隊防空兵装としてはスタンダードSM-1を2基搭載し、艦隊の周囲30-40キロをその防空圏とした。他の防空兵装としてはMk 42 54口径5インチ砲を6基搭載している。この砲は23キロの最大射程を持ち、毎分40発の発射できた。個艦防空兵装としては、上記の他にCIWS3基を搭載している。

水上機の運用設備を全廃し、ヘリコプターの発着設備を新設した。ヘリの搭載能力はない。

改修時には、米海軍から巡航ミサイルの搭載能力も検討するよう要請があったが、専守防衛を掲げ、その要求を受け入れなかった、と言われている。

(直下の写真は、1970年代の護衛艦「やまと」(DDG):外観的には、旧海軍の「大和」の上部構造を大幅に改修した。多くのシステムを米海軍と共用し、アイオア級の戦艦等と似た上部構造物となったため旧海軍時代の外観をほとんど残していない)f:id:fw688i:20190609190556j:image

 模型視点でのコメントを少し:こちらのモデルも、前出のDelphin社製の「大和」をベースとし、その船体を利用し主砲塔を換装している。上部構造は同じくDelphin社製のSouth Dakotaの上構を転用している。さらに3D printing makerのSNAFU store製のWeapopn setから、いくつか武装を選択し搭載した

 

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(直上の写真は70年代DDG「やまと」の対空兵装:艦の上部構造物前後にSM-1の単装ランチャーを2基搭載し、上部構造周辺にMk 42, 54口径5インチ砲を配置している。近接防空兵器として、上部構造の前部と左右に CIWSを搭載している。専守防衛を掲げ搭載を拒んだ巡航ミサイルは、下段写真の前部CIWSとMk 42 5インチ砲の間あたりに搭載される構想であったとされている

 
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(直上の写真はDDG「やまと」とその僚艦:奥からヘリ搭載型護衛艦(DDH)「しらね」対潜護衛艦「やまぐも」「やまと」ミサイル護衛艦(DDG)「さわかぜ」の順)

 

IF艦:イージス時代の護衛艦「やまと」

2000年代に入り、海上自衛隊の艦隊防空システムがイージスシステムとなった。

同時に長らく海上自衛隊の艦隊防空を担当してきたDDG「やまと」も、イージス艦として生まれ変わった。

艦の上部構造はイージスシステム搭載に対応する巨大なものに改装され、艦の前後左右に全体で240セルのMk 41 VLS(スタンダードSAM、アスロックSUM、シー・スパロー短SAM用)を搭載した。

その他、近接防空用兵装として23キロの最大射程、毎分45発の発射速度を持つオート・メララ54口径5インチ速射砲4基、CIWS4基を搭載している。
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 模型視点でのコメントを少し:こちらのモデルも、前出のDelphin社製の「大和」をベースとし、その船体を利用し、あわせて主砲塔を換装している。上部構造はF-toy社製の現用艦船シリーズからストックしていた何隻かの上構をあわせて転用している。さらに同じく現用艦船シリーズのストックから、武装を選択して搭載している。

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(直上の写真はイージス護衛艦「やまと」の上部構造:左右にMk 41 VLS、5インチ速射砲、CIWSなどを搭載している


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(直上の写真はイージス護衛艦「やまと」とその僚艦:奥から汎用護衛艦(DD)「あきづき」、「やまと」、イージス護衛艦(DDG)「あたご」の順)

 
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 海上自衛隊は初の航空機搭載型護衛艦(DDV)を導入し「いぶき」と名付けた。専守防衛の建前から、あくまで護衛艦と称しているが、空母「いぶき」の通称で通っている。F-35B15機を基幹航空部隊として搭載し、その為、無人機、救難ヘリ等を搭載している。

このDDV「いぶき」を中心に、第五護衛隊群が編成される。第五護衛隊群はその機動性から紛争地域周辺に展開されることが多く、イージス艦「やまと」も、持ち前のその戦闘力から、この護衛隊群に組み入れられることが多かった。

 

 IF艦というよりSF艦:宇宙戦艦「ヤマト」 Space Battleship "YAMATO"  

その後の「ヤマト」と言えば・・・(おまけ!)

最終的には「やまと」は「ヤマト」となり、もちろんご存知の通り、宇宙へ飛び出すのである。

タイトルには「2199」や「2202」の文字が散見するので、さらに150年以上後の話である。艦首に波動砲という途轍もない兵器を搭載している。「大和」は常に「何か」を他に凌駕することを宿命づけられている、と言うことだろうか。

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写真は1:1000の「ヤマト」。最終的には、オリジナルのデザインに比較的近いところへ回帰することが興味深い。まあ、「ヤマト」は坊ノ岬沖で沈んでいたものに作り込まれた訳なので、当たり前か。

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直上の写真は、「ヤマト」僚艦と共に:奥から金剛型宇宙戦艦「キリシマ」、「ヤマト」、磯風型突撃宇宙駆逐艦「ユキカゼ」。

こちらは1:2000スケールの「ヤマト」を中心に。他はノンスケール?(こちらも本格的に展開するなら、星空バックが必須!まあ、その予定は、今のところはないが)

「キリシマ」は、後に「ヤマト」の艦長となる沖田が、「ヤマト」誕生以前に乗艦し艦隊指揮をとった旗艦である。もう一つ「ユキカゼ」は、「ヤマト」に乗組み大活躍をした古代の兄が艦長を務めた艦である。この両艦はガミランの侵攻艦隊との戦闘で、「キリシマ」は大破し、「ユキカゼ」は「キリシマ」の撤退を援護して沈められた。「ヤマト」が姿を現すのはこの戦闘の後であり、従って、この写真の組み合わせは、ありえない、と言うことになる。

それにしても、「突撃宇宙駆逐艦」とは、なんという名称だろうか。勇ましいことこの上ないが、なんとなく悲惨な響きが気にはなる。

 

「ヤマト」は任務を果たし、還ってくる。何度でも。

 

 

 

 

日本海軍:大戦期の駆逐艦総覧

今回は大戦期の日本海軍の駆逐艦のお話です。

 

本稿ではこれまで「艦隊駆逐艦 第1期の決定版」として「峯風級」とその系列の最終形である「睦月級」をご紹介しました。その再録も含め、終戦までの全艦級のご紹介です。

下表は太平洋戦争に投入された日本海軍の駆逐艦の一覧です。

列1 竣工年次 同型艦 残存数 基準排水量 速度 主砲口径 装備数 魚雷口径 装備数2 魚雷搭載数
峯風級 1920 12 4 1215 39 12 4 53 TTx3 6
峯風級改装:哨戒艇 (1940) 2 0 1215 20 12 2 - - -
峯風級改装:特務艦 (1944) 1 1 1215 ? ? - - -
神風級(II) 1922 9 2 1270 37.3 12 4 53 TTx3 10
睦月級 1926 12 0 1315 37.3 12 4 61 TTTx2 12
吹雪級I型 1928 10 0 1680 37 12.7 6 61 TTTx3 18
吹雪級II型 1930 10 1 1680 38 12.7 6 61 TTTx3 18
吹雪級III型 1932 4 1 1680 38 12.7 6 61 TTTx3 18
初春級(竣工時) 1933 6 - 1400 36.5 12.7 5 61 TTTx3 18
初春級(復原性改修後) (1935) 6 1 1700 33.3 12.7 5 61 TTTx2 12
白露級 1936 10 0 1685 34 12.7 5 61 TTTTx2 16
朝潮 1937 10 0 2000 35 12.7 6 61 TTTTx2 16
陽炎級 1939 19 1 2000 35 12.7 6 61 TTTTx2 16
夕雲級 1941 19 0 2077 35 12.7 6 61 TTTTx2 16
秋月級 1942 13 7 2710 33.58 10 8 61 TTTTx1 8
島風 1943 1 0 2567 40 12.7 6 61 TTTTTx3 15
松級 1944 32 23 1260 27.81 12.7 3 61 TTTTx1 4

今回は、その1回目。

 

艦隊駆逐艦 第一期決定版の登場(峯風級・神風級・ 睦月級)

 

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(直上の写真:右から、「峯風級」「野風級:後期峯風級」「神風級」「睦月級」)

 

日本艦隊駆逐艦のオリジナル

「峯風級」駆逐艦「野風級:後期峯風級」駆逐艦(15隻)

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「峯風級」は、それまで主として英海軍の駆逐艦をモデルに設計の模索を続けてきた日本海軍が試行錯誤の末に到達した日本オリジナルのデザインを持った駆逐艦と言っていいでしょう。12cm主砲を単装砲架で4基搭載し、連装魚雷発射管を3基6射線搭載する、という兵装の基本形を作り上げました。1215トン。39ノット。同型艦15隻:下記の「野風級:後期峯風級3隻を含む)

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(直上の写真:「峯風級」駆逐艦の概観 82mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces) 

 

「野風級:後期峯風級」は「峯風級」の諸元をそのままに、魚雷発射管と主砲の配置を改め、主砲や魚雷発射管の統一指揮・給弾の効率を改善したもので、3隻が建造されました。

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(直上の写真:「野風級:後期峯風級」駆逐艦の概観 82mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces)

 

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(直上の写真は、「峯風級」(上段)と「野風級:後期峯風級」(下段)の主砲配置の比較。主砲の給弾、主砲・魚雷発射の統一指揮の視点から、「野風級」の配置が以後の日本海駆逐艦の基本配置となりました)  

 

同艦級は太平洋戦争には既に休止機関でしたが、12隻が駆逐艦として船団護衛等の任務につき、2隻が陸戦隊支援を主任務とする哨戒艇として、そして1隻は特務艦(標的艦)として臨みました。駆逐艦は12隻中8隻が、哨戒艇は2隻が失われました。

 

「神風級」駆逐艦(9隻) 

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「神風級」は、上記の「野風級:後期峯風級」の武装レイアウトを継承し、これに若干の復原性・安定性の改善をめざし、艦幅を若干拡大(7インチ)した「峯風級」の改良版です。9隻が建造されました。1270トン。37.25ノット。

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(直上の写真:「神風級」駆逐艦の概観 82mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces)

 

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(直上の写真:「峯風級」(上段)と「神風級」の艦橋形状の(ちょっと無理やり)比較。「神風級」では、それまで必要に応じて周囲にキャンバスをはる開放形式だった露天艦橋を、周囲に鋼板を固定したブルワーク形式に改めました。天蓋は「睦月級」まで、必要に応じてキャンバスを展張する形式を踏襲しました)

 

「神風級」は太平洋戦争時は既に旧式艦ではありましたが、主として船団護衛等の任務に9隻が参加し、7隻が失われました。

 

第一次艦隊駆逐艦の決定版

「睦月級」駆逐艦(12隻)

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 「睦月級」駆逐艦は「峯風級」から始まった日本海軍独自のデザインによる一連の艦隊駆逐艦の集大成と言えるでしょう。

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(直上の写真:「睦月級」駆逐艦の概観 83mm in 1:1250 by Neptune) 

艦首形状を凌波性に優れるダブル・カーブドバウに改め、砲兵装の配置は「後期峯風級」「神風級」を踏襲し、魚雷発射管を初めて61cmとして、これを3連装2基搭載しています。太平洋戦争では、本級は既に旧式化していましたが、強力な雷装と優れた航洋性から、広く太平洋の前線に投入され、全ての艦が、1944年までに失われました。1315トン。37..25ノット。同型艦12隻。

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(直上の写真:「睦月級」(下段)と「神風級」(上段)の艦首形状の比較。「睦月級」では、凌波性の高いダブル・カーブドバウに艦首形状が改められました)

 

駆逐艦設計は新次元に:「特型駆逐艦」群の登場(吹雪級I型・II型・Ⅲ型・初春型・白露型・朝潮型)

 

ワシントン海軍軍縮条約の申し子

「吹雪級」駆逐艦(24隻)

 

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 ワシントン軍縮条約の締結により、日本海軍は進行中の八八艦隊計画を断念、さらに主力艦は保有制限が課せられ、制限外の巡洋艦以下の補助艦艇についても仮想敵国である米国との国力差から、保有数よりも個艦性能で凌駕することをより強く意識するようになります。

こうして海軍が提示した前級「睦月級」を上回る高性能駆逐艦の要求にこたえたものが「吹雪級」駆逐艦です。1700トンの船体に、61cm3連装魚雷発射管を3基(9射線:「睦月級」は6射線)、主砲口径をそれまでの12cmから12.7cmにあげて連装砲等3基6門(「睦月級」は12cm砲4門)、速力37ノット(「睦月級」と同等)と、それまでの駆逐艦とは一線を画する高性能艦となりました。

搭載主砲塔、機関形式の違い等から、Ⅰ型、Ⅱ型、Ⅲ型の3形式があり、それぞれ10隻、10隻、4隻、合計24隻が建造されました。

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(直上の写真:「吹雪級」の各形式。右からI型、II型、Ⅲ型の順。下段写真は各形式の主砲塔と缶室吸気口・煙突形状の比較。右からI型、II型、Ⅲ型の順:詳細は各形式で説明します)

 

Ⅰ型(10隻):特徴はA型と呼称される連装主砲塔を採用しています。この主砲塔は、仰角40度までの所謂平射砲塔でした。あわせて、缶室吸気口としてキセル型の吸気口を装備していました。ある程度高さを与え、海水の侵入を防ぐ工夫がされていましたが、十分ではなかったようです。このため10番艦「浦波」では、より海水の浸入防止に配慮された「お椀型」の吸気口が採用されており、このため10番艦は「改Ⅰ型」あるいは「ⅡA型」と呼ばれることもあります。

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(直上の写真:「吹雪級I型」の概観。94mm in 1:1250 by DAMEYA on Shapeways)

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(直上の写真:「吹雪級I型」の特徴。A型連装砲塔:平射用(上段)とキセル型缶室吸気口)

 

戦前に演習中の衝突事故で失われた1隻をのぞく9隻が太平洋戦争にのぞみ、全て戦没しています。

 

Ⅱ型(10隻):概観上の特徴は、連装主砲塔を仰角75度まで上げた対空射撃も可能としたB型としたことと、缶室吸気口を前出の「改Ⅰ型」で採用された、海水浸水のより少ない「お椀型」としたことです。

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(直上の写真:「吹雪級II型」の概観。94mm in 1:1250 by Trident)

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(直上の写真:「吹雪級II型」の特徴。B型連装砲塔:仰角75度まで射撃可能=対空射撃が可能になりました(上段)と、浸水対策を考慮したお椀型缶室吸気口)

10隻全てが太平洋戦争に参加し、「潮」のみが残存しました。

 

Ⅲ型(4隻):概観上の特徴は、新方式の採用により缶の数を減らしたことから生じた煙突形状にあります。「吹雪級」は重量が計画を200トン近く超過し1900トンを超える艦になっており、うち機関関連での重量超過が100トンあまりを占めていました。このため空気予熱器により効率を高めた缶(ボイラー)を採用することで缶の数を減らし重量の軽減が図られました。

缶の位置関係から、一番煙突が二番煙突に比して細い、という顕著な特徴となりました。

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(直上の写真:「吹雪級Ⅲ型」の概観。94mm in 1:1250 by Trident)

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(直上の写真:「吹雪級Ⅲ型」の特徴。B型連装砲塔:仰角75度まで射撃可能=対空射撃が可能になりました(上段)と、浸水対策を考慮したお椀型缶室吸気口と缶室の減少により細くなった1番煙突)

 4隻が太平洋戦争に参加し「響」のみ生き残りました。

 

トピック: 駆逐艦の主砲の話

これまで本稿では数回触れてきているのですが、「吹雪級」以降の駆逐艦で「秋月級」と「松級」以外の艦級では、主砲として「50口径3年式12.7cm砲」が採用されています。

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この砲は基本対艦戦闘を想定した平射砲で、50口径の長砲身から910m/秒の高い初速、18000m超の最大射程、毎分10発の射撃速度を持つ優秀砲で、艦隊戦では有効な兵器と考えられました。当初「吹雪級」に搭載されたA型連装砲塔は、平射砲としての実力を発揮すべく、その仰角は40度とされていました。

その後に対空射撃の要請に対する対応として開発された、前述のB型連装砲塔では仰角を75度まで上げるなどの改良が行われましたが、装填機構が対応できず、つまり装填時には平射位置まで仰角を戻さねばならず、対空射撃時の射撃速度は毎分4発程度で、低空からの侵入機に対する以外は対空砲としては全く効果を有しませんでした。

(直下の写真:日本海軍の駆逐艦が搭載したA型砲塔(上段)とB型砲塔(下段)の資料:軍艦メカニズム図鑑「日本の駆逐艦」より引用しています)

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このように対空兵器としての実用性の乏しさから、次のC型連装砲塔では仰角が55度に戻され、つまり再び対艦射撃に重点が置かれた本来の平射砲へと戻されます。このC型連装砲塔は「白露級」「朝潮級」「陽炎級」に搭載され、太平洋戦争開戦時の艦隊駆逐艦の基準主砲となりました。しかし開戦後、海軍戦力での航空主兵の傾向が顕著になると、再び仰角を75度に上げたD型連装砲塔が「夕雲級」には搭載されますが、やはり装填機構には手をつけないまま、という迷走を続けることとなりました。

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(直上の写真:「50口径3年式12.7cm砲」の連装砲塔の各形式(全て、Neptuneモデル)。(上段)「A型」:仰角40度の平射砲用。(中段)「B型」:仰角75度での高角射撃を可能にしました。しかし装填機構が平射用のままの為、射撃速度は毎分4発程度で、高角砲としての実用性は低いものでした。(下段)「C型」:仰角を再度55度とした平射用です) 

 

同時期の米海軍の駆逐艦は既に全てが5インチ両用砲を搭載し、揚弾機構なしの場合でも毎分12−15発の射撃速度を有しており、これに加えて両用砲用の方位盤などとの組み合わせで、既にシステム化を進めていたのに対し、日本海軍の駆逐艦は上記のような事情で実用的な対空砲を持てず、艦隊防空の任を担わねばならず、多くの駆逐艦が戦争後期には主砲塔を対空機銃座に置き換えて戦いに臨む事となります。

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(直上の写真:「吹雪級II型」では高角射撃可能なB型砲塔を装備していましたが、射撃速度の遅さから高角砲としての実用性が乏しく、二番砲を対空機銃座に換装するなどの方法で、対空戦闘能力を補完せねばなりませんでした。大戦中の駆逐艦の多く艦級で同様の措置が取られました)

 

 中型(1400トン級)駆逐艦の建造:ロンドン条約の申し子?

「初春級」駆逐艦(6隻)

ワシントン条約に続く ロンドン条約では、それまで制限のなかった補助艦艇にも制限が加えられ、駆逐艦にも保有制限枠が設けられました。特に駆逐艦には1500トンを超える艦は総保有量(合計排水量)の16%以内という項目が加えられました。このため1700トン級(公称)の「吹雪級」駆逐艦をこれ以上建造できなくなり(日本としては財政的な視点から、「吹雪級」の増産を継続するよりも、もう少し安価な艦で数を満たす切実な事情もあったのですが)、次の「初春級」では、1400トン級の船体と「吹雪級」と同等の性能の両立という課題に挑戦することになりました。

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結果として、竣工時の「初春級」駆逐艦は、主砲として、艦首部に「吹雪級」と同じ「50口径3年式12.7cm砲」B型連装砲塔とB型連装砲塔と同じく仰角を75度に改めたA型改1単装砲塔を背負い式に装備し、艦尾にB型連装砲塔を配置しました。さらに「吹雪級」と同じ61cm3連装魚雷発射管を3基(9射線)を装備し、予備魚雷も「吹雪級」と同数を搭載。加えて次発装填装置をも初めて装備し、魚雷発射後の再雷撃までの時間短縮を可能としました。機関には「吹雪級Ⅲ型」と同じ空気予熱器付きの缶3基を搭載し、36.5ノットの速力を発揮することができました。

1400トン級のコンパクトな船体に「吹雪級」とほど同等な重武装と機関を搭載し、かつ搭載する強力な主砲と雷装を総覧する艦橋は大型化したことにより、無理を重ねた設計でした。そしてそれは顕著なトップヘビーの傾向として顕在化することになります。

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(直上の写真は「初春級」竣工時の概観:88mm in 1:1250 by Neptuneをベースにセミ・スクラッチ

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(直上の写真は、「初春級」竣工時の特徴のアップ。左上:艦橋部。艦橋部の下層構造を延長し、艦橋の位置をやや後方へ。艦橋部下層構造の前端に2番主砲塔(単装)を、1番主砲塔(連装)と背負い式になるように配置。右上:2番魚雷発射管。下段左と中央:後橋部分と2番・3番発射管の配置状況。3番発射管自体は、船体中心線に対し、やや右にオフセットした位置に追加。細かいこだわりですが、一応、3番発射管用の次発装填装置を後橋部の構造建屋の上に設置。2番発射管用の次発装填装置は後橋部建屋の左側の斜め張り出し部に内蔵されています)

 

既に公試時の10度程度の進路変更時ですら危険な大傾斜傾向が現れ、バルジの追加等で何とか就役しますが、この設計原案での建造は「初春」と「子の日」の2隻のみのとどめられました。さらにその後の発生した友鶴事件により、設計は復原性改善を目指して全面体に見直されました。

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初春:竣工時の艦型概観(「初春」「子の日」のみ)

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このげ初春:復原性改修後の艦型概観

(上のシルエットは次のサイトからお借りしています

http://www.jam.bx.sakura.ne.jp/dd/dd_class_hatsuharu.html

残念ながら、竣工時の「初春級」については 1:1250スケールのモデルがありません。スクラッチにトライするには、やや手持ちの「初春級」のモデルが足りていません。 いずれはトライする予定ですが、今回はご勘弁を<<<セミ・スクラッチによる竣工時モデルを上記に追加投稿しました)

 

その性能改善工事は、61cm3連装魚雷発射管の3基から2基への削減(併せて搭載魚雷数も3分の2に削減)、主砲塔の配置を艦首に連装砲塔1基、艦尾部に単装砲塔と連装砲塔を各1基の配置と搭載方法を変更し、武装重量の削減とバランスの改善を目指します。さらに艦橋・煙突の高さを下げ、艦底にバラストを追加搭載するなど重心の低下をおこなった結果、艦容を一変するほどのものになりました。その結果、復原性の改善には成功しましたが、船体重量は1800トン近くに増加し速度が36.5ノットから33.3ノットに低下してしまいました。

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(直上の写真:復原性改善修復後の「初春級」の概観。88mm in 1:1250 by Neptune)

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(直上の写真:「初春級」の特徴である次発想定装置付きの3連装魚雷発射管(上段)と、艦尾部に背中合わせに配置された単装主砲砲塔と連装砲塔:仰角75度の高角射撃も可能とした砲塔でした。この砲塔は装填機構の問題から装填次に平射1に戻さねばならず、射撃速度が低く対空砲としては実用性に乏しいものでした)

 

復原性修復後のモデルとの比較は以下に。二枚とも、上が「竣工時(今回セミ・スクラッチ製作したモデル)」、下が「復原性修復後」のモデル(Neptune社の現行の市販モデル)。

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「竣工時」の過大な兵装とそれに因る腰高感が表現できているかどうか・・・。できているんじゃないかな(とちょっと自画自賛)。 

 

当初は12隻が建造される予定でしたが、上記のような不具合から6隻で建造が打ち切られ、「初霜」を除く5隻が太平洋戦争で失われました。

 

 「初春級」改良型中型駆逐艦

「白露級」駆逐艦(10隻)

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(直上の写真:「白露級」の概観。88mm in 1:1250 by Neptune)

 

「白露級」は前級「初春級」の復原性改善後の設計をベースに建造された準同型艦です。

改修後の「初春級」では前述のように雷装を設計時の3分の2、6射線に縮小せねばなりませんでした。 また、改修後の重量も1800トン弱と、結局、中型駆逐艦の枠を大きくはみ出す結果となってしまいました。(公称上は「初春級」も「白露級」も1400トンとし、ロンドン条約下での1500トン以下の保有枠内である、とされましたが)

重量が増加するならば、ということで、「白露級」は少し船型を拡大し、4連装魚雷発射管2基を搭載し、射線数を「吹雪級」に近づけたものとすることになりました。次発装填装置を搭載し、魚雷搭載数を当初16本として、雷撃能力を向上させています(当初と記載したのは、実際には搭載魚雷数は14本あるいは12本だったようです)。その他の兵装、艦容はほぼ「初春級」に準じるものとなりました。

主砲は「初春級」と同じ「50口径3年式12.7cm砲」でしたが、この砲をC型連装砲塔、B型単装砲塔に搭載しましたが、これらはいずれも仰角を55度に抑えた平射用の主砲塔でした。

速力は改修後の「初春級」とほぼ同等の34ノットでした。

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(直上の写真:「白露級」の特徴である次発想定装置付きの4連装魚雷発射管(上段)と、艦尾部に背中合わせに配置された単装主砲砲塔と連装砲塔:いずれも仰角55度の平射用砲塔でした)

太平洋戦争には10隻が参加し、全て戦没しました。

 

再び正統派艦隊駆逐艦へ(もうロンドン条約、続けないし・・・)

朝潮級」駆逐艦(10隻)

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ロンドン条約保有制約から大型駆逐艦保有制限を受けた日本海軍は、「初春級」「白露級」と中型駆逐艦を就役させた日本海軍でしたが、先述の通り、小さな船体に重武装・高性能の意欲的な設計を行ったが故に、無理の多い仕上がりとなり、結果的に期待を満たす性能は得られない結果となりました。

このため、次級の「朝潮級」では「吹雪級」並みの大型駆逐艦の設計を戻されることになりました。設計時期にはまだロンドン条約の制約は生きていましたが、ロンドン条約からの脱退を見込んでいたため、もはや艦型への制限を意識する必要がなくなる、という前提での設計方針の変更でもありました。

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(直上の写真:「朝潮級」の概観。94mm in 1:1250 by Neptune)

 

こうして「朝潮級」は2000トン級の船体に、「白露級」で採用された4連装魚雷発射管2基を搭載し8射線を確保、次発装填装置を備え魚雷16本を搭載、主砲には「50口径3年式12.7cm砲」を仰角55度の平射型C型連装砲塔3基6門搭載したバランスの取れた艦となりました。機関には空気予熱器つきの缶(ボイラー)3基を搭載、35ノットの速力を発揮する設計でした。こうして日本海軍は、ほぼ艦隊駆逐艦の完成形とも言える艦級を手に入れたわけですが、一点、航続距離の点で要求に到達できず、建造は10隻のみとなり、次の「陽炎級」に建造は移行することになりました。

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(直上の写真:「朝潮級」の特徴である次発想定装置付きの4連装魚雷発射管(上段)と、艦尾部に配置された「白露級」と同じC型連装砲塔:仰角55度の平射用砲塔でした)

 

太平洋戦争には10隻が参加し、全て戦没しました。

 

トピック:「特型駆逐艦」の呼称

少し余談になりますが、「特型駆逐艦」の呼称はそれまでの駆逐艦の概念を超えた「吹雪級」駆逐艦の別称とされることが一般的かと思いますが、軍縮条約制約下の高い個艦性能への要求(制限を受けた艦型と高い重武装要求のせめぎ合い、と言っていいと思います)を満たすべく設計・建造された「吹雪級」「初春級」「白露級」「朝潮級」を一纏めに使われる場合もあるようです。

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(直上の写真:「特型駆逐艦」群の艦型比較。上から「吹雪級」、「初春級」復原性改善後、「白露級」「朝潮級」の順)

これに対し、それ以前の駆逐艦群(「峯風級」「神風級」「睦月級」)には、「並型駆逐艦」という表現が使われることもありました。(まるで「特盛り」「並盛り」ですね)

本稿では、これに従って、一纏めの流れとして纏めてみました。

 

無条約の時代へ

ワシントン・ロンドン体制下での、日本海軍の駆逐艦開発の軌跡を追ってきたわけですが、「朝潮級」の開発段階で軍縮体制に見切りをつけた設計に舵を切りました。

今回はその流れを受けて、条約後、つかり無制限時代の駆逐艦設計を辿ります。

そしてその背景には、主力艦隊同士の会戦形式の艦隊決戦から、航空主導と潜水艦等により浸透戦術に基づいた「総力戦」時代の新たな形式の艦隊決戦に、日本海軍がどのように対応を模索したかが、垣間見えます。

 

艦隊決戦駆逐艦の頂点 (甲型陽炎級」「夕雲級」)

甲型駆逐艦は、従来の主力艦艦隊決戦の尖兵としての水雷戦隊の基幹を構成する戦力としての艦隊駆逐艦の完成形と言えるでしょう。

前級「朝潮級」はワシントン・ロンドン体制の終結を見込んで設計された為、それまでの制約を逃れた設計となり、かなりバランスの取れた艦級として仕上がりました。しかし建造途中の第四艦隊事件に始まる一連の強度見直し等の追加要件により、速力・航続距離に課題を残した形となりました。

それらの点を踏まえて、「陽炎級」が設計されます。

 

陽炎級駆逐艦(19隻)

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(直上の写真:「陽炎級」の概観。94mm in 1:1250 by Neptune)

 

陽炎級駆逐艦は、前級「朝潮級」の船体強度改修後をタイプシップとして、設計されました。兵装は「朝潮級」の継承し、2000トン級の船体に、4連装魚雷発射管2基を搭載し8射線を確保、次発装填装置を備え魚雷16本を搭載、主砲には「50口径3年式12.7cm砲」を仰角55度の平射型C型連装砲塔3基6門搭載とされました。

朝潮級」の課題とされた速度と航続距離に関しては、機関や缶の改良により改善はされましたが、特に速力については、以前課題を残したままとなり、推進器形状の改良を待たねばなりませんでした。

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(直上の写真:「陽炎級」では、次発装填装置の配置が変更されました。左列が「朝潮級」、右列が「陽炎級」。「陽炎級」の場合、1番魚雷発射管の前部の次発装填装置に搭載された予備魚雷を、装填する際には発射管をくるりと180°回転させて発射管後部から。魚雷の搭載位置を分散することで、被弾時の誘爆リスクを低減する狙いがありました)

 

太平洋戦争開戦時には、最新鋭の駆逐艦として常に第一線に投入されますが、想定されていた主力艦艦隊の艦隊決戦の機会はなく、その主要な任務は艦隊護衛、船団護衛や輸送任務であり、その目的のためには対空戦闘能力、対潜戦闘能力ともに十分とは言えず、常に悪先駆との末、同型艦19隻中、「雪風」を除く18隻が戦没しました。

 

「夕雲級」駆逐艦(19隻)

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(直上の写真:「夕雲級」の概観。95mm in 1:1250 by Neptune)

 

 「夕雲級」駆逐艦は、「陽炎級」の改良型と言えます。就役は1番艦「夕雲」(1941年12月5日就役)を除いて全て太平洋戦争開戦後で、最終艦「清霜」(1944年5月15日就役)まで、19隻が建造されました。

その特徴としては、前級の速力不足を補うために、船体が延長され、やや艦型は大きくなりますが、所定の35ノットを発揮することができました。兵装は「陽炎級」の搭載兵器を基本的には踏襲しますが、対空戦闘能力の必要性から、主砲は再び仰角75度まで対応可能なD型連装砲塔3基となりました。しかし、装填機構は改修されず、依然、射撃速度は毎分4発程度と、実用性を欠いたままの状態でした。

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(直上の写真:「陽炎級」(上段)と「夕雲級」(下段)の艦橋の構造比較。やや大型化し、基部が台形形状をしています)

 

陽炎級」と同様、就役順に第一線に常に投入されますが、その主要な任務は艦隊護衛、船団護衛や輸送任務であり、その目的のためには対空戦闘能力、対潜戦闘能力ともに十分とは言えず、全て戦没しました。

 

新しい時代の駆逐艦乙型:「秋月級」、丙型:「島風(級)」、丁型「松級」)

艦隊駆逐艦のある種の頂点として「陽炎級」「夕雲級」配置づけられるわけですが、その主眼は艦隊決戦における水雷戦闘に置かれているため、対空戦闘、対潜戦闘等には十分な能力があるわけではなく、日本海軍の駆逐艦設計は、専任業務に特化した特徴を持つ艦級の開発、という新たな展開へと入ってゆくことになります。

それがこの「乙型:艦隊防空」「丙型水雷戦闘」「丁型:船団護衛(対空・対潜汎用)」の各形式の各形式です。

 

最初で最後の防空駆逐艦

「秋月級」駆逐艦(12隻)

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第一次世界大戦以降、本格的な兵器として航空機は急速に発展してゆきます。これに対する対抗手段として、強力な対空砲を多数装備し艦隊防空を主要任務として想定し設計された艦級を各国海軍が開発、あるいは旧式巡洋艦を改装するなどして対応を試みます。日本海軍も当初は「天龍級軽巡洋艦、「5500トン級」軽巡洋艦を改装するなどの構想を持ちますが、これらの艦艇に関しては、いまだに艦隊決戦での水雷戦闘能力の補完艦艇としての位置付けを捨てきれず、結局専任艦種の建造計画に落ち着くことになるわけです。そのような経緯から当初設計案では魚雷の搭載を予定せず、艦種名も「直衛艦」とされ、巡洋艦クラスの大型艦となる設計案もありました。

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(直上の写真:「秋月級」の概観。108mm in 1:1250 by Neptune:艦首が戦時急造のため直線化しているのが、わかるかなあ?)

 

紆余曲折の結果、駆逐艦としての機能も併せ持つ「秋月級」駆逐艦が誕生する事となりました。空母機動部隊等への帯同を想定するために航続距離が必要とされ、艦型は2700トン級の大型艦となり、この船体に、主砲として65口径長10センチ高角砲を連装砲塔で4基搭載し、61cm4連装魚雷発射管1基と予備魚雷4本を自動装填装置付きで装備しました。速力は高速での肉薄雷撃を想定しないため、やや抑えた33ノットとされました。

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(直上の写真:「秋月級」の最大の特徴である65口径長10センチ高角砲の配置と艦橋上部の高射装置)

 

65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)の話

65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)は、日本海軍の最優秀対空砲と言われた高角砲で、18700mの最大射程、13300mの最大射高を持ち、毎分19発の射撃速度を持っていました。これは、戦艦、巡洋艦、空母などの主要な対空兵装であった12.7cm高角砲(八九式十二糎七粍高角砲に比べて射程でも射撃速度でも1.3倍(射撃速度では2倍という数値もあるようです)という高性能で、特に重量が大きく高速機への対応で機動性の不足が顕著になりつつあった12.7cm高角砲の後継として、大きな期待が寄せられていました。

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上記、射撃速度を毎分19発と記述していますが、実は何故か揚弾筒には15発しか搭載できず、従って、15発の連続射撃しかできなかった、ということです。米海軍が、既に1930年台に建造した駆逐艦から、射撃装置まで含めた対空・対艦両用砲を採用していることに比べると、日本海軍の「一点豪華主義」というか「単独スペック主義」というか、運用面が置き去りにされる傾向の一例かと考えています。

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(直上の写真:「秋月級」では、高角機関砲の搭載数が次第に強化されていきます)

 

同級は全艦が太平洋戦争開戦後に就役し、戦時下での建造も継続されたため、次第に戦時急増艦として仕様の簡素化、工程の簡易化が進められました。結果、12隻が就役し終戦時には6隻が残存していました。

 

艦隊決戦の尖兵として、 重雷装艦

島風級」駆逐艦(1隻)

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(直上の写真:「島風」の概観。101mm in 1:1250 by Neptune)

 

島風(級)」駆逐艦水雷戦闘に特化した艦級といえ、ある意味、新駆逐艦の設計体系で、来るべき総力戦・航空主導下での戦闘の変化等を認識しながらも、未だに「主力艦艦隊決戦時での肉薄水雷攻撃」の構想を捨てきれなかった日本海軍の「あだ花」的な存在と言えるのではないでしょうか?しかしその建造中には、太平洋戦争が始まり、そこでの海戦のあり方の変化は明らかで、流石に同艦級の活躍の場を想定することは難しく、当初の計画では16隻が整備さえる予定でしたが、建造は「島風」1隻のみにとどまりました。

2500トンの駆逐艦としては大きな船型を持つ「島風」の特徴は、そのずば抜けた高速性能にあります。計画で39ノット、実際には40ノット超の速力を発揮したと言われています。(「夕雲級」が35.5ノット)更に15射線という重雷装を搭載しており(5連装魚雷発射管3基)、一方で予備魚雷は搭載せず、まさに艦隊決戦での「肉薄一撃」に特化した艦であったと言えると思います。

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(直上の写真:「島風」の特徴である高速性を象徴するクリッパー型艦首:上段。5連装魚雷発射管3基。次発装填装置は装備していません:下段)

 

1943年に就役した時点で、既に戦局はガダルカナルの攻防戦を終えており、「島風」はキスカ島撤退作戦に参加したのち、主として護衛任務につく事になります。レイテ沖海戦には第一遊撃部隊(栗田艦隊)の1隻として参加し、サマール島沖の米護衛空母部隊への追撃戦には、裁可するものの、結局待望の魚雷発射の機会はありませんでした。

海戦後は、第二水雷戦隊旗艦として、レイテ島への増援輸送作戦に従事し、第三次輸送部隊の一員としてオルモック湾に輸送船とともに突入しますが、米軍機の集中攻撃を受け、輸送部隊は駆逐艦朝潮」を除いて護衛艦船、輸送船ともに全滅し、「島風」も失われました。

 

 戦時急造を目指す汎用中型駆逐艦

「松級」駆逐艦(32隻)

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(直上の写真:「松級」の概観。79mm in 1:1250 by Neptune)

 

 「松級」駆逐艦は、日本海軍が1943年から建造した戦時急増量産型駆逐艦です。32隻が建造されていますが、戦時急造の要求に従い急速に建造工程の簡素化、簡易化が進められ、多くのサブグループがあります。

同級の建造の背景として、太平洋戦争開戦後、日本海軍の保有する艦隊駆逐艦は常に第一線に投入されますが、その戦況の悪化に伴い、多くが失われてゆきます。特に、護衛任務・輸送任務等における対空戦闘、対潜戦闘に対する能力不足は顕著で、それらの補完が急務となります。

しかし従来型の駆逐艦級はいずれも建造に手間がかかるため。新たな設計構想と兵装を持った駆逐艦が求められるようになります。

こうして生まれたのが「松級」駆逐艦で、1200トン級の比較的小ぶりな船体に、主砲として40口径12.7cm高角砲(89式)を単装砲と連装砲各1基として対空戦闘能力を高め、併せて対潜戦闘も強化した兵装としました。

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(直上の写真:「松級」の主砲:八九式40口径12.7cm高角砲。艦首部には単装、艦尾部に連装砲が、それぞれ砲架形式で搭載されました(前部は防楯付き)。更に下段の写真では、強化された対潜兵装も。投射基2基と投射軌条2条。爆雷の搭載数は最終的には60個まで増強されました)

 

一方で雷装は軽めとして4連装魚雷発射管1基を搭載し予備魚雷は搭載していません。搭載艇にも配慮が払われ、「小発」(上陸用舟艇)も2隻搭載可能とされ、輸送任務への対応力も高められました。

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(直上の写真:「松級」の搭載艇について。旧モデル(下段)では後方の搭載艇が「小発」に見えなくもないのですが、上段の新モデルでは・・・)

 

トピック:爆雷の搭載数

「松級」の爆雷搭載数は当初36発であったものを「不足」として60発まで搭載数が増やされています。大戦後期に登場した船団護衛専任艦種の「海防艦」の爆雷搭載数が120発でしたので、それでも十分と言えたかどうか。

それでも駆逐艦の中では「松級」は最も搭載数が多く、艦隊駆逐艦の完成形と言われた「朝潮級」「陽炎級」では36発でした。これが艦隊直衛を専任とする「秋月級」で54発と大幅に強化され、更に「松級」では充実する事になります。

この爆雷を2基の投射機(左右に飛ばす装置)と艦尾の2条の軌条(ゴロゴロと艦尾から水中に落とす装置)から、水中に投下する仕掛けでした。

 

「松級」に話に戻しますと、機関の選択には量産性が重視され、更に生存性を高めるためにシフト配置が初めて選択されました。一方で速力は28ノットと抑えられました。

建造工数の簡素化については1番艦の「松」が9ヶ月でしたが、最終的には5ヶ月まで退縮されています(参考:夕雲級1番艦「夕雲」は起工から就役まで18ヶ月。同級最終艦「清霜」は起工から就役まで10ヶ月)。また同艦級は、艦隊決戦的な視点に立てば確かに速力など見劣りのする性能と言えるでしょうが、その適応任務は輸送、護衛、支援と、場面を選ばず、ある種「万能」と言えなくもないと考えています。

32隻が建造され、18隻が終戦時に稼働状態で残存しています。

 

という事で、大戦期の日本海軍の駆逐艦について見てきたわけですが、なんと言っても対空戦闘も対潜戦闘も不得意な艦隊駆逐艦を、輸送任務や護衛任務に投入し続けるしか他に方策を持たなかった、という海軍の現状を改めて振り返ることができた、と思っています。

大戦後期に「秋月級」や「松級」が投入され、あるいは護衛戦専任の海防艦が稼働するわけですが、それまで、満足な対空砲すら持たずに、あるいは十分な数の爆雷すら搭載せずに船団や艦隊の周辺に対空対潜警戒陣をめぐらし戦わねばならなかった駆逐艦乗りたちの苦労を思い、その喪失艦の多さを重ね合わせると、なんという戦いだったのだろう、と思わざるを得ません。

 

 

日本海軍巡洋艦開発小史

(その1) 防護巡洋艦の系

さて、今回は艦船模型サイトらしく(胸を張って、いうんじゃない!・・・おっしゃる通りです)、日本海軍の巡洋艦開発(装甲巡洋艦巡洋戦艦は主力艦として既に紹介済みなので、それ以外)を辿るシリーズの第一回です。少し細切れに、6回程度のシリーズにする予定ですが、今回は、これまでにすでに紹介した内容の再録もあるので、日本海軍成立からの防護巡洋艦を一気にご紹介。

 

日本帝国海軍の防護巡洋艦

本稿ではこれまで何度も触れてきたので、「またか」の感はあるかとは思いますが、防護巡洋艦は基本、舷側装甲を持たず、機関部を覆う防護甲板により艦の重要部分を防御し、舷側の防御は石炭庫の配置に委ねるという設計構想を持った艦種で、艦の重量を軽減し高速と長い航続距離を両立させることができました。

一般に巡洋艦の主たる使命を、仮想敵の通商路破壊と自国通報路の防御においた欧州各国にとっては非常に有用な艦種と言え、一世を風靡しました。

その時期は明治初年の日本海軍の黎明期と重なり、早急な海軍整備のためには欧州先進国からの軍艦購入に頼らざるを得ない日本にとっては、乏しい国家財政も勘案して比較的調達の容易な(程度の問題ではありましたが)艦種として、多くが購入されたことは、本稿でも紹介してきたところです。

まさに日清戦争時における、日本海軍の主力艦群であったと言えるでしょう。

 

日本海軍初期の防護巡洋艦

日清戦争期までの防護巡洋艦(浪速級から吉野級)については、本稿の第3回、第4回で、ご紹介しています。以下、再録(抄録)しておきます。

fw688i.hatenablog.com

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トーゴー」さんと一緒に有名になっちゃった。日本海軍、最初の巡洋艦

浪速級防護巡洋艦 -Naniwa class :protected cruiser-(浪速:1886-1912 /高千穂:1886-1914)

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Naniwa-class cruiser - Wikipedia

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日本海軍は明治16年度の艦艇拡張計画で3隻の防護巡洋艦の建造を決定。

そのうち、イギリスに発注された2隻が、浪速級防護巡洋艦であり、「浪速」「高千穂」と命名されました。

設計にあたっては、当時、世界の注目を浴びた優秀艦「エスメラルダ」(後述)をタイプシップとして、防御甲板の増強による防御力の向上、主砲口径の拡大など、若干の改良が盛り込まれました。いわゆるエルジック・クルーザーの系譜に属する、日本海軍最初の防護巡洋艦です。

船体はタイプシップである「エスメラルダ」より少し大型化し3,700トンとなり、26センチ主砲2門、15センチ砲6門を主要兵装として備え、速力は18ノットを発揮することが出来ました。(77mm in 1:1250 Hai)

日清開戦時の「浪速」の艦長が東郷平八郎であり、彼と「浪速」は、開戦劈頭の「高陞号事件」で名を挙げました。

日清戦争後、兵装を15.2センチ速射砲に換装し、日露戦争に望みました。日露戦争では第二艦隊に所属、主力の装甲巡洋艦を補佐しました。

「高千穂」は、第一次世界大戦で、ドイツ太平洋艦隊の根拠地青島要塞の攻略戦に封鎖艦隊の一員として参加しました。その際、ドイツの水雷艇S-90の雷撃を受け、補給用に搭載していた魚雷が誘爆、轟沈しました。日本海軍における、敵艦との交戦で失われた最初の艦となってしまいました。

 

待てど暮らせど・・・。どこに行っちゃったんだろう?

幻の防護巡洋艦「畝傍」-Unebi :protected cruiser-

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Japanese cruiser Unebi - Wikipedia

f:id:fw688i:20181013214613j:plain明治16年度の艦艇拡張計画で3隻の防護巡洋艦を英仏2両国に発注しましたが、このうちフランスに発注された1隻が「畝傍」でした。

3,600トンの船体に、舷側4箇所の張り出し砲座に設置された24センチ砲、15センチ砲7門などを搭載し、18.5 ノットの速力を発揮しました。(::mm in 1:1250 Hai)

同時期に発注された当時の最新式の防護巡洋艦であるにも関わらず、「浪速」級とは異なり、直上の写真のように、流麗でやや古めかしい三檣バーク形式の船でした。フランスから日本への回航途上で行方不明となったことはつとに有名です。

浪速級と比較すると、やや低めの乾舷と、舷側の4箇所の砲座に搭載された24センチの主砲が、ややバランスの悪さを感じさせます。フランス艦には時に復元性能に問題がある場合があり、回航途上に暴風雨などに遭遇しその弱点が瞬時の転覆をもたらしたのかもしれません。

しかしその流麗な艦容で高速を発揮し敵に肉薄する姿など、見てみたかったと思いませんか?

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(直上の写真は、「浪速級」と「畝傍」の関係の比較。同年代なのに、基本設計が異なるのでしょうね。後述の「松島級」のそうですが、フランスの設計は、好きだなあ)

 

舷側装甲帯を持った防護巡洋艦?そんなのあり?

千代田 -Chiyoda :protected cruiser-  (1891-1927) 

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Japanese cruiser Chiyoda - Wikipediaf:id:fw688i:20180915210056p:plain

「千代田」は、前出のフランスから日本への回航途上で消息を絶った巡洋艦「畝傍」の保険金により調達されたといういわく付きの巡洋艦です。イギリスで建造され、舷側水線部に貼られた装甲帯を持つところから「日本海軍初の装甲巡洋艦」ともいわれることもありますが、2,500トン、主砲は持たず12センチ速射砲を舷側に10門装備した、正確には装甲帯巡洋艦、一般的には防護巡洋艦に分類されるでしょう。(75mm in 1:1250 WTJ)

19ノットの速力を持ち、当時としては快速でありながら、重厚な連合艦隊主隊に組み込まれたため(おそらく、その装甲帯のため?)、その快速を発揮する機会は、黄海海戦においてはありませんでした。

 

倒せ定遠鎮遠!すごいの作っちゃったよ。

三景艦:松島級防護巡洋艦 -Matsushima class :protected cruiser- 

(厳島:1891-1925/ 松島:1892-1908/ 橋立:1894-1925  

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Matsushima-class cruiser - Wikipedia

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(直上の写真は、「松島」。「松島」は主砲を後ろ向きに搭載している。フェアリー企画製レジンキット

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(「厳島」と「橋立」は同型艦。主砲を前向きに搭載している。Hai製。ベルタンの設計では、主砲を後ろ向きに搭載した「松島型」2隻と、前向きに主砲を搭載した「厳島」「橋立」の4隻で、一セットの戦隊として戦場に投入される予定だったと言われています)

この3隻が、フランスの天才造船家エミール・ベルタンの設計であることはつとに知られています。清国の当時アジア最強を謳われた定遠級戦艦(砲塔装甲艦)「定遠」、「鎮遠」に対抗する艦として設計されました。

これらの艦の最大の特徴は、4,000トン強の小さな船体に巨大な38口径32センチ砲を主砲として一門搭載していることで、主砲自体の性能は、射程、口径、弾丸重量ともに、「定遠級」の主砲(20口径30センチ砲)を凌駕していました。「厳島」と「橋立」はこの主砲を前向きの露砲塔に搭載し、「松島」は後ろ向きに搭載しています。「アジア最強の戦艦を上回る強力艦を手に入れた」と国民の少年のような高ぶりが伝わってくるような気がします。

早速、連合艦隊も「松島」をその旗艦に据えました。(75mm in 1:1250 Hai)

 

 **本稿でのラーニング:筆者は以前から、この「松島級」の特に「松島」に装備された後むきの主砲はどの様に使用される目的があったのだろうかと、疑問を持っていました。この疑問に対し、ご投稿(「通りすがり」さん)をお寄せいただき、「設計者ベルタンのオリジナルの設計はもう少し大きな艦型になるはずだった。日本海軍は予算の関係で船体を小さなものにせざるを得なかった」(これは筆者も聞いたことがありました)、そして「その設計では、もう少しまともに舷側方向に射撃ができたはず」(なるほど!)、さらに「何れにせよ使いにくい巨砲ではあったので、中口径砲の乱射で敵艦の行動の自由をある程度奪ったのちに、必中のタイミングでトドメを刺すような使い方を想定したのではないか。標的と想定された「定遠」級装甲砲塔艦の装甲を撃ち抜くには、この巨砲しかなかったのだから」という趣旨の解釈を伺うことができました。眼から鱗、とはこのことです。ありがとうございました。

 

初の国産巡洋艦。結構良いんじゃない?

秋津洲 Akitsushima :protected cruiser- (1894-1927)

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Japanese cruiser Akitsushima - Wikipediaf:id:fw688i:20180917142146j:image

 「秋津洲」は、巡洋艦のような大型艦としては、設計から建造まで初めて日本国内で行われた、記念すべき軍艦です。

3,150トン、19ノットの快速を発揮し、15.2センチ速射砲4門と12センチ速射砲6門を装備した、国産のいわゆるエルジック・クルーザーです。設計当初から巨砲を主砲とせず、当初から速射砲を装備しています。他の防護巡洋艦の多くが、就役時に装備した主砲を、その後速射砲に換装していること考えると、まさに慧眼と言えるでしょう。あるいは、巨砲を調達できなかった、案外、実情はそういうことかも知れませんが。経緯はさておき、本艦以降、日本海軍の防護巡洋艦は、速射砲中心でその兵装を整えて行くことになります。(80mm in 1:1250 WTJ)

 

元祖エルジック・クルーザーを手に入れた!

防護巡洋艦「和泉」、元は「エスメラルダ」-Esmeralda :protected cruiser: Izumi - (1884-1912: 1894、日本海軍に売却、以降、巡洋艦「和泉」)

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Japanese cruiser Izumi - Wikipediaf:id:fw688i:20180917122434j:image

 「エスメラルダ」は、当初、チリ海軍によってイギリス・アームストロング社に発注された、防護巡洋艦です。(68mm in 1;:1250 Navis)

建造時には、3000トン弱の船体に、主要兵装として25.4センチ単装砲2門を主砲、他に15センチ砲6門を装備し、18ノットの速力を出すことが出来ました。

日清戦争中の1895年に日本に売却され、艦名を「和泉」としました。日本海軍に移籍後、主砲を15センチ速射砲に、その他を12センチ速射砲に換装するなどして、日露戦争では、第三艦隊の序列に加わり戦いました。

本艦がアームストロング社エルジック造船所で建造されたところから、以降、同様の設計で建造された防護巡洋艦は、造船所の場所に関わらずエルジック・クルーザーと呼ばれるようになりました。いわゆる元祖エルジック・クルーザーという「記念的」な巡洋艦と言えるでしょう。日本海軍の防護巡洋艦は、フランスで生まれた「松島級」、舷側装甲を持った「千代田」を除いて、すべてこの形式です。

 

世界最速の・・・

吉野級防護巡洋艦 -Yoshino class :protected cruiser - (吉野:1893-1905/高砂:1898-1904)

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明治24年度計画で、イギリス・アームストロング社に発注されました。建造は同社エルジック造船所で行われ、まさに本家のエルジック・クルーザーです。

その特徴は何をおいても23ノットという高速にあり、就役当時は世界最速巡洋艦、と言われました。4,200トンの船体に、「秋津洲」同様に兵装は全て速射砲で揃えていました(15.2センチ速射砲4門・12センチ速射砲8門)。 (95mm in 1:1250 WTJ)

黄海海戦にあたっては、第一遊撃隊の旗艦として、坪井少将が座乗しました。

同型艦高砂日清戦争後に発注され、主砲口径を20.3センチにするなど、いくつかの改良点が見られます。

その後、「吉野」は日露戦争には、第3戦隊の一隻として参加しましたが、いわゆる日本海軍「魔の1904年5月15日」、封鎖中の旅順沖を哨戒中に濃霧に遭遇、同行の装甲巡洋艦「春日」と衝突して沈没しました。同日、機雷で戦艦「初瀬」「八島」を喪失し、日本海軍にとって5月15日は、まさに災厄の1日となりました。

同型艦高砂」も、同年12月13日にやはり旅順閉鎖作戦中に触雷して失われました。

 

日清戦争以降の防護巡洋艦

 

これで国産定着?

須磨級防護巡洋艦 -Suma class :protected cruiser-(須磨:1896-1923 /明石:1899-1928) 

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Category:Suma-class cruisers - Wikipedia

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「須磨」級防護巡洋艦は、前出の初の国産巡洋艦秋津洲」を小型化し改良したものです。

2,657トンの「秋津洲」よりも二回りほど小さな船体に、「秋津洲」と同様の兵装、15.2センチ速射砲4門と12センチ速射砲6門を装備し、同級より若干優速の20ノットを発揮します。(78mm in 1:1250 WTJ)

日清戦争には間に合いませんでしたが、日露戦争では建造年次の新しい防護巡洋艦として高速をいかした前哨索敵等の任務でほぼ全ての主要な海戦に参加し活躍しました。

さらに第一次世界大戦では、青島要塞攻略戦やインド洋でのANZAC護衛任務等に参加した後、「明石」は第二特務艦隊旗艦として地中海での対Uボート作戦に派遣されています。

 

(直下の写真は、前回ご紹介したWTJ製の3D printing model。防護巡洋艦「笠置」級(奥)と「須磨」級(手前)。今回ご紹介する「須磨級」「笠置級」両防護巡洋艦は、これを仕上げたものです)

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「吉野」をもう2隻!

笠置級防護巡洋艦 -Kasagi class :protected cruiser-(笠置:1898-1916 /千歳:1899-1928)

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Kasagi-class cruiser - Wikipedia

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(直上の写真は、「吉野級」と「笠置級」。「笠置級」は「吉野級」をタイプシップとしたため、類似点が多い)

「笠置級」防護巡洋艦は、「吉野級」の2番艦「高砂」をタイプシップとして、アメリカで建造されました。日本海軍としては、海外に発注された最後の防護巡洋艦となりました。

武装タイプシップである「高砂」に準じて、20.3センチ速射砲2門、12センチ速射砲10門を主兵装としています。速力は22.5ノットを発揮しました。(95mm in 1:1250 WTJ)

日露戦争では、海軍主力艦隊の第一艦隊に所属し、戦艦戦隊を補佐しほぼ全ての主要海戦に参加しました。

 

偵察専任!無理のない設計で、しかも国産。

新高級防護巡洋艦 -Niitaka class :protected cruiser-(新高:1904-1922 /対馬:1904-1939)

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Niitaka-class cruiser - Wikipedia

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 「新高級」防護巡洋艦は、日本海軍としては初めて設計当初から偵察任務を想定して建造された国産巡洋艦です。そのため前級にくらべやや小型の艦型となりました(3,366トン)。雷装を廃止し、兵装も15.2セント速射砲6門、速力も20ノットととやや抑えたものとなっています。(81mm in 1:1250 Navis)

この様に一見したスペックでは華々しさには欠ける同級ですが、一点、堅牢性、実用性は大変高く評価された様です。(日本海軍は、ともすると「一点豪華」へのこだわりが強く見られ、ともすればその「豪華」装備へのこだわりで、設計に齟齬をきたす様なことが時折みうけられたりするのですが、本級における成功は、米軍におけるシャーマン戦車やドイツ軍の4号戦車などの様な成功例と何処かに通ずるところがある様な気がします)

第一次世界大戦では、インド洋でのシーレーン防御任務に活躍し、南アフリカケープタウンあたりまで遠征しています。

 

予算がちょっと足りないから、少し小ぶりに作ってみました

音羽 Otowa :protected cruiser- (1904-1917)

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Japanese cruiser Otowa - Wikipedia

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前出の「新高級」同様に 偵察任務を想定し1隻のみ建造されました。予算の関係で、「新高級」をさらに小型化した設計となり、3,000トンの船体で21ノットを発揮しました。

兵装は前級同様、雷装は持たず、15.2センチ速射砲2門、12センチ速射砲6門と、艦型の小型化に準じさらに抑えたものになっています。

偵察巡洋艦の本領を発揮して、日露戦争に続き、第一世界大戦でも主として警備活動に活躍しました。

(本艦の1:1250スケールの艦船模型は、未入手です。Hai社から製品化されてはいる様なのですが。写真はLaWaRuというモデルショップのものを拝借。いずれはセミクラッチにトライしてみようかな。何処かに資料があったかな?)

 

やっぱり「吉野」は良かったよね。国産でも作ってみよう。

利根 Tone :protected cruiser- (1910-1931)

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Japanese cruiser Tone (1907) - Wikipedia

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前出の「吉野級」防護巡洋艦タイプシップとして、日露戦争直後の臨時軍事費で1隻のみ建造されました。タイプシップを 「吉野級」にしたところからも、艦隊型巡洋艦として設計され、前級「新高級」「音羽」では廃止されていた雷装を装備し、兵装も「吉野」に準じて15.2センチ速射砲2門、12センチ速射砲10門としています。(99mm in 1:1250 Navis)

本艦の最大の特徴は、これまで戦果実績が見られず、一方では両艦同士の衝突などによる喪失事故が見られた艦首の衝角を廃止し、クリッパー型の艦首を持ったところにあります。

4,113トンの船体にレシプロ蒸気機関を搭載し23ノットの速力を発揮しました。本艦は日本海軍の巡洋艦として、レシプロ機関を主機とした最後の巡洋艦となりました。

 

次の次元に行ってみよう。防護巡洋艦から軽巡洋艦への過渡期。

筑摩級防護巡洋艦 -Chikuma class :protected cruiser-(筑摩:1912-1931 /矢作:1912-1940 /平戸:1912-1940)

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Chikuma-class cruiser - Wikipedia

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本級は明治40年度計画で3隻の建造が 承認されました。一番艦「筑摩」は佐世保海軍工廠で建造されましたが、「矢作」は三菱長崎造船所、「平戸」は川崎造船所、といずれも初めて民間造船所で建造された巡洋艦となりました。

前級「利根」同様に艦首衝角を廃止しクリッパー型艦首を持ち、艦型は一気に5,000トンと大型化しています。主機には初めて蒸気タービンが採用され、26ノットの高速を発揮します。

3基の魚雷発射管と、15.2センチ速射砲8門を主要な兵装として装備しています。(177mm in 1:1250 Navis)

本級は防護巡洋艦から後の軽巡洋艦(軽装甲巡洋艦)への過渡的な存在と言え、防護巡洋艦本来の舷側防御である石炭庫の配置に加え、舷側の一部に87mmの舷側装甲を有していました。

第一次世界大戦では、ニューギニアドイツ領の攻略戦や、ドイツ太平洋艦隊(シュペー提督指揮)の通商破壊戦への警備活動、のちにはインド通商路の警備活動などに活躍しました。

 

(その2) 軽巡洋艦の誕生

防護巡洋艦から軽巡洋艦

タイトルの流れを少し乱暴に整理すると、巡洋艦に対する機動性・高速化への要求から、その主機にタービンが採用され、その燃料も効率の良い重油へのシフトが加速化されました。

本稿ではこれまで何度も触れてきたので、「またか」の感はあるかとは思いますが、防護巡洋艦とは、基本、舷側装甲を持たず、機関部を覆う艦内に貼られた防護甲板と舷側の石炭庫により艦の重要部分を防御する構想を持った設計で、艦の重量を軽減し、限られた出力の機関から高速と長い航続距離を得ることを両立させることを狙った艦種で、一般に巡洋艦の主たる使命を、仮想敵の通商路破壊と自国通報路の防御においた欧州各国にとっては非常に有用な艦種と言え、一世を風靡しました。

しかしこの燃料の重油化への流れの中では、これまでの防護巡洋艦の防御設計の根幹を成してきた石炭庫による舷側防御に代わるものとして、一定の舷側装甲が必要となるわけです。その上で、速力への要求との兼ね合いもあり「軽い舷側装甲を持った巡洋艦」という艦種が発想されます。これが、軽装甲巡洋艦軽巡洋艦です。

 

日本海軍について、この流れにもう少し付け加えると、機動性に対する要求の背後には、魚雷の性能の飛躍的な向上と、駆逐艦の発達も合わせて考える必要がありそうです。

 

魚雷性能の向上

下表は日露戦争期から太平洋戦争の終結までの日本海軍の水上艦艇用の魚雷形式の一覧です。これらの他にも潜水艦用、あるいは航空機用の航空魚雷があるわけです。 

西暦 和暦 形式名称 直径(cm) 炸薬量(kg) 雷速(低)kt 射程(m) 雷速(高)kt 射程(m) 装気形式
1899 明治32 32式 36 50 15 2,500 24 800 空気
1904 37 日露戦争              
1905 38 38式2号 45 95 23 4,000 40 1,000 空気
1910 43 43式 45 95     26 5,000 空気
1911 44 44式 45 110     36 4,000 空気
    44式 53 160 27 10,000 35 7,000 空気
1914 大正3 第一次世界大戦            
1917 6 6年式 53 203 27 15,500 36 8,500 空気
1921 10 8年式2号 61 346 28 20,000 38 10,000 空気
1931 昭和6 89式 53 300 35 11,000 45 5,000 空気
1933 8 90式 61 373 35 15,000 46 7,000 空気
1935 10 93式1型 61 492 40 32,000 48 22,000 酸素
1939 14 第二次世界大戦            
1941 16 太平洋戦争              
1944 19 93式3型 61 780 36 20,000 48 15,000 酸素

表の見方を説明しておくと(必要ないかも知れませんが)、例えば6年式(大正6年制式採用)の場合、魚雷の直径は53cm、弾頭の炸薬量が203kg、低速設定の27ノットで射程が15,500m、高速設定の36ノットで射程が射程が8,500mということになります。

これが、93式1型(皇紀2593年制式採用)のいわゆる酸素魚雷の場合、魚雷の直径は61cm、弾頭の炸薬量が492kg、低速設定の40ノットで射程が32,000m、高速設定の48ノットで射程が射程が22,000mとなり、性能の高さが際立っていることがわかります。

それ以前にも6年式あたりから、つまり53センチ口径の魚雷の登場から、炸薬量、魚雷の速度(雷速)、射程が顕著に向上し、魚雷の兵器としての実用性が格段に高まったことが想像できます。(上表以前の日清戦争期の日本海軍の魚雷は、炸薬量が約20kg程度、射程が最大で 1000m程。有効射程は300mと言われていました。それが日露戦争期にようやく1000mでも何とか使えるかも、という状況だったわけです)

 

艦隊駆逐艦の発達 

一方、下表は日露戦争期から昭和初期にかけての日本海軍が建造した艦隊型駆逐艦(一等駆逐艦)の艦級の一覧です。

Class 竣工年次 同型艦 基準排水量(t) 速度(kt) 主砲口径(cm) 装備数 魚雷口径(cm) 装備数2 備考
雷級 1899 6 345 31 8 1 45 Tx2 英国製
東雲級 1899 6 322 30 8 1 45 Tx2 英国製
暁級 1901 2 363 31 8 1 45 Tx2 英国製
白雲級 1902 2 322 31 8 1 45 Tx2 英国製
春風級 1903 7 375 29 8 2 45 Tx2  
  1904 日露戦争            
神風級(I) 1905 25 381 29 8 2 45 Tx2  
海風級 1911 2 1,030 33 12 2 45 Tx3/TTx2  
浦風 1913 1 810 30 12 1 53 TTx2 英国製
  1915 第一次世界大戦            
磯風級 1915 4 1,105 34 12 4 45 TTx3  
江風級 1918 2 1,180 34 12 3 53 TTx3  
峯風級 1920 12 1,215 39 12 4 53 TTx3  
野風級 1922 3 1,215 39 12 4 53 TTx3  
神風級(II) 1922 9 1,270 37.3 12 4 53 TTx3  
睦月級 1926 12 1,315 37.3 12 4 61 TTTx2  

大雑把に分類すると、日本海軍初の駆逐艦である「雷級」から初代の「神風級」までの6クラスが日露戦争を想定し急速に整備された「日露戦争型」の駆逐艦、続く「海風級」から「江風級」が日本海軍独自の艦隊駆逐艦の模索期、その後の「峯風級」以降が第一次の決定版艦隊駆逐艦、と言えるのではないでしょうか?(この他にも、駆逐艦としては、模索期以降、中型(1000t以下)の二等駆逐艦の艦級も存在します。第一次世界大戦で、地中海に派遣された「樺級」「桃級」などがこれに該当します。艦隊型駆逐艦としては、実はこの表の後、つまり「睦月級」の後には、いわゆる「特型駆逐艦」以降の艦級が控えています。「太平洋戦争型」の駆逐艦日本海軍の駆逐艦の黄金期であり、その頂点かつ終焉のシリーズ、ということになり、上表の「酸素魚雷」との組み合わせで、スペック的にはとんでもないことになるのですが、それらはもしかすると別の機会に)

 

えっ!模型出せよって!

しょうがないなあ。出します、出します。

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(直上の写真は、日本海軍の駆逐艦の各級を一覧したもの。手前から、日露戦争期の代表格で「東雲級」と「白雲級」、模索期から「海風級(竣工時の単装魚雷発射管、その後の連装魚雷発射管への換装後の2タイプ)」、「磯風級」、そして第一次決定版艦隊駆逐艦として「峯風級」、「睦月級」。(「神風級(II)」は現在、日本に向け回航中です。いずれは・・・)

日露戦争期の駆逐艦

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(直上の写真:東雲級駆逐艦:50mm in 1:1250 by Navis 2本煙突が特徴)

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(直上の写真:白雲駆逐艦:51mm in 1:1250 by Navis 日露戦役時の駆逐艦の標準的な形状をしています)

 

模索期の艦隊駆逐艦

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(直上の写真:海風級駆逐艦、竣工直後の姿。単装魚雷発射管を装備:78mm in 1:1250 by WTJ)

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(直上の写真:海風級駆逐艦、連装魚雷発射管への換装後の姿)

 

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(直上の写真:磯風級駆逐艦:78mm in 1:1250 by WTJ。軽巡洋艦天龍級」はこの磯風級駆逐艦の形状を拡大した、と言われています。連装魚雷発射管を3基装備し、雷撃兵装を重視した設計です)

 

「峯風級」駆逐艦「野風級:後期峯風級」駆逐艦

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峯風級」は、それまで主として英海軍の駆逐艦をモデルに設計の模索を続けてきた日本海軍が試行錯誤の末に到達した日本オリジナルのデザインを持った駆逐艦と言っていいでしょう。12cm主砲を単装砲架で4基搭載し、連装魚雷発射管を3基6射線搭載する、という兵装の基本形を作り上げました。1215トン。39ノット。同型艦15隻:下記の「野風級:後期峯風級3隻を含む)

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(直上の写真:「峯風級」駆逐艦の概観 82mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces) 

 

「野風級:後期峯風級」は「峯風級」の諸元をそのままに、魚雷発射管と主砲の配置を改め、主砲や魚雷発射管の統一指揮・給弾の効率を改善したもので、3隻が建造されました。

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(直上の写真:「野風級:後期峯風級」駆逐艦の概観 82mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces)

 

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(直上の写真は、「峯風級」(上段)と「野風級:後期峯風級」(下段)の主砲配置の比較。主砲の給弾、主砲・魚雷発射の統一指揮の視点から、「野風級」の配置が以後の日本海駆逐艦の基本配置となりました)  

 

「神風級」駆逐艦 

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「神風級」は、上記の「野風級:後期峯風級」の武装レイアウトを継承し、これに若干の復原性・安定性の改善をめざし、艦幅を若干拡大(7インチ)した「峯風級」の改良版です。9隻が建造されました。1270トン。37.25ノット。

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(直上の写真:「神風級」駆逐艦の概観 82mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces)

 

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(直上の写真:「峯風級」(上段)と「神風級」の艦橋形状の(ちょっと無理やり)比較。「神風級」では、それまで必要に応じて周囲にキャンバスをはる開放形式だった露天艦橋を、周囲に鋼板を固定したブルワーク形式に改めました。天蓋は「睦月級」まで、必要に応じてキャンバスを展張する形式を踏襲しました)

 

***今回ご紹介したモデルは、あまりこれまでご紹介してこなかったThe Last Square製のホワイトメタルモデルです。同社は、1:1250 Costal Forcesというタイトルのシリーズで、タイトル通り第二次世界大戦当時の主要国海軍(日・米・英・独・伊)の沿岸輸送、或いは通商路護衛の艦船、駆逐艦護衛駆逐艦駆潜艇魚雷艇などの小艦艇のモデルや護衛される側の商船などを主要なラインナップとして揃えています。

http://www.lastsquare.com/zen-cart/index.php?main_page=index&cPath=103_146

:直下の写真は同社の米海軍護衛空母「ボーグ」の未塗装モデル:これから色を塗ろうっと。このモデルは、エレベーターが別パーツになっていたり、結構面白いのですが、少し小ぶりに仕上がり過ぎているかもしれません。

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そして「睦月級」駆逐艦

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 「睦月級」駆逐艦は「峯風級」から始まった日本海軍独自のデザインによる一連の艦隊駆逐艦の集大成と言えるでしょう。

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(直上の写真:「睦月級」駆逐艦の概観 83mm in 1:1250 by Neptune) 

艦首形状を凌波性に優れるダブル・カーブドバウに改め、砲兵装の配置は「後期峯風級」「神風級」を踏襲し、魚雷発射管を初めて61cmとして、これを3連装2基搭載しています。太平洋戦争では、本級は既に旧式化していましたが、強力な雷装と優れた航洋性から、広く太平洋の前線に投入され、全ての艦が、1944年までに失われました。1315トン。37..25ノット。同型艦12隻。

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(直上の写真:「睦月級」(下段)と「神風級」(上段)の艦首形状の比較。「睦月級」では、凌波性の高いダブル・カーブドバウに艦首形状が改められました)

 

艦隊決戦構想と軽巡洋艦

軽巡洋艦の紹介の前に、魚雷だの駆逐艦だの、何を長々書いているんだ、という声が聞こえてきそうですが、もう少しお付き合いを。

これも、これまでに何度も本稿では繰り返し記述してきたことなので、「しつこい」と言われそうですが、日本海軍は、その成立の過程の特異性として、常に「艦隊決戦」というものを目的に設計されてきています。

日露戦争での「勝利」(まあ、戦争全体を見れば、「?」がつくかもしれませんが、海軍の戦歴、戦果から戦術的に見ればそう言ってもいいでしょう)によって、それはさらに確信的なものになったと思われます。

巡洋艦の設計においてもこの傾向は色濃く見られ、他国の海軍においては、巡洋艦は偵察や通商路の破壊、防御を主任務と想定されるため、長期間の作戦行動や航洋性などに重点が置かれるのに対し、日本海軍では常にその戦闘力に設計の重点があり、他を圧倒する火力や速度などを追い求める傾向が顕著で、「一点豪華」な設計ではありながら、ともすれば運用にやや無理が生じることがありました。偵察任務等を目的に建造された艦級は本稿前々回、「防護巡洋艦」の回にご紹介した「新高級」「音羽」くらいで、逆にこれらの艦は設計に無理がなく運用面では大変高評価だったということです。

 

さて、「艦隊決戦」を目的に設計された日本海軍なのですが、日露戦争の次の仮想敵は、太平洋を挟んで向き合うアメリカ、ということになります。国力、工業力の差は如何ともし難く、日本海軍の決戦構想は、受け身になります(対ロシアの時もそうだった、それでうまくいった、という前例主義的な思いも幾分かあったでしょうね)

つまり渡洋してくるアメリカ艦隊を迎え撃つ、ということになる訳ですが、主力艦の物量の差を米艦隊の渡洋の途上で少しでも縮めておこうという、いわゆる「漸減戦術」がその作戦構想の根幹に常に持たれることになります。

補助戦力で、渡洋してくる米艦隊の戦力をできるだけ削り、主力決戦に持ち込もう、という訳です。

この構想の具体化の第一弾が、実用化された魚雷と、それを搭載し有力な戦力となった駆逐艦を組み合せた「水雷戦隊」で、軽巡洋艦はその司令塔としての役割(旗艦)を担うことになってゆきます。(ああ、やっと繋がった)

 

日本海軍 最初の軽巡洋艦! 駆逐艦の頼れる兄貴

天龍級軽巡洋艦 -Tenryu class light cruiser-(天龍:1919-1942 /龍田:1919-1944 ) 

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Tenryū-class cruiser - Wikipedia

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(直上の写真:天龍級軽巡洋艦:116mm in 1:1250 by Navis)

 

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(直上の写真: 第18戦隊の天龍級軽巡洋艦2隻:天龍と龍田)

 

初めてギヤードタービンを搭載し、前級の筑波級防護巡洋艦の倍以上の出力から、33ノットの高速を発揮することができました。艦型は前年に就役した「江風級」駆逐艦を拡大したもので、当初から駆逐艦戦隊(水雷戦隊)を指揮することを目的とした嚮導駆逐艦的な性格の強い設計でした。

主砲には14センチ単装砲を中央線上に4門装備し、両舷に4射線を確保しました。日本海軍の巡洋艦としては初めて53センチ3連装魚雷発射管を搭載しました。この発射管は当初は発射時に射出方向へ若干移動して射出する方式採っていましたが、運用面で機構状の不都合が生じ、装備位置を高め固定して両舷に射出する方式に改められました。

舷側装甲は、アメリ駆逐艦の標準兵装である4インチ砲に対する防御を想定したものでした。

 

本級は、当初計画では、水雷戦隊旗艦とさらに主力部隊の直衛としても使用する予定で、8隻の建造が計画されていましたが、同時期のアメリカ海軍の「オマハ級」軽巡洋艦が、本級よりもはるかに強力なスペックを持っていること、および本級の就役直後に就役を開始したため「江風級」の次の「峯風級」駆逐艦が39ノットの高速力を有しており、その戦隊の旗艦としては、物足りないこと等から、2隻で毛像を打ち切り、次級「球磨級軽巡洋艦の建造に計画を移行させました。

太平洋戦争では、既に旧式艦となりながらも、開戦当初2隻で第18戦隊を構成し、南方作戦で活躍しました。

 

両艦は南方の攻略戦を転戦後、ラバウルに新設された第8艦隊に編入され、ソロモン方面で活躍しました。

「天龍」はその最中、1942年12月18日、ニューギニア方面への輸送作戦中に米潜水艦の雷撃で撃沈され、「龍田」はその後、水雷戦隊旗艦等の任務を経て、輸送船団護衛任務中、1944年3月13日に八丈島沖で、こちらも米潜水艦の雷撃により失われました。

 

本格的水雷戦隊旗艦から重雷装型まで。魚雷を使いこなせ! 

球磨級軽巡洋艦 -Kuma class light cruiser-(球磨:1920-1944 /多摩:1921-1944/北上:1921-1945/大井:1921-1944/木曽:1921-1944 ) 

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Kuma-class cruiser - Wikipedia

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(直上の写真:球磨級駆逐艦:119mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs:3D printing modell :写真の姿は太平洋戦争当時の「球磨」。航空機による索敵能力を得るために、後の改装で5番砲塔と6番砲塔の間に、水上偵察機射出用の射出機(カタパルト)を搭載しています)

 

本級は「天龍級」の艦型を5500トンに拡大し、併せて主砲を「天龍級」の14センチ単装砲4門から7門に増強しています。雷装としては、53センチ連装魚雷発射管を各舷に2基、都合4基搭載し、両舷に対し4射線を確保する設計となっています。

速力は、同時期の「峯風級」駆逐艦(39ノット)を率いる高速水雷戦隊の旗艦として、機関を強化し36ノットを有する設計となっています。

主力艦隊の前衛で水雷戦隊を直卒する任務をこなすため、高い索敵能力が必要とされ、その具体的な手段として航空艤装にも設計段階から配慮が払われた最初の艦級となり、水上偵察機を分解して搭載していました。しかしこの方式は運用上有効性が低く、「球磨」と「多摩d」では、後日、改装時に後橋の前に射出機(カタパルト)を装備し水上機による索敵能力を向上させることになります。

一方、同級の最終艦「木曽」では、水上偵察機ではなく陸用機を搭載し艦橋下に格納、艦橋前の滑走台から発艦させる、という構想を実現しました。このため「木曽」は同型艦でありながら、異なる外観の艦橋を有しています。(「木曽」は最後まで射出機を装備しませんでした)

(直下の写真は、異なる形状の艦橋を持つ「木曽」 by Tiny Thingamajigs) 

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(直上の写真:「球磨」と「木曽」の艦橋形状の比較。「木曽」は艦橋下に搭載機の格納庫を設け、偵察機の発進時にはその前部にある1・2番主砲等の上に滑走台を展開した)

 

重雷装艦への改装

1941年に、旧式化した(「球磨級」は53センチ魚雷搭載艦であり、当時の61センチ酸素魚雷を標準装備とする水雷戦隊の旗艦任務は難しくなっていました)同級の3番艦以降(「北上」「大井」「木曽」)を61センチ4連装魚雷発射管10基(片舷5基)を搭載する重雷装艦への改装が決定され、「北上」「大井」については同年中に改装を完了しました。

(直下の写真は、重雷装艦に改装された「北上」「大井」:by Trident) 

 

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(直下の写真:「北上」と「大井」:艦の中央部に61センチ4連装魚雷発射管を片舷5基装備した。その後、魚雷発射管の搭載スペースを活用して、高速郵送巻に改装された) 

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しかし、想定された艦隊決戦は発生せず、両艦が実戦に重雷装艦として投入されることはありませんでした。その後、戦局が厳しくなると、両艦はそのペイロード(多数の魚雷発射管の装備甲板)に注目され、高速輸送艦への改装が計画されました。その改装は魚雷発射管を8基撤去、主砲を全廃し、高角砲を装備、その他積荷の積載装備の追加などに及び、結局、工程がかかりすぎるとして本格的な改装には至りませんでしたが、魚雷発射管の撤去などの小改装による輸送艦任務への適応は随時実施されました。

その後「北上」は損傷修理の際に回天搭載艦への改装が実施されました。これは、主砲、魚雷発射管を全て撤去、高角砲に換装し、艦尾に回天発進用のスロープと投下用のレールを設置し、航行しながら回転を発進させられるようにする、というようなものでした。改装は完成しましたが、実戦に投入されることはありませんでした。

 

トピック:艦船模型メーカーによるグレードアップ

これまで1:1250スケールの艦船模型メーカーについて、あれこれ紹介してきましたが、実はコレクターにとって、かなり嬉しくて、しかし少し悩ましい問題が、艦船模型メーカー自身による、モデルのグレードアップなのです。

くどくど説明するより、見ていただいた方が早いと思うので、まずは実例をご紹介。

 

重雷装艦「北上」のケース

EbayでTrident社製の日本海軽巡洋艦「北上」の重雷装艦形態の最近の模型を入手しました。

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(直上の写真は、重雷装艦「北上」の最近のモデル(上段)と従来のモデル(下段)の比較。メーカーはいずれもTrident社)


ご覧のように、特に魚雷発射管のディテイルが、格段に再現度が向上されています。f:id:fw688i:20200719202728j:image

(直上の写真は、重雷装艦「北上」の最近のモデル(左列)と従来のモデル(右列)の細部の比較。上段では魚雷発射管のディテイルの再現度が格段に進歩していることがわかります。さらに下段では艦尾部の再現も随分変更されていることがよくわかります)

 

その戦歴

「球磨」は、南方攻略戦に従事したのち、南方拠点での警備、訓練支援、輸送等の任務に活躍したのち、1944年1月11日に、ペナン島沖で英潜水艦の雷撃で失われました。

「多摩」は、開戦時以来、主として北方警備を担当する第5艦隊に所属し、アリューシャン攻略等に参加、さらにキスカ島の撤退作戦などにも参加しました。その後、南方での輸送作戦等に従事したのち、1944年にレイテ沖海戦に第3艦隊(小沢囮艦隊:空母機動部隊)に編入され、米機動部隊による空襲で損傷し、1944年10月25日、沖縄への退避中に米潜水艦の雷撃により失われました。

「北上」は、重雷装艦として第1艦隊に編入後、上記の次第で高速輸送艦に改装されました。高速輸送艦として南方での多くの任務に従事した後、日本に帰還しそこで今度はこれも上記のように回天搭載艦への改装を受けることになりました。改装は完了しましたが、出撃機会の無いままに呉軍港で米機動部隊の空襲で大破し航行不能となり、その状態で終戦を迎えました。

終戦後は復員支援の工作艦輸送艦として運用された後、1946年に解体されました。いわゆる5500トン型軽巡洋艦14隻の中で唯一、終戦を迎えた艦です。

「大井」は、「北上」とともに重雷装艦として第1艦隊に編入され、「北上」同様高速輸送艦に改装され、ソロモン諸島方面、インド洋方面での輸送任務に従事した後、1944年7月19日、米潜水艦の雷撃を受け香港沖で撃沈されました。

「木曽」は、開戦時、北方部隊の第5艦隊に編入され、北方警備活動、アリューシャン列島攻略戦に従事しました。キスカ島撤退作戦に参加した後、南方での輸送任務等に従事しました。レイテ沖海戦後に、同海戦に参加した第5艦隊に編入され、1944年11月13日レイテ作戦敗退後の同艦隊司令部輸送のためにフィリピン、マニラ湾に待機中に米機動部隊の空襲を受け大破着底し、失われました。

 

こうして戦歴を見てみると、同級は、高速水雷戦隊旗艦として設計されながら、太平洋戦争時には既に旧式化しており、本来の活躍ができなかった不運な艦級と言えるでしょう。

 

(その3) 5,500トンシリーズ

 前回に引き続き、日本海軍の軽巡洋艦の主軸となった5500トン型のお話です。

今回登場する二つの艦級の軽巡洋艦は、いずれも、太平洋戦争前半は水雷戦隊旗艦などとして大暴れした船ばかりです。

 

日本海軍のワークホース! 

長良級軽巡洋艦 -Nagar class light cruiser-(長良:1922-1944 /五十鈴:1923-1945/名取:1923-1944/由良:1923-1942/鬼怒:1922-1944/阿武隈:1925-1944 )  

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Nagara-class cruiser - Wikipedia

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(直上の写真は、「長良級」軽巡洋艦の概観。119mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs:3D printing modell :写真の姿は太平洋戦争開戦時の姿。航空機による索敵能力を得るために、後の改装で5番砲塔と6番砲塔の間に、水上偵察機射出用の射出機(カタパルト)を搭載しています)

 

本級は5500トン級軽巡洋艦の第2グループとして、1917年計画 1918年計画で各3隻、合計6隻が建造されました。球磨級軽巡洋艦の改良型であり、基本設計は大きく変わりません。前級である球磨級からの変更点は、 魚雷性能と駆逐艦の発展に応じ搭載魚雷の口径を53センチから61センチに拡大したところと、主力艦隊の前衛としての索敵能力の充実のために、設計時から航空機を羅針艦橋下部の格納庫に収納する構造を、前級最終艦「木曽」にならい艦橋構造に組み込んでいたところにあります。格納庫を組み入れたため、艦橋の形状は箱型となりました。

 

航空艤装の話

搭載機には水上偵察機ではなく10年式艦上戦闘機(陸用機)をあて、格納庫前の1番・2番砲の上部に展開された滑走台を用いて発艦させる、という運用方法でした。

前級の「球磨級」では、竣工時には水上偵察機を艦後部の格納庫に収容し、必要都度、水面に降ろして海面から発進させる方式をとったため、その発進の度に艦の航行を停止、あるいは微速まで速力を落とす必要がありました。この運用方法は、平時はさておき、特に戦闘時には軽巡洋艦に求められる高い機動性を阻害するものでした。

そこで、前級「球磨級」最終艦の「木曽」では、羅針艦橋下部に収納庫を設け、そこに搭載した陸用機を滑走台から発艦させる運用を試み、「長良級」はこの形式を踏襲した訳ですが、発進等の即応性には、ある程度目処が立ったものの、運用された陸用機には当然の事ながら母艦への着艦の術がなく、帰投後に母艦周辺に着水して操縦者のみを回収するか、あるいは陸上の基地まで自力で帰還するか、いずれかの方法しか、操縦者が生還する方法がありませんでした。そのため訓練等においても、10式艦上戦闘機の航続距離を考慮した沿岸距離での演習に限られるなど、実用性に乏しく、就役後には航空機は稀にしか搭載されず、ほとんど使用されませんでした。

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(直上の写真は、竣工当時の「長良級」の航空艤装。多分、こんな感じだっただろう、と、WTJのストックモデルの艦橋前を少し整形した後、プラ板とプラロッドでちょっと悪戯してみました。固定式の滑走台を艦橋前に設置。羅針艦橋下の格納庫に収納した陸用機:10年式艦上戦闘機を組み立てて(翼を展張して)発進させる形式でした。実際には発進時には艦橋下の収納庫の扉は開け放たれていたはず。今回は、そこまでは再現できず・・・。ごめんなさい。併せてもう一つ「ごめんなさい」。写真の滑走台上の航空機は10年式艦上戦闘機ではなく、90式艦上戦闘機です。翼に日の丸つけたかったけど、そこまでの技術ないし・・・。1:1250スケールの問題点の一つはその小ささ。魅力でもあるのですが・・・。この90式艦上戦闘機の翼長は約7ミリ。ピンセットで摘むのですが、一度落とすと、探すのが大変です。ちなみにこの90式はSNAFU store製:3D printingモデルです。・・・それにしても、実戦時での即応性を高めるためにこの形式にしたはずなのですが、高速航行時にこんな狭い所で、搭載機の整備(組み立ても?)ができたんでしょうか?まあ、ほとんど実用例がないようですが)

 

後に射出機(カタパルト)が装備され水上偵察機の実際的な運用が可能になるまで、ライバルの米海軍のオマハ軽巡洋艦が設計当初からカタパルトを搭載していた事も鑑みて、同級の課題として残されたままでした。

カタパルト装備後は、航空艤装が艦後部に移ったことから、羅針艦橋下の航空機格納庫は戦隊旗艦業務に転用されました。

 

ちょっとブレイク:5500トン級のライバル「オマハ級」軽巡洋艦

(直下の写真は、米海軍が建造した「オマハ級」軽巡洋艦。136mm in 1:1250 by Neptune)

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Omaha-class cruiser - Wikipedia

オマハ級」軽巡洋艦(1923- 同型艦10)は、「チェスター級」に次いで米海軍が建造した軽巡洋艦で、7000トンのゆとりのある船体に、6インチ砲(15,2センチ)12門と3インチ高角砲8門と言う強力な火力を有していました。4本煙突の、やや古風な外観ながら、主砲の搭載形態には連装砲塔2基とケースメイト形式の単装砲を各舷4門という混成配置で、両舷に対し8射線(後期型は7射線)を確保すことができる等、新機軸を盛り込んだ意欲的な設計でした。最高速力は35ノットと標準的な速度でしたが、20ノットという高い巡航速度を有していました。また最初からカタパルト2基による高い航空索敵能力をもっていました。

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(直上の写真は、「オマハ級」軽巡洋艦のカタパルト2基を装備し充実した航空艤装(上段)と連装砲塔とケースメートの混成による主砲配置、写真の艦は後期型で、後部のケースメートが2基減じられています)

 

再び「長良級」の話。

「長良級」の主砲は前級と同じ14センチ砲7門を、前級と同じ配置とし、各舷に対して6射線を確保しました。雷装としては、61センチに強化された魚雷を、連装魚雷発射管4基、前級と同様の配置として、両舷に対し4射線を確保していました。

前級と同仕様の機関を搭載し、36ノットの速力を発揮する事が出来ました。 

 

本級を含む5500トン級巡洋艦は、その後、改装、武装の強化などが数次にわたり行われ、戦力維持が図られましたが、太平洋戦争開戦時には、既に就役後20年を経ようとする老朽艦ながら、戦争を通じて第一線で活躍しました。

 

筆者にとって「意外」だった搭載魚雷の話

上記の通り、前級「球磨級」では53センチだった搭載魚雷の口径を61センチに拡大し、61センチ連装魚雷発射管を搭載、ということで、当然酸素魚雷(93式1型)を搭載して太平洋戦争に臨んだのだろうと思い込んでいたのですが、実は、下記の「戦歴」に記述しますが開戦以前に酸素魚雷を運用できたのは、酸素魚雷が射出可能な魚雷発射管を装備していた「阿武隈」のみでした。「川内級」でも、太平洋戦争開戦直前の魚雷発射管の位置移転、換装で「神通」「那珂」は酸素魚雷の運用が可能となりましたが、実は水雷戦隊旗艦を輩出した「長良級」「川内級」のうちで併せてこの3隻のみが、酸素魚雷の運用が可能だった、というのは少々驚きでした。

その後、防空巡洋艦への大改装を受けた「五十鈴」は、「阿武隈」同様の仕様で、酸素魚雷の搭載能力を得ます。「長良」については、魚雷発射管自体の改造により、発射管配置はそのままで、酸素魚雷発射能力を持った、という未確認の情報もあるようです。

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(直上の写真は、魚雷発射管装備の変遷を示したもの。上段の二枚は「長良級」の一般的な魚雷発射管の配置を示し英ます。61センチ連装発射管を艦橋直後と艦後部に片舷2基装備しています。下段の二枚は「長良級」最終艦「阿武隈」の魚雷発射管の装備状況。「阿武隈」では艦橋直後には発射管は装備せず、艦後部に93式魚雷(61センチ酸素魚雷)が射出可能な4連装発射管を片舷1基づつ、装備しています。射線数は変わりませんが、より強力な酸素魚雷の運用が可能となりました。この形式は、防空巡洋艦への大改装を終えた「五十鈴」と、次級「川内級」の、「神通」「那珂」にも採用されています)

 

その戦歴

「長良」:開戦劈頭から南方攻略戦に転戦した後、ミッドウェー海戦には空母機動部隊の直衛戦隊(第10戦隊)旗艦の任を務めました。機動部隊旗艦「赤城」の被弾後は、一時的に機動部隊残存部隊の旗艦となりました。その後、新空母機動部隊である第3艦隊に所属して、ソロモン海を転戦した後、主として輸送任務・輸送護衛任務につきました。この間、損傷修理等の間に、5番・7番主砲の撤去と高角砲の装備、対空機銃の増設等の改装を受けています。

その後、中部太平洋、沖縄方面での輸送任務に従事中、1944年8月、熊本県天草沖で米潜水艦の雷撃により失われました。

 

「五十鈴」:開戦時、香港や南方の攻略戦に参加した後、第2水雷戦隊旗艦として南太平洋海戦、第3次ソロモン海戦等に参加しました。その後、米機動部隊の空襲による損傷復旧の際に、全主砲を高角砲に換装するなど、対空兵装を格段に充実・強化した防空巡洋艦に生まれ変わりました。この対空兵装の強化は、既に旧式化した全ての「長良」級巡洋艦に実施される予定でしたが、実現したのは「五十鈴」1艦のみでした。この改装の際に、魚雷発射管の搭載・射出方式を改め、前部連装発射管を撤去、後部発射管を4連装発射管に改め、酸素魚雷の運用能力を持ちました。

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(直上の写真は、「長良級」2番艦「五十鈴」の防空巡洋艦への改装後の概観。本来はこれと同等の改装を、「長良級」の他艦にも実施する予定でした)

(直下の写真は、「五十鈴」の対空兵装の配置を少し詳細に示したもの。すべての主砲を撤去し、艦後部に搭載したカタパルトを撤去し、3基の連装高角砲と多数の対空機銃座を増設しています。この改装の際に、「五十鈴」は前述の魚雷発射管の配置、換装を併せて行いました)

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その後、レイテ沖海戦では、第3艦隊(小沢「囮」機動部隊)に編入され、海戦に参加しました。海戦では米艦載機の攻撃により損傷。第3艦隊の解散後は輸送任務につき、1945年4月、スンダ列島の陸軍部隊の撤退作戦に従事中、小スンダ列島スンバワ島沖で米潜水艦の雷撃により撃沈されました。

 

「名取」:開戦時、第5水雷戦隊の旗艦として、フィリピン攻略戦、ジャワ攻略戦などを歴戦しました。その後、第16戦隊の旗艦任務、東インド(現インドネシア)方面の警戒任務に従事。空襲による損傷修理時に、5番・7番主砲の撤去と高角砲の装備・対空機銃の増設など、「長良」同様の対空兵装の強化が行われました。

マリアナ沖海戦参加後の輸送任務従事中に、1944年8月、フィリピン諸島サマール島沖で、米潜水艦の雷撃により失われました。

 

「由良」:開戦時には、第5潜水戦隊の旗艦として、マレー攻略戦、ボルネオ攻略戦等に参加しました。第5潜水戦隊旗艦任務を解かれた後も、南方作戦部隊に留まり、その後のジャワ攻略戦にも従事しました。その後、損傷した軽巡洋艦「那珂」と交代して第4水雷戦隊旗艦となり、第2艦隊に所属してミッドウェー海戦、第8艦隊に所属してガダルカナル攻防戦、その後の同島への輸送作戦に従事しました。

1942年10月ガダルカナル島での陸軍部隊の総攻撃に呼応した同島周辺での作戦行動中に、米軍機の空襲により航行不能となり、味方駆逐艦の雷撃で処分されました。軽巡洋艦の戦没第一号となってしまいました。

 

「鬼怒」:開戦時には、第4潜水戦隊旗艦としてマレー攻略戦に従事。その後、旗艦任務を解かれてジャワ方面の攻略戦、ニューギニア西部での作戦に参加しました。

作戦による損傷修復時に、上述の「長良」「名取」などと同様、5番・7番主砲の撤去と高角砲の装備・対空機銃の増設など、対空兵装の強化が行なわれました。

その後、レイテ作戦(捷一号作戦)では、レイテ島への兵員輸送を担当する第16戦隊に参加し、1944年10月、同作戦に従事中に米艦載機(第7艦隊)の空襲により失われました。

 

阿武隈」:「阿武隈」は「長良級」の他艦とはやや異なる外観を有していました。1930年に衝突事故を起こし、艦首の損傷を修復する際に、それまでのスプーン・バウ型から、凌波性に優れたダブル・カーべチュア型に改めました。

1938年には、「長良級」では唯一、太平洋開戦以前に魚雷兵装強化の改装を受け、前部の連装魚雷発射管を撤去して、後部の連装魚雷発射管を4連装魚雷発射管に換装し、強力な酸素魚雷の運用が可能となりました。

この背景には、同艦の建造中に関東大震災があり、工期が長引き就役年次が遅れたため、「長良級」の他艦に比べると艦齢が若く、改装が優先されたという事情があったと、言われています。

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(直上の写真は、「長良級」6番艦「阿武隈」の概観。カタパルトを搭載した太平洋戦争開戦時の姿を示しています)

(直下の写真は、「長良級」の他艦と「阿武隈」の艦首形状の違いを示したもの。「阿武隈」では、衝突事故による艦首の損傷時に凌波性に優れたダブル・カーブドバウに艦首形状を改めていました

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開戦時には、第1水雷戦隊の旗艦として真珠湾作戦に参加、空母機動部隊の護衛を務めました。その後、同機動部隊に帯同してジャワ攻略戦、インド洋作戦に参加した後、北方部隊である第5艦隊に編入されました。アリューシャン攻略戦、アッツ島沖海戦、キスカ撤退作戦に参加した後、同級の「長良」「名取」「鬼怒」と同様、5番・7番主砲の撤去と高角砲の装備・対空機銃の増設など、対空兵装の強化が行なわれました。

その後、レイテ沖海戦には第5艦隊の一員として志摩中将の指揮下で参加し、スリガオ海峡海戦で米魚雷艇群と交戦し被雷。速力が低下したため戦場を離脱後の翌朝、米艦載機、米陸軍機の数次にわたる空襲を受け損傷を重ね、1944年10月、フィリピン諸島ネグロス島沖で沈没しました。

 

八八艦隊計画」の落とし子。重油消費の急増をどうやって抑えようか・・・

川内級軽巡洋艦 -Sendai class light cruiser-(川内:1924-1944 /神通:1925-1943/那珂:1925-1944 ) 

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Sendai-class cruiser - Wikipedia

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(直上の写真は、「川内級」軽巡洋艦の概観。119mm in 1:1250 by Neptune:写真の姿は「川内」の太平洋戦争開戦時の姿。復元性向上のために、一番煙突の高さを他の煙突と同じ高さに揃えています。同様の目的のため「艦橋も一段低くした」との記述もありますが、この模型では反映されていないようですね。航空機による索敵能力を得るために、6番砲塔と7番砲塔の間に、水上偵察機射出用の射出機(カタパルト)を搭載しています)

 

「川内」級は5500トン級軽巡洋艦の第3グループにあたります。当初計画では8隻の建造が予定されていました。

球磨級」「長良級」の前2級との相違点は、当時海軍が推進していた大建艦計画「八八艦隊計画」の推進により予測される重油消費量の飛躍的な増加への対策として、重油専焼缶(ボイラー)の数を減らし、重油石炭混焼缶を増やしたことから、煙突の数が増え4本になった事が挙げられます。

他の装備、性能は、ほぼ前2級を踏襲したものになっています。

ワシントン軍縮条約の締結で、同級の建造計画は8隻から3隻に縮小し、「川内」「神通」「那珂」の3隻が建造されました。同級は太平洋開戦時には既に艦齢15年を迎えていましたが、それでも日本海軍の最新の軽巡洋艦であったため、 3隻とも水雷戦隊旗艦として活躍しました。

 

外観の差異の話

3隻には外観に差異があり、「川内」は復元性改善工事により四本の煙突の高さが同じになり、艦橋の高さも一段低くなっています。一方、「那珂」は建造中に関東大震災で大きく損傷を受け、艦首を凌波性に優れたダブル・カーブドバウ形式に変更して竣工しています。「神通」は1927年の美保関事件(第8回基本演習:夜間無灯火演習中に発生した艦艇衝突事故)で艦首を損傷し、その修復の際に従来のスプーン・バウ形式から「那珂」と同様のダブル・カーブドバウ形式に艦首形状を変更しています。

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(直上の写真は、「川内級」軽巡洋艦の外観を比較したもの。上段が「川内級」のネームシップ「川内」の外観。下段は「神通」「那珂」の外観を示しています。艦首形状が「川内」はスプーン・バウ、「神通」「那珂」はダブル・カーブドバウ(写真左列)。煙突形状が異なり、上段の「川内」は煙突の高さを揃えたのに対し、「神通」「那珂」では一番煙突が他の煙突よりも高い竣工時の姿を残しています。本当は艦橋の高さに差があるはずなのですが、このモデルでは再現されていないようです)

 

航空艤装と搭載魚雷の話

航空索敵については、ほぼ前級「長良級」と同様の形式を踏襲しています。つまり、竣工時には、陸用機を滑走台から発艦させる形式をとっていましたが、前述のようにこの形式は実用性に課題があったため、カタパルト搭載へ、順次改装されました。

(直下の写真は、「長良級」と「川内級」のカタパルト配置位置の相違を示したもの。「長良級」(上段)ではカタパルトは、5番砲と6番砲の間に装備されていますが、「川内級」(下段)では装備位置が6番砲と7番砲の間になっています)

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搭載魚雷については、太平洋開戦直前の改装で「神通」「那珂」については、前述の「阿武隈」同様、前部連装発射管を撤去、後部発射管を4連総発射管に改め、酸素魚雷の運用能力を持ちました。(写真掲載のNeptuneのモデルでは、「神通」「那珂」も「川内」と魚雷発射管の装備位置には差異が見られず、上記の「改装」より以前の姿を再現していると考えられます)

 

その戦歴

「川内」:開戦時には第3水雷戦隊の旗艦を務め、南遣艦隊に所属し、南方作戦でマレー方面、スマトラ方面を転戦しました。

ミッドウェー海戦では第3水雷戦隊は主力艦隊(戦艦部隊)に帯同しました。同作戦の失敗後、同水雷戦隊は南西方面艦隊に転籍し、インド洋作戦に参加する予定でしたが、ガダルカナル戦の展開により同作戦が中止され、ソロモン方面に進出しました。

1942年8月から1943年8月のほぼ1年間、ガダルカナル攻防戦、その後の中部ソロモン諸島を巡る諸海戦のほぼ全てに第3水雷戦隊は活躍しますが、「川内」は常に第一線で活躍してきたため対空兵装の強化改装を受けられず、やがて水雷戦隊の昼間の行動時には戦隊司令官が旗艦を駆逐艦に変更するなど、不都合が派生していたとわれています。

 

1943年11月、「川内」は米軍のブーゲンビル島侵攻を阻止すべく発生したブーゲンビル島沖海戦に参加します。日米ほぼ同数の巡洋艦駆逐艦の混成艦隊同士(日:重巡2、軽巡2、駆逐艦6・米:軽巡4、駆逐艦8)の夜戦となりましたが、レーダーで日本艦隊の接近を察知した米艦隊に対し、最も近い位置にいた川内は海戦の開始とほぼ同時に集中砲火を浴び主機が停止し舵が故障、航行不能となってしまいました。

日本艦隊主体が撤退したため、取り残された「川内」に米駆逐艦が攻撃を集中し、「川内」は魚雷2本を被雷し沈没しました。

 

「神通」 :第2水雷戦隊旗艦として太平洋戦争の開戦を迎えました。開戦劈頭、フィリピン攻略戦に参加。その後参加したジャワ攻略戦では、スラバヤ沖海戦に参加しています。

ミッドウェー海戦では、第2水雷戦隊はミッドウェー島上陸部隊の護衛隊として参加しましたが、機動部隊の敗北により上陸戦には至らずに帰投しています。

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(直上の写真は、「神通」「那珂」の概観を示したもの。ダブル・カーブドバウの艦首形状、一番煙突が他煙突よりも高くなっている、など、特徴がよくわかります)

 

1942年にガダルカナル攻防戦が始まると、「神通」は第2水雷戦隊を率いてガダルカナルへの輸送任務、輸送船団護衛任務に活躍しました。第2次ソロモン海戦では米軍機の爆撃で損傷を負います。

損傷修復後、ガダルカナル撤退作戦には支援部隊として参加、その後、中部ソロモン諸島での攻防戦に転戦してゆくことになります。

 

1943年7月、中部ソロモン諸島コロンバンガラ島への陸軍増援部隊の増援輸送を巡り、「神通」を旗艦とする増援部隊の護衛部隊(第2水雷戦隊:軽巡1、駆逐艦5)と、増援阻止を狙う米艦隊(軽巡3、駆逐艦10)の間に夜戦が発生します。

「神通」は米艦隊発見後、探照灯でこれを照射し、魚雷戦、砲戦を麾下の部隊に下命します。一方、米艦隊の軽巡3隻はレーダー射撃を「神通」に集中し、艦橋への被弾で「神通」に座乗していた伊崎少将以下第2水雷隊司令部が全滅、「神通」も航行不能となりました。

米艦隊の砲撃が「神通」に集中する中、麾下の駆逐艦は砲雷戦を展開し、米軽巡洋艦3隻に損傷を負わせました。

航行不能となった「神通」は米艦隊からさらに2発の魚雷を受け、爆沈しました。

 

「那珂」:開戦時には、第4水雷戦隊の旗艦として、フィリピン攻略戦、ジャワ攻略戦、スラバヤ沖開戦、クリスマス島攻略作戦等に活躍しました。クリスマス島作戦中に、米潜水艦の魚雷攻撃を受け被雷損傷し、内地に回航され修理を受けました。この修復の際に、5番主砲を撤去し連装高角砲に換装、積載小艇の変更など、その後の輸送、輸送護衛任務への適応力を硬化する改装が併せて行われました。

損傷の修復後は、内南洋警備担当の第4艦隊第14戦隊に編入され、主として担当海域である中部太平洋方面での輸送任務、輸送護衛任務に従事しました。

1944年2月、米潜水艦の雷撃で航行不能となった軽巡洋艦阿賀野」救援のためにトラック島周辺で活動中に、米機動部隊のトラック島空襲に遭遇。機動部隊艦載機の反復攻撃を受け、爆弾、魚雷を被弾、沈没しました。

 

こうして両級の戦歴を見ていきますと、長い艦暦の中での数次の改装に耐えられる程度の余裕のある艦級だったのだろうなと改めて実感するわけです。その一方で、それがある意味災いして特に太平洋戦争の開戦時には、既に旧式艦の部類ながら更に続けて第一線での奮闘を求められる過酷な実情が浮かんでも来ます。

そして、次第に任務の重点が、設計本来の水雷戦の要(太平洋戦争緒戦では、まだいくつか、艦隊同士の海戦が行われます)、から輸送・輸送護衛などの任務への役割のシフト、いわゆる「艦隊決戦」的な視点から兵站重視の「総力戦」的視点への海軍設計そのものの重点のシフトへの対応を求められた、ある意味、象徴的な艦級であるとも言えるかと思います。

そして、両級の全ての艦が、失われてしまいました。

5500トン型全体を見ても、終戦時に残存していたのは「北上」1艦のみで、残りの13隻は戦没してしまいました。

 

(その4) 平賀デザインの巡洋艦

平賀デザイン

平賀譲は大正期から昭和初期にかけて日本海軍の艦政本部で鑑定設計に従事しました。

その設計の根幹は、少し乱暴に整理してしまうと、日本海軍が誕生から負わされた大命題、乏しい資源と予算を条件として如何に最大級の戦闘力を生み出すか、と言う一点に集約され、 コンパクトな船体と重武装の両立を追い求めたところにある、と言えるのではないかと考えます。

その秀逸な発想から「造船の神様」と賛辞する声がある一方、人の意見に耳を貸さないところから「平賀不譲(=譲らない)」と異名をつけられるなど、毀誉褒貶の多い人物でもあったようです。

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本稿でもかつて紹介した映画「アルキメデスの大戦」では、おそらくこの平賀譲をモデルにした平山造船中将(田中泯さんが演じていました。さすがに抜群の存在感!)を紹介しましたが、映画では(コミックでも)大艦巨砲主義を推進する、あるいは自身の技術を示すために大艦巨砲主義者を利用するかなり政治的な存在としてとして描かれていると感じました。しかし、今回本稿の準備で資料を当たった感触では、実物はもっと一本気で周りのことは目にも入らない芸術家肌ではなかったのかな、と感じます。

天才の常として、理想の実現に向けては現有する技術の限界(造艦当事者)や、運用者(用兵当事者 )の思惑など気にしない、純粋な職人気質ではなかったかと。その為、往々にして、彼の設計はより工数がかかる、あるいはより難度の高い工作技術を要する、など、本来は限られた予算の中での有効解の発見であったはずのミッションが、時としてより高価で、量産には向かない、などの結果を生じることになりました。この辺り、零式艦上戦闘機を開発した堀越技師とも何かしら共通点があるように感じます。

或いは、「目指すべき量産」とは言いながら、来るべき「総力戦」の規模の「量産」には到底到ることが出来ない国力の限界の中で、「総力戦」に適応する造形を求められた技術者の苦悩の軌跡、と言えるのかもしれません。

 

ともあれ、平賀譲がこの大正期から昭和初期のかけて次々に生み出した画期的な設計の一連のコンパクト重武装艦は、第一次世界大戦後の列強に強い警戒感を生み出し、やがてワシントン海軍軍職条約、その制限範囲を補助艦艇にまで広げたロンドン海軍軍縮条約などの流れを強める一因ともなった、と言われています。

 

平賀マジック、始まり、始まり!

軽巡洋艦 夕張 -Yubari light cruiser-(1923-1944 )  

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(直上の写真は、軽巡洋艦「夕張」の概観。110mm in 1:1250 by Neptune) 

 

「夕張」は、 元々、5500トン級軽巡洋艦の9番艦(「球磨級」5隻に続く「長良級」第1期の4番艦)として建造予定だったものを、折からの不況の影響を受け予算の逼迫等の要因から、設計変更したと言う経緯で建造されました。

設計は、当時造船大佐だった平賀譲が主導し、その建造経緯は上記のようなどちらかと言うと後ろ向きなものがきっかけではありましたが、元々は本稿の初期でも触れてきたつもりですが、日本海軍設立の根本に、資源に乏しく、資金にも限界のある国が、その限界の中で国を守るための最大武装を持つには、と言う大命題と同軸線上にあるものでした。それがこの機に具現化され、画期的な軍艦が誕生し、世界を驚かせた、と言っていいでしょう。

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(直上の写真は、軽巡洋艦「夕張」(手前)と5500トン級軽巡洋艦(「長良」)の概観比較。5500トン級よりもひとまわり小さな船体に、航空兵装をのぞきほぼ同等の兵装を搭載し、周囲を驚かせました)

 

設計の基本骨子は、5500トン級と同等の兵装と速度を3000トン弱の船体で実現すると言うものでした。すべての主砲を船体の中心線上に配置、前後それぞれ単装砲と連装砲の背負式として、5500トン級に比べると主砲の搭載数は1門減りましたが、両舷に対し5500トン級と同様の6射線を確保しました。同様に連装魚雷発射管を中心線上に配置することにより、発射管搭載数は半減したものの、両舷に対して確保した射線4は、5500トン級と同数でした。

 

「背負式砲塔」の配置の話

「夕張」の主砲は前述のように、単装砲と連装砲塔を背負式に、艦前部と後部に振り分け配置して搭載しているのですが、単装砲を低甲板に、一段高い甲板に連装砲等を配置する形式をとていました。この門数の多い砲塔を高い位置に搭載する配置は、平賀デザインでは、後の有名は「金剛代艦級」の設計案でも登場します。素人目には逆の方が重心的に安定感が出るような感じがして、最初、なん予備知識もなく「金剛代艦」の設計を見た際には「ああ、このスケッチ、間違ってるなあ」となんの違和感もなく、思ったものでした。

より強力な砲塔に広い射界を持たせるため?発射弾数の多い砲塔により大きな弾庫を確保するスペースを確保するため?より重い砲塔に大きな動力を与えるため?どういう狙いがあったんでしょうか?

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(直上の写真は、軽巡洋艦「夕張」の主砲搭載形態を示したもの)

 

機関は、当時高速化が進んでいた駆逐艦型式を導入して、小型化・軽量化が図られ、36ノット(就役当初)を発揮することができました。

防御装甲として、軽巡洋艦としては初めて防御甲板を設け、船体外板の内側のインターナル・アーマー形式で、軽巡「川内級」と同等以上の防御力を得ていた、と言う評価もあるようです。

そのほかに特筆すべきこととして、誘導煙突の導入が挙げられます。

 

「誘導煙突」の話

これは、コンパクトな船体と、強力な武装、そして高機動力を並立させる上では、大変重要な工夫です。つまり、大きな武装の搭載にはスペースが必要で、かつ高出力の機関も同様に大きなスペースを必要とします。さらに、高度化する射撃管制等のシステムには、指揮スペースにも大きなものが必要です。これらのそれぞれの要求をコンパクトな船体で兼備しようとすると、直立の煙突では無理は生じ、例えば艦橋下にまで伸長して設置された機関からの煙路を「誘導」する必要が生じるわけです。

このように、ある意味、日本海軍の置かれた環境から生じた必然として、以後、この誘導煙突(集合煙突)は、日本の軍艦(特に巡洋艦)の特徴となってゆきます。

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(直上の写真2点は、軽巡洋艦「夕張」の誘導煙突。いずれの写真も上段は竣工直後の誘導煙突。当初、高さが十分でなく、排煙が艦橋に逆流するなどの不都合があったため、後に下段のように高さが改められました。誘導煙突は艦橋下から延長されており、機関と兵装、その指揮系統のパズルのような配置への工夫が想像されます)

 

こうしてコンパクトな船体と強力な兵装の両立という課題を実現した高い評価を得た「夕張」ではありましたが、そのコンパクトさ故に、偵察機搭載のための航空艤装スペースを持てず索敵能力が十分でないこと、また、今後の兵装の拡張性に対する適応余地がほとんどないこと、などから、艦隊の先兵を務める水雷戦隊旗艦、偵察巡洋艦としての実戦での用兵価値が低く、実際の建造は一隻に止まりました。

しかし、上述の「誘導煙突」のみならず、「夕張」で試された種々の新機軸、設計上の試みは、以降の日本の軍艦設計に大きな影響を残してゆきます。

 

その戦歴

太平洋戦争開戦時には、内南洋(中部太平洋委任統治領)の警備を担当する第4艦隊、第3水雷戦隊の旗艦を務めました。太平洋緒戦でほぼ唯一日本軍が苦戦したウエーク島攻略戦に参加したのち、ラバウル、ラエ・サラモア、ブーゲンビル、ポートモレスビー 攻略戦に活躍しました。

その後、第3水雷戦隊の解体に伴い第2海上護衛隊に転籍したが、主としてそれまでと同様、ソロモン諸島ニューギニア方面で活動を続けました。

米軍のガダルカナル島侵攻に伴い、米軍の揚陸を阻止すべく出撃した新編成の第8艦隊(外南洋警備担当)に帯同して、第一次ソロモン海戦に参加しました。その後中部太平洋方面での護衛任務の後、正式に第8艦隊所属となり、ラバウル、ブーゲンビル方面での、警備・護衛任務につきました。

ラバウルで米軍機の爆撃で被弾、内地で修理の後、再び第3水雷戦隊旗艦として中部太平洋方面艦隊所属となり、同方面での船団護衛の任務に就きます。1944年4月、ソンソル島(パラオの南西)への輸送任務から帰投中に、米潜水艦により撃沈されました。

 

平賀デザイン 第二弾! 日本海重巡洋艦の草分け 

古鷹級重巡洋艦 -Furutaka class heavy cruiser-(古鷹:1926-1942 /加古:1926-1942)  

Japanese cruiser Yūbari - Wikipedia

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Furutaka-class cruiser - Wikipedia

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(直上の写真は、「古鷹級」の概観。 146mm in 1:1250 by Trident : 新世代の偵察巡洋艦として、初めて20cm主砲を搭載しました。下は「古鷹」と「加古」)

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前出の「夕張」で成功した手法を発展させ、平賀譲が設計主導をした第二陣が、この「古鷹級」巡洋艦です。

本来は、有力な火力を持つ米海軍の「オマハ級」軽巡洋艦に対抗して、これを凌ぐ重武装偵察巡洋艦として設計されました。

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(直上の写真は、「古鷹級」(奥)と5500トン級軽巡洋艦(「長良」)の概観比較。5500トン級よりも二回りほど大きな船体を有しています)

 

そうした意味では5500トン級軽巡洋艦の強化形で、二回りほど大きな7000トン級(設計時)の船体に主砲口径を20センチとして、これを砲塔形式の単装砲架6基、艦首部に3基、艦尾部にそれぞれ3基に振り分け、中央の砲架がを一段高くすると言うピラミッド型に配置しています。

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(直上の写真は、「古鷹級」の特徴的な主砲配置。艦首部と艦尾部に、それぞれ中央部が一段高いピラミッド型の配置で装備されました)

 

雷装としては、61センチ連装発射管を船内に固定式で各舷3ヶ所に配置、都合各舷に対し6射線を有していました。

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(直上の写真は、「古鷹級」の船内に配置された連装魚雷発射管:舷側の2連の円形がそれです。各舷に3箇所、艦首部に1箇所、艦やや後部に2箇所配置されています。艦内に魚雷発射管を装備することには被弾時の魚雷の誘爆など、懸念がありましたが、同級竣工時の魚雷には上甲板からの射出時の衝撃に耐えられる強度が確保されていなかったようです)

 

船体中央部にボイラー12基からなる機関を配置し、34.5ノットの速力を発揮しました。

「夕張」で試みた誘導煙突を利用して、前後に大きな主砲用のスペースを取り、中央の機関スペースの上に艦上構造を載せる設計となっています。

さらに、後部砲塔群上の滑走台から発艦させる形式で、索敵用の水上偵察機を搭載していました。 

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(直上の写真は、「古鷹級」の誘導煙突(上段)と水上偵察機の発艦用の滑走台。発艦時には水偵の搭載台である4番砲塔を発艦向きに旋回させ、その先の滑走台もその向きに、レールに沿って移動させました。滑走台の真下あたりに魚雷発射管が見えています)

 

主砲単装砲架の話

「古鷹級」の最大の特徴は、前後に振り分け配置されたピラミッド型配置の20センチ砲単装砲架ですが、課題の多い装備だったとされています。

単装砲形式については、設計者の平賀が艦の安定性の視点で強く拘ったと言われています。その砲塔形式の単装砲架は、重量軽減の視点から本格的な砲塔ではなく、断片防御程度の軽装甲しか施されていない「砲室」でした。かつ、揚弾、装填などの作業の多くを人力に依存する構造であった為、100キロを超える砲弾を扱う本級の場合、射撃速度の維持が困難であったと言われています。

本級よりもはるか以前に設計された「伊勢級」戦艦では、日本人の体格を考慮して人力装填の副砲口径を前級「山城級」の15.2cmから14cmに下げた経緯を持つ同じ海軍で、なぜこのような決断が下され、それに拘ったのか、これこそが「不譲」と言われる平賀の性格と、誕生期の闊達さを失い官僚的になりつつあった海軍中央の課題の、現れであったと言えるかもしれません。

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この課題の単装砲架は、後に次級の「青葉級」と同様の連装砲塔形式に変更されました。この兵装の転換は大成功で、艦構造は大きな変更を行わなかったにも関わらず、射撃の安定性などに問題は生じず、用兵者側の運用は格段に優れたものになった、と言われています。

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(直上の写真は、「古鷹級」の主砲の換装前後を示したもの。竣工時の単装砲架配置から、次級「青葉級」で実績の出た連装砲塔形式への換装が行われました:1936-1939)

 

ロンドン海軍軍縮条約で生まれた「重巡洋艦」(カテゴリーA)の話

ロンドン条約では「主砲口径が6.1インチを超え、8インチ以下で、10000トン以下の艦」をカテゴリーA:重巡洋艦とすると言う定義が行われることになります。この定義は、「夕張」「古鷹級」と言う画期的なコンパクトな重武装艦を生み出し始めた日本海軍を警戒して列強が定め、「古鷹級」とこれに続く「青葉級」をカテゴリーAの総排水量の中でカウントし、その保有数に限界を持たせることを狙ったとも言われています。

同様の制約は、その他の補助艦艇に対する制約でも現れます。その一つが機雷敷設艦艇での制限で、ここでは新造される機雷敷設艦の最大速力を20ノットと制限することで、日本海軍が高速で強力な兵装を持つ、軽巡洋艦或いは重巡洋艦に匹敵するような高速機雷敷設巡洋艦保有することを制限する狙いがあった、と言われています。これも「夕張」「古鷹級」のもたらした副産物と言えるかもしれません。
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(直上の写真は、上述の機雷敷設艦津軽」:104mm in 1:1250 by Neptune  4000トンの船体を持ち、条約制限いっぱいの20ノットの速力を有していました。「津軽」は12.5cm 連装対空砲を2基を主砲として搭載していますが、準同型艦の「沖島」は軽巡洋艦と同等の14cm主砲を連装砲塔形式で2基、保有していました。ロンドン海軍軍縮条約で、機雷敷設艦等の補助艦艇には最高速力を20ノット以下とする、という制限がかかりましたが、これは、「夕張」「古鷹級」等のコンパクト重装備艦の登場を警戒した列強が、機雷敷設艦の名目で日本海軍が軽巡洋艦として運用できる強力な敷設巡洋艦を建造することを予防した、と言われています。実際に太平洋戦争では、中部太平洋ソロモン諸島方面で輸送船団の護衛や、自ら輸送・揚陸任務など、高速を必要とする水雷戦隊旗艦島の任務を除けば他の軽巡洋艦と同等に活躍しています)

 

「古鷹級」の大改装 

前掲の写真のキャプションでも少し触れましたが、「古鷹級」は1936年から1939年にかけて、次級「青葉級」の要目に準じた、大改装を受けます。その改装項目は、主砲の単装砲架から連装砲塔への換装、魚雷発射管の4連装発射管への換装と上甲板への移転、対空砲の換装(8cm 単装高角砲から12cm単装高角砲へ)、航空艤装の換装(滑走台からカタパルトへ)、機関を重油専焼形式へ統一、舷側への安定性向上のためのバルジ装着等、多岐に渡りました。

これにより同級の外観は一変し、「青葉級」と類似した外観となります。

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(直上の写真は、大改装後の「古鷹級」の概観。直下の写真は、大改装前(上段)と大改装後の「古鷹級」の概観比較。バルジの装着などでやや速度は低下しました)

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(直上の写真は、主砲搭載形式の大改装前後の比較:単装砲架から連装砲塔へ。この際に、主砲口径が正20センチから、条約制限いっぱいの8インチ=20.3センチに拡大されました)

 

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(直上の写真は、航空艤装の大改装前後の比較:大改装前の滑走台方式(上段)からカタパルト方式へ)

 

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(直上の写真は、雷装形式の大改装前後の比較:船内の連装発射管形式から上甲板の4連装魚雷発射管へ

 

その戦歴

「古鷹」:太平洋開戦時には、僚艦「加古」「青葉」「衣笠」と第6戦隊を編成し、内南洋部隊(第4艦隊基幹)に編入されグアム、ウエーク攻略戦に従事します。史上初の空母機動部隊同士の海戦である珊瑚海海戦、ガダルカナル島攻防の緒戦、第1次ソロモン海戦に外南洋部隊(第8艦隊)の一員として参加。その後も、同艦隊所属としてガダルカナル島を巡る輸送作戦の護衛任務等に活躍しました。

1942年10月、ガダルカナル揚陸作戦に支援部隊として出撃中、サボ島沖で、米艦隊の初のレーダー索敵による奇襲を受け、同部隊の旗艦「青葉」の被弾後離脱(戦隊司令官戦死)援護のため前衛に出たところを集中射撃を受けて行動不能となり、やがて沈没しました。

 

「加古」:太平洋戦争開戦時からガダルカナル緒戦まで、第6戦隊の一艦として上記の「古鷹」等と行動を共にします。

1942年8月、第1次ソロモン海戦に第6戦隊の僚艦とともに参加し、記録的な勝利を収めた(戦略的には課題が多いとされますが)後、ニューギニア・ガビエンに帰投中に、米潜水艦の雷撃を受け、魚雷3本が命中し、沈没しました。

魚雷の初弾披雷から転覆沈没までわずか6分ほどであったとされ、この早期の転覆の一因として、平賀デザインの機関部の中央縦隔壁の存在が挙げられています。この縦隔壁については、設計当初から、浸水時の復元性喪失による転覆を早める恐れがある等の指摘が行われていたと言われています。

 

「平賀デザイン」の改訂版

青葉級重巡洋艦 -Aoba class heavy cruiser-(青葉:1927-1945 /衣笠:1927-1942)   

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Aoba-class cruiser - Wikipediaf:id:fw688i:20200506161108j:image

(直上の写真は、「青葉級」竣工時の概観。 148mm in 1:1250 by Semi-scratched based on Trident : Trident社製「古鷹級:竣工時」のモデルをベースに、主砲搭載形式、高角砲、水上偵察機搭載形式、等をセミクラッチし、「青葉級」の竣工時を再現してみました。実際には艦橋構造、煙突の形状などがもっと異なっていたようです)

 

 

「古鷹級」のいくつかの課題に改訂を加えて生まれたのが「青葉級」です。

本来は「古鷹級」の3番艦、4番艦として建造される計画だったのですが、同級の計画中に次級「妙高級」の基本設計が進められており、この内容を盛り込んだ、いわば「妙高級の縮小型」と言う性格も併せ持つ改訂となりました。

最大の変更点はその主砲を「古鷹級」の単装砲架形式から連装砲塔形式に変更したところで、この変更により、前述のように装弾系が射撃速度の維持等の点で問題のあった人力から機装式となり、格段な戦力強化につながりました。(後年、これに基づいた兵装転換が「古鷹級」にも行われ、同級の運用上の効率が向上した事は、前述の通りです)

 

「連装砲塔」の話

設計者の平賀が船体の設計上の要件から、強いこだわりを持っていた単装砲架形式での主砲搭載であったわけですが、本来同型艦であったはずの「青葉級」での、この連装砲塔形式への改定については、その承認経緯に諸説があります。既に設計が進んでいた平賀自身が携わっていた次級「妙高級」での連装砲塔採用が決まっていたことから、ようやく砲術上の要求を自覚した、とする説や、平賀の外遊中に平賀に無断で用兵側の要求に基づく設計変更が行われ、帰朝後にこれを聞いた平賀が激怒したが、既に変更不能となっていた、など、都市伝説に類するよう話まで、いろいろとあるようです。

 

また、この変更により、船体強度に無理が生じる事はなく、それに伴う重量の増加(300トン程度)にも関わらず速力が低下するような事はありませんでした。(35ノット)

その他の変更箇所としては、設計時からカタパルトの搭載を計画していた事で、これにより水上偵察機による索敵能力の強化されるはずでした。しかし、竣工時には予定していたカタパルトは間に合わず、当面は水上偵察機を水面に下ろして運用することとなりました。さらに対空兵装として、新造時から12センチ単装高角砲(当初はシールドなし)が4門搭載されました。

 

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(直上の写真は、今回製作した「青葉級」の特徴を示したもの。連装主砲塔(上段)、単装12センチ高角砲(中段)、航空艤装(下段)。舷側には「古鷹級」と同様に船体内に装備された魚雷発射管の射出口が見えています)

 

竣工時には間に合わなかったカタパルトは、1928年から29年にかけて順次装備され、水上機の運用はカタパルトからの射出により格段に改善されました。

雷装は、就役当初は「古鷹級」と同様の船内に固定式の魚雷発射管を各舷6門づつ装備していました。後に近代化改装の際に上甲板上の旋回式4連装魚雷発射管2基に改められました。

 

大改装後の「青葉級』

同級の大改装による大きな変更点は、魚雷発射管の装備形式を、竣工以来、被弾時の誘爆によるダメージに憂慮のあった船体内に装備した連装発射管6基から、上甲板上に設置した4連装発射管からの射出に改めたこと、単装高角砲をシールド付きに改めたこと、さらに、魚雷発射管上に水上偵察機の整備・運用甲板を設けたことです。

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(直上の写真は、「青葉級」:大改装後の概観。 148mm in 1:1250 by Neptune : 写真はNeptuneの説明では1944年の「青葉」の姿、ということになっていますが、後述のように同艦は1942年の損傷修復の際に3番砲塔を撤去しており、この姿では復旧していません。併せて僚艦の「衣笠」は1942年に既に失われていますので、この形態の艦は存在しないことになります。模型の世界ですので往々にしてこういうことが・・・。まあ、「青葉」が完全修復していたら、とうことでご容赦を<<<お詫び:と書きましたが、よく調べると、サボ島沖夜戦での損傷後、一旦外されていた3番砲塔は、その後の修復の際に復旧されていました。従って、レイテ沖海戦等には、写真の姿で臨んでいます)

 

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(直上の写真は、「青葉級」(上段)と大改装後の「古鷹級」の航空艤装の比較。整備甲板とカタパルトの配置の相違がよくわかります)。ちょとわかりにくいですが「青葉級」の魚雷発射管は水偵の整備甲板の下に装備されています)

 

その戦歴

「青葉」:太平洋戦争開戦時からガダルカナル緒戦まで、第6戦隊旗艦として僚艦「古鷹」「加古」「衣笠」と共に内南洋部隊(第4艦隊基幹)に編入されグアム、ウエーク攻略戦に従事します。史上初の空母機動部隊同士の海戦である珊瑚海海戦、ガダルカナル島攻防の緒戦、第1次ソロモン海戦に外南洋部隊(第8艦隊)の一員として参加。その後も、同艦隊所属としてガダルカナル島を巡る輸送作戦の護衛島に活躍しました。

その後、1942年10月の前述の「古鷹」が失われた「サボ島沖夜戦」で、米艦隊の奇襲で、艦橋に被弾し第6戦隊司令官が戦死するなど、大損傷を受けて内地に帰還し修復を受けました。その際に予備砲身のない第3主砲塔を撤去しています。

その後再びラバウルの第8艦隊所属となりますが、再び同方面で空襲により被弾、浅瀬に座礁してしまいます。

内地に帰還して再度修復後(追記:この修復の際に、3番主砲塔を復旧しています)は、第16戦隊旗艦として戦線に復帰します。速力が28ノットに落ちたこともあり主としてシンガポール方面での輸送任務に従事しました。その後、一時的に第16戦隊に編入された重巡「利根」「筑摩・などを率いてインド洋方面での通商破壊戦を行います。

レイテ沖海戦では後方での兵員輸送に携わりますが、ルソン島西方沖で米潜水艦の雷撃で大破し、三度、内地に帰還します。しかし損傷が大きく呉での修理の見込みの立たないまま、呉軍港で係留状態で浮き砲台となり対空戦闘を行いますが、1945年7月の米軍機による呉軍港空襲で被弾し、右舷に傾斜して着底してしまい、そのまま終戦を迎えました。

 

「衣笠」:太平洋戦争開戦時からガダルカナル緒戦まで、第6戦隊の一艦として僚艦「青葉」「古鷹」「加古」と行動を共にします。

サボ島沖海戦で僚艦「古鷹」が失われ、第6戦隊旗艦の「青葉」が損傷を受け内地に引き上げ、第6戦隊が解体された後も「衣笠」は第8艦隊の基幹戦力として、ソロモン海方面でガダルカナル島への輸送をめぐる戦闘を継続します。

1942年11月、第3次ソロモン海戦の第二ラウンドにガダルカナル島ヘンダーソン飛行場砲撃部隊(第7戦隊:重巡「鈴谷」「摩耶」基幹)の支援に出撃。砲撃成功後、合流して帰投中に、米軍機の数次の雷爆撃を受けて、中部ソロモン諸島ニュジョージア島南方で沈没しました。

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(直上の写真は、「青葉級」の2隻(上段)と大改装後の「古鷹級」を併せた第6戦隊4隻の勢揃い。この両級は、その開発意図である強化型偵察巡洋艦の本来の姿通り、艦隊の先兵として、太平洋戦争緒戦では常に第一線に投入され続けます。そして開戦から1年を待たずに、3隻が失われました)

 

このように、平賀デザインの第二弾として建造された「古鷹級」とその改訂版である「青葉級」の4隻は、軽装甲巡洋艦の強化型として世に問われ、軍縮条約の定義で新たに重巡洋艦(=カテゴリーA:重兵装軽装甲巡洋艦?)という艦種を生み出す一つの起点となりました。太平洋戦争初戦には常に第一線にあって活躍しましたが、開戦から比較的早い時期、1942年に、ガダルカナルの攻防戦に投入される中、ソロモン海で3隻が失われました。 残った「青葉」は終戦間際まで残存していましたが、終戦時には行動不能の状態でした。

 

「夕張」の技術的なチャレンジは、「古鷹級」「青葉級」で洗練され、次級「妙高級」で、名実ともに第一線級の戦力として結実してゆくわけですが、今回はここまで。

 

(その5) 「平賀デザイン」の重巡洋艦誕生、そしてABDA艦隊

ワシントン・ロンドン両海軍軍縮条約と「平賀デザイン」

1912年に締結されたワシントン海軍軍縮条約では、主力艦(戦艦・巡洋戦艦)および航空母艦には、主砲口径と基準排水量 、そして保有数には総合計排水量で制限がかけられました。

しかし、巡洋艦以下の補助艦艇には、排水量(10000トン)と搭載主砲(8インチ)に上限が設けられましたが、保有数には制限がかけられませんでした。そのために列強各国はこの条約の抜け穴ともいうべき「準主力艦」の建造を競います。

ワシントン体制で「主力艦=戦艦」の保有数に対英米60%の保有制限をかけられた日本海軍は、大正12年度計画(1923年)で、保有制限のない補助艦艇の分野で2種類の巡洋艦の建造計画を始動します。

一つは、本稿の前回(おっと、前々回?)でご紹介した、5500トン級軽巡洋艦を強化した7000トン級の偵察巡洋艦。この船は列強の軽巡洋艦を凌駕すべく、20センチ主砲を搭載した強化型偵察巡洋艦「古鷹級」として完成します。

もう一つが、今回、本稿で取り上げる、「主力艦」を補う役割の「準主力艦」として強力な打撃力を持った重装備巡洋艦妙高級」です。

いずれも造船官平賀譲の主導のコンパクト重装備をコンセプトにおいた設計をベースとし、日本海軍は、用兵側の要求として、兵器としての実用性、有効性に自信を持ちつつあった魚雷に重点をおいた、重雷装をその特徴として付加した巡洋艦シリーズを育て上げてゆくことになります。

 

「飢えた狼」と呼ばれた艦級(フネ) 

妙高重巡洋艦 -Myoko class heavy cruiser-(妙高:1929-終戦時残存 /那智:1928-1944/足柄:1929-1945/羽黒:1929-1945)   

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Myōkō-class cruiser - Wikipedia

妙高級」巡洋艦は、前述のようにワシントン体制の制約の中で、日本海軍初の条約型巡洋艦として設計・建造されました。すなわち、補助艦艇の上限枠である基準排水量10000トン、主砲口径8インチと言う制約をいっぱいに使って計画された巡洋艦であったわけです。

設計は平賀譲が主導しました。これまで本稿で見てきたように、彼は既に軽巡洋艦「夕張」、強化型偵察巡洋艦「古鷹型」でコンパクトな艦体に重武装を施すと言うコンセプトを具現化してきており、ある意味、本級はその「平賀デザイン」の集大成と言ってもいいでしょう。

後に、1930年のロンドン海軍軍縮条約では、それまで保有上限を設けていなかった補助艦艇にも保有数の制約が設けられました。特に巡洋艦については、艦体上限の基準排水量10000トンについては変更されませんでしたが、主砲口径でクラスが設けられ、8インチ以下6.1インチ以上をカテゴリーA(いわゆる重巡洋艦の定義がこうして生まれたわけです)とし、日本海軍は対米6割の保有上限を課せられました。「妙高級」の竣工が1929年である事を考慮に入れると、「古鷹級」「妙高級」などの登場による日本式コンパクト重装備艦に対する警戒感が背景の一つにあったと言ってもいいでしょう。

これにより、本来は上述のように強化型偵察巡洋艦であった「古鷹級」、その改良型である「青葉級」も、「準主力艦」として建造された「妙高級」も、一括りにカテゴリーA(重巡洋艦)と分類され、その総保有数が制限されることになります。

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(直上の写真は、「妙高級」重巡洋艦の竣工時の概観。166mm in 1:1250 by Konishi) 

 

設計と建造

妙高級」は、その設計は、前級である「古鷹級」「青葉級」の拡大型と言えるでしょう。

しかし、強化型偵察巡洋艦として、5500トン級軽巡と同様に時として駆逐艦隊を率いて前哨戦を行う可能性のある「古鷹級」「青葉級」と異なり、強力な攻撃力と防御力を併せ持つ準主力艦を目指す本級では、平賀は、用兵側が強く要求した魚雷装備を廃止し、20センチ連装主砲塔5基を搭載する、当時の諸列強の巡洋艦を砲力で圧倒する設計を提案しました。

平賀のこの設計の背景には、竣工当時の魚雷に、上甲板からの投射に耐えるだけの強度がなく、一段低い船内に魚雷発射管を設置せねばならなかったと言う事情が強く働いていたようです。平賀は艦体の設計上、被弾時の魚雷の誘爆に対する懸念から、船内への搭載に強く抵抗し、「妙高級」では用兵側の要求であった20センチ砲8門搭載を10門に増強することにより、雷装を廃止した設計を行い、用兵側の反対を受け入れず押し切ったと言われています。 

平賀にすれば、同級は20センチ砲10門に加えて、12センチ高角砲を単装砲架で6基搭載しており、「水雷戦隊を率いる可能性のある偵察巡洋艦ならまだしも、準主力艦である本級にはすでに十分強力な砲兵装が施されており、誘爆が大損害に直結する船体魚雷発射管の装備は見送るべき」と言うわけですね。

この提案は一旦は承認されましたが、軍令部は平賀の外遊中に留守番の藤本造船官に、魚雷発射管を船体内に装備するよう、設計変更を命じました。この時同時に、「青葉級」の主砲搭載形式でも、軍令部の連装砲塔搭載の要望に対し、船体強度の観点から「古鷹級」で採用した単装砲架形式を主張して譲らない平賀の設計を、やはり軍令部は藤本に命じて設計変更をさせています。用兵当事者から見れば、平賀は自説に固執し議論すらできない、融通の効かない設計官と写っており、この後、平賀は海軍の艦艇設計の中枢を追われることになります。

結局、建造された「妙高級」は、正20センチ主砲を連装砲塔で5基、12センチ高角砲を単装砲架で6基、61センチ3連装魚雷発射管を各舷2基、計4基を搭載する強力な軍艦となりました。

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(直上の写真は、「妙高級」重巡洋艦の竣工時の主砲配置と単装高角砲の配置。かなり砲兵装に力を入れた装備ですね)

 

さらに、航空艤装としては水上偵察機を2機収納できる格納庫を艦中央部に設置し、当初から射出用のカタパルトを搭載していました。 

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(直上の写真は、「妙高級」重巡洋艦の竣工時の魚雷発射管。「古鷹級」と同様、当時の魚雷の強度を考慮し、船体内に搭載されています。;上段写真/ 下段写真は航空艤装。当初からカタパルトを装備していました。水上偵察機を2機収納できる格納庫はカタパルトの手前の構造物) 

 

数値的には列強の同時期の条約型重巡洋艦よりも厚い装甲を持ち、重油専焼缶12機とタービン4基から35.5ノットの最高速度を発揮する設計でした。

すでにこの時期には平賀は海軍建艦の中枢にはいませんでしたが、ある意味「平賀デザイン」の集大成であり、ロンドン軍縮条約の制約項目まで影響を与えるほど、列強から「コンパクト強武装艦」として警戒感を持って迎えられた「妙高級」ではあったわけですが、やはり実現にはいくつかの点で無理が生じていました。一つは制限の10000トンを大きく超えた排水量となったことであり、設計と建造技術の乖離が顕在化する結果となりました。併せて、連装砲塔5基に搭載した主砲だったわけですが、その散布界(着弾範囲=命中精度)が大きく、主砲を6門、同じ連装砲塔形式で搭載した前級「青葉級」よりも低い命中精度しか得られないと言う結果となりました。さらに、上記の経緯で無理をして魚雷発射管を船体内に搭載したため、居住スペースが縮小され、居住性を劣化させることになりました。

こうしたその強兵装に対する畏怖と、一方で、あらゆる兵装を詰め込んだことから生じる劣悪な居住性などへの疑問(嘲笑)から、同級を訪れた外国海軍将校から「飢えた狼」と言う呼称をもらったことは有名な逸話となっています。

 

その大改装

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(直上の写真は、「妙高級」重巡洋艦の大改装後の概観。166mm in 1:1250 by Neptune) 

 

1932年からの第一次改装と1938年の第二次改装で、同級は、主砲口径を正20センチから8インチ8(20.3センチ)に拡大しました。これにより、主砲弾重量が110kgから125kgに強化されました。また高角砲を単装砲架6基から連装砲4基へと強化、さらに懸案の魚雷発射管を船内に搭載した3連装発射管4基から、上甲板上に搭載する4連装魚雷発射管4基として、各舷への射線を増やすとともに、より強力な酸素魚雷に対応できるよになりました。

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(直上の写真は、「妙高級」重巡洋艦の竣工時と大改装後の主要な相違点。左列は魚雷発射管の装備位置:大改装後、発射管は上甲板上に装備されました。右列は水上偵察機の搭載位置の変化:大改装後にはカタパルトが2機に増設され、整備甲板が設置されました)

 

上甲板上の魚雷発射管を覆う形状で水上偵察機の整備甲板を設置し、カタパルトを増設、搭載水上偵察機数も増やしています。

この大改装で、排水量が増加し、速力が33ノットに低下しています。

 

その戦歴

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(直上の写真は、「妙高級」重巡洋艦の勢揃い)

 

妙高」:太平洋戦争開戦時、「妙高級」4隻は第5戦隊を編成し、「妙高」は同戦隊の旗艦でした。第5戦隊は第3艦隊に所属し、フィリピン攻略戦に従事しました。その後、同戦隊はジャワ攻略戦に転戦するためにダバオに集結。そこで米軍機の空襲を受け、「妙高」は修理に2ヶ月を要する損傷を受けました。これは太平洋戦争での、大型軍艦としては最初に損傷を受けた艦となってしまいました。

損傷修復後には、スラバヤ沖海戦の最終海戦に参加。その後、珊瑚海海戦には空母機動部隊の直衛部隊の旗艦を務めます。

ミッドウェー海戦、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦などに参加したのち、ブーゲンビル島沖海戦では、来攻する米軍を迎え撃つ襲撃艦隊を率いて戦いました。

マリアナ海戦を経て、1944年10月レイテ沖海戦には、第2艦隊(栗田艦隊)第5戦隊の旗艦として僚艦「羽黒」を率いて参加しますが、シブヤン海で米機動部隊の空襲で避雷し、艦隊から落伍してしまいました。海戦後、損傷修理のために内地への回航中に米潜水艦の雷撃により、艦尾部を切断、内地回航を諦めシンガポールに曳航され、航行不能状態のまま同地で防空艦として終戦を迎えました。

 

那智」:太平洋戦争開戦時、第5戦隊の一員としてフィリピン攻略戦に参加。損傷した「妙高」に代わり第5戦隊旗艦となり、その後のジャワ方面の攻略戦に参加します。スラバヤ沖海戦(後述します)で、連合国艦隊(いわゆるABDA艦隊)に勝利したのち、一転して北方部隊に編入され、北方部隊の基幹部隊である第5艦隊旗艦となります。

第5艦隊旗艦としてミッドウェー作戦と並行して実施されたアリューシャン作戦に参加。アッツ沖海戦、キスカ撤退作戦に参加した後、戦局の悪化に伴い、第5艦隊は北方警備から転じて、本州南部の警備に従事し、台湾沖航空戦での残敵掃討(実は米艦隊はほとんど損傷していなかったので幻の「残敵」を追うことになったわけですが)に出撃しますが、もとより残敵に遭遇することなく南西諸島・台湾方面に待機することになりました。

1944年10月のレイテ沖海戦には、第2遊撃部隊(第5艦隊、志摩部隊)旗艦として、第1遊撃部隊別働隊の西村艦隊(第2戦隊基幹)の後を追って、スリガオ海峡に突入します。が、先行した西村艦隊の壊滅時の混乱に巻き込まれ損傷して退避中の西村艦隊の重巡「最上」と衝突、指揮官の志摩中将は突入を断念し、戦場から退避を下令します。(余談ですが、この志摩中将の判断は、欧米の戦史研究では、「同海戦での、日本海軍首脳のほぼ唯一の理性的な判断」と評価が高いようです。一見、華々しい「勇戦」(=同海戦ではこの「勇戦」は艦隊をすり潰すことにほぼ等しいのですが)よりも、戦いの粘り強さ、のようなものを評価視点にするのは、文化的な差異でしょうか?それとも、「合目的性」に対する適合性という視点でしょうか?)

海戦敗北後、同艦はマニラ周辺での輸送任務に従事しますが、1944年11月初旬の米艦載機のマニラ湾空襲で爆弾と魚雷を多数受け、沈没しました。

 

「足柄」:太平洋戦争開戦時には、第5戦隊の序列を離れフィリピン侵攻作戦の主隊である第16戦隊旗艦となり、同戦隊の所属する第3艦隊の旗艦も併せて務めます。同戦隊はフィリピン攻略戦、ジャワ方面攻略戦に転戦しました。

ついで第2南遣艦隊旗艦となり、シンガポール方面の警備等に従事しました。その後、第5艦隊に所属し北方警備に従事した後、第5艦隊所属のまま、台湾沖航空戦での「残敵掃討」任務(実際には米艦隊にはほとんど損害がなかったため「残敵」などなく、空振りの出撃となりましたが)に出撃し、台湾方面に遊弋中に、志摩艦隊の一員として僚艦「那智」とともにレイテ沖海戦に参加しました。

海戦敗北後、南西方面艦隊所属となり、「日本海軍の最後の組織的戦闘での勝利」と言われる「礼号作戦」に参加した後、南方に分断された艦艇で編成された第10方面艦隊に所属しました。1945年6月、単艦で陸軍部隊の輸送任務中に英潜水艦の雷撃を受け、沈没しました。

 

「羽黒」:太平洋開戦時には、僚艦とともに第5戦隊に所属し、フィリピン作戦、ジャワ方面での作戦に参加しました。その後、第5航空戦隊の直衛として珊瑚海海戦に参加、ミッドウェー海戦を経て、ソロモン方面に進出して第二次ソロモン海戦ブーゲンビル島沖海戦等に参加しています。その後、マリアナ沖海戦では、米潜水艦の雷撃で撃沈された第1機動艦隊旗艦の「大鳳」から、小沢司令部を一時的に収容しました。

続くレイテ沖海戦では、第一遊撃部隊(第2艦隊主隊:栗田艦隊)に編入され、米艦載機の爆撃で損傷を負いながらサマール沖海戦で米護衛空母艦隊を追撃するなど活躍しました。

その後は 南西方面艦隊に所属し、シンガポール方面での輸送任務についていましたが、1945年5月、輸送任務中に英海軍機の攻撃で被弾損傷、その後、英駆逐艦隊と交戦し英駆逐艦の雷撃で沈没しました。

 

以上のように、「妙高級」はそのネームシップである「妙高」を除いて、全てレイテ沖海戦後に失われました。

 

スラバヤ沖海戦

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この海戦は、「妙高級」4隻が揃って参加した海戦です。

第3艦隊によるジャワ方面の攻略戦支援艦隊と、これを阻止しようとした連合国艦隊の間の戦いです。連合国艦隊はイギリス、アメリカ、オランダ、オーストラリアの4カ国の巡洋艦駆逐艦で構成されていました。このABDA(America, British, Dutch, Australia)艦隊は巡洋艦5隻と駆逐艦9隻で編成されていましたが、その実態は、シンガポール、フィリピン等の失陥に伴って、拠点を失った各国海軍が周辺から行動可能な艦を寄せ集めて編成したもので、これをオランダ海軍のドールマン少将が指揮しました。

 

ABDA艦隊の編成

軽巡洋艦 デ・ロイテル (オランダ)

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HNLMS De Ruyter (1935) - Wikipedia

同艦はオランダ海軍が植民地警備のために1隻のみ建造した軽巡洋艦です。6642トンの船体に15センチ速射砲(大仰角を取ることが可能で、高角砲としても機能できる)の連装砲塔3基と単装砲1基(砲架形式)、計7門を装備し、32ノットの速力を出すことができました。

大戦直前に東インド植民地艦隊の旗艦の任につきました。 

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(直上の写真は、軽巡洋艦「デ・ロイテル」の概観。142mm in 1:1250 by ??? どこのモデルだったっけ?そびえ立つ塔構造の艦橋が、全体の印象を軽巡洋艦らしからぬ重厚さを醸しています。植民地警備に特化した本艦ならではの外観、と言っていいのではないでしょうか?実は、このモデル、やや重厚に過ぎるようにずっと思っています。ずっと適当なモデルを探してはいるのですが・・・。実はお勧めはRhenania社製の下の写真のモデル。

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ebayなどでは何度か見かけているのですが、なかなか入手できていません。写真はantics onlineから拝借しました。うーん、56£(7300円?)、しかもいつ見てもSold Out。Rhenania 1/1250 De Ruyter, Dutch cruiser, WW2 Rhe77

(直下の写真は、「デ・ロイテル」の特徴的な主砲配置。艦首部に連装砲塔と単装砲架を背負式に、艦尾部には連装砲塔を背負式に配置しています) 

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オランダ軽巡洋艦「デ・ロイテル」のリファイン版

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(直上の写真:オランダ海軍軽巡洋艦「デ・ロイテル」の概観 137mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs)

 

上記の様に求めているのはRhenania社製の模型でしたが、この模型が大変希少なため、なかなか入手できません。そこで、ということで、今回、最近何かとお世話にないっている3Dプリンティングモデル(Tiny Thingamajigs社製)を入手し完成させました。

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(直上の写真は、ABDA艦隊の基幹部隊となったオランダ艦隊の軽巡洋艦「デ・ロイテル」と軽巡洋艦「ジャワ」「デ・ロイテル」はかなりスリムになったのですが、今度は「ジャワ」(Star社製)の乾舷の高さが気になりだしました。Star社のモデルは端正なフォルムで、概ね気に入っているのですが、時折、乾舷が高過ぎる傾向があります。ゴリゴリ削ってみましょうか?まあ、それはいずれまた。今回は大満足!)

 

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(直上写真は新着のTiny Thingamajigs社製モデル(左)と、従来のモデルの比較。そして直下の写真は、両モデルの艦首形状の比較:下段が今回新着のTiny Thingamajigs社製モデル。従来モデルで気になっていたモデルの「大柄さ」は改善されている様に思います。満足!)

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軽巡洋艦 ジャワ(オランダ)

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Java-class cruiser - Wikipedia

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(直上の写真は、「ジャワ級」軽巡洋艦の概観。125mm in 1:1250 by Star) 

 

軽巡洋艦「ジャワ」はオランダ海軍が第一次世界大戦後、植民地警備の目的で建造した軽巡洋艦です。5185トンの船体に、15センチ速射砲10門を装備し、30ノットの速力を有していました。魚雷は装備していませんでした。

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(直上の写真は、「ジャワ級」軽巡洋艦の兵装配置。単装砲架を10基搭載し、両舷に対し7射線を確保しています。軽巡洋艦としては強力な砲兵装を有しています。魚雷は搭載していませんでしたが、艦尾部にはかなり大規模な機雷敷設設備を保有しています。植民地警備に特化した本級ならではの特徴と言っていいのではないでしょうか?「ジャワ」はスラバヤ沖海戦で、艦尾に日本海軍の魚雷を受けて轟沈するのですが、これは艦尾の機雷庫の誘爆では?)

 

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(直上の写真は、スラバヤ沖海戦に参加した艦艇。「デ・ロイテル」「ジャワ」の2軽巡に加えて、アドミラル級駆逐艦「コルテノール」「ヴィデ・デ・ヴィット」)

 

重巡洋艦 エクセター(イギリス)

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York-class cruiser - Wikipedia

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(直上の写真は、重巡洋艦エクセター」の概観。138mm in 1:1250 by Neptune) 

 

エクセター」は「ヨーク級重巡洋艦の2番艦として建造されました。「ヨーク級」は、いわゆる条約型巡洋艦の一連のシリーズに属し、英国の通商航路保護の要求によって隻数を揃えるために、前級「カウンティ級」よりも装甲が強化された代わりに、連装砲塔を1基減じて、排水量を抑え、建造費用を安価にした設計でした。「エクセター」は8390トンの船体に8インチ砲6門を搭載し、53.3cm3連装魚雷発射管を2基、装備していました。速力は32ノットを発揮。

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(直上の写真は、「エクセター」の主砲配置と航空艤装。魚雷発射管の搭載位置:下段写真)

エクセター」は、第二次世界大戦開戦後、大西洋で大暴れしたドイツが放った通商破壊艦(ポケット戦艦)「グラーフ・シュペー」の追跡戦で活躍し、「グラーフ・シュペー」の11インチ砲によって大損害を受けながらも、ラプラタ河口で自沈に追い込んだことで有名になりました。

 

軽巡洋艦 パース(オーストラリア)

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「パース」は、「リアンダー級」軽巡洋艦の改良型として建造された「パース級」軽巡洋艦ネームシップです。「リアンダー級」からの改正点は、機関の配置で、これに伴い、前級「リアンダー級」が船体中央に大きな集合煙突を持ったいたのに対し、本級では二本煙突と、外観に差異が生じています。

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(直上の写真は、オーストラリア海軍「パース級」軽巡洋艦の概観。同級は、英海軍「アンフィオン級」軽巡洋艦として3隻建造され、3隻とも後にオーストラリア海軍に供与されました。135mm in 1:1250 by Neptune)

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(直上の写真は、「パース級」軽巡洋艦の前級(準同型艦)である「リアンダー級」軽巡洋艦の概観。 参考値:「リアンダー級」135mm in 1:1250 by Neptune) 

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直上の写真は、「リアンダー級」軽巡洋艦(上段)と「パース級」軽巡洋艦の概観比較。「パース級」との外観上の相違点は煙突の形式。「リアンダー級」は集合煙突形式ですが、「パース級」は機関配置を変更したため、二本煙突になっています)

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(直上の写真は、「パース級」軽巡洋艦の主砲配置(上段・下段)と艦中央部(中段)。1941年の短期間、「パース」は航空艤装を撤去している。モデルはカタパルトを装備していいないところから、その時期を再現したものかも。魚雷発射管の搭載位置は高角砲搭載甲板の下(下段))

 

同級は3隻が建造され、建造当初は英海軍に属し「アンフィオン」「アポロ」「フェートン」と言う名前で就役しました。後に3隻ともオーストラリア海軍に供与され、それぞれ「パース」「ホバート」「シドニー」と改名されました。

7000トン弱の船体に、6インチ連装速射砲4基、53.3cm4連装魚雷発射管2基を搭載していました。

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(直上の写真は、ABDA艦隊に参加した「エクセター」と「パース」の外観。「エクセター」が重巡洋艦としては、比較的小ぶりであることがわかります。英連邦艦隊はABDA艦隊にスラバヤ沖海戦には2隻の巡洋艦と3隻の駆逐艦で参加しました) 

 

重巡洋艦 ヒューストン(アメリカ)

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Northampton-class cruiser - Wikipedia

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(直上の写真は、「ノーザンプトン級」重巡洋艦の概観。146mm in 1:1250 by Neptune) 

「ヒューストン」は米海軍が建造した条約型重巡洋艦の第2グループ「ノーザンプトン級」の5番艦です。前級「ペンサコーラ級」から8インチ主砲を1門減じて、3連装砲塔3基の形式で搭載しました。砲塔が減った事により浮いた重量を装甲に転換し、防御力を高め、艦首楼形式の船体を用いることにより、凌波性を高めることができました。9000トンの船体に8インチ主砲9門、53.3cm3連装魚雷発射管を2基搭載し、32ノットの速力を発揮しました。

航空艤装には力を入れた設計で、水上偵察機を5機搭載し、射出用のカタパルトを2基、さらに整備用の大きな格納庫を有していました。

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(直上の写真は、「ノーザンプトン級」重巡洋艦の主砲配置と航空艤装の概観。水上偵察機の格納庫はかなり本格的に見えます(中段)。同級は竣工時には魚雷を搭載していたはずですが、既にこの時点では対空兵装を強化し、魚雷発射管は見当りません) 

 

同型艦は6隻が建造されましたが、そのうち「ヒューストン」を含め3隻が、太平洋戦争で失われました。

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(直上の写真は、ABDA艦隊参加時:スラバヤ沖海戦時のアメリカ艦隊。重巡洋艦「ヒューストン」と「クリムゾン級」駆逐艦4隻:「ジョン・D・エドワーズ」「ポール・ジョーンズ」「ジョン・D・フォード」「オールルデン」「ポープ」が参加しました) 

 

海戦の詳細は例によって他に譲るとして、この46時間の長時間にわたる海戦は、数段階に分けて行われ、その海戦前半はは第5戦隊主隊の戦隊旗艦「那智」と「羽黒」が、そして海戦後半では前半で砲弾も魚雷もほとんどを使い果たした両艦に代わり、第3艦隊旗艦として作戦全般式していた「足柄」と、爆撃による損傷の修理を終えた「妙高」が参加しました。

 

(雑感:酸素魚雷のこと)

こうして改めてその装備を見ると、この時点で、やはり日本海軍の魚雷装備が連合国の装備を凌駕していたことが、かなりはっきりと分かります。日本海軍が61cmの魚雷発射管を全ての重巡洋艦軽巡洋艦駆逐艦が装備していたのに対し、 連合国の雷装は全て53.3cmです。さらにこの時期、日本海軍は酸素魚雷を実装していましたので、その射程、威力には格段の差があったわけです。

海戦の経緯を見ると、日本艦隊はアウトレンジにこだわった戦い方をしたように見えます。これは、緒戦での軍艦に対する極度の損害恐怖症(物量で優位には立てない日本海軍は宿命的にこの損害に対する恐怖感を持っているように感じます。総力戦は、ある程度の損害は盛り込んでおかねばならないのですが、この恐怖感の為、常にどこか一歩踏み込めず、勝利を拡大する機会を失い、あるいは劣勢に対し粘りがなく、淡白になっているような気がするのですが)から来るものか、あるいは圧倒的に優位に立っている酸素魚雷の長大な射程に大きな期待を持った為か、その両者があいまった結果のような気がします。

参考までに、日本海軍の酸素魚雷(93式1型)と米海軍のMk-15(標準的な水上艦用の魚雷)の諸元を比較しておきます。

93式1型(酸素魚雷):直径61cm /炸薬量492kg /雷速40knotで射程32000m, 雷速48knotで射程22000m

Mk-15(空気式):直径53.3cm /炸薬量374kg /雷速26.5knotで射程13700m, 雷速45knotで射程5480m

炸薬の量も、射程も、圧倒的!まあ、このデータを見ると、使って威力を見てみたい、と言うのもなんとなく頷けますね。

確かにABDA艦隊の5隻の巡洋艦のうち、「デ・ロイテル」「ジャワ」の2隻は、夜戦での長距離砲戦では大した損害を受けなかったにも関わらず、明らかに遠距離から日本艦隊の放った魚雷が1本づつ命中し、行き足が止まり撃沈されています。

 

もう一つ、この海戦では上記のように酸素魚雷は大きな戦果をあげているのですが、実は同海戦の前半戦では水中から飛び出したり、自爆したりと言う不備が続発していたようです。これは一つには爆発栓(魚雷を命中と同時に起爆させる装置)の感度設定が高過ぎ、波浪で爆発してしまったことと、投射時の衝撃への耐性が想定より低かった、と言う事が原因として海戦後に解明されたそうです。

妙高級」の竣工時には魚雷の強度が不足する為に、魚雷発射管を上甲板上に設置できず、一段低い船体内に発射管を設置せねばならなかったのですが、大改装の際に、魚雷の強度が向上し上甲板の旋回式の魚雷発射管での装備に変更し、被弾時の魚雷の誘爆対策としたわけです。しかし、実戦ではやはり高速航行での発射など、まだ強度が不足する場面が生じた、と言うことでしょうか。

 

その後の、日本海軍が修めたいくつかの海戦での勝利を見ると(その全てが、巡洋艦駆逐艦主体の小艦隊同士の海戦だったと言っていいと思うのですが)、その殆どが魚雷戦での勝利であるように思われます。やはり、酸素魚雷の長射程、大炸薬量は効果的だった、と言うことかもしれません。

しかし、戦局を大きく左右する戦闘は、圧倒的な戦力を誇る米空母機動部隊の制するところであり、そのような海空戦では、魚雷の出番などあるはずもなく、日本海軍は勝利から遠のいて行くことになります。

戦局へ魚雷が大きな影響を与える事ができる可能性は、実は潜水艦戦にはあったと考えるのですが、優秀な潜水艦部隊を持ちながら、彼らが戦局を左右するような戦果を上げる事はありませんでした。

それでも、輸送船団相手の通商破壊戦での可能性で、日本海軍が構想していた艦隊決戦の前哨戦、と言う位置づけでは、ドイツのUボートが戦争中盤以降、船団相手ですらあれだけ封殺されたことを考えると、空母機動部隊相手では、20000m程度の射程では、やはりあまり効果を上げる機会はなかったかもしれませんね。

 

  (その6) 重巡洋艦の決定版登場 そして第一次ソロモン海戦

最後の条約型一等巡洋艦

期せずして、巡洋艦にカテゴリーA(重巡洋艦)と言う区分を設け、その保有数が制限されるロンドン体制のきっかけとなった「妙高級」重巡洋艦でしたが、いわゆる「平賀デザイン」巡洋艦の頂点として重武装コンパクト艦を実現する一方で、様々な課題を内包していた事は、本稿で既述した通りでした。

これに対する「解」として設計されたのが「高雄級」重巡洋艦だったわけなのですが、この艦級の建造により、日本海軍のカテゴリーA(=重巡洋艦=一等巡洋艦)の保有枠は制限一杯となり、以降の巡洋艦は全てカテゴリーB(=軽巡洋艦=二等巡洋艦)として設計されました。

つまり、本級が、日本海軍が設計した最後のカテゴリーAとなったわけです。

 

重巡洋艦の集大成

高雄級重巡洋艦 -Takao class heavy cruiser-(高雄:1932-終戦時残存/愛宕:1932-1944/鳥海:1932-1944/摩耶:1932-1944)   

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Takao-class cruiser - Wikipedia

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(直上の写真は、「高雄級」:竣工時の概観。 165mm in 1:1250 by Konishi )

 

「高雄級」重巡洋艦は、基本的に前級「妙高級」の改良型として設計されました。しかし設計は平賀譲の手を離れ、その後継者と目される藤本喜久雄(当時造船大佐)によるものでした。前回「妙高級」でも触れましたが、平賀譲は造船家として優れた設計思想をもち、その設計した軽巡洋艦「夕張」、「古鷹級」巡洋艦、「妙高級」重巡洋艦など、海外から大きな脅威として見られたシリーズ(この一連のシリーズに対する脅威から、主力艦に保有制限を設けたワシントン体制から、補助艦艇にも保有制限を設けるロンドン条約が生まれたほどです)を生み出した反面、「不譲=譲らず」の異名をつけられるほど自説に対する自信が強く、時に用兵者の要求も一顧だにせずはねつける、あるいは「完成形」を求めるあまり工数、費用、量産性などを考慮しないなど、毀誉褒貶の激しい人物でした。この為、海軍の造船中枢からは外されてしまいました。 

前級との主な差異は、主砲口径を最初から条約制限上限の8インチ(20.3cm)とし、連装主砲砲塔5基の配置形態はそのままにして、前後の配置間隔を詰めることにより集中防御を強化したこと、新砲塔の採用により主砲の仰角をあげ、対空射撃能力を主砲にも持たせ、これにより高角砲の搭載数を減じたこと、そして何より被弾時の誘爆損害が大きな懸案だった船体内に装備された魚雷発射管を上甲板上に装備する配置に変更したことが挙げられるでしょう。

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(直上の写真は、「高雄級」:竣工時の特徴をクローズアップしたもの。巨大な艦橋(下段左)。単装高角砲と、設計時から上甲板上に設置された魚雷発射管:新型砲塔の採用で主砲の仰角を上げることで対空射撃にも対応できる設計として、単装高角砲は前級の6基から4基に減じられています(上段)。拡充された航空艤装:設計当初からカタパルトを2基搭載していました(下段右))

 

航空艤装も強化され、前級までは1基だったカタパルトを2基装備にすることにより、水上偵察機の運用能力の向上が図られました。

一方で、上記の「平賀はずし」の経緯の反動で、用兵側の要求に対する異論が唱えにくい空気が醸成されたことも事実で、それが戦隊(艦隊)旗艦業務などに対応する為の艦橋の著しい大型化などとなって現れ、高い重心から「妙高級」に対しやや安定性と速力で劣る仕上がりとなりました。

 

大改装

同級のうち「高雄」と「愛宕」は、1939年から数次にわたる改装を受けました。

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(直上の写真は、「高雄級」:大改装後の概観。by Konishi )

 

課題であった艦橋の若干の小型化とバルジの大型化による復原性(安定性)の改善、航空艤装の変更(格納庫を廃止し、基本、搭載機の甲板係留としました。整備甲板を増設し、配置を変更、水上偵察機の搭載定数を2機から3機に増加しています)、魚雷発射管の連装発射管4基から4連装発射管4基への換装、高角砲を正12cm単装砲4基から5インチ連装砲4基8門に強化したことなどが挙げられます。 

この最後の高角砲の強化については、竣工時の設計では既述のように新砲塔の採用で主砲に対空射撃能力を付与することによって高角砲の搭載数を前級「妙高級」よりも減じた同級だったのですが、8インチ主砲での対空射撃では射撃間隔が実用に耐えず、結局高角砲を強化せざるを得なかった、という背景がありました。

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(直上の写真は、「高雄級」:竣工時(上段)と大改装後の概観比較。舷側の大きなバルジの追加が目立ちます。さらに、航空艤装の構造が変更され、後檣の位置が変わっています)

 

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(直上の写真は、「高雄級」:竣工時(上段)と大改装後の変化をもう少し詳細に見たもの。左列:艦橋が小型化してます。写真ではちょっとわかりにくいのですが、かなり大幅な小型化です。一段低くし、同時に簡素化が行われた、と言う表現がいいでしょうか?時折「最上級」に倣って、と言うような表現も目にしますが、それはちょっと言い過ぎかと。右列:高角砲は連装に変更されています。主砲での対空射撃は、構想としては両用砲的な活用の発想で、意欲的ではありましたが、射撃速度と弾速が航空機の速度を勘案すると実用的ではなかったようです。そのため、高角砲自体を強化する必要があったようです。高角砲甲板の下の魚雷発射管については、配置自体には変更は見られませんが、発射管を連装から4連装に強化しています)

 

「摩耶」の防空巡洋艦

「摩耶」は上記の大改装を受けずに太平洋戦争に臨みましたが、1943年ラバウルで米艦載機の空襲で被弾大破。その修復の際に3番主砲塔を撤去し、連装対空砲を2基増設し6基12門、さらに対空機銃多数を増設し、防空巡洋艦化を行いました。この際に、復原性改善の為のバルジ増設、魚雷装備の換装なども併せて行っています。

(この状態での模型が、今、手元にありません。模型自体はNeptuneから市販されています。入手次第、公開します。ご容赦を)

 

その戦歴

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(直上の写真は、太平洋戦争開戦時の第4戦隊。手前から「愛宕」「高雄」「鳥海」「摩耶」。舷側のバルジの有無と、後檣の位置で判別できます。同級は、その設計時に旗艦設備を組み込んだ大型艦橋をもたされていたため、他の艦隊への派出が相次ぎ、なかなか4隻揃って出撃する、と言う機会がありませんでした。1944年10月のレイテ沖海戦には、第2艦隊の旗艦戦隊として、4隻揃って出撃しましたが、出航翌日、うち3隻が米潜水艦の攻撃で被雷。2隻が沈没し、1隻が戦列を離れてしまいます)

 

「高雄」:太平洋開戦時には、南方作戦全般の指揮をとる第2艦隊(近藤信竹中将)の直卒主隊である第4戦隊に所属し、フィリピン攻略戦、ジャワ攻略戦等に参加しています。

ミッドウェー海戦では、僚艦「摩耶」と共に第4戦隊第2小隊を編成し、アリューシャン作戦に分派され、その後、ソロモン方面での第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦、第三次ソロモン海戦などに参加しています。

米艦隊によるラバウル空襲で被弾。損傷修復のために内地にひきあげたのち、マリアナ沖海戦を経て、1944年10月、栗田艦隊(第二艦隊第一遊撃部隊)の一員として、レイテ沖海戦に、同型艦4隻揃って参加しました。しかし艦隊出撃の翌日、パラワン島沖で、米潜水艦の魚雷を2発被雷し、一時航行不能になり、そのままブルネイに引き返しました。その後、シンガポールに回航され修復を行いますが、英海軍のコマンド部隊の爆破工作など(戦争末期に落日の日本軍相手に、そんな危険な作戦を行ったんですね。イギリス人のモチベーションは、時折よくわからない)で再び損傷を受け、そのまま終戦を同地で迎えました。

 

愛宕」:太平洋戦争開戦時には、緒戦の南方作戦統括の第2艦隊旗艦として参加しています。マレー作戦、蘭印攻略戦などを支援した後、ミッドウェー作戦では、ミッドウェー島攻略部隊本隊旗艦として参加。

その後、主戦場がソロモン方面に移ると、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦、第三次ソロモン海戦に活躍しました。

第三次ソロモン海戦では、ガダルカナル島ヘンダーソン基地(飛行場)砲撃主隊である第11戦隊(「比叡」「霧島」)の支援部隊として参加。緒戦では、警戒中の米巡洋艦隊と第11戦隊が夜間遭遇戦を展開し乱戦の末、旗艦「比叡」が大損傷を受け砲撃は未遂に終わります。(「比叡」は翌日、米軍機の攻撃を受け自沈)

愛宕」に座乗する近藤司令長官は、直卒する第4戦隊主隊とともに「霧島」による飛行場砲撃を再起しますが、途上で阻止を狙う米戦艦隊(「ワシントン」「サウスダコタ」基幹)と再び遭遇戦となってしまいます。乱戦になり「サウスダコタ」に大損害を与えつつも、16インチ砲を装備した戦艦2隻には歯が立たず(「霧島」は14インチ砲装備)、「ワシントン」のレーダー管制射撃を浴びて「霧島」は大破、翌日、沈没します。

この乱戦中に、「愛宕」は19本の魚雷を射出しますが、命中させることはできませんでした。

第2艦隊司令長官が開戦以来の近藤中将から栗田中将に交代しますが、旗艦は引き続き「愛宕」が務めることとなりました。内地での「ラバウル空襲」で受けた損傷を修理した後、マリアナ沖海戦に参加。この海戦では、第2艦隊はそれまで連合艦隊主隊として活動してきた「大和」「武蔵」「長門」など戦艦部隊も戦列に加え、小沢中将の第3艦隊(空母機動部隊)と統合艦隊(第1機動艦隊)を編成し、小沢中将がこれを統合指揮する体制に移行しています。

マリアナ沖海戦は日本海軍がそのほぼ全力を集中して戦った、いわゆる念願の艦隊決戦だったわけですが、結果、その空母戦力を喪失(特に艦載機部隊の損耗が激しく、敗戦まで、この損害を立て直せませんでした)してしまいました。

次のレイテ沖海戦では、この空母機動部隊の残存兵力(小沢中将指揮の第3艦隊基幹。その艦載機は、実質空母1隻分程度でしたが)を囮に使い、これに米空母機動部隊が誘引される隙に水上戦闘艦隊(第2艦隊基幹:栗田中将指揮)が米上陸部隊を攻撃する、という構想の戦闘計画が実行されました。

愛宕」はこの作戦でも引き続き第2艦隊旗艦を務めました。

1944年10月、栗田中将率いる第一遊撃部隊(第2艦隊主力部隊)はブルネイを出航。戦艦5、重巡洋艦10、軽巡2、駆逐艦15からなる大艦隊でした。出航の翌日、パラワン沖で米潜水艦の雷撃を受け、4本の魚雷が命中。約20分で、沈没しました。

愛宕」は旗艦でしたので、栗田中将以下艦隊司令部が搭乗していたのですが、彼らは海中に避難後、駆逐艦を経て、「大和」に収容され、以後は「大和」が旗艦となりました。

***栗田中将はレイテ海戦前に、この作戦は、これまでの空母機動部隊主力の作戦と異なり水上戦闘艦艇が日本艦隊の主力となる戦いとなるために、旗艦を「愛宕」から、艦隊の最も新しい戦艦で、戦闘力も防御能力もさらに情報収集のための通信能力も高い「大和」に変更する希望を連合艦隊司令部に出した、と言われています。しかし連合艦隊司令部は「第2艦隊の旗艦は開戦以来「愛宕」だから」という、理由にもならないような理由でこれを却下したと言われています。

栗田中将が連合艦隊司令部から軽んじられていた、信頼されていなかった、というような穿った見方もありますが、もしこれが真実であれば、そのような評価の人物に、この重要な、ことによると日本海軍の最後の作戦となるかもしれないような作戦の指揮を任せた、というのは、どういうことなんでしょうか?

「真面目に戦ったのは、小沢と西村だけ」というような戦後評価があり、常にそうした場面で栗田中将は割りを食ってきていますが、連合艦隊司令部、あるいは軍令部が真面目に戦ったのか、という問いかけをすることが、先のような気がします。

 

「鳥海」:開戦時は第4戦隊の序列からは離れ、小沢中将の指揮する南遣艦隊の旗艦を務め、マレー攻略戦を戦いました。その後、蘭印作戦に参加した後、第4戦隊に復帰し、ミッドウェー海戦には、ミッドウェー島攻略本隊に第4戦隊第1小隊(「愛宕」艦隊旗艦、「鳥海」)として参加しています。

ラバウルに第8艦隊が新設されると、この新艦隊の旗艦として「鳥海」は再び第4戦隊を離れます。同艦隊は、既述のように新たな占領地域であるラバウルに拠点を置き、ニューギニアソロモン諸島方面(南東方面:外南洋)をその担当領域としていました。

米軍がガダルカナル、ツラギに来襲すると、この迎撃に第8艦隊が出撃します。いわゆる第一次ソロモン海戦です。この海戦で、第8艦隊は戦闘では劇的な戦果をあげるのですが、一方で作戦目的からの(戦略的な)評価では、護衛艦隊が粉砕され丸腰になった上陸船団に指一本触れなかったことから、すでに戦闘直後から、疑問の声が多く挙げられてきたことは、皆さんもよくご存知のことと思います。

***本稿前回でも少し述べましたが、ここでも日本海軍の「損害恐怖症」とでもいうようなメンタルな部分の弱点が感じられると考えています。戦果の拡大による目的の完遂よりも、艦艇の保全の方が優先される、というか・・・。持たざる国の宿命、と言ってしまえば、その通りなのですが。

その後、ガダルカナル島をめぐる攻防戦に多くは輸送部隊の支援で出撃。第二次ソロモン海戦、第三次ソロモン海戦にいずれも第8艦隊旗艦として参加した後、内地に帰還し損傷箇所の修理、整備を行いました。

戦線復帰後は、再びラバウル。ソロモン方面で活動し、その後、第2艦隊第4戦隊に復帰、マリアナ沖海戦を経て、