アメリカ海軍:第二次世界大戦期の巡洋艦
米海軍は第二次世界大戦に、重巡洋艦6クラス32隻、軽巡洋艦5クラス59隻、そして大型巡洋艦1クラス2隻という大量の巡洋艦を投入しました。
その設計思想は戦術の変遷に従って柔軟に変更され、当初は補助戦闘艦、偵察艦としての性格が強くみられましたが、後半の設計は艦隊の航空主兵化に伴い、空母機動部隊や輸送部隊の艦隊防空に重点が置かれる設計となりました。
6クラス32隻が投入され7隻が戦没しています。
いわゆる条約型重巡洋艦(カテゴリーA)として5クラス18隻が建造され、条約失効後に1クラス14隻が建造され、第二次世界大戦に参加しています。
(直上の写真は、「ペンサコーラ級」重巡洋艦の概観。143mm in 1:1250 by Neptune)
「ペンサコーラ級」は米海軍が初めて建造した重巡洋艦です。当初は、日本海軍の「古鷹級」と同様に強化型の軽巡洋艦として設計されましたが、建造途中にロンドン条約により巡洋艦にカテゴリーが生まれそれぞれに制限を課せられたため、「カテゴリーA=重巡洋艦」に類別されたという経緯があり、結果的に条約型重巡洋艦の第一陣となりました。
設計当初は8インチ3連装主砲塔4基を搭載する予定でしたが、艦型の大型化を抑制するために4基のうちの2基を連装主砲塔にあらためて建造されました。雷装としては53.3cm3連装魚雷発射管を2基搭載していました。
やや装甲を抑えめにし9100トンと列強の重巡洋艦としてはやや小ぶりながら、強力な砲兵装を有し、抗堪性に考慮を払い初めて採用された缶室分離方式で配置された主機から32.5ノットの速力を発揮することができました。
強力な兵装配置と、やや変則的な砲塔配置に伴い、トップへービーの傾向があり、復原性に課題があるとされていました。
(直上の写真は、「ペンサコーラ級」重巡洋艦の特徴的な主砲塔配置。連装砲塔を低い位置に、3連装砲塔を背負い式に高い位置に配置しています。高いマストとも相まって、重心がいかにも高そうに見えます)
2隻が建造され、2隻ともに大戦を生き抜きました。
Northampton-class cruiser - Wikipedia
(直上の写真は、「ノーザンプトン級」重巡洋艦の概観。146mm in 1:1250 by Neptune)
「ノーザンプトン級」は米海軍が建造した条約型重巡洋艦の第2グループです。
前級「ペンサコーラ級」から8インチ主砲を1門減じて、3連装砲塔3基の形式で搭載しました。砲塔が減った事により浮いた重量を装甲に転換し、防御力を高め、艦首楼形式の船体を用いることにより、凌波性を高めることができました。9000トンの船体に8インチ主砲9門、53.3cm3連装魚雷発射管を2基搭載し、32ノットの速力を発揮しました。
航空艤装には力を入れた設計で、水上偵察機を5機搭載し、射出用のカタパルトを2基、さらに整備用の大きな格納庫を有していました。
(直上の写真は、「ノーザンプトン級」の主砲配置と航空艤装の概観。水上偵察機の格納庫はかなり本格的に見えます(中段)。同級は竣工時には魚雷を搭載していたはずですが、既にこの時点では対空兵装を強化し、魚雷発射管は見当りません)
前級で課題とされた復原性の不足は、細身の艦型から引き継がれており、後に対空装備の増強の際には魚雷兵装を全撤去するなどの対応を取らざるを得ませんでした。
(直上の写真は、「ノーザンプトン級」と前級「ペンサコーラ級」(上段)の主砲配置の差を見たもの)
同型艦は6隻が建造されましたが、そのうち「ヒューストン」がバタビア沖海戦(1942年3月)で、「ノーザンプトン」がルンガ沖海戦(1942年11月)で、そして「シカゴ」が1943年1月のレンネル沖海戦でいずれも日本海軍と交戦し失われました。
(直上の写真は、「ポートランド級」重巡洋艦の概観。155mm in 1:1200 by Superior :メーカーの差この場合にはスケールの差も顕著に現れています。1:1250スケールでの寸法は148mmと試算できます)
同級は、前級「ノーザンプトン級」の拡大改良型で、米海軍としては初めて10000トンを超える艦型を持った重巡洋艦となりました。
砲兵装は基本前級「ノーザンプトン級」を継承していますが、復原性を改善するために、建造当初から雷装は廃止されました。しかし一方で対空装備の増強、艦橋の大型化などにより、一見バランスの取れた重厚な艦型に見えますが、実は復原性は悪化した、とされています。
(直上の写真は前級「ノーザンプトン級」(上段)と「 ポートランド級」との艦容の比較。重厚さを増したように見えますが、重心の高さから生じる復原性の課題は改善されませんでした)「
同級の「インディアナポリス」が3発目の原子力爆弾の部品をテニアンに輸送中に日本海軍の潜水艦に雷撃され撃沈されたことは大変有名なエピソードです。
New Orleans-class cruiser - Wikipedia
(直上の写真は、「ニューオーリンズ級」重巡洋艦の概観 142mm in 1:1250 by Neptune)
(直上の写真は、「ニューオーリンズ級」重巡洋艦の特徴を示したもの。艦橋の構造を、前級までの三脚前檣構造から塔状に改めています(上段)。航空艤装の位置を改めて、運用を改善(中段)。この艦級に限ったことではないですが、アメリカの建造物は理詰めで作られているためか、時として非常に無骨に見える時がある、と感じています(下段)。フランスやイタリアでは、こんなデザインは、あり得ないのでは、と思うことも。「機能美」と言うのは非常に便利な言葉です。でも、この無骨さが良いのです)
米海軍の条約型重巡洋艦としては第四段の設計にあたります。
主砲としては8インチ砲3連装砲塔3基を艦首部に2基、艦尾部に1基搭載するという形式は「ノーザンプトン級」「ポートランド級」に続いて踏襲しています。魚雷兵装は、「ポートランド級」につづき、竣工時から搭載していません。航空艤装の位置を少し後方へ移動して、搭載設備をさらに充実させています。
乾舷を低くして艦首楼を延長することで、米重巡洋艦の課題であった復原性を改善し、32.7ノットの速力を発揮することができました。
(直上の写真は、前級「ポートランド級」と「ニューオーリンズ級」の艦橋構造の比較。艦橋構造をそれまでの三脚前檣構造から塔構造に改めています)
同型艦は7隻が建造されましたが、そのうち第一次ソロモン海戦に参加した3隻(「アストリア」「ヴィンセンス」「クインシー」)全てが撃沈されてしまいました。
第一次ソロモン海戦については本稿でも以下の回で触れています。
その後も、ソロモン海域での戦闘では常に第一線で活躍し、サボ島沖夜戦では同級の「サンフランシスコ」が旗艦を務める艦隊がレーダー射撃によって、日本海軍の重巡「青葉」を大破させ、「古鷹」を撃沈する戦果を上げています。一方で、第三次ソロモン海戦では、同じく艦隊旗艦を務めた「サンブランシスコ」が「比叡」「霧島」との乱打戦で大破していますし、ルンガ沖夜戦では、日本海軍の駆逐艦部隊の輸送任務の阻止を試みた同級の「ニューオーリンズ」「ミネアポリス」が、日本駆逐艦の放った魚雷で大破する、といったような損害も被っています。
米海軍の「ヤラレ役」を一身に背負った感のある緩急ですが、それだけ「切所」を踏ん張った、と言うことだと考えています。
重巡洋艦「ウィチタ」
(直上の写真は、重巡洋艦「ウィチタ」の概観 150mm in 1:1250 by Hansa)
条約型重巡洋艦の第5弾として1隻のみ建造されました。
当初は前級「ニューオーリンズ級」の8番艦として建造される予定でしたが、並行して建造中の条約型軽巡洋艦「ブルックリン級」の設計構想を大幅に取り入れたものとなりました。そのため艦容は「ブルックリン級」に類似しています。
(直上の写真は、設計の際にベースとなった「ブルックリン級」軽巡洋艦(上段)との鑑容の比較。基本的な配置は極めてよく似ていることがよくわかります)
航空兵装を初めて艦尾配置とした他、対空兵装にMk 12 5インチ両用砲を採用し、これを単装砲塔形式で4基、単装砲架形式で4基、計8基搭載しています。
(直上の写真は、「ウィチタ」の対空砲配置。Mk.12 5インチ両用砲を単装砲塔で4基:艦橋周りに3基と後橋直後に1基配置しています(写真上段と下段)単装砲架形式で艦中央部に4基配置しています(写真中段))
艦型は条約型巡洋艦としては最大で、速力33ノットを発揮することができました。
両用砲という先見性
この砲は同艦以降後建造された巡洋艦のみならず、戦艦、空母、駆逐艦など米海軍艦艇のほぼ全ての艦級に搭載され、実に1990年まで使用された優秀な砲で、単装砲架から連装砲塔まで、多岐にわたる搭載形式が採用されました。
同砲は楊弾機構付きで毎分15-22発、楊弾機構なしの場合でも毎分12-15発の射撃が可能で、これとMk 33両用方位盤との組み合わせで、それまでに比べ飛躍的な射撃能力を得ることができました。「砲」そのものもさることながら、装填機構や方位盤などの射撃管制機構との組み合わせで「両用砲」と言う「システム」を駆逐艦に搭載したアメリカ海軍の先見性には、本当に驚かされます。
(直上の写真は、「ボルチモア級」の概観 165mm in 1:1250 by Poseidon?)
同級はワシントン・ロンドン体制終了後に米海軍が建造した重巡洋艦で、条約による制限が無くなったため排水量14000トンの大型艦となりました。
(直上の写真は、同級がタイプシップとした「ウィチタ」との鑑容比較。概観はよく似ていますが艦型が大型化し、対空兵装などが改められています)
前級「ウィチタ」をタイプシップとしながらも、大幅に艦型が大型化し、主砲はそれまでの錠悪形重巡洋艦と同等ながら、副兵装として「ウィチタ」で採用したMk 12 5インチ両用砲を連装砲塔6基搭載するなど、充実した対空兵装を保有していました。また装甲が大幅に強化されています
計画では16隻が建造される予定でしたが、14隻が完成し、戦没艦はあリませんでした。ほとんどの艦が1960年代、70年代まで現役に止まり、4隻はミサイル巡洋艦に改造されました。
派生形に「オレゴンシティ級」がありますが、同級は全て戦後の就役となりました。
5クラス59隻が投入され、3隻が失われました。
(直下の写真は、米海軍が建造した「オマハ級」軽巡洋艦。136mm in 1:1250 by Neptune)
Omaha-class cruiser - Wikipedia
「オマハ級」軽巡洋艦(1923- 同型艦10)は、「チェスター級」に次いで米海軍が建造した軽巡洋艦で、7000トンのゆとりのある船体に、6インチ砲(15,2センチ)12門と3インチ高角砲8門と言う強力な火力を有していました。4本煙突の、やや古風な外観ながら、主砲の搭載形態には連装砲塔2基とケースメイト形式の単装砲を各舷4門という混成配置で、両舷に対し8射線(後期型は7射線)を確保すことができる等、新機軸を盛り込んだ意欲的な設計でした。最高速力は35ノットと標準的な速度でしたが、20ノットという高い巡航速度を有していました。また最初からカタパルト2基による高い航空索敵能力をもっていました。
(直上の写真は、「オマハ級」の概観 135mm in 1:1250 by Neptune)
(直上の写真は、「オマハ級」軽巡洋艦のカタパルト2基を装備し充実した航空艤装(上段)と連装砲塔とケースメートの混成による主砲配置、写真の艦は後期型で、後部のケースメートが2基減じられています)
10隻が第二次世界大戦に参加し、喪失艦はありませんでした。
ブルックリン級軽巡洋艦(同型艦:9隻=準同型艦セントルイス級2隻を含む)
Brooklyn-class cruiser - Wikipedia
(直上の写真:「ブルックリン級」の概観。150mm in 1:1250 by Neptune )
本級は日本海軍の「最上級」同様、ロンドン条約で保有に制限のかかった重巡洋艦(カテゴリーA)の補完戦力として設計された大型巡洋艦で、それまでの偵察任務等に重点の置かれた軽快な軽巡洋艦とは異なり条約型重巡洋艦に撃ち負けない砲力と十分な防御力を併せもった設計となっていました。
このため主砲にはカテゴリーB=軽巡洋艦に搭載可能な6インチ砲を3連装砲塔5基、15門搭載していました。同砲はMk16 47口径6インチ砲と呼ばれる新設計の砲で、59kgの砲弾を毎分8−10発発射することができました。
重防御を施した10000トンを超える船体を持ち、33.6ノットの速力を発揮することができました。
魚雷兵装は搭載しませんでしたが、対空兵装としては5インチ高角砲を単装砲架で8基搭載していました。「セントルイス級」として分類されることもある後期型では、「ボルティモア級」重巡洋艦で採用されたMk 12 5インチ両用砲の連装砲塔4基を搭載し、汎用性を高めています。
(直上の写真は、速射性の高Mark 16 15.2cm(47口径)速射砲の3連装砲塔を5基搭載しています。対空砲として5インチ両用砲を8門搭載していますが、後期の2隻はこれを連装砲塔形式で搭載していました。このため後期型の2隻を分類して「セントルイス級」と呼ぶこともあります)
「セントルイス級」軽巡洋艦は、「ブルックリン級」の改良型で、5インチ対空砲を、「ブルックリン級」の単装砲架形式8基から、より機動性の高い連装砲塔形式4基に変更し、艦橋や後橋を併せてやや小型化し復原性をより高めた形状となっています。
(直上の2点の写真は、「ブルックリン級前期型」と「後期型=セントルイス級」の概観比較をしたもの。対空装備の差が、微妙に艦橋構造や後橋の構造などに及ぼしているのが分かります。モデルはいずれもNeptun製)
第二次世界大戦では、日本海軍とのクラ湾海戦でセントルイス級の「ヘレナ」が失われました。
Cleveland-class cruiser - Wikipedia
(直上の写真:「クリーブランド級」の概観。150mm in 1:1250 by Neptune。主砲塔を1基減らし、対空兵装として、連装5インチ両用砲を6基に増やしし、対空戦闘能力を高めています )
同級は、条約失効後に設計された軽巡洋艦です。当初は次に紹介する対空巡洋艦「アトランタ級」の拡大版として計画されましたが、設計途上から汎用的な前級「ブルックリン級」「セントルイス級」の対空兵装強化版として設計変更されました。
対空兵装をMk 12 5インチ両用砲の連装砲塔6基にする代わりに、主砲塔を1基減らしています。
戦時の海軍増強のため、計画では52隻が建造される予定でしたが、13隻が同級の改良型である「ファーゴ級」に設計変更され、9隻は「インディペンデンス級」軽空母に転用、3隻が建造中止とされたため、最終的には27隻が就役しました。正確にいうと27隻のうち1隻は就役が戦後となったため第二次世界大戦には参加していません。
(直上の2点の写真は、「ブルックリン級」と「クリーブランド級」の概観比較をしたもの。艦橋の位置や煙突の位置の差に注意。両級の差は主に主砲塔の数と対空装備の差ですが、艦橋構造や後橋の構造などに設計の差異があることも分かります。モデルはいずれもNeputune製)
第二次世界大戦での喪失艦はありませんでした。
Atlanta-class cruiser - Wikipedia
(直上の写真は、「アトランタ級」軽巡洋艦の概観。131mm in 1:1250 by Neptune)
当初は「オマハ級」軽巡洋艦の代替として、駆逐艦部隊の旗艦を想定して設計がスタートしましたが、設計途上で防空巡洋艦への設計変更が行われました。6000トン級の船体に、主砲とし38口径5インチ両用砲の連装砲塔を8基搭載し、併せて53.3cm魚雷の4連装発射管2基も搭載し、当初設計の駆逐艦部隊の旗艦任務にも適応できました。速力は32.5ノットを発揮することができました。
(直上の写真は、「アトランタ級」軽巡洋艦の細部をアップしたもの。なんと言っても全体をハリネズミのように両用砲塔が覆っているのがよくわかります。第一次ソロモン海戦では、持ち場が主戦場から離れていたため(ツラギ東方警備)、戦闘には参加しませんでしたが、こののち、ソロモン海での海戦にはたびたび登場します。前掲の「ニューオーリンズ」級とは一転して、やや華奢な優美な艦形をしています)
8基の両用砲塔の搭載により、やや復原性に課題が見出され、5番艦以降では、砲塔数を2基減じて、復原性を改善しています。
同型艦は11隻が建造され、艦隊防空の中核を担いました。
ネームシップの「アトランタ」と2番艦「ジュノー」がいずれも日本海軍との交戦で失われました。
ファーゴ級軽巡洋艦(同型艦:2隻 但し両艦とも就役は終戦後)
(直上の写真は、「ファーゴ級」の概観 150mm in 1:1250 by Hansa)
同級は前級「クリーブランド級」の改良型です。
改良のポイントとしては、兵装の低重心化と同じく低重心化の効果を狙って上部構造の簡素化、小型化に置かれ、併せて期間の配置、煙突の集合化により、外観が「クリーブランド級」とはやや異なっています。
(下の二点の写真は、前級「クリーブランド級」(いずれも上段)と「ファーゴ級」の概観を比較したもの。艦橋の小型化、集合煙突の採用、対空兵装の位置など、米巡洋艦が課題として共通に抱えていた重心のたかさ、復原性の不足に対する改善の試みが見受けられます)
(
戦争中に9隻が起工されましたが、7隻は建造中止となり、完成した2隻も就役は終戦後となりました。
(直下の写真は、「ブルックリン級」をベースとして発展した米軽巡洋艦の3級の外観比較。手前から「ブルックリン級」「クリーブランド級」「ファーゴ級」の順。重心の低下、復原性の改善を主題に、次第にバランスの良い概観になっていっている?)
(直上の写真「アラスカ級」大型巡洋艦の概観。194mm in 1:1250 by Hansa)
「アラスカ級」大型巡洋艦は、30000万トン級の船体に主砲として「1939年式 Mark8型 30.5cm(50口径)砲」を3連装砲塔3基、そして米海軍ではお馴染みの5インチ両用砲の連装砲塔を6基搭載していました。空母機動部隊の直衛を意識して33ノットの高速を有しています。6隻が計画され、2隻が完成しています。
主砲として搭載された「1939年式 Mark8型 30.5cm(50口径)砲」は、12インチの口径ながら、米海軍の戦艦の標準主砲であった14インチ砲と同等の重量の砲弾を発射できるという優秀砲でした。(この辺り、本稿でもご紹介した日本海軍の「超甲巡」に搭載予定であった新型31センチ砲と良く似ています)
この両級が、実際に砲火を交えていたら、どんな展開になったんでしょうね。
(直下の写真:上から「シャルンホルスト級」「アラスカ級」「超甲型巡洋艦」の艦型比較。各国が異なる狙いで類似性のある設計をしていたことが興味深いですね)
と、米海軍の第二次世界大戦期の巡洋艦、総覧してみました。戦争中に起工された「デ・モイン級」重巡洋艦や「ウースター級」軽巡洋艦の扱いをどうしようかな、と少し迷ったのですが、両級共にコレクションにモデルがないこともあり、登場いただきませんでした。
しかし、改めてこのように一覧してみると、「ボルティモア級」重巡洋艦や「クリーブランド級」軽巡洋艦のように、本来「一点物」であるはずの艦船すら量産してしまうアメリカという国の国力と、迷いなくそれを実行する実行力(合理的な、と呼んでいいのか?)には、改めて驚かされます。
良きにつけ悪しきにつけ、「信じるとやってしまう」あたり、何かこの年明けのトランプ騒動と何か通じるものがあるような・・・。
中国海軍の現用水上戦闘艦艇
冷戦終結以来、海上自衛隊といろいろな意味で何かと接点の多い中国海軍。ところが、あまりその実情を私はよく知りません。
「ああ、空母を買ったんだ」程度。
ここらで、ちょっと勉強をしておくのもいいのかな、と。
幸い、3D printing makerのAmature Wargame Figuresからかなり大量のモデルが販売されていますので、こちらをまずは制作するところから、とぼつぼつ始めました。
ある程度揃ってきたので、今回は、こちらを紹介しておきましょう。
中国海軍の現用水上戦闘艦船
中国は元来大陸国家で、明朝の一時期を除いて海洋進出には比較的淡白であったといえる。21世紀に入り、それまで沿岸海軍に止まっていた中国海軍は、空母を中心とする機動部隊の保有をはじめ、本格的な外洋艦隊を持つに至った。
当初、その艦艇の多くはソ連(あるいはロシア)の艦艇のコピー、あるいはタイプシップとした発展型が多かったが、最近は西側の技術を導入し、一線を画する設計思想に基づいた発展を遂げている。
特に水上艦艇は、空母を中心とした機動部隊の防空担当艦(中国版イージス駆逐艦)、その周辺を防御する汎用フリゲートという基本構成になっていると言っていいだろう。
兵装はもちろんミサイル化がその中心に置かれ、明らかにステルス性意識した外観、さらにはフューズド・アレイ・レーダーを装備した(と見られる)艦橋など、西側諸国に路線を同じくした「洗練性」が見受けられるが、その実力の程は(幸いなことに、と言うべきか)未だベールに包まれている、と言えるだろう。
当初、対艦戦闘をその主要業務に置いたが、空母の保有と同時に、空母機動部隊の防空警戒にその中心機能が移行した。当然、兵装の重点が対空兵装に移行し、中国版イージス艦の登場に至っている。
051(旅大)級駆逐艦:Luda-class destroyer 同型艦(現役):4隻(就役:1971年-)
Type 051 destroyer - Wikipedia
旧ソ連海軍のコトリン級駆逐艦をタイプシップとして、中国海軍初の国産駆逐艦。
旅大はNATOのコードネーム。
1971年から就役を開始し、1990年にかけて都合17隻が建造された。建造期間が長期に渡り、兵装の装備には多くの変遷があり、艦容に多くのヴァリエーションがある。艦容は良くも悪くも「ロシア的」と言えるだろう。あるいは一時代前を感じると言うべきか。
現在は最終型の旅大Ⅲ型の2隻(051G/051GⅡ)のみが現役にとどまっている。
現在、現役の2隻は、56口径100mm連装砲2基、 HQ-7短SAM、YJ-83対艦ミサイル、対潜ロケット、対潜短魚雷等を主要兵装として装備している。
3670t、35ノット
(113mm in 1:1250 Hai製)
(直下の写真:051級駆逐艦の主要兵装。YJ-83対艦ミサイル発射機)
(直下の写真:051級駆逐艦の艦型の変遷。写真上は建造当時の051級駆逐艦)
052(旅滬)級駆逐艦:Luhu-class destroyer 同型艦:2隻 就役:1993年-
Type 052 destroyer - Wikipedia
本級はそれまでソ連製の艦艇を輸入、あるいはタイプシップとして軍艦を建造してきた中国海軍が、西側の技術を大幅に導入して建造した初めての駆逐艦である。
「旅滬」はNATOのコードネーム。
機関にガスタービンを採用し、ヘリコプターの搭載能力も付与された。
56口径100mm連装砲2基、 HHQ-7短SAM、YJ-83対艦ミサイル、対潜ロケット、対潜短魚雷等を、主要な兵装として装備している。 搭載する対潜ヘリは2機。
4800t、31.5ノット
(残念ながら、私のコレクションにはまだ加わっていません:no photo)
「空母いぶき」で「哈爾浜:Harbin」が海自の「ちょうかい」と交戦し、兵装を破壊された。
051B級駆逐艦:深圳(しんせん):destroyer Shenzhen 同型艦なし 就役:1999年-
Type 051B destroyer - Wikipedia
NATOコードネームは「旅海」
前出の052級の発展型と考えられるが、艦型が大型化し、外観にステルス性への配慮が見受けられる。
機関はガスタービンとディーゼルエンジンの組み合わせで、30ノットの速力を出した。6100t 、30ノット
兵装は建造当初、ほぼ前級の052級駆逐艦のものを踏襲した。が、2015年に近代化改装が行われ、艦橋前に32セルのVLSを装備しここにHHQ-16中距離対空ミサイルを装備した。艦中央部には対艦ミサイルYJ-12A、ヘリコプターハンガー上部に30mm CIWSを装備した。主砲としては99式56口径100mm連装砲を、これは一次改装後継続装備している。
本艦は先進的な装備に対する試験実験艦的な性格が強く、その後の駆逐艦建造に大きな影響を与えた。
(123mm in 1:1250 Amatuer Wargame Figures製:3D printing model)
(直下の写真:051B駆逐艦の主要兵装。艦首部の換装後のVLS(上)と、対艦ミサイルYJ-12A発射機)
杭州級駆逐艦:Hangzhou/ Fuzhou 1999年-
Sovremenny-class destroyer - Wikipedia
1995年の第三次台湾海峡危機でそれまでの国産艦艇の性能不足を痛感した中国海軍は、ロシアから対空能力に定評のあったソブレメンヌイ級(956E級)のミサイル駆逐艦2隻を購入し、艦隊防空の緊急手当として導入した。中国海軍初の対空誘導ミサイル駆逐艦(DDG)である。
対空兵装としては、130mm連装砲2基と対空ミサイルの単装発射機2基を搭載している。さらに対艦ミサイル4連総発射機(SS-N-22)2基を搭載している。
7940t、33.4ノット
加えて近接防御兵装として30mm CIWS 4基、さらに対潜ロケット、対潜短魚雷発射管等を搭載している。艦の中央部に対潜ヘリの発着甲板とハンガーを有し、ヘリ1機を搭載している。
(125mm in 1:1250 Amatuer Wargame Figures製:3D printing model 写真は2016年の近代化改装以降の杭州級駆逐艦)
(同級は2016年から近代化改装を受け、対空ミサイルを2基の単装発射機からVLS発射形式に改めた。VLSの前部、あるいは後方に見えるのは、近接防御用の短 SAM発射機)
杭州級駆逐艦改:Taizhou/ Ningbo 2001年-
前出の956E級2隻の購入に続けて、ロシアより956Eの改良型、956EM2隻を購入した。956E級からの変更点は、対空・対艦両ミサイルを射程延長型に変更し、130mm連装主砲を1基、改良型のCIWSを2基と、それぞれ搭載数を減らし、対潜ヘリの運用スペースをやや拡大している。
(125mm in 1:1250 Amatuer Wargame Figures製:3D printing model)
(956-EM型駆逐艦の主用兵装。前部の主砲と単装対空ミサイル発射機(上)と、やや拡大され固定型のハンガーを持つヘリ発着甲板)
051C(瀋陽)級駆逐艦 :Shenyang-class destroyer 同型艦:2隻 就役:2006
NATOコードネームは「旅洲」。
前級051Cの発展型ではあるが、ステルス性への配慮はされていない。
機関は051Cを踏襲している。
7100t、30ノット
(124mm in 1:1250 Amatuer Wargame Figures製:3D printing model)
本級の兵装面での最大の特徴は、リフ-M艦隊防空システムの導入である。VLSは8連装リボルバー式B203-Mを6基搭載、さらに近接防御として30mm CIWSを2基装備している。
対艦兵装としてはYJ-834連装発射機2基を搭載、さらに主砲に100mm単装速射砲を装備した。
上記のB203-Mを4基、本来のヘリコプターハンガー部分に搭載したため、ヘリコプター着艦甲板のみで搭載能力はない。
(中国海軍の特徴的な8連層リボルバー式VLS。後部のヘリハンガーに見える部分は、実はリボルバー式VLSの収納スペースで、ヘリの搭載能力は、同級にはない)
052B(広州)級駆逐艦 :Guangzhou-class destroyer 同型艦:2隻 就役:2004年-
Type 052B destroyer - Wikipedia
中国海軍念願の国産艦隊防空駆逐艦(DDG)である。
NATOのコードネームは「旅洋I」。
ロシアより購入した956E級、あるいは956EM9と同じロシア製の艦対空システムを搭載している。同システムは2基の単装ミサイル発射基と複数のイルミネータにより、同時に最大8目標まで対応可能であった。装弾数は単装発射機あたり24発で、これを2基、計48発を搭載している。
その他の兵装として、主砲として100mm単装速射砲を搭載し、対艦兵装としてはYJ-83対艦ミサイルの4連装発射機を2基装備している。加えて近接防御として30mm CIWS 2基を搭載している。
対潜装備としてはヘリコプター1機を搭載し、短魚雷発射管を装備している。
ほぼ並行して開発された次級の052C級が成功を収めたことから、同級の建造は2隻で終了した。
7000t、29ノット
(124mm in 1:1250 Amatuer Wargame Figures製:3D printing model)
(052B級駆逐艦の主要兵装の拡大。前部甲板上の100mm速射砲と単装対空ミサイル発射機(上)。対艦ミサイル発射機とヘリ格納庫上の後部単装対空ミサイル発射機)
052C(蘭州)級駆逐艦 :Lanzhou-class destroyer 同型艦:6隻 就役:2004年-
Type 052C destroyer - Wikipedia
052B級の設計の基礎に、HHQ-9艦隊防空システムを搭載し、さらにアクティブ・フューズド・アレイ・アンテナ を艦橋の周囲に貼ったことから、中国版イージスと言われた。
NATOのコードネームは「旅洋II」。7112t、29ノット。
艦橋の周囲にアクティブ・フューズド・アレイ・アンテナ を装着したところから、052B級よりも一段高く設計され、異なる艦容を見せている。
兵装の目玉はなんと言ってもHHQ-9A対空ミサイルで、このミサイルをリボルバー式6連装VLSを8基に搭載している。ミサイル搭載数は48基とやや少なめではあるが、これは052Bの装弾数と同数である。
その他の兵装は、ほぼ052B級に準じ、主砲として100mm単装速射砲、対艦兵装としてはYJ-83対艦ミサイルの4連装発射機を2基装備している。併せて近接防御として30mm CIWS 2基を搭載している。
対潜装備としてはヘリコプター1機を搭載し、短魚雷発射管を装備している。
(124mm in 1:1250 Amatuer Wargame Figures製:3D printing model)
(同級に特徴的な6連装リボルバー式VLS。前部甲板に6基、ヘリハンガー上に2基装備している)
(艦橋側面に装着されたフューズド・アレイ・レーダー)
「空母いぶき」には、「西安:Xian」が登場している。
052D(昆明)級駆逐艦 :Kunming-class destroyer 同型艦:19隻 就役:2014年~
Type 052D destroyer - Wikipedia
前出の052級駆逐艦の改良型DDGで、現状では中国海軍の主力艦隊防空艦である。中国版イージスと呼称される。現在19隻が就役しており、最終的には同級の建造数は22隻に達する予定であるとされている。
NATOのコードネームは「旅洋Ⅲ」。7500t、30ノット。
同級では、これまでの中国海軍の(ロシア海軍の、というべきか?)特徴的なリボルバー式VLSではなく、米海軍や海上自衛隊と同じようなキャニスター式のVLSを採用している。(装填等が同じ方式かどうかは不明である)
このVLS64セルにHHQ-9対空ミサイルと、YJ-18対艦ミサイルで共用していると思われる。このVLSは対潜ミサイル、巡航ミサイルにも対応している、と言われている、
搭載するフューズド・アレイ・レーダーは改良型のドラゴン・アイに変更された。
主要武装は、主砲を130mm単装速射砲を装備し、近接防御用に30mm CIWSとHHQ-10近接防空ミサイルを保有している。
対潜装備としてはヘリコプター1機を搭載し、短魚雷発射管を装備している。
(124mm in 1:1250 Amatuer Wargame Figures製:3D printing model)
(同級に搭載されたVLS。前級のリボルバー式から、キャニスター式(?)への変更が見られる)
(艦橋側面に装着されたフ改良型のフューズド・アレイ・レーダー)
(海上自衛隊の「こんごう」級イージス護衛艦との大さ比較。手前から、中国海軍052C級駆逐艦、052D級駆逐艦:いずれも中国版イージス艦と言われる。一番奥が海上自衛隊「こんごう」級イージス護衛艦)
「空母いぶき」に、空母機動部隊の護衛艦として登場している。「銀川:Yinchuan」「太原:Taiyuan」「南京:Nanjing」
米TVドラマ「ザ・ラストシップ」には同級4隻が登場。アーレイ・バーク級駆逐艦のコピー艦と紹介されている。
055(南昌)級駆逐艦:Nanchang-class destroyer 同型艦:8隻(予定・1隻が就役済/4隻が進水済)就役:2019年~
Type 055 destroyer - Wikipedia
中国海軍の最新型防空駆逐艦。052D級駆逐艦の拡大・改良版である。
12000tを超える大型艦で、初めて統合電気推進システムを採用している。
12000t、30ノット。米海軍は本級を巡洋艦に分類していると言われている。
VLS112セルに対空ミサイル、対艦ミサイル、巡航ミサイル、対潜ミサイルを搭載している、とされている。
主砲は052D級と同じ 130mm単装速射砲。他に、30mm CIWS、HHQ-10近接防空ミサイル発射機を各1基装備している。
対潜兵装としては、短魚雷発射管と対潜ヘリ2機を搭載している。
(145mm in 1:1250 Amatuer Wargame Figures製:3D printing model)
(同級に搭載されたVLS。前級よりもセル数が大幅に増加された)
(艦橋側面に装着された新型のフューズド・アレイ・レーダー)
(中国海軍のイージス艦の艦型比較。手前から052C級駆逐艦、052D級駆逐艦、055級駆逐艦)
(海上自衛隊の「あたご」級イージス護衛艦と中国海軍055級駆逐艦の大さ比較。「あたご」級イージス護衛艦(奥)、中国海軍055級駆逐艦(手前))
駆逐艦同様、当初は対艦能力に重点を置いた設計になっていたが、次第に対空戦闘へとその装備の重点が移行した。空母の導入とほぼ同時に、より高い外洋航洋性を求められ、艦型を一気に大型化することで、それまでの補助的な戦力から、空母機動部隊の外殻を構成する十分な汎用性を確保した中核的存在へと発展を遂げている。
形式が多岐にわたり、装備に多くのヴァリエーションがあるため、ここでは主要なもののみ紹介する。
053(江滬)級フリゲート:Jiang-hu class frigate 同型艦:12隻(現役)
1970年代に1番艦が建造され、1990年代までに、対艦ミサイルを主要兵器とした中国海軍の主力哨戒艦艇として32隻が建造された。
現在、II型、Ⅲ型、Ⅴ型のうち、まだ12隻が現役で就役しているとされている。
江滬:Jiang-huはNATOのコードネーム。1450t(形式により差異がある)、26ノット。
装備等は、建造年代、形式によって異なる。
(写真はII型。100mm連装砲2基、対艦ミサイル連装発射機2基、対潜ロケット2基、37mm連装機関砲4基等を搭載している。82mm in 1:1250 Hai製)
053H(江衛)型フリゲート:Jiangwei-class frigate 同型艦:14隻
Type 053H2G frigate - Wikipedia
1980年代から、それまでソ連の技術への依存から西側技術の導入に姿勢を改めて中国海軍が、前級に対空ミサイルとヘリコプター搭載能力を付加したものとして建造された。
江滬はNATOのコードネーム。2286t、27ノット。
100mm連装砲1基、対空ミサイルとしてHQ-61M6連想ランチャーまたはHQ-7 8連装ランチャーを1基搭載し、YJ-83対艦ミサイル4連装発射機2基、37mm連装機関砲4基、対潜ロケット発射機、対潜ヘリコプター1機などを搭載している。
(90mm in 1:1250 Hai製)
(053H級フリゲートの主要兵装の拡大。前部甲板上の100mm連装砲と対空ミサイル発射機(上)。艦中央部の対艦ミサイル発射機)
「空母いぶき」に「洛陽:Luoyang」が登場し、海自「ちょうかい」と交戦。「ちょうかい」の主砲により、主要兵装を破壊された。
054(江凱)級フリゲート:Jiangkai-class frigate 同型艦:30隻
外洋進出を目指す中国海軍の中核的な存在となるべく、艦型を一気に大型化し、これまでのフリゲートとは一線を画する高い航洋性を有している。
NATOのコードネームは「江凱」。3400t、27ノット。
西側諸国の技術を導入し、ステルス性を意識した艦容となった。
VLSに搭載した対空ミサイル、対潜ミサイルで高い対空・対潜戦闘力を保有し、YJ-83対艦ミサイル4連装ランチャー2基で対艦戦闘能力も確保した。他に対潜ロケット、短魚雷発射管、対潜ヘリ等、対潜兵装も充実した、汎用フリゲートとして一定の完成度に達している。
(108mm in 1:1250 Amatuer Wargame Figures製:3D printing model)
(同級に搭載されたVLSと艦中央部に装備された対艦ミサイル発射機)
(中国海軍のフリゲートの艦型比較。手前から053級、053H級、054級の順)
(中国海軍のフリゲートと駆逐艦の艦型比較。054級フリゲート(手前)と052D級駆逐艦。フリゲート艦の大さが駆逐艦に迫ってきている?)
ロシアからの購入を皮切りに、空母も国産化に移行しつつある。
これらの空母を中心とした空母機動部隊を構成するイージス艦、さらにはその周辺を護衛するフリゲート艦など、駒は揃いつつある。
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と言うことで、中国海軍の現用艦船、いかがでしたでしょうか?
その歴史上、ほぼ初めて海洋進出を目指している現代中国、彼らの海軍は間違いなく急速に成長しているようです。
その実力の程は不明ですが、明らかにならない方がいいのかもしれません。
3D printing model 雑感のまとめ
新着3Dプリンティングモデル
1:1250スケールの3Dプリンティングモデルがいくつか到着しました。今回は雑感を少々。
今回、入手したモデルは、直下の写真、奥から
中国海軍 052D級駆逐艦 Kunming class(昆明級)
中国海軍 054A級フリゲート Youncheng class
の順です。
(直下の写真では、「あすか」のみ下地塗装済み、その他はサーフェサー塗布の状態です)
これらはいずれも幕之内弁当三次元造形さんと言う日本の方の作品で、筆者はいつも利用している(おそらく)世界最大の3D プリンティングモデル出力会社 Shapewaysから入手しました。
幕之内弁当三次元造形さんは、東京都大井町駅近くにある「軍事選書堂」さんでもモデルを販売していらっしゃるらしいのですが、筆者はまだお店を訪れたことがありません。あわせてオリジナルブランドのDesktop Fleetは1:2000スケールに重点が置いてあるらしく、1:1250のモデルは一部に限られているようです。
それぞれのモデルの詳細は、また完成後にご覧いただくとして、今回は概略のみ。
実はこのモデルを入手したのは2回目です。1回目の入手モデルは、実は当ブログでご紹介したイージス護衛艦「いそかぜ」三態のうち、「亡国のイージス」小説版の第一形態「いそかぜ」の艦橋上部に追加された「イージスシステムドーム」に転用されました。
(艦橋上部に追加搭載されたイージスシステムドーム)
今回のモデルはフライトIIIですので、現時点では最終形のヘリコプター搭載モデルです。
中国海軍 052D級駆逐艦 Kunming class(昆明級)
Type 052D destroyer - Wikipedia
このクラスについては、前々回の「中国海軍現用艦」の回で、一度ご紹介しています。
その際にご紹介したモデルは下記の通 Amatuer Wargame Figures製のものでした。
(124mm in 1:1250 Amatuer Wargame Figures製:3D printing model)
中国海軍 054A級フリゲート Youncheng class
このクラスについては、前々回の「中国海軍現用艦」の回で一度ご紹介しています。
その際にご紹介したモデルは下記の通 Amatuer Wargame Figures製のものでした。
(108mm in 1:1250 Amatuer Wargame Figures製:3D printing model)
054(江凱)級フリゲート:Jiangkai-class frigate 同型艦:30隻
3D Printing Modelの出力素材(今回の話の目玉はこちらかも?)
実は、今回入手した幕之内弁当三次元造形さんのモデルは、全て、 Smooth Fine Detail Plasticという素材で出力されており、大変シャープなディテイルが再現されています。
前々回「中国海軍 現用艦」の際のご紹介したAmature Wargame Figures製のモデルは、White Natural Versataile Plasticと言う素材で、ややディテイルに甘さが残りますが、その分安価、と言う特徴があります。価格差は、例えば前出の「052D級(昆明級)駆逐艦」の場合、Amature Wargame Figuresさん(あるいは価格設定はShapewaysが行っているのかもしれませんが)が設定している価格は、White Natural Versataile Plasticの場合$11.27であるのに対し、 Smooth Fine Detail Plasticの場合には$20.81で、筆者のようにコレクション目的で数を揃えようとする場合には、この価格差は結構大きなものになります。
同一モデルの場合の出力例をご参考まで、以下に示しておきます。
下の写真は、Amature Wargame Figures製の海上自衛隊「たかつき」級護衛艦のモデルを、White Natural Versataile Plastic(奥)と Smooth Fine Detail Plastic(手前)の二種類の素材で出力してもらった例です。
「たかつき」級護衛艦:White Natural Versataile Plasticで出力した例
「たかつき」級護衛艦:Smooth Fine Detail Plasticで出力した例
このモデルなら、White Natural Versataile Plasticで十分だとは思いませんか?
しかし、下の写真ほどのディテイルを再現しているモデルならば、Smooth Fine Detail Plasticで出力してみたい
(参考:下の写真は、Amatuer Wargame Figures製 White Natural Versataile Plastic出力のモデル
これは両者を比べてみるしかないでしょう!
3D Printing 出力素材比較:仕上がり以外にも検討すべき点があるかも?
もう一点、素材選びの際に比較的重要なポイントがあります。実は前出の「たかつき」級護衛艦のモデルストックは、すでに「たかつき」級の護衛艦の模型はHai社製のものがありましたので、いずれは加工して架空艦を作成する際の素材として入手したものです。その際には切ったり、削ったりが必要になるのですが、加工の種類によっては、White Natural Versataile Plasticの方が粘性が強く、切断等の作業には適性が高いかもしれません。一方で、Smooth Fine Detail Plasticは、硬度が高く、研磨等の作業には適性が高いかもしれません。もちろん作業者の得手不得手も吟味して、選択して頂ければと考えます。つまり、高ければいい(基本はそうなのだけれど)、と言うわけではない、と言うことです。
と、まあ、素材選びも楽しいですよ、と言う事が言いたいだけなのですが・・・。
中国現用艦の仕上がりは?
3Dの素材選びのおさらいから。
簡単にまとめると、White Natural Versatlie Plastic (ちょっと長いので、以降はWNVと略して良いでしょうか?他所では通用しないと思うので、ご注意を)は、やや仕上がりが荒いが、価格が安い。一方、Smooth Fine Detail Plastic(同様にSFD。これも他所では通用しませんよ)は、細部の再現性が高いがやや価格が高い。さてどっちを選ぼうか、と言うような課題を積み残し、「これは作って比べてみるしかないでしょう!」なんて大見え切ってしまいました(ちょっと後悔)。
と言うわけで、今回はその続きを。
(こういう話は、読んでて面白いのかな、と首を傾げつつ)
中国海軍 052D級駆逐艦 Kunming class(昆明級)
このクラスについては、前々回の「中国海軍現用艦」の回で、一度ご紹介しています。その際にご紹介したモデルはAmatuer Wargame Figures製のものでした。
(124mm in 1:1250 Amatuer Wargame Figures製:3D printing model)
下の写真が、今回新たに入手した幕之内弁当三次元造形の昆明級モデルを、サーフェイサーで下地処理した段階のものです。
同級について、その特徴を再録しておきましょう。
***現状では中国海軍の主力艦隊防空艦である。中国版イージスと呼称される。現在19隻が就役しており、最終的には同級の建造数は22隻に達する予定であるとされている。
NATOのコードネームは「旅洋Ⅲ」。7500t、30ノット。
同級では、これまでの中国海軍の(ロシア海軍の、というべきか?)特徴的なリボルバー式VLSではなく、米海軍や海上自衛隊と同じようなキャニスター式のVLSを採用している。(装填等が同じ方式かどうかは不明である)
このVLS64セルにHHQ-9対空ミサイルと、YJ-18対艦ミサイルで共用していると思われる。このVLSは対潜ミサイル、巡航ミサイルにも対応している、と言われている、
搭載するフューズド・アレイ・レーダーは改良型のドラゴン・アイに変更された。
主要武装は、主砲を130mm単装速射砲を装備し、近接防御用に30mm CIWSとHHQ-10近接防空ミサイルを保有している。
対潜装備としてはヘリコプター1機を搭載し、短魚雷発射管を装備している。***
Type 052D destroyer - Wikipedia
そしてこちらが、今回入手したSFD素材の幕之内弁当三次元造形製「昆明級」モデルを仕上げたものです。艦橋の窓、艦首部のブルワーク内側の再現、艦尾のヘリコプターハンガー部の再現など、SFDと言う素材による、と言うべきか、製作者のデザインに準じる差異と言うべきか、非常にディテイルの再現されたモデルとなっています。
早速、WNVモデル(写真上段:Amatuer Wargame Figures製)とSFDモデル(写真下段:幕之内弁当三次元造形を比べてみます。塗装等は同じカラーを基本的に用いています。
やはりSFDモデルにシャープでの優位が認められます。特に本級の特徴である艦中央部の八木アンテナがコンパクトに再現されるなど、その特徴が顕著に現れているように思います。
こちらWNVモデル(写真上段:Amatuer Wargame Figures製)とSFDモデル(写真下段:幕之内弁当三次元造形製)の比較。八木アンテナ、小さい!VLSの細部再現も。
中国海軍 054A級フリゲート Youncheng class
このクラスについても、前出の本稿前々回「中国海軍現用艦」の回で、一度ご紹介しています。その際にご紹介したモデルは、やはりAmatuer Wargame Figures製のものでした。
(108mm in 1:1250 Amatuer Wargame Figures製:3D printing model)
本級の特徴を再録しておきましょう。
***外洋進出を目指す中国海軍の中核的な存在となるべく、艦型を一気に大型化し、これまでのフリゲートとは一線を画する高い航洋性を有している。
NATOのコードネームは「江凱」。3400t、27ノット。
西側諸国の技術を導入し、ステルス性を意識した艦容となった。
VLSに搭載した対空ミサイル、対潜ミサイルで高い対空・対潜戦闘力を保有し、YJ-83対艦ミサイル4連装ランチャー2基で対艦戦闘能力も確保した。他に対潜ロケット、短魚雷発射管、対潜ヘリ等、対潜兵装も充実した、汎用フリゲートとして一定の完成度に達している。***
054(江凱)級フリゲート:Jiangkai-class frigate 同型艦:30隻
そしてこちらも、下の写真が、今回新たに入手した幕之内弁当三次元造形の054級モデルを、サーフェイサーで下地処理した段階のものです。
そしてこちらが、今回入手したSFD素材の幕之内弁当三次元造形製「054級」モデルを仕上げたものです。やはり艦橋の窓、艦尾のヘリコプターハンガー部の再現など、前出の「昆明級」同様、ディテイルの再現されたモデルとなっています。
ここでも、SFDモデル(写真上段:幕之内弁当三次元造形製)とWNVモデル(写真下段:Amatuer Wargame Figures製)と比べてみます。塗装等は同じカラーを基本的に用いています。
こちらは「昆明級」以上にSFDモデルの再現性の高さが見て頂けるのではないでしょうか?
特にアンテナの細部の再現は、SFDが圧倒的に優位だと思います。
さらに、実は写真では少しお伝えしきれないと思うのですが、手に持った際の感触が、WNV製の場合には、どうしても「ざらざら」、と言うか、表面の滑らかさにはSFDとの間で大きな差を感じてしまいます。
と言うことで、これはある意味予想通りで、ある種つまらない結論ではありますが、SFDの方がシャープさがあり仕上がりの満足度は明らかに上回ります。
もう一つ、幕之内弁当三次元造形製品の原型がSFD指定で、したがってSFDとの相性がいい、と言うこともあると思います。
あとはお財布の中身とよく相談をして、コレクション重視(つまり数を揃えたい)か、モデラー視点の重視(つまり仕上がりが気になる)か、で都度選択していかねばならない、と言うことになるのでしょうね。どうでしょうね、Amature Wargame Figures製のWNVモデルが$11.27、同社のSFDモデルは$20.81。あくまで筆者の主観として、Amature Wargame Figures の原型の場合は、あえてSDFを選択しなくとも、十分だと思っています。
これに対し幕之内弁当三次元造形のSFDモデルが$43.6ですからね。これは難しい判断、と言うことになると思います。コレクションにおけるそのクラスの重要さ、と言うか、どこまでそのクラスに思い入れがあるか、その辺りでの判断になりそうです。
本稿で扱っている1:1250スケールの場合、特に上記のバランスが微妙なのかもしれません(例えば筆者はどちらかと言うと前者=コレクション重視の傾向が強く、数をそろえたい派であるように思います。まあ、モデラーとしてのスキルも低いのですが)。
もしかすると、もう少し大きなスケールの場合(1:700など)には、あまり迷う余地はないのかもしれません。
それにしても、3Dプリンティングモデルの登場で、選択肢が非常に広がったことは大変嬉しい事実だと感じています。
データのみの販売も行われていますので、自前の3Dプリンターを購入して、と言う選択肢まで入れれば・・・。ああ、何か大きなものの蓋が開いてしまったような。(困ったようなふりをして、実はもちろん楽しんでいますよ)
たかつき級護衛艦の製作・架空艦への派生
本稿では3Dプリンティングモデルの2種類の素材例として、Amature Wargame Figures製の海上自衛隊「たかつき」級護衛艦を紹介しました。
下の写真は、Amature Wargame Figures製の海上自衛隊「たかつき」級護衛艦のモデルを、White Natural Versataile Plastic :WNV(奥)と Smooth Fine Detail Plastic :SFD(手前)の二種類の素材で出力してもらった例です。
White Natural Versataile Plastic:WNVで出力した例
Smooth Fine Detail Plastic:SFDで出力した例
取り上げた二つの素材、White Natural Versataile Plastic:WNVと Smooth Fine Detail Plastic:SFDの仕上がりの優劣については、「雑感のその2」で中国艦を例としてご説明しました。
その中で、仕上がり以外の素材選びのポイントとして、加工素材としての適性を合わせてご紹介しました。
(「たかつき」級護衛艦のモデルストックは、すでに「たかつき」級の護衛艦の模型はHai社製のものがありましたので、いずれは加工して架空艦を作成する際の素材として入手したものです。その際には切ったり、削ったりが必要になるのですが、加工の種類によっては、White Natural Versataile Plasticの方が粘性が強く、切断等の作業には適性が高いかもしれません。一方で、Smooth Fine Detail Plasticは、硬度が高く、研磨等の作業には適性が高いかもしれません。)
なんて書いちゃったものだから、気になって、結局、前々回以降、チマチマと工作して、とりあえずストックしていた4隻(実際にはFRAM改装後のモデルとして、1隻は製作済みだったので残りの3隻)を仕上げちゃった、と言うのが、今回のお題です。
それぞれのモデルはそれぞれこちら(↓)でお求めになれます。
Takatsuki-class destroyer, 1/1250 (PCPXYBRAY) by Nomadier
Takatsuki-class destroyer (1985), 1/1250 (ABVAWV8VA) by Nomadier
たかつき級護衛艦については、すでに本稿でご紹介済みですので、気になる方はそちらを読んでみてください。
一応、さらっと要点のみ再録しておきます。
Takatsuki-class destroyer - Wikipedia
第2次防衛力整備計画で、前出の「やまぐも級」護衛艦で既述の通り、「やまぐも級」とのハイ・ロー・ミックス構成の構想の下、有力な対空・対潜戦闘能力を持つ多目的護衛艦(DDA)として4隻が建造された。
(106mm in 1:1250 Hai製モデルをベースに主砲塔のみSNAFU store製のWeapopn setに換装)
船型は海自標準となってきた感のある遮浪甲板型を採用し、主機には蒸気タービンを搭載し、32ノットの速力を得た。
Mk42 54口径5インチ単装速射砲2基で広範囲の対空戦闘力を保持し、加えてボフォース対戦ロケットランチャーとアスロック、対戦短魚雷、さらにはDASH無人対潜攻撃ヘリコプター搭載、と非常に充実した対潜戦闘能力を誇る有力な護衛艦であった。
FRAM改装
上述のように、本級は非常に有力な戦力であったが、ミサイル化の流れの中で装備には陳腐化が目立つようになった。一方で、急速な新戦力整備にも限界があるため、FRAM(艦隊再建近代化計画)の名の下に、同級の「たかつき」「きくづき」に対して大規模な改装が行われ、当時新鋭のはつゆき級と同等の戦力化が目論まれた。具体的な内容としては、艦尾部の5インチ砲、これも艦尾部にスペースを取っていたDASH関連装備を撤去し、短SAM(シースパロー)、ハープーン艦対艦ミサイル、20mmCIWS、および種々の電子装備の換装、追加などが行われ、8年程度の艦齢延長を目指した。
(直下はFRAM改装後のたかつき級。Amature Wargame Figuresの3Dモデルをベースに、武装をSNAFU store製のWeapopn setから転用)
(FRAM改装前後のたかつき級を比較。奥がFRAM改装後。改装前のたかつき級は艦尾部に大きなDASH運用スペースが取られている事がよくわかる)
と言うことで、上記の写真ではHai社製のダイキャストモデルと、FRAM改装後のモデルとしてSFD素材の3Dプリンティングモデルを登場させていたために、手元には竣工時のモデル2つ(WNV素材とSFD素材:下の写真)と、FRAM改装後のWNV素材モデル(さらにその下の写真)の3隻が手元にはあり、さて、これをどんな風に仕上げて行こうか、と言うわけです。
「たかつき」級護衛艦は全部で4隻建造されており、一番艦から順に「たかつき」「きくづき」「もちづき」「ながつき」と命名されています。そのうち建造年次の古い「たかつき」「きくづき」は、後にFRAM改装を受けて艦齢延長が図られます。
と言うことで、まずはFRAM改装後のモデルをもう一隻。
少しディテイルアップを図るために、WNV素材モデルのいくつかのパーツを切断。艦前部から順に、主砲塔、アスロックランチャー、前部マスト、CIWS、シースパロー発射機、これらを一旦切断し、Ftoys製の現用艦船コレクションから、各パーツを転用し、ペタペタと貼っていきます。
こう言う比較的大掛かりなパーツの撤去と置き換えには、粘性の強いWNVは安心して切断などできるので、適性が高いかもしれません。この後、サッと下地塗装をして、仕上げ塗装を行います。
竣工時の状態のモデル(FRAM改装を受けない状態)をもう一隻。
下の写真は、上述のFRAM改装モデルと同じように、WNV素材のモデルから主要兵装のパーツ(主砲塔2基とアスロックランチャー)と、マスト上部等をFtoys製のパーツに置き換えた後、さっと下地処理を済ませた状態。艦中央に白いパーツが見えるのは、短魚雷発射管をロッドで作成したものです。
こうして、「たかつき」級護衛艦の勢揃い。
写真上部:FRAM改装後の「たかつき」級護衛艦(奥:たかつき・注!!!本来は「たかつき」はFRAM改装後もCIWSは未装備だったのですが、ここでは一応装備したことにしてあります。手前:きくづき)写真下部:就役時の「たかつき」級護衛艦(奥:もちづき、手前:ながつき)
架空艦の製作へ
さて、SFD素材の竣工時モデルがもう1隻残ったけど、どうしよう?
そうだ、そもそも、このモデルストックは「いずれは加工して架空艦を作成する際の素材として入手したものです」と書いてたんじゃないか。
と言うことで、ちょっと頭の中をゴソゴソ。
そう言えば、海上自衛隊初のDDG「あまつかぜ」の就役が 1965年。第二世代DDGの「たちかぜ」級の就役が1976年。この間、「あまつかぜ」は唯一のDDGであったわけで、ターター・システムの複数艦での運用データを得るためにも、この空白を埋めるために、1967年から就役の始まった「たかつき」級の1隻が早々にDDGへ改装・転用された、と言うカバーストーリーがなんとなくいい感じなのでは?
DDG「もちづき」の制作
こうして、DDG「もちづき」の誕生です。
SFD素材の竣工時モデルのいくつかのパーツを撤去。撤去部分は、艦首から前部主砲、アスロック・ランチャー、前部マスト上部、後部煙突上部、後部上部構造物、後部主砲。
換装、もしくは追加したパーツ:前部主砲(Ftoys)、アスロック・ランチャー(Ftoiys)、前部マスト上部(Ftoiys:「しらね」前部マストを転用)、短魚雷発射管(ロッドより製作)、ハープーン・ランチャーを追加(Ftoys)、後部煙突上部(Ftoiys:「しらね」後部煙突上部を転用)、ボートを両舷に追加(Ftoys)、イルミネーター2基を追加(Ftoys「しまかぜ」より転用)、Mk13対空ミサイル・ランチャーを追加(Ftoys「しまかぜ」より転用)、CIWSを追加(Ftoys)
下の写真は、上記の作業後、下地処理を経てざっと塗装をしてみたものです。艦中央部の白いパーツは、ロッドで製作した短魚雷発射管です。
少し制作の裏話を。
当初、艦後部のイルミネーターの後方に2番主砲を残していたのですが、Mk13ミサイル発射機とCIWSをその後ろに追加すると、2基のイルミネーターの配置に余裕がなく、併せてあまりにも艦後部が荷重になるように思われ、2番主砲の設置を断念しました。
その上で、少しイルミネーターの間隔に余裕を持たせ、Mk13対空ミサイル発射機をDASH無人対潜攻撃ヘリコプター格納庫上に設置、DASHの運用甲板であった後甲板にCIWSを設置、と言う配置にしました。CIWSの射界を広く持たせるためにはMk13とCIWSの配置を逆に、とも考えたのですが、Mk13の下に収納されるミサイル弾庫を考慮すると、この順序が良いのではないかと言う結論です。なんとなく、DASHの格納庫をそのままに、と言う状況も活かせたような気もしています。
直下の写真:DDG改装後の「もちづき」
直下の写真:僚艦「あまつかぜ」と共に。
上記のカバーストーリーでは、DDG「もちづき」は「あまつかぜ」と組んで活躍することになります。
直下の写真:そしてやがては第二世代DDGの「たちかぜ」級と共に行動する機会もあるかもしれませんね。
さて、どちらのクラスと護衛隊を組んでも、いくつもカバーストーリーが書けそうな・・・。
「たちかぜ」級護衛艦の製作
Amature Wargame Figures製の「たちかぜ」級DDGモデルが、WNV素材で一点、SDF素材で二点、到着しましたので、素材つながりで、ご紹介します。
「たちかぜ」級護衛艦については、「海上自衛隊 護衛艦発達史(3) 護衛隊群の整備・ DDHの登場」の回でご紹介しました。
Amature Wargame Figuresの「たちかぜ」級
本稿内ではHai製のダイキャスト製のモデルをご紹介しましたが、Amature Wargame Figures製のWhite Natural Versataile Plastic :WNV素材のモデル一点と、 Smooth Fine Detail Plastic :SFD素材のモデル二点を入手しました。
下の写真は、SFDモデル。
全体としては、Amature Wargame Figures製の標準的な仕上がりで、最初は細かい武装パーツとマストの交換で仕上げていこうと考えていました。
しかし、よく見ると、あれれ、ちょっと艦橋が大きいぞ。と、気になっちゃいました。
やれやれ、少し大ごとになる予感。
と言うことで、ゴリゴリとクラフトのこぎりで艦橋他の上部構造を撤去します。
あらら、すっきりしちゃいました。(実は、艦首部のナックルがあるのか無いのか、要ははっきりしないなど、さらに気になるところがいくつか。 でも、まあ今回はこれで進めましょう)
WNV素材のモデルで、「さわかぜ」を制作
上記のSFD素材モデル同様、 上部構造物をF-toys製やSNAFU store製のパーツに交換していきます。
ディテイルアップ箇所:艦首部から主砲、アスロック・ランチャーをF-toys製のストック部品に交換。
艦橋をF-toys「しまかぜ」の艦橋部に交換。:「さわかぜ」は「たちかぜ」級DDGの3番艦ですが、この艦からアスロックは艦橋基部から自動装填される機構を搭載しています。「しまかぜ」も同様の機構を搭載しているので、これをそっくり転用しました。
艦橋の上部のマックはF-toys製「しらね」のものを少し手を入れて転用。「しまかぜ」の艦橋では、少し長さが足りないので、少し長さを延長加工しています。
後部のマック上部も同様に「しらね」のものを転用。マック後方のイルミネータは「しまかぜ」から移植。後部主砲とCIWSはF-toys製、艦尾のMk 13はSNAFU store製のものを、それぞれ換装しました。
サーフェサーで下地処理をして、あとは仕上げのみの状態。
SFD素材のモデル2点をディテイルアップ開始
下の写真は、「たちかぜ」級DDGの2番艦「あさかぜ」の制作。
ほぼ、前述の3番艦「さわかぜ」と同様のディテイルアップの予定ですが、これも前述のように2番艦「あさかぜ」は、アスロックに自動装填装置を装備しておらず、艦橋前部の基部には装填用のハッチ等はありませんので、転用したF-toys製の「しまかぜ」の艦橋部分から、そのモールドを削ってあります。
艦尾部には、SNAFU store製Mk 13を搭載しました。
そしてSDF素材モデルのもう一隻は、「しまかぜ」の艦橋をそのまま転用します。つまり、アスロックは自動装填装置付き、と言うことです。「たちかぜ」級DDGの4番艦。
あれれ、架空艦、ですね。「おお、あれか?」と心当たりのある方は、相当のマニアかと。
もったいつけるわけではないのですが、この艦がどのようなカバーストーリーを持つのかは、次回、完成時にご紹介します。
「たちかぜ」級護衛艦の完成
3Dプリンティングモデルを用いた「たちかぜ」級DDG護衛艦の 完成編です。
「たちかぜ」級DDGの製作
少し繰り返しになるかもしれませんが、おさらいをしておくと、昨年末の前回は、入手したAmature Wargame Figures製のWhite Natural Versataile Plastic :WNV素材の「たちかぜ」級DDGのモデル一点と、 Smooth Fine Detail Plastic :SFD素材の同級のモデル二点を用いて、「たちかぜ」級3隻(「たちかぜ」「あさかぜ」「さわかぜ」)を完成してみよう、と言うものでした。
その際に、元々、入手したAmature Wargame Figures製のモデルをベースにして、武装やマスト、アンテナ関係はストックの部品を用いてディテイルアップする予定だったのですが、艦橋が少し大きすぎることが気になり、艦橋部分も換装するなど、結構広い範囲で手を入れる結果になりました。(この辺りは前回ご紹介しています)
ディテイルアップの大まかな流れは、ほぼ以下の通りです。
(直下の写真:入手したAmature Wargame Figures製のSFD素材のモデル。この他にSFD素材のモデルも一点あり、これも併せて今回仕上げることに)
(艦橋部分等の除去:使用したのは、ほとんで船体だけ・・・)
(F ~toyの「しまかぜ」級DDGから艦橋部分を移植。サーフェサーで下地処理)
(直下の写真:Amature Wargame Figures製のWNV素材のモデルをベースに、上部構造及び武装を換装してディテイルアップ/SFD素材モデルもほぼ同様のディテイルアップを行っています)
ちなみに、たちかぜ」級護衛艦の概要については、本稿、下記でご紹介しています。
「たちかぜ」級DDGの完成
さて、ここからが今回のお話です。
「たちかぜ」(DDG-168)
(直下の写真:DDG-168:たちかぜ Hai製のダイキャストモデル)
Hai製のダイキャストモデルです。本艦はもともとコレクションにあった船で、今回は艦番号をつけました。作業としてはデカール を貼り、上からマットコーティングするだけですが、これが大変小さいので、老眼の進む(とほほ)筆者には作業自体が結構大変です。(字も小さくてみにくいし、貼る対象も、そもそもが1:1250モデルの船ですので、これまた小さい。
さらに言うと、このスケールのデカール を入手するのはこれまた結構大変で、そもそも市販等のものが出回っていません。一時期は自作等も考えたのですが、これも自宅の環境では限界があり(白線が家庭用のプリンターでは再現できません)、結局、下のリンクの1:1250 Decaleに制作を依頼したものを使っています。
こちらの業者さんは、おそらくは趣味の延長でやっていらっしゃって、時折、模型ショーのようなところに出展する、と言う感じの活動を行っていらっしゃるようで、先方のペースで依頼対応等、なさいます。ですので、欲しい時に発注してすぐに手に入る、と言うわけにはいきません。「もうちょっとまとまったら、一緒にやるから、ちょっと待っててね」と言うようなメッセージが、オーダーに対して帰ってきます。まあ、こう言うのもやり取りも、楽しい驚きがある、と言えばそうなのですが、どのタイミングでお願いするか、など、結構難しい。
「あさかぜ」(DDG-169)
(直下の写真:DDG-169:あさかぜ Amature Wargame Figures製 SFD素材モデル)
「あさかぜ」は、ほぼ「たちかぜ」に準じる形で作成します。前回も準備で触れましたが、「たちかぜ」は艦橋前のアスロックに自動装填機構が未装備で、したがって、今回換装用の艦橋として準備したF-toys製の「しまかぜ」の艦橋はそのまま使えませんので、一旦、艦橋基部の自動装填機構用のハッチ等のモールドを削り、パテで埋め形を整えたものを船体に装着し、仕上げてあります。
最後に艦番号169を貼り付けて、出来上がり。
(直下の写真:準備段階で「しまかぜ」の艦橋基部のオールドを削り、アスロック装填用のクレーンを艦橋前部に追加)
「さわかぜ」(DDG-170)
(直下の写真:DDG-170:さわかぜ Amature Wargame Figures製 SFD素材モデル)
「さわかぜ」から 、アスロックの自動装填機構が搭載されました。ですので、こちらは「しまかぜ」の艦橋をそのまま拝借。ややアスロック・ランチャーを、艦橋寄りの位置に近づけて配置します。艦番号「170」を貼付。
さて、手持ちのAmature Wargame Figuresの「たちかぜ」級モデルのうち、SFD素材の2点は、こうして「あさかぜ」「さわかぜ」になりましたが、もう一点WNV素材のモデルが残っています。
「たちかぜ」級の4番艦、と言うことになりますが、実際には「たちかぜ」級は3隻しか建造されていないので、いわゆる架空艦を制作することにします。
本稿で、以前、架空の護衛艦「いそかぜ」(DDG-183)について述べたことがあります。
「いそかぜ」と言う護衛艦は実在しないのですが、一方で、「亡国のイージス」(小説版・映画版)あるいは「空母いぶき」(映画版)で活躍する「有名な護衛艦」なのです、と言うのが、この回の主題だったのですが、この「亡国のイージス」に登場する「いそかぜ」の第65護衛隊を構成する僚艦が「うらかぜ」として登場します。
本稿の上記URLでも、ほんの少しだけ「うらかぜ」について触れているのですが、その際には、私の勉強不足から、てっきり「うらかぜ」は「いそかぜ」と同様、「はたかぜ」級DDGなのだと決め付けていました。
しかし、その後、原作等を読み返すと、「隊司令の衣笠一佐が、あえて旧型の第二世代ミサイル護衛艦「うらかぜ」を座乗艦に選んだのも・・」と言う記述があるではないですか。
ありゃリャ、これは「たちかぜ」級だぞ。と言うわけで、残った一隻は「うらかぜ」として制作することに・・・。
「うらかぜ」(DDG-162):架空護衛艦
(直下の写真:DDG-162: うらかぜ Amature Wargame Figures製 WNV素材モデル。写真を下記のようにアップにすると、やはりWNV素材の仕上がりの荒さが気になりますね。肉眼で見ている分には、それほど気にならないのですが)
細部は、武装の換装など、ほぼ「さわかぜ」と同じ仕様で仕上げてあります。最後に艦番号「162」を貼付して、出来上がり。
この艦番号、決定までに少し紆余曲折がありました。
と言うのも、「いそかぜ」については原作中に「183」と言う艦番号が明記されているのですが、「うらかぜ」については、艦番号に関する記述はありません(少なくとも、私が読みこんが限りでは。もしどこかに記載があったら、是非お知らせ下さい)
そこで、「たちかぜ」級の4番艦であれば、本来は艦番号「171」が付与されるべきなのですが、この番号は実際には、すでに次級「はたかぜ」級DDGのネームシップ「はたかぜ」に付与されています。その後はミサイル護衛艦の番号は最新型の「まや」級の「はぐろ」の「180」まで、すべていっぱいで、さらにその後は181から184までDDHの「ひゅうが」級、「いずも」級に付与されていて、空きがありません。(そう言う意味では小説版「亡国のイージス」の「いそかぜ」の183番も、実際にはDDH「いずも」の艦番号になってはいるのですが)
止むを得ず、「うらかぜ」の就役時点ではすでに退役していたであろう防空担当護衛艦の番号を、と言うことで、初代「あきづき」級の2番艦「てるづき」(1981年、特務艦籍に変更 この時点で、DD-162からASU-7012に艦番号を変更)の番号をいただいた、と言うわけです。「うらかぜ」の前の「たちかぜ」級3番艦の「さわかぜ」の就役が1983年ですので、少なくとも「うらかぜ」の就役はそれ以降と想定できますので、なんとか辻褄は合うかと。(余談ですが、前述の「いそかぜ」の項でも触れましたが、映画版「空母いぶき」の「いそかぜ」は初代「あきづき」の艦番号「161」をもらっています)
と言うことで、少し苦労しましたが、艦番号は「162」に決定。
第65護衛隊(「いそかぜ」(DDG-183), 「うらかぜ」(DDG-162))
(直下の写真は、第65護衛隊の2隻。手前:「うらかぜ」(DDG-162) と奥:ミニ・イージスシステム搭載艦に改装後の「いそかぜ」(DDG-183))
(直下の写真:参考までにターターシステムからイージスシステムへの換装後の「いそかぜ」(DDG-183)。「はたかぜ」級DDGをベースに、艦橋上部にミニ・イージスシステム用のドームを追加。主砲をオート・メララ製の54口径コンパット砲に換装、併せて、アスロック・ランチャー設置箇所に、16セルのVLSを設置して即応性を高めるなどの工夫があります)
と言うことで、第二世代ミサイル護衛艦「たちかぜ」級4隻(一隻は架空艦です)が完成しました。
(直下の写真:DDG第二世代たちかぜ級の揃い踏み。手前から「たちかぜ」「あさかぜ」「さわかぜ」そして架空艦「うらかぜ」の順)
海上自衛隊の艦隊防空担当艦の系譜(160番台艦の一覧)
ちょっと良い機会なので、前述の「うらかぜ」の艦番号をどのように決めたかの経緯説明の話の流れで、艦番号絡みの話を少し。
海上自衛隊の護衛艦のうち、護衛隊群等の艦隊防空の役割を担う艦には、従来から160番台(のちには170番台から180番へ)の艦番号が 付与されてきています。今回は、イージス艦以前の防空担当の護衛艦が、ほぼほぼ揃ってきたので、ご紹介しておきます。
DD-161「あきづき」(初代)/DD-162「てるづき」(初代)
海上自衛隊の護衛艦として初めて2000トンを超えた「あきづき」級護衛艦のネームシップ。5インチ単装速射砲3基と3インチ連装速射砲(スーパーラピッド)を装備し、高い対空戦闘能力を持っていました。
「あきづき」「てるづき」共に、旗艦装備を保有しており、護衛艦隊、護衛隊群の旗艦任務につくことが多かったと言われています。
DDG -162「うらかぜ」
第二世代ミサイル護衛艦「たちかぜ」級の4番艦(架空)。
ミニ・イージスシステム搭載護衛艦「いそかぜ」(DDG-183)と第65護衛隊を組んだことは、つとに有名。「亡国のイージス」事件で、僚艦「いそかぜ」によって撃沈されてしまいます。
DDG-163「あまつかぜ」
DD-164「たかつき」
多目的護衛艦「たかつき」級のネームシップ。強力な54口径5インチ砲を2基装備し、ミサイル護衛艦の防空機能を補完する役割をになっていた。装備近代化のFRAM改装後の姿。艦後部にCIWSを装備していますが、実際にはCIWSは「きくづき」のみ装備し、「たかつき」は装備しませんでした。
DD-165「きくづき」
多目的護衛艦「たかつき」級の2番艦。装備近代化のFRAM改装後の姿。後部主砲と、Dash格納庫を撤去して、対艦ミサイル、シースパロー、CIWSなどを搭載し、ミサイル化対応を促進し、艦齢延長が図られました。ヘリコプターの搭載能力を除けば、ほぼ「はつゆき」級汎用護衛艦に匹敵する戦力に。
DD-166「もちづき」
多目的護衛艦「たかつき」級の3番艦。本級の3番艦、4番艦には、FRAM改装は行われませんでした。
DDG -166「もちづき」架空改装艦
「もちづき」は、FRAM改装に代えて、DDG化の改装が行われた、と言う想定です。海上自衛隊初のDDG「あまつかぜ」の就役が 1965年。第二世代DDGの「たちかぜ」級の就役が1976年。この間、「あまつかぜ」は唯一のDDGであったわけで、ターター・システムの複数艦での運用データを得るためにも、この空白を埋めるために、1967年から就役の始まった「たかつき」級の1隻が早々にDDGへ改装・転用された、と言うカバーストーリーで製作されています。
少し制作の裏話を。
当初、艦後部のイルミネーターの後方に2番主砲を残していたのですが、Mk13ミサイル発射機とCIWSをその後ろに追加すると、2基のイルミネーターの配置に余裕がなく、併せてあまりにも艦後部が荷重になるように思われ、2番主砲の設置を断念しました。
その上で、少しイルミネーターの間隔に余裕を持たせ、Mk13対空ミサイル発射機をDASH無人対潜攻撃ヘリコプター格納庫上に設置、DASHの運用甲板であった後甲板にCIWSを設置、と言う配置にしました。CIWSの射界を広く持たせるためにはMk13とCIWSの配置を逆に、とも考えたのですが、Mk13の下に収納されるミサイル弾庫を考慮すると、この順序が良いのではないかと言う結論です。なんとなく、DASHの格納庫をそのままに、と言う状況も活かせたような気もしています。
僚艦「あまつかぜ」と護衛隊を組む「もちづき」
その後、「うらかぜ」と一時は護衛隊を組むことも。(おお、架空艦での護衛隊編成)
DD-167「ながつき」
DDGへの改装も検討されたが、予算上捻出できず断念、と言う設定です。ほぼ就役時の姿を残しています。
DDG-168「たちかぜ」
海上自衛隊、第二世代のミサイル護衛艦「たちかぜ」級のネームシップ。1998年からは護衛艦隊旗艦を務めたことも。
DDG-169「あさかぜ」
「たちかぜ」級の2番艦。
DDG-170「さわかぜ」
「たちかぜ」級の3番艦。本艦から、アスロックの自動装填機構が導入されました。アスロック・アンチャーの位置と艦橋基部の形状の少し異なります。
DDG-171「はたかぜ」
海上自衛隊のミサイル護衛艦としては第三世代「はたかぜ」級のネームシップ。イージスシステム以前の対空誘導ミサイル駆逐艦としては最終世代に属し、その頂点とも言われることもあります。「まや」級の就役で、そろそろ練習艦籍に移管されるかも。
DDG-172「しまかぜ」
第三世代ミサイル護衛艦「はたかぜ」級の2番艦。
DDG-183「いそかぜ」
第三世代ミサイル護衛艦「はたかぜ」級の3番艦。ミニ・イージスシステム搭載艦への改装が行われた。直下の写真は、改装後の姿。改装再就役直後に「亡国のイージス」事件の舞台となり、失われた。
事件直前の第65護衛隊の2隻。手前:「うらかぜ」(DDG-162) と奥:ミニ・イージスシステム搭載艦に改装後の「いそかぜ」(DDG-183)。
と言うことで、少し後半、取り止めのない一覧になりましたが、今日はここまで。
改めて一覧すると、よくみると、160番台の船は、もう一隻も現役に残っていないのですね。「たかつき」級や「たちかぜ」級がもう残っていないなんて、改めて、時の流れを感じます。
付録:試験艦「あすか」
その名の通り、海上自衛隊の様々な装備を試験する目的で建造された船です。
モデルは、これまで時折登場していただいている幕之内弁当三次元造形の作品で、SFD素材による、ディテイルまで再現性の高いモデルです。
お求めはこちらで。
Desktop Fleetと言う非常に充実したラインナップをお持ちのブランドを展開されているのですが、筆者にとって残念なことに、その主力スケールは、1:1800あるいは1:2000で、1:1250スケールは、今のところラインナップ充実のスコープには、あまりいれていらっしゃらないようなのです。
直下の写真は、以前にご紹介した Desktop Fleetさんの数少ない1:1250スケールの海上自衛艦、試験艦「あすか」の下地処理後の姿。
このモデルの艦橋上にあるミニ・イージスシステムのドームは、当ブログでご紹介したイージス護衛艦「いそかぜ」三態のうち、「亡国のイージス」小説版の第一形態「いそかぜ」の艦橋上部に追加された「イージスシステムドーム」に転用されました。
そして直下が仕上がりの写真。
さらに艦橋前には新アスロック運用試験用のVLSや、おそらく12式地対艦誘導弾の艦載化に向けての試験用発射キャニスターが作り込まれています。
実はこの船、文字通り「試験艦」なので、実戦等には投入されないはずなのですが、私の記憶では、随分以前の話ではあるのですが、大石英司さんの小説(「環太平洋戦争」だったかな、「アジア覇権戦争」だったかな、いずれにせよかなり以前の作品だったかと)で、海上自衛隊がその性格上、表立って介入できない周辺有事に、試験中の先進の装備を活用して、こっそり介入するベースになる、と言うような話があったような・・・。その時に、海上自衛隊には面白い船があるんだなあ、と強い関心を持った記憶があります。
3Dプリンティングモデルの紹介は、今回でひと段落つきました。実は後、米海軍のアーレイバーク級を残しているのですが、こちらはもう少し情報を貯めて、米海軍、としてご紹介できれば、と考えています。
大好きな日本海軍の小艦艇総覧
本稿の読者(そんな人いるのかな、と想いつつ)はなんとなく気配を感じてもらっているかもしれませんが、筆者は通商路を巡る海軍のあり方に大変興味があり、その流れで通商路保護の主役である「小艦艇」が大好きなのです。
ここで、小艦艇を総まとめ。
二等駆逐艦
「二等」と付くと、なんとなく派生系・補助系の艦種の様に見えてしまうのですが、実はこちらが駆逐艦の本流だ(であるべきだった、と言うべきでしょうか)と、筆者は思っています。
本稿でも何度か触れてきた事ですが、日本海軍は「艦隊決戦」をその艦隊設計構想の根幹に持ち続けてきました。幸い(?)、日本という国は海外に大規模な植民地を持たず、「艦隊決戦」は常に大洋を押し渡ってくる敵艦隊を想定していれば事足りる、と言う環境ではありました。こうして主力艦隊同士が雌雄を決する「艦隊決戦」の前に、いかに押し寄せる敵艦隊を削り細らせるか、と言う「漸減戦術」が決戦の前哨戦として構想されてゆきます。
並行して、それまであまりパッとしなかった魚雷が急速にその威力・性能を向上させ、これを主要兵器とする駆逐艦が大型化、高速化し、「漸減戦術」の主役として位置付けられる様になります。強力な魚雷を装備した有力な駆逐艦部隊で数次に渡る攻撃をかけ、決戦前に敵艦隊を細らせておこう、と言うわけですね。こうして十分な航洋性を持つ大型で高速な駆逐艦、「一等駆逐艦」という分類が生まれたのです。ある意味、「一等駆逐艦」は艦隊決戦専任艦種、と言っても良いかもしれません。
大正期から昭和初期にかけ、駆逐艦設計はそれまでの欧米模倣による模索の時期を終え、日本オリジナルとも言うべき艦型にたどり着きます。それが「峯風級」駆逐艦から「睦月級」駆逐艦に至る本稿では「第一期決定版」と呼んでいるデザインです。
特徴としては航洋性を重視して艦首を超えてくる波から艦橋を守ために艦首楼と艦橋の間にウェルデッキという切り欠き部分が設定されています。さらに操作要員が露出する当時の防楯付き単装砲架の主砲は全て一段高い位置に装備され波浪の影響を少なくする工夫がされています。
(直上の写真:「日本オリジナル」デザインの一等駆逐艦「神風級」と二等駆逐艦「樅級」:同一のデザインコンセプトを持ち、武装を削減しています)
これらの「日本オリジナル」の艦型を取り入れて設計され、警備や護衛など多種多様な任務に対応する量産性も担保しつつ、大型高性能艦(一等駆逐艦)の補完も併せ持つ「スペックダウン版」の駆逐艦が以下の「樅級」駆逐艦と、それに続く「若竹級」駆逐艦でした。両級あわせて34隻が建造される予定でした。
しかし計画半ばで、ワシントン・ロンドン体制の制約により「八八艦隊計画」は中止され、加えて特にロンドン条約により駆逐艦の保有数にも制限がかけられます。「艦隊決戦」に重点を置く日本海軍としては、割り当てられた保有枠は「艦隊決戦専任艦種」である「一等駆逐艦」に重点を置かざるを得ず、結局「樅級」は21隻、「若竹級」は8隻で建造が打ち切られ、、以後、「二等駆逐艦」は建造されなくなりました。
第一次世界大戦で示された戦争の形態の変化を考慮すると、来るべき戦争は「総力戦」となることは明らかであり、「艦隊決戦」の様な雌雄を決するような戦いが起きることは稀で、「補給」「資源供給能力」の維持に重点をおいた浸透性と常備性の高い戦いにおいては消耗に耐えられるだけの数の装備はどうしても必要になるはずでした。
しかし結局、日本海軍はあくまで「艦隊決戦」に備えた装備計画方針を変えられず、「二等駆逐艦」相当の戦力の不足による「補給」「資源供給能力」への脅威にさらされ続ける事になります。
(直下の写真:二等駆逐艦「樅級」の概観。68mm in 1:1250 by Hai :「若竹級」も外観的には大差ありません)
前述の様に「峯風級」駆逐艦のスペックダウン版で、実際には種々の平時艦隊任務だけでなく主力艦隊護衛や、水雷戦隊の基幹戦力となるなど、建造当時は艦隊の中核戦力を担いました。800トンを切る船体(「峯風級」は1200トン)に、12cm主砲3門(「峯風級」は4門)、連装魚雷発射管2基(「峯風級」は3基)を主要兵装として装備し、36ノット(「峯風級」は39ノット)の速力を発揮することができました。
「若竹級」駆逐艦
「樅級」駆逐艦の改良版で、課題とされていた不足する復原力を艦幅の増加(15センチ)により改善しました。
哨戒艇に改装
(直上の写真:二等駆逐艦は太平洋戦争では、両級あわせて10隻が島嶼部での陸戦隊の上陸作戦を想定した哨戒艇に改装されて活躍しました。哨戒艇は20ノット程度に速度を押さえ、大戦中、時期によって武装が異なりますが、基本は雷装を削減、もしくは撤廃し、主砲等も削減し対空砲を強化しています。一部には艦尾に上陸用舟艇の搭載用のスロープを設けた艦もありました。直下の写真は、哨戒艇の武装配置)
太平洋戦争当時には両級共に既に老朽艦で、「樅級」は3隻、「若竹級」は6隻が駆逐艦として、両級あわせて10隻が哨戒艇として参戦し、駆逐艦籍の艦は9隻中7隻が、哨戒艇籍の艦は10隻中9隻が戦没しました。
ワシントン・ロンドン体制で、駆逐艦にも保有制限がかかると、日本海軍は制限外の水雷艇に重武装を施し、小型駆逐艦として活用する事に着目します。
「千鳥級」水雷艇
ja.wikipedia.org 600トンを切る小さな艦体に、当時の主力駆逐艦と同様に50口径5インチ砲(12.7cm砲)を、艦首部に単装砲塔、艦尾部に連装砲塔という配置で3門を搭載し、さらに連装魚雷発射管を2基、予備魚雷も同数装備、30ノットの速力を発揮する高性能艦として誕生します。駆逐艦なみの主砲装備のために射撃管制塔の要請から艦橋も大型化し、設計中から既に重武装に起因する復原力不足は課題として意識されていました。
公試時の転舵では大傾斜が生じ、急遽大きなバルジを追加装備する形で対策がとられ竣工しました。
(直上の写真:「千鳥級」水雷艇の竣工時の概観。63mm in 1:1250 by Neptuneベースのセミ・スクラッチ)
(直上の写真:「千鳥級」水雷艇の竣工時の特徴のアップ。上段:艦首部の単装砲塔と背の高い艦橋部。舷側には復原性対策として急遽増設されたバルジを再現してあります。下段左:連装魚雷発射管を2基装備、下段右:艦尾部の連装主砲塔)
その後、同型艦の「友鶴」で、40度程度の傾斜から転覆してしまうという事故が発生し(設計では90度傾斜でも復原できる事になっていました)、深刻な復原力不足が露呈します。
事件後、設計が見直され、ほぼ別設計の艦として同級は生まれ変わります。その変更点は、艦橋を1層減じ小型化すると共に、バルジを撤去し代わりに艦底にバラストキール(98トン)の装着によるトップヘビー解消。そして武装を再考し、主砲口径を5インチ砲から12センチ砲へと縮小し、搭載形式も砲塔式から防楯付き単装砲架への変更(22トンの重量削減)、あわせて魚雷発射管を連装1基へ削減し予備魚雷も搭載しない(40トンの重量削減)、等により復元力は改善されましたが、速力は28ノットに低下してしまいました。
(直下の写真:「千鳥級」水雷艇の復原性改修後の概観。63mm in 1:1250 by Neptune)
竣工時と復原性改修後の比較は以下に。竣工時のモデルはイタリア海軍の水雷艇によく似ている気がします。海面のおだやかな地中海であればこれで大丈夫なのかもしれませんね。
戦争中は、敵潜水艦に対する速力不足が常に課題とされた「海防艦」と異なり、その優速を生かした理想的な対潜制圧艦と評価され、船団護衛等に活躍しました。
同型艦4隻中3隻が戦没。
(直下の写真:「鴻級」水雷艇のの概観。72mm in 1:1250 by Neptune)
「千鳥級」の改良型として設計中に上述の「友鶴事件」続く「第4艦隊事件」等が発生したため、復元性、船体強度が見直され、大幅な設計変更ののち完成しました。
基本設計、武装等は復原性改修後の「千鳥級」に準じ、速度を「千鳥級」が竣工時に発揮していた30ノットに回復しています。当初16隻の建造計画でしたが、ワシントン・ロンドン体制の終了に伴い、8隻で建造が打ち切られました。
改修後の「千鳥級」同様、護衛任務等には最適な艦型と評価が高く、この艦級の戦時急造に向けた工程簡素化等が検討されていれば、その後の日本海軍が陥った深刻な状況に対する早い段階での回答となり得たのかもしれません。
(直上の写真:「千鳥級」(上段)と「鴻級」水雷艇(下段)の武装比較。主砲(左列)は同じ12センチ砲ながら、「鴻級」では仰角を55°まであげたM型砲架を搭載しています。魚雷発射管(右列)は「千鳥級」が連装発射管であるのに対し、「鴻級」では3連装発射管に強化しています)
海防艦という艦種
海防艦(新海防艦と言った方がいいでしょうか)は、実は筆者が最も好きな艦種の一つです。華々しい活躍こそありませんが、来る日も来る日も船団に寄り添って、目を真っ赤にしながら海面や空を通る黒点に目を凝らす、その様な正に海軍のワークホースとでも言うべき姿に、いつも胸が熱くなるのです。
本稿でも、下記の回に少しだけ登場してもらいました。本稿は八八艦隊計画を具体化した辺りから、少し架空戦記っぽい手触りになってゆくのですが、下記もその体現化と受け止めて楽しんでいただければ、と思います。
今回は、初稿では、海防艦はもっと小さな扱いだったのですが、やはり思いが募って、結局、新海防艦のご紹介的なミニコーナーにしてしまいました。
(直上の写真は、甲型海防艦:「占守型」(手前)と「択捉型」(奥))
(直上の写真は、甲型海防艦「占守型」の概観。64mm in 1:1250 by Neptune: 平射砲を主砲とし、なんとなく平時の警備艦の趣があると思いませんか?)
(直上の写真は、甲型海防艦「択捉型」の概観。64mm in 1:1250 by Neptune: 「占守型」と外観位は大差はありません。南方航路の警備・護衛を想定し、爆雷の搭載数が定数では「占守型」の倍になっています)
当初、海防艦は、北方で頻発していた漁業紛争への対応を目的として整備されました。漁業保護、紛争解決に主眼が置かれたため、武装は控えめで、高速性も求められないかわり、経済性が高く長い航続力を有していました。こうした経済性と長い航続力は、船団護衛には最適で、ほぼ北方専用に設計された「占守型」の設計を引き継いで、南方での運用も視野に入れた「択捉型」が建造されました。国境での紛争解決等を想定したため、主砲は平射砲を装備し、南方の通商路警備をもその用途に含めたため若干の対潜装備を保有していました。870トンの船体にディーゼルエンジン2基を主機として搭載し、19.7,ノットの速度を出すことができました。
乙型海防艦:甲型改海防艦(「御蔵型:同型8隻」「日振型:同型9隻」「鵜来型:同型20隻」)
**実は設計時には「乙型」と言う分類でしたが、完成時には「甲型」に分類されました。従って、乙型海防艦は記録上は存在していないかもしれません。しかし明らかに設計の主目的等が変更されているので、なぜ、同分類としたものか疑問です。どなたか、理由をご存知の方がいらっしゃったら、ぜひ教えてください。とりあえず、便宜的に「甲型改」とでも呼んでおきましょうか。「甲型改」は正式名称ではないので、ご注意を。
(直上の写真は、甲型改(乙型)海防艦:「御蔵型」(手前)と「日振型」(奥):「日振型」には建造工程を簡素化した準同型艦の「鵜来型」がありました)
(直上の写真は、甲型改(乙型)海防艦「御蔵型」の概観。63mm in 1:1250 by Neptune: 主砲が高角砲となり、艦尾部の対戦兵器が充実しています。この艦級のあたりから、船団護衛の専任担当艦の色合いが濃くなってゆきます)
(直上の写真は、甲型改(乙型)海防艦「日振型」の概観。63mm in 1:1250 by Neptune.:基本的な外観は「御蔵型」と変わりませんが、建造工数の簡素化が図られ、工数が57000から30000へと大幅に減少、工期が9ヶ月から4ヶ月に短縮したと言われています)
戦争が深まるにつれ、南方の通商路での船舶の戦没が相次ぎ、航路護衛には潜水艦、航空機に対する戦闘力を求められるようになり、主砲を高角砲に変更、あわせて対潜装備が充実してゆきます(乙型海防艦=甲型改海防艦「御蔵型:同型8」「日振型:同型9」「鵜来型:同型20」)。あわせて、数を急速に揃える要求から、艦型は次第に小型化し、建造工程の簡素化が模索されます。写真を掲げた「日振型海防艦」は、940トンの船体に、12cm高角砲を艦首に単装砲架で、艦尾に連装砲架で装備し、加えて25mm3連装機銃を2基、艦尾に爆雷投下用の軌条を二本、爆雷投射機を2基搭載し、爆雷120個を搭載していました。ディーゼルエンジン2基を主機として、19.5ノットの速度を出すことができました。ヒ86船団の護衛隊には「大東」が参加しており、「鵜来型」のネームシップである「鵜来」は準同型艦でした)
(直上の写真は、「丙型海防艦」の概要。54mm in 1:1250 by Neptune:簡素化はさらに進み、艦型が直線的になっています。船体は小型になり、武装は高角砲が1門減りましたが、対潜装備は投射機など充実しています)
戦争後半、米潜水艦の跳梁は激化し、海防艦の量産性はより重視されるようになります。「丙型海防艦」では艦型の小型化、簡素化がさらに進み、艦型もより直線を多用したものになってゆきます。エンジンも量産性を重視して選択され、「日振型」同様ディーゼルエンジン2基の仕様ながら、速力は16.5ノットに甘んじました。甲型・乙型よりも一回り小さな745トンの船体を持ち、武装は12cm高角砲を単装砲架で艦首、艦尾に各1基、25mm3連装機銃を2基を対空兵装として搭載し、爆雷投射機を12基、投下軌条を一本装備して、爆雷120個を搭載していました。同型艦は56隻が建造されています。艦名はそれまでの様に日本の島嶼名ではなく、番号に改められました。「丙型海防艦」は全て奇数の艦番号が割り当てられました。ヒ86船団の護衛隊には「23号艦」「27号艦」「51号艦」がが参加していました。
(直上の写真は、「丁型海防艦」の概要。56mm in 1:1250 by Neptune:「丙型」と武装等は変わりませんが、主機が変更になり、煙突の位置、形状が変わっています。排水量は変わりませんが、やや全長が長くなっています)
再三記述していますが、海防艦には量産性が求められましたが、一方でディーセルエンジンの生産能力にも限界があることから、上掲の「丙型海防艦」と並行して蒸気タービンを機関として搭載した「丁型海防艦」も建造され、こちらは偶数番号が割り当てられました。同型艦は67隻。船体の大きさ、武装には「丙型」「丁型」で大差はありませんが、主機の違いから、速力は「丙型」よりも早い17.5ノットでしたが、ディーゼルに比べると燃費が悪く、「丙型」のほぼ倍の燃料を搭載しながら、航続距離が2/3程度に下がってしまいました。
(直上の写真は、「海防艦」の艦級瀬揃い。手前から「占守型」「択捉型」「御蔵型」「日振型」「丙型」「丁型」:実際には「日振型」の準同型「鵜来型」がありました)
海防艦は171隻が建造され、71隻が失われました。
昭和期に入り、日本海軍ではそれまで漁船等を改造した特務駆潜艇の業務としていた沿岸での局地対潜防御活動に専任する艦種として駆潜艇を建造しました。
沿岸防御をその想定戦域としていたために、あまり航洋性には配慮が払われていませんでしたが、太平洋戦争では多くが南方での哨戒任務や船団護衛に従事しています。
艦級は以下の通りです。
第1号級駆潜艇
(直下の写真:「第1号級」駆潜艇の概観。52mm in 1:1250 by HB :日本海軍が初めて設計した駆潜艇ですが、その後、「第13号級」が現れるまでの駆潜艇の基本形となりました。**余談異なりますが、このモデルのモデルの供給元であるHB社は日本の小艦艇に強いメーカーです。駆潜艇の主な艦級を揃えています)
260トンの船体に40mm連装機関砲を主要装備としていました。24ノットの高速を有していましたが、航洋性は必ずしも良好ではありませんでした。以降の第12号艇までは本級の艦型を基本設計として、「友鶴事件」等の影響で復原性を高めるために艦橋位置や構造を改める等の回収を施しています。
第51号級駆潜艇
(直上の写真「第51号級」駆潜艇の概観。44mm in 1:1250 by Trident 前部マストをプラロッドに変更)
マル二計画(1933年度)で計画された小型駆潜艇です。
150トンの船体に40ミリ機関砲と爆雷18個を搭載し、23ノットのこの艦級としては比較的高速の速力を有していました。主として主要海軍根拠地の防備隊で使用され、同級3隻全てが終戦時に現存していました。
(直上の写真:駆潜艇の系譜。左から「第1号級」駆潜艇、「第51号級」駆潜艇、「第13号級」駆潜艇
(モデル未)
第13号級・第28号級・第60号級駆潜艇
(直下の写真:「第13号級」駆潜艇の概観。42mm in 1:1250 by HB :日本海軍の駆潜艇の決定版、と言ってもいいでしょう。量産性を意識して機関を商船型のディーゼルとするなど、特徴が見られる設計です。次級の「第28号級」もほぼ外観は変わりません)
前級をやや大型化した400トン弱の船体に、高角砲1門、13mm連装機銃等を装備していました。急造性を考慮して商船向けのディーゼルエンジンを搭載しています。主機をディーゼルとしたことで航続距離は伸びましたが、速力は16ノットとなりました。開戦後は適宜対空兵装を強化しています。
(上下の写真:太平洋戦争後期には、対空機関銃が増設され、対空兵装が強化されました)
次級の「第28号級」はその改良型です。
「第13号級」の準同型艦。「第13号級」で課題が見つかった保針性改善のために、艦尾形状を直線的に改めました。量産性を高めるために艤装や船体構造の簡易化が図られました。
「第13号級」の準同型艦で、「第28号級」で取り組まれた戦時急造のための簡易化を一層進めていたと言われています。
上記の5クラスで61隻が建造され、41隻が戦没しています。
機雷敷設艦というジャンル
本稿前回でも少し触れましたが、日本海軍はその創設以来、機雷敷設業務には専用艦船を建造せず、旧式の装甲巡洋艦や徴用した商船等を改造し、その役務に配置してきていました。
ようやく八八艦隊計画の時期に、機雷敷設専用艦船の保有に意向を示し、設計を始めました。大まかに設計された艦級は3種類に分類されると言っていいと考えています。
第一のグループは「八八艦隊計画」に象徴される艦隊決戦の補助戦力として、想定決戦海面、あるいは敵前で機雷を敷設する大型の強行敷設艦で、これは目的海面までの長い航続能力を持ち、敵前敷設に対応するための強力な砲力、多数の機雷を搭載できる大型の艦型という特徴を備えています。「厳島」「沖島」「津軽」がこれに該当します。これらの艦は、太平洋戦争開戦後は、本来の機雷敷設任務以外にも、その大きな搭載能力(機雷庫)を買われ、高速輸送艦としても活躍しています。
掃海艇同様、日本海軍は機雷敷設業務に、旧式の装甲巡洋艦等を当てていましたが、大正期の八八艦隊計画に準じて、初めて本格的な機雷敷設艦の設計に着手しました。それが「厳島」です。
(直上の写真は、機雷敷設艦「厳島」:89mm in 1:1250 by Authenticast)
2000トン級の艦型に、主機にはディーゼル機関を採用しています。設計当時の艦隊決戦主戦場と想定されていた南洋諸島方面での機雷敷設任務を想定し航続距離と機雷搭載量が重視され、速力は17ノットと少し控えめに設定されています。
日本海軍の常として強行敷設、敵前敷設をも想定したため、2000トンの駆逐艦クラスの艦型の割には比較的強力な砲力をもっています。(14センチ砲単装砲3基)
2000トンの小ぶりな船体ながら、500個の機雷を上甲板直下の第二甲板の機雷庫に収納する事ができました。上甲板の4条の機雷投下軌条と第二甲板後方の6つの扉を開放する事で、機雷庫から直接機雷敷設ができる仕組みも併せて持っていました。
太平洋戦争開戦時にはフィリピン攻略戦を皮切りに南方作戦に従事し、機雷敷設、船団護衛、上陸支援、物資輸送等に大戦を通じて活躍しています。
1944年10月、スラバヤ方面で、オランダ潜水艦の雷撃で撃沈されました。
ロンドン海軍軍縮条約の補助艦艇への制限下で生まれた本格的機雷敷設艦
ロンドン条約では補助艦艇の保有に関してもその形状、保有数の両面で制限が課せられるようになりました。機雷敷設艦についても制限が設けられ、新造される敷設艦は5000トンを超えたはならず、最大速力を20ノットとしています。さらに搭載砲の口径をは6インチ(15cm)以下、搭載数を4門までと制限され、さらに魚雷発射管の搭載は認められませんでした。
そもそもロンドン条約では「主砲口径が6.1インチを超え、8インチ以下で、10000トン以下の艦」をカテゴリーA:重巡洋艦とすると言う定義が行われ、この定義は、「夕張」「古鷹級」と、画期的なコンパクトな重武装艦を生み出し始めた日本海軍を警戒して列強が定め、「古鷹級」とこれに続く「青葉級」をカテゴリーAの総排水量の中でカウントし、その重巡洋艦の保有数に限界を持たせることを狙ったとも言われています。
同様に機雷敷設艦艇に関する制約でも、日本海軍が高速で強力な兵装を持つ、軽巡洋艦或いは重巡洋艦に匹敵するような高速機雷敷設巡洋艦を保有することを制限する狙いがあった、と言われています。
(直上の写真は、上述の機雷敷設艦「沖島」の概観:104mm in 1:1250 by semi-scratched based on Neptune)
機雷敷設艦「沖島」は 4000トン級の船体を持ち、条約制限いっぱいの20ノットの速力を有していました。主砲には、敵前での強行敷設を想定し、軽巡洋艦と同等の14cm主砲を防楯付きの連装砲架形式で2基、保有していました。機雷搭載能力は600発とされ、これを収納できる大きな機雷庫を持っていました。併せてカタパルトを搭載し水上偵察機の運用能力を備え、広域な偵察能力も保有していました。
前述のようにロンドン条約は、機雷敷設艦の名目で日本海軍が軽巡洋艦として運用できる強力な敷設巡洋艦を建造することを予防した、と言われていますが、実際に太平洋戦争では、開戦直後の中部太平洋での島嶼攻略戦での上陸作戦支援やソロモン諸島方面で輸送船団の護衛や、巨大な上記の機雷収納庫を利用して自ら輸送・揚陸任務など、高速を必要とする水雷戦隊旗艦等の任務を除けば、他の軽巡洋艦と同等に活躍しています。
1942年5月11日、ソロモン諸島方面で米潜水艦の雷撃で失われています。
(直上の写真は、上述の機雷敷設艦「津軽」:104mm in 1:1250 by Neptune)
「津軽」は前述の「沖島」の準同型艦で、4000トンの船体を持ち、条約制限いっぱいの20ノットの速力を有していました。「沖島」と異なり「津軽」は12.5cm 連装対空砲を2基を主砲として搭載し、より対空戦闘能力に配慮した設計となっています。
「沖島」同様、巨大な機雷収納スペースを生かし、太平洋戦争中盤までは、中部太平洋やソロモン諸島方面で輸送船団の護衛や、自ら輸送・揚陸任務などに活躍しています。
大戦後期にはレイテ島方面での機雷敷設を行い、併せて南西方面での輸送任務につく事が多く、1944年6月に米潜水艦の雷撃で失われました。
(直上の写真は、上述の機雷敷設艦「沖島」と「津軽」(左上)・「沖島」「津軽」の艦尾部の拡大(左下):機雷は上甲板乗の軌条と艦尾の第二甲板の後方扉からの投下設置が可能でした。・右列は「沖島」(右上)と「津軽」(右下)の主砲比較:右上の「沖島」の主砲は、ストックパーツを加工してして換装しました)
(日本海軍の本格的機雷敷設艦のそろい踏み:本当はここに「八重山」の入れたかったけど・・・。奥から「津軽」「沖島」「厳島」)
(「八重山」の概観:74mm in 1:1250 by Tremo)
同艦は1100トン級と、やや小型の艦型を持ち、平時の訓練、戦時には哨戒や船団護衛等の汎用的な目的への対応も考慮して設計されています。兵装は当初から盾付きの12cm単装高角砲を2門搭載していました。小さな艦型ながら185個の機雷を搭載する設計でした。
同艦の大きな特徴は、なんと言っても電気溶接が最初に採用された事で、技術的にも用途的にも実験的な試みの軍艦となっています。同艦で使用された電気溶接の技術は、当然の事ながら未熟で、不具合が多発したようです。併せて復原性に課題があり、大規模な改修工事を受けています。
(「八重山」の主砲配置:就役時には盾付きの12.5センチ高角砲を艦首。艦尾に配置していましたが、復原性改善工事の際に艦首のみ盾付きに改められています)
太平洋戦争では開戦時に南方攻略戦に帯同し機雷敷設業務に従事していますが、その後は対空兵装、対潜装備を強化し、護衛艦として船団護衛等に活躍しました。
1944年9月、フィリピン中部で米艦載機による攻撃で沈没しています。
雑談:機雷という兵器
ここまで、機雷敷設艦艇の第1グループを紹介してきたわけですが、そもそも「機雷」というのはどのような兵器なのか、少し説明を試みます。
「機雷」とは、水中に設置され艦船が接触、もしくは接近した際に爆発し艦船に損害を与える兵器です。「機械水雷」を略して「機雷」と言われています。
港湾封鎖、航路封鎖、あるいは逆に港湾・航路への侵入防御等の目的に使用される事が多く、敷設には艦船による海面敷設、航空機による空中投下、あるいは潜水艦による水中敷設等の方法が用いられます。
機雷を設置された海面を機雷原と呼びますが、機雷原の設置には大量の機雷を計画的に設置する事が必要ですが、「機雷」そのものの強度の脆弱さを考慮すると、短時間での大量の機雷敷設には専用敷設装備を持った艦船が必要でした。
第二次世界大戦の後半には空中投下が可能な強度を持った機雷が開発され、日本周辺の海域では米軍爆撃機から空中投下された機雷での海上封鎖が行われました。
「機雷」自体の起爆作動方法は大きく以下の3種類に大別されます。
触発機雷:機雷の触覚、あるいは機雷から延長される水中線などに艦船が接触した際に爆発する機雷で、一般的に最もよく知られているタイプと言えます。
感応機雷:艦船の発生させる磁気、音響、通過時の水圧変化、艦船の機械類が発生させる電流等を感知して爆発するタイプの機雷で、現状はこれらの複数の刺激を併用して攻撃対象の艦船を特定し爆発するこのタイプが主流になっています。
管制機雷:簡単にいうと有線で陸上の管制室等から起爆指示が送られるタイプの機雷です。根拠地の周辺、あるいは要地に設置され、平時には艦船通過等を探知するセンサーから、音響や発生電流等の情報集取も可能です。
太平洋戦争時に日本海軍が保有していたのは触発機雷のみでしたが、同時期に米海軍は感応機雷の運用も開始していました。この背景には日本海軍のレーダー技術や対潜水艦戦用装備、特に水中聴音やソナー関連の電子技術の立ち遅れが大きく影響していたと言わざるを得ません。
現在ではセンサーで条件に合致する(音紋特性・磁気特性等)特定の艦船の通過をした際に起動し、目標を追跡する自走能力を持ったホーミング機雷なども実用されています。
以前、本稿で紹介した光岡明氏の「機雷」という小説では、大戦中は海防艦に乗り組んでいた主人公が、終戦後、掃海艇に乗務して日本近海に設置された「機雷」を処理する、という物語なのですが、ここで米海軍が空中投下した「感応機雷」について詳しく語られています。
音響感知式の「感応機雷」は、「艦船の通過回数を検知し特定回数に達した場合に起爆する」というような記述があったと記憶します。つまり、こうした機雷の場合には除去(掃海)にあたっては、ダミー音源を牽引した掃海艇が何度もその上を通過せねばならず(例えば起爆セットが「通過7回目」だった場合には、ダミーがその上を7回通過しないといけないのです)、それだけ掃海艇そのものも危険に曝される、という訳です。それにも増して気の遠くなるような地道な作業です。まるでテロ。地雷と似ていますね。
実際に日本はこの米軍が敷設した機雷の除去に、20年の年月を費やしています。
実はこの小説、私の最も好きな小説の一つです。「海防艦」が冒頭現れるのもその魅力の一つですが、主人公が終戦を挟んで静かに生きてゆく姿に感動します。興味のある方は是非。
本稿では「防潜網」という用語も出てきますが、多くの場合、この「防潜網」も一定間隔で機雷を装備しており、「防潜網」に接触した潜水艦に損害を与える仕組みになっています。
「機雷」=「触雷」というと、本稿の主題であった「主力艦開発史」の流れで思い出されるのは、やはり日露戦争のロシア太平洋艦隊の司令長官マカロフ提督の遭難と、その直後の「魔の5月15日」でしょうか。
当時、世界的な名将として知られ、新たに旅順要塞の太平洋艦隊の司令長官として着任したマカロフが、1904年4月13日、旗艦「ペトロパブロフスク」に座乗して旅順周辺海域での日本艦隊の追撃戦からの帰還途上で、日本海軍の敷設した機雷に触雷して戦死しました。
このマカロフの死は、明らかにその後の旅順周辺でのロシア艦隊の活動に大きな影響を与え、例えば旅順要塞自体の不備から、その後、ある意味必然的に発生せざるを得なかったであろう「黄海海戦」などは、おそらく全く異なった展開となっていたと思われます。マカロフはおそらくその出撃の主題を冷静に捉えて、ウラジオストックへの遁走に邁進し艦隊を保全。もしくは積極的な攻勢に転じて損害を出しながらも日本海軍はその主力艦隊をこの海戦で消耗し、その後、極東へ回航されて来るバルティック艦隊の迎撃は叶わなかった、というような結果も想定されます。いずれの場合にも、バルティック艦隊の回航は全く異なる意味を持ち、戦争の帰趨は変わっていたかもしれません。
この直後の5月15日、今度は旅順要塞海域を哨戒中の日本海軍の戦艦「初瀬」と「八島」が、今度はロシア海軍が敷設した機雷に触雷、両艦は轟沈してしまいます。当時、6隻しか保有していなかった戦艦のうち2隻が同時に失われる、という悲劇でした。
と、まあ、少し脱線。
第2グループ:急設網艦
第二のグループは、主力艦隊に帯同し艦隊の泊地に、第一次世界大戦以来、飛躍的に性能を向上させ水上艦にとって重大な脅威となりつつある潜水艦の侵入、攻撃を防ぐための防潜網を転調する急設網艦のグループで、この艦種は機雷敷設の能力も併せて持っていました。「白鷹」
「初鷹級」の3隻がこのグループに属します。この艦級は、太平洋戦争中盤以降、防潜網の展張装備を対潜兵装に換装し、船団護衛等の任務に活躍しています。
急設網艦「白鷹」(1929-1944)
その名の通り、艦隊泊地などに対潜水艦侵入防止用の防潜網を展張する役目を負う艦種ですが、機雷敷設の能力もあるため、正式の艦種分類は日本海軍では機雷敷設艦となっています。
「白鷹」(「ハクタカ」ではなく「シラタカ」と読みます)は日本海軍が建造した最初の「急設網艦」ですが、同時に世界で初めて防潜網敷設艦として設計された船でもあります。
(直上の写真は、急設網艦「白鷹」:69mm in 1:1250 by Superior?ちょっと怪しい。兵装配置はほぼ最終時点=8cm高角砲2基を主兵装とした時点を再現しているつもりです。もう少し爆雷投射機等があったほうがいいかも)
就役当初から復原性に大きな課題を抱えており、重装備であった砲兵装が順次改められてゆきました。また(1300トン、12cm高角砲3基(竣工時)、のち8cm高角砲2基、速力16ノット)
太平洋戦争開戦時には南方攻略戦に従事、その後主としてインドネシア海域での機雷敷設・防潜網敷設等に活動したのち、他の敷設艦同様、防潜網・機雷の収納庫を活用した輸送任務等に活躍しました。大戦の推移にともない防潜網の展張、機雷敷設の機会の減少に準じ、敷設関係の装備を撤去して代わりに対潜装備を搭載。最終的には船団護衛が任務の主体となりました。す。
1944年8月、バシー海峡で米潜水艦の雷撃で失われました。
「初鷹級」急設網艦 (1939-:同型艦3隻「若鷹」のみ残存)
(「初鷹級」急設網艦の概観:76mm in 1:1250 by Oceanic:モデルは8cm高角砲への主砲換装後の姿)
「初鷹級」急設網艦は、「白鷹」以来、約10年ぶりで建造された急設網艦です。基本設計は「白鷹」の改良型で、乾舷を低くして復原性を改善、主機を「白鷹」のレシプロ機関から蒸気タービンとして速力を20ノットに向上させ、併せて航続距離を「白鷹」の1.5倍としています。重量軽減のために主兵装を40mm機関砲としています。その他、復原性の改善のために煙突を低くするなど、全体的に駆逐艦のようなスマートな艦型となりました。
(日本海軍の急設網艦の比較:「白鷹」(奥)と「初鷹級」(手前)。「初鷹級」が「白鷹」で課題であった復原性に配慮された設計であったことがよくわかります)
後に不具合の多い主兵装40mm機関砲を8cm高角砲や25mm機関砲に換装するなど、兵装には変更が加えられました。
(本級は船団護衛等の任務につく機会が多く、対空戦闘、対潜戦闘においても40mm機関砲では威力不足が課題とされ、順次8cm高角砲へ、主砲を換装していました)
「初鷹級」は、いずれの艦も太平洋開戦当初から上陸作戦支援や船団護衛につく事が多く、本来の機雷敷設・防潜網敷設任務に従事する機会はあまりありませんでした。特に1944年からは船団護衛が主任務となり、敷設関連の軌条を撤去して対潜装備が配置されています。
1944年9月に「蒼鷹」、1945年5月に「初鷹」がいずれも米潜水艦の雷撃で失われ、「若鷹」のみ終戦時に残存していました。
第3グループ:敷設艇
第三のグループは、より小型の基地防御用の敷設艇です。基地周辺の防潜網敷設や、沿海航路保全の機雷敷設などに従事する艦種です。
このグループには「燕級」「夏島級」「側天級」「神島級」の4つの艦級が建造されました。
この艦種は太平洋戦争末期、日本本土決戦構想が具体化するにつれ、必要性が増した艦種でもありました。
「燕級」敷設艇(同型2隻:1929-)
(直上の写真は、「燕級」敷設艇の概観:57mm in 1:1250 by Oceanic ?ちょっと怪しい。主兵装のみそれらしく乾燥したつもりです)
八八艦隊計画の一環として、港湾防御用に設計された小型艦級です。防潜網・機雷等の敷設のみでなく掃海も対応可能とした一種の万能艇を目指していました。(450トン、19ノット、主兵装:8cm高角砲×1・13mm機銃×1、機雷80基)
太平洋戦争では佐世保防備戦隊の所属し、主として南西諸島方面の船団護衛や機雷敷設に従事していました。
「燕」「鷗」の2隻が建造されましたが、1944年から1945年にかけて、両艇ともに南西諸島近海で失われました。
「夏島級」敷設艇(同型3隻:1933-)
(直上の写真は、「夏島級」敷設艇の概観:63mm in 1:1250 by Oceanic ?ちょっと怪しい。主兵装のみそれらしく乾燥したつもりです)
「燕級」敷設艇の改良型で「夏島」「那沙美」「猿島」の3隻が建造されました。(450トン、19ノット、主兵装:8cm高角砲×1・13mm機銃×1、機雷120基)
太平洋戦争では各根拠地の防備船体に所属し船団護衛や機雷敷設に従事しましたが、3隻とも1944年に3隻とも相次いで失われました。
「測天級」敷設艇(同型15隻:1938-終戦時4隻残存)
それまでの敷設艇を大型化した艦型で、機関をディーゼルとしてより汎用性を高め、太平洋戦争における敷設艇の主力となりました。前級までの復原性不足を解消し、航洋性に優れ活動範囲は日本近海に留まらず広い戦域に進出し活躍しています。(720トン、20ノット、主兵装:40mm連装機関砲×1・13mm連装機銃×1、機雷120基 /6番艦「平島」以降は主兵装:8cm高角砲×1・13mm連装機銃×1)
終戦時に「巨済」「石埼」「濟州」「新井埼」の4隻が残存していました。
(上の写真は「測天級」敷設艇の概観:59mm in 1:1250 by Tremoの水雷艇モデルをベースにしたセミ・スクラッチ:「測天級」は40mm連装機関砲を主兵装としていましたが、同機関砲は特に対潜水艦戦で有効ではなく、6番間以降、8センチ高角砲を主砲として搭載しています。この艦級は「平島級」とされることもありますが、ここでは「測天級」の第二グループとしています)
さらに改良型の「網代」級が12隻、建造される予定でしたが、1隻のみの打ち切られ、次級の「神島級」へ計画は移行されました。
(下の写真は、「測天級」のディテイルのクローズアップ。特に写真下段では、敷設艇ならではの艦尾形状に注目)
本稿の「機雷敷設艦艇小史」では文中で「測天級」「神島級」については「Oceanic レーベルでモデルあり、未入手」と記載していましたが、実は誤りでどうやら「測天級」にはモデルがないようです。そこで、という訳でもないのですが、「では作ってしまおうか」という訳です。
幸い、前述の「八重山」のモデルを入手した際に、複数のモデルを落札しています。主には送料負担を軽減する目的で、同一出品者の他の出品物を同時落札する事が多いのです。多くはストックモデルとして保管され、部品取りや今回のようなセミスクラッチのベースとして利用することを目的にしています(実際には、そんなに計画的ではないし、スキルが低いのでうまくいかず、バラバラにして捨てることが多いのですが)。
今回、ベースに利用したモデルがこちら。
全長68mmの水雷艇のモデルのようです(多分、「鴻」級:にしては少し大きい)。なんとこのモデル、実は落札したモデルではなく、筆者が落札したモデルは「駆潜艇」のモデルだったのですが、出品者からのパッケージが届くと中から「ごめんなさい。落札していただいた「駆潜艇」のモデル、なくなって(売り切れ)ました。代わりにこちらで勘弁してください。もし気に入らなかったら返金します」とお手紙に添えて件の「水雷艇」のモデル2隻と中国海軍の砲艦(多分、「永翔」級(いわゆる「中山艦」?)のモデルが、「八重山」のモデルに同梱されていました。ちょっとびっくり。
元々、落札した「駆潜艇」も送料単価軽減の目的で「ストックモデル入り」と考えていたので「このままでいいですよ。代替モデルいいですね」ということにしたのですが、早速、「八重山」を仕上げながら(ちょっと艦橋をもっと別のモデルからのものに差し替えたりしたので)「何に使おうか」などと考えていて、ここで役に立った訳ですね。
上部構造をほぼ全部取り払って、何よりも水線長をうんと短くして(=切り詰めて)、艦尾形状をやすりで整形して、新たにストックパーツとプラ・ロッド等から上部構造(らしきもの)を組み上げて・・・。つまり結構な「セミ・スクラッチ」だったわけです。でも、これでミッシングリンクの一つが埋まったわけですから、筆者としては大満足です。
(ベースにして完成した自称「測天級」とベースの水雷艇の比較がこちら)
実はもう一隻、同型の水雷艇のモデルが残っているので、こちらをベースに「神島級」も作ってしまおうかと思っています。(「神島級」は「測天級」の改良型ではあるのですが、戦時急造艦艇らしく直線的で、つまり海防艦的な構造を多用しているので、「測天級」のセミ・スクラッチから、少し制作の方針を変えねばなりません。どうしようかな、と迷っています。と言っても困っている訳ではなく、セミ・スクラッチの醍醐味、といえばそうなのです。つまり、結構楽しんでいる、そういうことです)
「神島級」敷設艇(同型2隻:1945-終戦時に2隻とも残存)
(Oceanicレーベルでモデルあり、モデル未入手)
本土防衛のために「測天級」の簡易版として急遽建造された艦級です。3隻が着工し、1隻が建造中止、「神島」のみ1945年7月に就役しました。「粟島」は艤装中に終戦を迎え、終戦後に復員輸送船として就役しました。(766トン、16.5ノット、主兵装:40mm機関砲×1・25mm機銃×3)
もう一つ、おまけ。
敷設艦「勝力」(1917−1944)
(上の写真は日本海軍が初めて建造した敷設艦「勝力」の概観: 65mm in 1:1250 by Tremo(?): 下の写真は太平洋戦争時の=測量艦時代の「勝力」の主砲配置。「勝力」は就役時には12センチ砲3基を搭載していました。艦首部に2基搭載された12センチ単装砲は並行に配置されていました。その後、8センチ高角砲に換装されましたが、3基装備説と2基装備説:もしかすると時期によって搭載数が変わるのかもしれません:がありはっきりしません。高角砲を狭い全部甲板に2基並行配置、というのはどうも腹落ちがしないので、ここでは2基説を採用しています)
日本海軍の機雷敷設艦艇の紹介の冒頭で、「日本海軍はその創設以来、機雷敷設業務には専用艦船を建造せず、旧式の装甲巡洋艦や徴用した商船等を改造し、その役務に配置してきていました」と記載していました。
「勝力」は日本海軍が最初に建造した敷設艦(就役当初は「敷設船」と呼ばれていた?)です。敷設艇を大型化した発展形で、商船的な構造をしていました。老朽化のため1935年に測量艦に艦種変更され、太平洋戦争でも測量任務に従事していました。
1944年9月、フィリピン海域で米潜水艦により撃沈されています。
掃海艇について
掃海艇は本来、その名の通り掃海任務を担当する艦種ですが、日本海軍は「八八艦隊計画」までは旧式の駆逐艦をこの任務に当てていました。「八八艦隊計画」により初めて専任艦艇を設計する事になるのですが、この計画自体が「艦隊決戦」構想に基づく計画であり、日本海軍では主力艦隊の前路開削のための敵艦隊前での掃海任務を想定し、その艦型に比較すると大きな砲力を備えている特徴がありました。
大戦中は掃海装備のための後甲板に対潜装備を搭載し、掃海任務だけでなく、船団護衛等にも活躍しました。
艦級としては以下のクラスがありますが、本稿で扱う1:1250スケールで模型化されているのは
私の知る限り「第13号級」、「第7号級」と「第19号級」の3クラスです。
第1号級掃海艇(既存モデル、あった!?)
(直下の写真:「第1号級」掃海艇の概観。59mm in 1:1250 bt ??? メーカー不明)
筆者が頼りにしている艦船モデルのデータベースsammelhafen.deで調べても、「第1号級」掃海艇のモデルは登録されていないのですが、筆者のストックモデルでそれらしきものを発見。少しディテイルアップをしてみました。
「第1号級」掃海艇は、それまで旧式駆逐艦等を掃海任務に割り当てていた日本海軍が、大正期の八八艦隊計画の一環として初めて「掃海艇」として設計した艦級です。日本海軍の掃海艇の常として、敵前での主力艦隊の前路開削を想定しているため、本級も艦型に比して比較的強力な砲力を搭載していました。(600トン、12cm平射砲2門、20ノット)
準同型艦に、本級を改良した「第5号級」掃海艇があります。
同級も外観的には大差がなく、「第1号級」「第5号級」併せて6隻が建造され、太平洋戦争には、その汎用性を買われて本来の掃海任務の他、船団護衛等にも従事しました。第4号掃海艇を除いて、全てが太平洋戦争で失われました。
第13号級掃海艇
(直下の写真:「第13号級」掃海艇の復原性改修後の概観。58mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces)
設計当時の日本海軍の艦艇設計の共通点として、重武装でトップヘビーであり、復原性に課題がある艦級とされていました。上述の「友鶴事件」で改修工事が行われ、艦橋が一段低められ艦底部のバラストキールが装着されるなどの対策が取られました。(690トン、12cm平射砲2門、19ノット:復原性改善工事後)
次級の「第17号級」は元々は本級の5番艦、6番艦でしたが、設計段階で上記の改修が反映され、船体が少し小さくなりました。
第7号級掃海艇
(直上の写真「第7号級」掃海艇の概観。59mm in 1:1250 by Trident 前部マストをプラロッドに変更)
「友鶴事件」「第四艦隊事件」等を経て、設計された掃海艇です。艦型は復原性・船体強度などの前級が抱えていた問題を考慮して、異なる外観となっています。しかしその任務想定が艦隊の前路開削や、上陸地点の航路掃海等、敵前での業務を想定していたため、船体の大きさに対して大きな砲力を有していました。(630トン、12cm平射砲3門、20ノット)
(直上の写真:「第7号級」掃海艇と本稿では既出の「第19号級」掃海艇との艦型比較。直下の写真:主砲が「第7号級」掃海艇では平射砲であるのに対し(上段)、「第19号級」ではM型砲架の採用により、仰角が挙げられているのが分かります)
第19号級掃海艇
(直下の写真:「第19号級」掃海艇の概観。59mm in 1:1250 by Trident: 「鴻級」水雷艇と同様に、主砲は55°の仰角での射撃を可能したM型砲塔を搭載していました。艦種も第25号艇以降は戦時急増のために簡素化した直線的な艦首を採用しています)
同級では主砲が仰角をかけることの出来るM型砲架に改められています。同砲架は55°まで仰角をかけることができましたが、対空戦闘ではなく、対地上砲撃等を想定したとされています。実際に前出の「第13号級」では太平洋戦争の緒戦のボルネオ攻略戦闘で、陸上砲台からの射撃で2隻が失われています。上陸作戦等に伴う前路開削等には、その様な陸上砲撃を行う機会が伴ったのかもしれません。(650トン、12cm3門(M型砲架)、20ノット)
また同級の第25号艇以降は、戦時急造適応のため簡易化が行われ、艦首形状が直線化しています。
(直上の写真:「第13号級」と「第19号級」掃海艇の概観比較。「第13号級」は設計当時の日本海軍の通弊だった幅広の艦型を持ち喫水が浅く重装備のためにヘビートップの傾向がありました)
(直下の写真は、「第7号級」掃海艇までが装備していた防楯付き12cm平射砲(上段)と、「第19号級」掃海艇が装備したM型砲架12cm砲(下段):写真はいずれも前出の水雷艇のものですが、掃海艇でも同様の主砲搭載形式の変更があ行われました。M型砲架の採用により55°までの仰角での射撃が可能になりましたが、この変更の目的は対空戦闘よりも対艦・対陸上砲撃への適応を考慮されたものでした)
上記の6クラスで35隻が建造されましたが、30隻が戦没しています。
海上自衛隊 潜水艦開発史
旧日本海軍は、その潜水艦開発に、独自の戦略と技術の方向性を持つユニークな存在であった。用兵面では、その海軍の成立の背景から、あまりに艦隊決戦にこだわったため、潜水艦本来の特性を十二分に活かす事ができなかったが、長い航続距離と優れた航洋性を持ち、一部には航空機を搭載するなど独自の発展を遂げたと言っていい。
大戦末期にはいわゆる「可潜艦」からの脱却を目指し、潜水航行を主眼においた水中高速潜水艦の保有に至っていた。
海上自衛隊の潜水艦開発史は、海上自衛隊発足直後の米海軍からの貸与艦に始まり、上記の技術の上に早い時期に国産艦の建造に着手した。
海上自衛隊の創立から今日に至るまで、以下に紹介する11級の潜水艦を保有している。
黎明期の貸与潜水艦
潜水艦くろしお(1955:再就役- 同型艦なし:1526トン、水中8.8ノット・水上20.3ノット、魚雷発射管:艦首6門・艦尾4門)
USS Mingo (SS-261) - Wikipedia
海上自衛隊の発足直後、日米艦艇貸与協定により米海軍から貸与された。前身はガトー級潜水艦ミンゴである。
ガトー級潜水艦は都合77隻が建造され、多くはガピー改装と称する艦齢延長のためを受け近代化されるなど近代化対応したが、ミンゴはモスボール艦の状態から貸与艦となったため、そのような改装は受けず、それどころかシュノーケルさえ装備されていなかった。
(Takara 1:700 世界の艦船 海上自衛隊潜水艦史「くろしお」(1955)130mm in 1:700)
「くろしお」は、本稿でも紹介した私の幼少期の愛読書「サブマリン707」の初代707のモデルとなった。「どんがめ」の愛称で、その旧式性を謗られ、あるいは親しまれながら、大活躍する。
(直下の写真は、Takara:世界の艦船シリーズ サブマリン707 1:1000スケール。ちょっと、わかってもらいにくかもしれませんが、懐かしい。涙モノ、なのです。 93mm in 1:1000)
(さらに、Takara:世界の艦船シリーズ サブマリン7072世 1:1000スケール。右下写真に注目!シュノーケルには「ガー(噛み付き)」マーク(小沢さとる先生命名)が再現されています。これも、涙・・・101mm in 1:1000)
併せて「くろしお」は、映画「潜水艦イ57降伏せず」には、日本海軍の潜水艦役で登場した。
初の国産潜水艦
潜水艦おやしお(初代)(1960- 同型艦なし:1150トン、水中19ノット・水上13ノット、魚雷発射管:艦首4門)
日本が戦後初めて建造された初の国産潜水艦である。
前出の米海軍からの貸与艦「くろしお」が、第二次世界大戦の中期までの潜水艦の主流であった水上航行を主体としたいわゆる「可潜艦」であるのに対し、旧日本海軍が戦争末期に建造した水中高速潜水艦(潜高型:せんたかがた)伊201級をタイプシップとして、水中を高速で航行する水中高速潜水艦の系列に属するシュノーケルを装備した潜水航行を通常とする「潜水艦」であった。
機関は米国から貸与された「くろしお」を範にとりデーゼル・エレクトリック方式とし、二軸推進であった(ディーゼルエンジンで発電機を回し、その発生電力でモーターを回し推進力を得る形式。旧日本海軍の潜水艦は、浮上時にはデーゼルエンジンで推力を得ると同時に発電機を回し充電を行い、潜水時には充電された電力でモーターを回し推力を得ていた。第二次大戦期までは、ドイツの高名なUボートなど、こちらの推進方式の方がどちらかというと主流であった)
(Takara 1:700 世界の艦船 海上自衛隊潜水艦史「おやしお」(1960)110mm in 1:700)
本格的国産潜水艦の登場
はやしお級潜水艦 (1962- 同型艦2隻:750トン、水中14ノット、水上11ノット、魚雷発射管:艦首3門)
Hayashio-class submarine - Wikipedia
第1次防衛力整備計画で建造された局地防衛用の対潜水艦戦用潜水艦である。
セイル前方と艦首には索敵用パッシブ・ソナーを配置し、攻撃用のアクティブ・ソナーを艦底に装備した。
機関はディーゼル・エレクトリック方式を採用し、推進機は二軸である。海中での運動性には優れていたが、小型の船体ゆえ荒天下でのシュノーケル運用に課題があり、水上航行にも問題を抱えていた。さらに居住性は劣悪であったとされている。
(Takara 1:700 世界の艦船 海上自衛隊潜水艦史「はやしお」級(1962)85mm in 1:700)
なつしお級潜水艦 (1963- 同型艦2隻:790トン、水中15ノット、水上11ノット、魚雷発射管:艦首3門)
Natsushio-class submarine - Wikipedia
前級「はやしお」級の発展形として2隻建造された。「はやしお」級同様、局地防衛用の対潜戦用潜水艦である。船型をやや拡大し、大型のアクティブ・ソナーを船体下方に昇降式で装備した。
(Takara 1:700 世界の艦船 海上自衛隊潜水艦史「なつしお」級(1963)88mm in 1:700
(直上の写真は、「なつしお」級の外観的な特徴である昇降式のアクティブ・ソナードーム)
潜水艦おおしお (1965- 同型艦なし:1628トン、水中18ノット、水上14ノット、魚雷発射管:艦首6門、艦尾2門)
米海軍からの貸与艦「くろしお」の代替艦として、建造された。
前出の「はやしお」級、「なつしお」級はいずれも船型が小型で、運動性には優れるものの、荒天下でのシュノーケル運用、あるいは水上航行性能等、性能的には限界があった。
これらを踏まえ「くろしお」の代艦は、ほぼ「くろしお」に等しい大型の船型で建造された。
推進方式はこれまで同様、ディーゼル・エレクトリック方式で、二軸推進である。
パッシブ・ソナーは艦首下部とセイル前端に装備し、アクティブ・ソナーは「なつしお」級と同様に艦底、発令所下部当たりに吊り下げ式で装備した。
(Takara 1:700 世界の艦船 海上自衛隊潜水艦史「おおしお」(1965)126mm in 1:700)
(直上の写真は、おおしおの外観的な特徴である吊り下げ式のアクティブ・ソナードーム)
あさしお級潜水艦 (1966- 同型艦4隻:1650トン、水中18ノット、水上14ノット、魚雷発射管:艦首6門、艦尾2門)
Asashio-class submarine - Wikipedia
基本的に「おおしお」をタイプシップとして、発展させたものである。
機関はデーゼル・エレクトリック形式を踏襲しているが、騒音軽減のための防振・防音対策が図られた。二軸推進である点は変わらない。
前級との大きな相違点は艦首形状が水上航行を意識した形状に変わり、併せて艦底に吊り下げ式で装備されたアクティブ・ソナードームは、艦首下部に移動された。
(Takara 1:700 世界の艦船 海上自衛隊潜水艦史「あさしお」級(1966)126mm in 1:700)
(直上の写真は、あさしおの外観的な特徴である艦首の吊り下げ式のアクティブ・ソナードーム。艦首の形状が前級の「おおしお」とは異なる)
涙滴型潜水艦の建造
うずしお級潜水艦 (1971- 同型艦7隻:1850トン、水中20ノット、水上12ノット、魚雷発射管:艦首部6門)
Uzushio-class submarine - Wikipedia
本級から、海上自衛隊の潜水艦形状は水中性能をより重視した涙滴型の艦型に移行する。機関はディーゼル・エレクトリック形式を踏襲するが、これまでの二軸推進から一軸推進へと改められた。これにより20ノットに水中速力は向上し、形状から不適と見られた水上でも12ノットで航行ができた。
これまでパッシブ、アクティブの二系統に分かれ分散装備されていたソナーを統合ソナーとして艦首のドームに配置し、全方位の同時監視を実現した。艦首部に大きなソナードームが配置された事で、魚雷発射管は艦首部よりもやや後ろに片舷3門づつ、やや斜め、艦中心線から外側に10度の角度を持って配置されることとなった。
操舵装置に初めてジョイスティックを採用し、それまで船体に装備されていた潜舵はセイルに移動した。
(Takara 1:700 世界の艦船 海上自衛隊潜水艦史「うずしお」級(1971)103mm in 1:700)
(本級から、ソナーが統合ソナーとして艦首部に装備された。これに伴い、魚雷発射管は、艦首より少し後方に中心線から少し角度をつけて配置された)
ゆうしお級潜水艦 (1980- 同型艦10隻:2200トン、水中20ノット、水上12ノット、魚雷発射管:艦首部6門)
Yūshio-class submarine - Wikipedia
「うずしお」級の発展形であり、涙滴型潜水艦の第二世代にあたる。
船体を大型化し、武器・操縦システムの強化、さらにスクリューの形状改良、防振・防音対策の充実などから、静粛性の向上が図られた。
ソナー等は基本「うずしお」級の形式を踏襲したが、デジタル化等が図られ、性能は黄向上している。4番艦「おきしお」では曳航ソナーが装備され、探知能力が受実した。その装備にともない、セイル後方から艦尾に曳航ソナー周用のための鞘が装備された。
この装備は、順次他艦にも追加装備されていく。
5番艦「なだしお」以降の艦では、艦首部の魚雷発射管から対艦ミサイル「ハープーン」が発射可能となった。
(Takara 1:700 世界の艦船 海上自衛隊潜水艦史「ゆうしお」級・「せとしお」(1980)105mm in 1:700)
(「せとしお」を反対舷から撮影したもの。4番艦「おきしお」以降、準じ装備された曳航ソナーの収納鞘が見える:ちょっとわかりにくいですが、セイルの付け根から艦尾にかけて長く伸びている膨らみが、それです)
はるしお級潜水艦 (1990- 同型艦7隻:2450トン、水中20ノット、水上12ノット、魚雷発射管:艦首部6門)
Harushio-class submarine - Wikipedia
海上自衛隊の涙滴型一軸推進潜水艦の第三世代であり、7隻が建造された。
雑音低減対策が最優先して実行され、「ソノブイ視認までは、シュノーケル航行しても探知されない」静粛性を獲得したと言われるほど、徹底化した水中放射雑音低減が図られている。
本級で日本の潜水艦の静粛性は世界レベルで見ても最高水準に達したと言われている。
装備面での特徴はソナー等のデジタル化および国産化が挙げられる。
(Takara 1:700 世界の艦船 海上自衛隊潜水艦史「はるしお」級・「はやしお」(1990)110mm in 1:700)
(「はるしお」級の曳航ソナーの収納鞘の形状。前出の「ゆうしお」級の長い収納さや形状と比較して小型化しており、この辺りにも水中放出雑音対策の一環がうかがえる)
「あさしお」の改装
同級の7番艦「あさしお」は練習潜水艦籍への移行後、先進潜水艦技術のテストヘッドとしての役割が与えられ、多くの改装が施された。
最も大きな改装は、スターリング式AIP(非大気依存推進機関)追加搭載のために、艦中央部に区画を追加し9メートル船体が長くなったことである。これにより基準排水量は2900トンとなった。
本艦で、2003年からスターリング式AIPのテスト運用が行われ、その結果、後述の「そうりゅう」級潜水艦への搭載が決定された。
(船体を延長した「あさしお」Takara 1:700 世界の艦船 海上自衛隊潜水艦史「はるしお」級2隻の船体を結合してセミスクラッチ 123mm in 1:700)
(直上の写真は、「はるしお」級と「あさしお」の艦型比較)
涙滴型一軸推進(SSS)潜水艦 の艦型比較
(直下の写真は、海上自衛隊が建造した涙滴型一軸推進潜水艦の関係を比較したもの。
左から「うずしお」級、「ゆうしお」級、「はるしお」級の順。艦の大型化の推移がよくわかる)
涙滴型から葉巻型へ
側面アレイ・ソナーの導入の要請から、従来の涙滴型から葉巻型へと艦型が移行した。
おやしお級潜水艦 (1998- 同型艦11隻:2750トン、水中20ノット、水上12ノット、魚雷発射管:艦首6門)
ja.wikipedia.org
Oyashio-class submarine - Wikipedia
水中吸音材と側面アレイ・ソナーの二つの新開発装備導入を主目的として本級は建造された。
側面アレイ・ソナーの装着には高い精度が要求され、この目的のためには耐圧殻への設置が望ましいとされた。併せて、魚雷発射管は艦首へ移動し、艦首部ソナーとの関係から魚雷発射管を上部に、ソナーを下部に設置する配置となった。
これらの経緯から、本級では、これまでの涙滴型一軸推進から、葉巻型一軸推進へと、艦型が変化した。
今一つの特徴が、ステルス性の追求であった。1980年代以降、ソナー関連技術の発展はめざましく、水中放出雑音の低減では対応しきれない状況に至っていた。一方で、艦型も大型化し、このため本級では新開発の水中吸音材が導入された。これは発振された音に対し逆位相の音を発することでこれを打ち消すというパッシブノイズキャンセラーとして機能する吸音材であった。
(Takara 1:700 世界の艦船 海上自衛隊潜水艦史「おやしお」級・「なるしお」(1998)117mm in 1:700)
(直下の写真は、「おやしお」級の最大の特徴である側面アレイ・ソナー。
(直上の写真は、側面アレイ・ソナーの導入により艦首に設置された魚雷発射管。上部2基、下部4基の配置となっており、さらにその下部にはソナーが装備されている)
AIP(非大気依存推進)潜水艦の登場
そうりゅう級潜水艦 (2009- 同型艦12隻:1650トン、水中20ノット、水上13ノット、魚雷発射管:艦首6門)
Sōryū-class submarine - Wikipedia
海上自衛隊では1950年代以降、通常動力潜水艦(非原子力潜水艦というほどの意味です)の水中持続性を高める推進システムとしてAIP(非大気依存推進:Air-Independent Propulsion) の研究を進めてきた。
AIPの詳述は例によって他の優れた解説に譲るが、前出の「あさしお」での試験運用の実績を経て、本級の建造に至り、スターリング式AIPの実装が行われた。
11番艦以降では、リチウムイオン電池の導入により、さらに水中持続性の向上を目指すと言われている。
機関以外の部分は、基本的に前級「おやしお」級の発展形で、システムのアップグレード、効率化などが図られより高性能な潜水艦に仕上がっている。外観的な特徴としては、X字型の艦尾舵を採用したことである。この採用により、水中での運動性を高める効果があった。
一方で、全長11メートルに及ぶスタリング式AIPユニットを「おやしお」級よりも2メートルだけ長い艦体に搭載したため、居住スペースは大きな圧迫を受けた。
武装は「おやしお」級に準じ、艦首の6門の魚雷発射管から、魚雷と対艦ミサイル「ハープーン」を発射できる。
(PitRoad 1:700 海上自衛隊潜水艦史「そうりゅう」級(2009)120mm in 1:700 )
(「そうりゅう」級の外観的特徴の一つであるX字型艦尾舵)
そうだ、思い出した。AIP推進といえば・・・
前出の筆者幼少期の愛読書小沢さとる先生の「サブマリン707」には、姉妹シリーズ(などという、いい加減極まりない紹介をしてもいいものでしょうか?)「青の6号」がある。
この青の6号が所属する国際海洋組織の敵役が秘密結社マックスなのだが、その主力潜水艦が「ムスカ」である。
この「ムスカ」、なんとAIP推進(ワルター機関)なのである。
ワルター機関(ヴァルター機関)とは、高濃度の過酸化水素を電気分解した際に発生する酸素を用いて推力を得ようとする機関で、実際に第二次世界大戦中にドイツで試作艦の建造にまでこぎつけた。その後、この方式は研究されることはなかったのだが、秘密結社マックスがこれに目をつけ実用化した、というお話の展開になっている。
秘密結社マックスの潜水艦「ムスカ」
実は筆者は、この「ムスカ」がこれまでに見た最も美しい潜水艦だと思っているのです。
「ムスカ」と言っても、「青の6号」が少年サンデーに連載されたのが1967年からですので、例の高名な「ムスカ大佐」の登場する映画の約20年前に筆者はこの名前に触れていたことになるのです。まあ、あまりたいした意味はありませんが。
(Takara 世界の艦船シリーズ in 1:700)
(直下の写真は、ムスカ66号。この艦は、セイル後尾に装着したコントローラーで、なんと「赤ハゲ」なる巨大な海獣(怪獣?写真右下)を操ることができるのです)
いい機会なので、本命の「青の6号」
海洋の安全を守る国際機関「青」に参加している日本の潜水艦「くろしお」。元々は通常動力潜水艦だったが原子炉を搭載し原潜に改装、つまりここでも「どんがめ」というような評価です。性能は腕でカバー、というような設定で、大活躍します。セイル後ろに「フリッパー」という名前の潜航艇を搭載しています。旧日本海軍も甲標的ややがては回天など、潜航艇を多く運用していましたね。その名残かも?
(Takara:世界の艦船シリーズ 112mm in 1:1000)
もう一隻「青の1号」
「青」に参加しているアメリカの潜水艦「コーバック」。圧倒的な高性能艦として活躍します。が、初代は、前出の「赤ハゲ」に翻弄されて、岩壁に衝突する、という最後を迎えます。でも、そこはアメリカ海軍、すぐに二代目を就役させるのですが。
(Takara:世界の艦船シリーズ 112mm in 1:1000)
「青」の本部ドームを守るガードロボットの「ノボ」
世界の潜水艦の推進基の音をデータベースに持ち、音紋から敵味方を判断し、必要であれば肩口部分のスロットから「スクリューパンチ」なる対潜ロケットを発射して相手を行動不能にします。
(Takara:世界の艦船シリーズ 54mm hight in 1:1000?)
・・・ということで、ここまま放っておくとどんどん「青の6号」ワールドに迷い込んでしまいそうですので、この辺りにしておきましょう。
本稿に登場した未成艦・IF艦
未成艦・IF艦
本稿には、都合37級の未成艦・IF艦が登場した。
これらを一覧にまとめておく事も、ある種有用ではないかと考え、今回はその特集である。
未成艦とIF艦の定義だが、正直に言ってそれほど厳密な区分は、筆者は行なっていない。敢えて言うと、「起工され、あるいは少なくとも計画が存在したもの」を未成艦、それ以外をIF艦、と言うよう概ねの定義である。
以下が各国海軍とその未成艦、IF艦のリストである。
オーストリア=ハンガリー帝国海軍:超弩級戦艦(未成艦)1クラス
イタリア海軍:超弩級戦艦(未成艦)1クラス
ドイツ帝国海軍:超弩級戦艦(未成艦)1クラス、超弩級巡洋戦艦(未成艦)2クラス
ナチスドイツ海軍:新戦艦(未成艦:主砲換装計画を含む)2クラス・(IF艦)2クラス
新型通商破壊艦(未成艦)1クラス
フランス海軍:超弩級戦艦(未成艦)2クラス、新戦艦(未成艦)2クラス
イギリス海軍:超弩級戦艦(未成艦)1クラス、超弩級巡洋戦艦(未成艦)1クラス、新戦艦(未成艦)1クラス
アメリカ海軍:超弩級戦艦(未成艦)1クラス、超弩級巡洋戦艦(未成艦)1クラス、新戦艦(未成艦)2クラス・(IF艦)3クラス
日本海軍:弩級巡洋戦艦(IF艦)2クラス、超弩級戦艦(未成艦)2クラス・(IF艦)1クラス、超弩級巡洋戦(未成艦)2クラス・(IF艦)1クラス、新戦艦(未成艦)1クラス・(IF艦)2クラス
その他:海上自衛隊:(IF艦)1クラス3タイプ 地球防衛軍(?):(IF艦) 1クラス
何れにせよ、ここで紹介した軍艦は実在しなかったものばかりである。建造されていたら、どのように活躍したのか、想像を逞しくする一助になればと考える。
オーストリア=ハンガリー帝国海軍の未成艦・IF艦
超弩級戦艦(未成艦のみ)Super-Dreadnought battleship
Ersatz Monarch-class battleship - Wikipedia (projected)
本艦は、その名の示す通り(Elsatzはドイツ語で代替:replaceを意味する)、本稿号外 Vol.1: カタログ: 近代戦艦のカタログでご紹介したオーストリア=ハンガリー帝国海軍モナルヒ級海防戦艦の代替えとして計画されたもので、前級に当たるテゲトフ級弩級戦艦を一回り大きくした24,500トンの船体に、これもひとまわり口径の大きい35センチクラスの主砲を、背負い式に三連装砲塔、連装砲塔の組み合わせで、都合10門、艦の前後に振り分けて搭載している。速力は21ノットを予定していた。
前級のテゲトフ級も、三連装砲塔の搭載など、先進性に満ちた設計の強力な戦艦だったが、本級はさらにそれを凌駕する設計で、完成していれば強力な戦艦となったであろう。
(projected、24,500t, 21knot, 14in *3*2 + 14in *2*2, 4 ships planned)
オーストリア=ハンガリー海軍が計画した超弩級戦艦。上記のスペックはオリジナル案である。
3Dプリンティングモデルに、プラスティックロッドでマストを追加し、エナメル塗料で塗装を施した。主砲等は、予定通り1:1200スケールのイタリア戦艦アンドレア・ドリア級のものを流用した。
船体は明灰白色(日本軍機の塗装色)を使用。少し明るめに仕上げた。甲板にはデザートイエローと部分的にデッキタン。あとはフラットブラックとメタリックグレーを少々、という組み合わせを行った。
前級のテゲトフ級は三連装砲塔の採用で艦型をコンパクトにまとめるなど、先進性が評価されていたが、一方で、三連装砲塔には実は発砲時の強烈な爆風や、作動不良など、いくつかの課題があったとされている。
そのため、本級ではドイツ弩級戦艦の砲塔配置の採用が検討されていた、とも言われているのである。そうなれば連装砲塔5基を装備したデザインになったいたかもしれない。下の写真は、当時のドイツ戦艦ケーニヒ級の主砲塔配置案を採用した想定でのその別配置案。
いずれにせよ、計画は第一次世界大戦の勃発により発注直後にキャンセルされた。
(制作雑感)(補遺6-1)回航中のオーストリア=ハンガリー海軍新戦艦、到着 より
かねてから発注していた本稿号外Vol. 2で (no photo) 扱いだったオーストリア=ハンガリー帝国海軍初の超弩級戦艦モナルヒ代艦級の1:1250モデルが手元に到着した。
本艦は、その名の示す通り(Elsatzはドイツ語で代替:replaceを意味する)、本稿号外 Vol.1: カタログ: 近代戦艦のカタログでご紹介したオーストリア=ハンガリー帝国海軍モナルヒ級海防戦艦の代替えとして計画されたもので、前級に当たるテゲトフ級弩級戦艦を一回り大きくした24,500トンの船体に、これもひとまわり口径の大きい35センチクラスの主砲を、背負い式に三連装砲塔、連装砲塔の組み合わせで、都合10門、艦の前後に振り分けて搭載している。速力は21ノットを予定していた。
前級のテゲトフ級も、三連装砲塔の搭載など、先進性に満ちた設計の強力な戦艦だったが、本級はさらにそれを凌駕する設計で、完成していれば強力な戦艦となったであろう。
https://en.wikipedia.org/wiki/Ersatz_Monarch-class_battleship
今回は、艦船模型サイトらしく、少し仕上げ過程など交えながら、ご紹介しよう。
写真は、到着したモデルに早速サーフェサーを塗布した状態。
実はこのモデルは下記で求めた3Dプリンティングモデルである。。
到着時点では上記サイト紹介にあるような、透明なsmooth fine detail plasticで出力された状態で届いた。多くの場合、出力材質を選ぶことができる。材質によって価格が異なる。
本モデルでは、元々は1:1800スケールでの出品だったものを、リクエストして1:1250にコンバートとしてもらった。3Dプリンターモデルの場合、1:1800から1:1250 へのコンバージョンの場合、それほど細部に修正が必要でない場合が多く(あくまで製作者側の判断なので、必ずしもこちらのリクエストが承認されるとは限らないが)、そのようなケースでは、比較的気軽に応じてもらえることが多い。
但し、3Dプリンターモデルの多くは、砲塔も一体成型されている場合が多く、このモデルもサイトの写真でご覧いただけるように、一体成型だった。
もちろん、そのままでも1:1250スケールでは気にならない場合が多く、これから本稿でご紹介する予定の日本海軍八八艦隊の多くが3Dプリンティングモデルであり、そのいくつかはモデルオリジナルの砲塔をそのままにした。
もし手を加える場合、代替をどのように手当てするかが大きな問題で、筆者は、ストックパーツで充当できる場合には、できるだけリプレイスしたいと考えている。
今回は三連装砲塔と連装砲塔の組み合わせという難度の高い条件であったが、幸い1:1200スケールのイタリア戦艦の砲塔が流用できそうだったため、リプレイスを試みることにした。
冒頭の写真は、一体成型された砲塔を切り落とした状態である。(しまった!切り落とし前を撮影するのを失念していた。手を加える前の状態については、やはりサイトの写真を見てください)砲塔基部に開いた穴は、筆者が加工したものである。
お目当のイタリア戦艦からの流用予定の砲塔をはめてみる。(下の写真)
なかなか、よろしい、のではなかろうか。(ああ、これで1隻アンドレア・ドリア級が廃艦になった)
次いで、前級に当たるテゲトフ級戦艦の1:1250スケールモデル(Navis社)と並べてみる。こちらも、なかなか、である。
あとは塗装を施し、マスト等を整えるだけ。
塗装には、多くの場合エナメル塗料を用いている。十分に乾燥させれば上塗りが効き、気に入っている。
マストなどには真鍮線か、プラスティックのロッドを用いる。1:1250の場合、マスト類には0.5mm径、もしくは0.3mm径を用いる。
遅くとも今年中には、筆者のカタログに写真がアップできるだろう。
完成した時点で、再度、補遺にてお知らせする予定である。
さて、模型を離れ、実際のモナルヒ代艦級戦艦いついて、少し補足情報を。
計画は第一次大戦の勃発で中止されたが、本級では別の設計案が検討されていた、ともいわれている。
前級のテゲトフ級は三連装砲塔の採用で艦型をコンパクトにまとめるなど、先進性が評価されていたが、三連装砲塔には実は発砲時の強烈な爆風や、作動不良など、いくつかの課題があったとされている。
そのため、本級ではドイツ弩級戦艦の砲塔配置の採用が検討されていた、とも言われているのである。そうなれば連装砲塔5基を装備したデザインになったいたかもしれない。
ケーニッヒ級の拡大版、のような形状ででもあったろうか?
幸い、1:1000スケール(かどうか不確かだが)のドイツ帝国海軍ケーニヒ級戦艦のモデルが手元にあるので、例によって砲塔をストックにある、あまりドイツ色の強く出ない適当なものに置き換えてみた。
作成中のモデルと並列し大きさを比較してみる。大きさもまずまず同等である。
なるほど、別案はほぼこんな感じか、と・・・。
こうした想像は未成艦ならではの楽しみ、と言えるだろう。
イタリア海軍の未成艦・IF艦
超弩級戦艦(未成艦のみ) Super-Dreadnought battleship
未成艦:フランチェスコ・カラッチョロ級戦艦 - Wikipedia
Francesco Caracciolo-class battleship - Wikipedia (projected)
イタリア初の超弩級戦艦として計画された。34,000トンの巨体に強力なタービンを搭載し、28ノットを発揮する高速艦を目指した。
上述のオーストリア=ハンガリー帝国海軍が建造を計画したモナルヒ代艦級超弩級戦艦に対抗することを目指し、その主砲にはイギリス海軍が提供を申し出た15インチ砲をオーソドックスに連装砲塔4基に搭載することが決定されていたと言う。
(projected, 34,000t, 28knot, 15in *2*4, 4 ships planned) (167mm in 1:1250)
1914年に起工されたが、第一次世界大戦勃発に伴い、建造停止となった。
ドイツ帝国海軍の未成艦・IF艦
ドイツ帝国海軍は超弩級戦艦を1クラスしか建造しなかった。完成は第一次世界大戦の開戦後であり、結局その2隻の超弩級戦艦は実戦には参加する機会がなかった。開戦時には弩級戦艦、弩級巡洋戦艦しか保有していなかったが、これには彼らが装備した主砲性能に自信を持っていたことに起因しているようの思われる。
独帝国海軍は、その主要装備である50口径の12インチ速射砲は、英海軍の14インチ主砲程度までであれば対等に交戦できると考えていた。おそらくその背景には、英海軍が50口径12インチ砲の開発に失敗し、その代替として主砲口径を拡大した、と言う事実があったかもしれない。(英独の主砲事情については、本稿第13回 ユトランド沖海戦とドイツ帝国海軍の終焉」にも、少し詳しい記述をしている。もしよろしければそちらもご参考に)
そして英海軍が15インチ砲装備の高速戦艦クイーン・エリザベス級を建造したことにより、ようやく15インチ砲装備の超弩級戦艦バイエル級の建造に踏み切った。以下、ここでご紹介する未成艦はその延長にある。
超弩級戦艦 Super-Dreadnought battleship
未成艦:L20e 級戦艦
L 20e α-class battleship - Wikipedia
(planned, 43,000t, 26knot, 16.5in *2*4)(192mm in 1:1250)
ドイツ帝国海軍が計画したバイエルン級に続く、超弩級戦艦。主砲に42センチ砲の採用を計画していた。速力も26ノットと格段に改善され、高速戦艦を目指す設計であった。
超弩級巡洋戦艦 Super-Dreadnought battlecruiser
Mackensen-class battlecruiser - Wikipedia
(imcompleted, 31,000t, 28knot,13.8in *2*4, 4 ships planned)(178mm in 1:1250)
ドイツ帝国海軍は、デアフリンガー級弩級巡洋戦艦の設計を拡大し、初の超弩級巡洋戦艦の建造を計画した。主砲を50口径35.6センチ砲と強化する予定であった。
Ersatz Yorck-class battlecruiser - Wikipedia
(imcompleted, 33,500t, 27.3knot, 15in *2*4, 3 ships planned)(182mm in 1:1250)
基本的に上述のマッケンゼン級の設計を引き継ぎ、加えて主砲を 38.1センチとする予定であった。
ナチスドイツ海軍のIF艦・未成艦
ドイツ海軍のZ計画
第一次世界大戦の敗戦で、ドイツはその海軍力に大きな制限を課されることになった。1万トン以上の排水量の艦を建造することが禁じられ、その建造も代替艦に限定された。戦勝国側の概ねの主旨は、ドイツ海軍を沿岸警備の軍備以上を持たせず、外洋進出を企図させない、というところであったろうか。
しかし、戦後賠償等の混乱の中で、ドイツにはナチス政権が成立し、1935年に再軍備を宣言、海軍力についても、同年に締結された英独海軍協定で、事実上の制限撤廃が行われた。
主力艦についても、それまでの建艦制限を超えたシャルンホルスト級が建造され、その後、就役時には世界最大最強と謳われるビスマルク級戦艦を建造するに至った。
Z計画は、1939年以降の海軍増強計画を記したもので、このプランには二つの大きな柱があった。一つは英国を仮想敵とした場合、通商破壊戦を展開することが有効であることは、第一次世界大戦の戦訓で明らかであった。これを潜水艦(Uボート)と装甲艦(ポケット戦艦)のような中型軍艦 、あるいは偽装商船のような艦船で行うにあたり、英海軍による北海封鎖を打破することは必須であり、そのためには強力な決戦用の水上戦力が必要であった。
史実では1939年のドイツのポーランド侵攻と共に、英仏がドイツに対し宣戦布告し、第二次世界大戦が始まったため、Z計画は中止となったが、本稿ではドイツのポーランド侵攻後も英仏はこれを非難しつつも宣戦布告せず、Z計画は1942年まで継続する
未成艦:シャルンホルスト級戦艦(15インチ主砲換装型) - Wikipedia
(1939-, 31.500t, 31.5 knot, 11in *3*3, 3 ships, 191mm in 1:1250 by Hansa)
シャルンホルスト級戦艦はフランス海軍によって建造されたダンケルク級戦艦に対抗するべく誕生した。この為、主砲は、当初15インチ砲の搭載を想定したが、建造時間を考慮しドイッチュラント級と同様の11インチ砲3連装砲塔を1基増やし9門に増強するにとどめた。一方でその装甲はダンケルク級の33センチ砲弾にも耐えられるものとし、ドイツ海軍伝統の防御力に重点を置いた艦となった。
速力は重油燃焼高圧缶と蒸気タービンの組合せにより、31.5ノットの高速を発揮した。
(シャルンホルスト級3隻:手前からグナイゼナウ、マッケンゼン、シャルンホルスト)手前味噌的な記述になることを恐れずに言うと、本級はバランスのとれた美しい外観をしている、と感じている。
のちに、11インチ主砲はビスマルク級戦艦と同様の15インチ連装砲に置き換えられ、攻守にバランスのとれた、加えて31.5ノットの高速力を持つ優秀艦となった。
特に31.5ノットの高速性能は、当時、ヨーロッパにはこれを捕捉できる戦艦がなく、ヨーロッパ諸国の危機感を強く刺激した。
(主砲を15インチ連装砲塔に換装後のシャルンホルスト級3隻:手前からシャルンホルスト、グナイゼナウ、マッケンゼン)
IF艦:戦艦フリードリヒ・デア・グロッセ(Freidrich der Grosse):改ビスマルク級戦艦
フランス海軍のリシュリュー級の優秀な主砲に対抗するために、ビスマルク級の強化改良型として、一隻のみ建造された。設計、配置などその殆どがビスマルクに準じ、唯一、主砲のみ55口径の長砲身15インチ砲を採用した。
この艦をZ計画の派生と見るか、ビスマルク級の改良と見るかは意見が分かれるところである。
(1941, 44,000t, 30 knot, 15in *2*4, 218mm in 1:1250 by Superior)
(ビスマルク級とフリードリヒ・デア・グロッセの艦型比較:上、ビスマルク、下、フリードリヒ・デア・グロッセ 砲塔配置などほとんど同じレイアウトで若干大きさが違うことがわかる)
Z計画に基づき、1939年に起工された。基本はビスマルク級の拡大改良版である。装備の配置、上部醸造のレイアウトなど、酷似している。主砲口径を拡大し、ドイツ海軍初となる16インチ砲を連装砲塔で4基8門搭載した。速力はビスマルク級と同じく30ノットとして、主機はオール・ディーゼルであり、本級の艦体規模においての採用は非常に特異なものであった。
巨大なディーゼル主機の搭載により、長大な航続距離と高速航行が可能となり、一方で艦型は巨大なものになり、煙突が二本となった。
(1942-, 53,000t, 30 knot, 16n *2*4, 3 ships, 225mm in 1:1250 by Hansa)
(直上写真はバイエルン級の3隻:手前からバイエルン、プロイセン、バーデン)
IF艦(未成艦?):戦艦グロースドイッチュラント(Grossdeutschland)
Z計画に基づき、1941年に起工された。前級バイエルン級をさらに拡大したもので、当初主砲に17インチ砲を採用する計画があった。しかし、風雲急を告げるヨーロッパの情勢に鑑み、建造が急がれたため、主砲にはバイエルン級と同じ実績のある16インチ砲が採用され、ただし三連装砲塔4基12門と搭載数を大幅に増やしたものとなった.
主機は全級に引き続きオールディーゼルとし、長大な航続距離と、この巨大な艦型にも関わらず、28.8ノットの高速を発揮した。
計画では3隻が建造される予定であったが、第二次世界大戦開戦とともに2隻がキャンセルされ、グロースドイッチュラント1隻が完成した。
本艦の就役がZ計画艦の最後となり、ドイツ海軍はシャルンホルスト級3隻、ビスマルク級3隻、フリードリヒ・デア・グロッセ、バイエルン級3隻、グロスドイッチュラントの計11隻の戦艦で、第二次世界大戦に臨むこととなった。
(1942, 63,000t, 28.8 knot, 16in *3*4, 233mm in 1:1250 by Superior)
(直上写真は、ドイツ海軍の誇る戦艦群の艦型比較:左から、ビスマルク級、フリードリヒ・デア・グロッセ、バイエルン級、グロスドイッチュラント:レイアウトの相似性、艦型の拡大傾向が興味深い)
新たな通商破壊艦
冒頭に記述したように、Z計画には有力な二つの柱があった。一つは強力な決戦艦隊の整備による英海軍主力艦の撃滅であり、それらはこれまでに記した諸戦艦の建造の目的とするところであった。
もう一つは、上記の艦隊決戦により英艦隊による海上の封鎖線を解き、そこから広範囲に向けて浸透した潜水艦・通商破壊艦を用いた通商破壊戦の展開であり、英国を屈服させるには、こちらの有効な展開にこそ、戦争そのものへの勝機を見出すことができるはずであった。
デアフリンガー級巡洋戦艦は、この目的のために建造された、いわば通商破壊専任戦闘艦であった。
未成艦:デアフリンガー級巡洋戦艦(O級巡洋戦艦) - Wikipedia
本級は、通報破壊を専任とする為に、通商路の防備に当たる巡洋艦以上の艦種との戦闘を想定せず、従ってこの規模の戦闘艦としては、非常に軽い防御装甲しか保有していなかった。基本、単艦での行動を想定するが故に、複数の巡洋艦との交戦を避けることができるだけの速力を持ち、あるいは運用面では、その強力な火砲で敵艦隊の射程外から、アウトレンジによる撃退を試みるとした。
一方で機関にはディーゼルを採用し、長大な航続距離を用いて神出鬼没に敵の通商路を襲撃することを企図して設計された。
主砲にはビスマルク級と同じ15インチ砲を採用し、これを連装砲塔3基に収めた。
デアフリンガー、モルトケ、フォン・デア・タンの3隻が建造された。(史実では建造されていませんので、ご注意を)
本級は、開戦初期こそ、設計通りに戦線背面への浸透を果たし、その戦果を挙げたが、航空機の目覚ましい発達により、次第にその活動に神出鬼没性が失われ、あわせて軽めに設定された防御力が裏目に出て、主として航空機による攻撃により、すべて撃沈されるという結果となった。
(1941, 38,000t, 33 knot, 15in *2*3, 3 ships, 207mm in 1:1250 by Hansa)
(直上写真は、デアフリンガー級の3隻:手前から、デアフリンガー、モルトケ、フォン・デア・タン)
フランス海軍の未成艦・IF艦
超弩級戦艦 Super-Dreadnought battleship
(Planned, 25,230t, 21knot, 13.4in *4*3, 5 ships planned)(141mm in 1:1250, Navis)
フランス海軍が計画した、超弩級戦艦。主砲塔を4連装 とした先進的な設計である。以降、新造されたフランス戦艦はこの4連装砲塔を継承していくことになる。
(Planned, 29,600t, 23knot, 13.4in *4*4, 4 ships planned)(155mm in 1:1250)
ノルマンディー級の拡大強化版として設計された。4連装砲塔を1基増やし、34センチ主砲を16門搭載した強力な艦になる予定であった。
新戦艦
https://en.wikipedia.org/wiki/Richelieu-class_battleship#Gascogne
本級はリシュリュー級の改良型である。そのため基本的なスペックはほぼリシュリュー級に準じている。大きな変更点としては、主砲塔の配置をリシュリュー級の前甲板への集中装備から、上部構造の前後への振り分け配置として事である。
この配置の変更については、リシュリュー級の就役後に、同級の真艦尾方向への火力不足への懸念が、運用現場から強力に挙げられたことによるとされている。ガスコーニュ、クレマンソーの2艦が建造された(史実では建造されていません。ご注意を)
(1941-, 48,180t, 30 knot, 15in *4*2, 2 ships, 197mm in 1:1250 by Hansa)
(直上の写真:ガスコーニュ級の2隻:手前:ガスコーニュ、奥:クレマンソー)
本級はリシュリュー級をタイプシップとして、これを改良・拡大したものである。
特にリシュリュー級以来採用されている1935年型正38センチ砲は非常に優秀な砲で、20,000メートル台の砲戦距離ならば、日本海軍が後日建造する大和級を除くすべての戦艦の装甲を打ち抜くことができると言われていた。
このリシュリュー級以降、フランス海軍自慢の4連装砲塔を、後部甲板に一基追加し、主砲12門を搭載する強力な戦艦となった。
その他の構造的な特徴は、ほぼリシュリュー級を踏襲し、近代的で美しいフォルムを持つ艦であった。
アルザスとノルマンディーの2隻が建造された(史実では建造されていません。ご注意を)。
(1942-, 51,000t, 30 knot, 15in *3*4, 2 ships, 214mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs 3Dprinting model)
(直上の写真:アルザス級の2隻:手前:アルザス、奥:ノルマンディー)
(フランス海軍新戦艦の艦型比較:下から、ダンケルク級、リシュリュー級、ガスコーニュ級、アルザス級 艦型の大型化の推移と、主砲等の配置の水位が興味深い)
イギリス海軍の未成艦・IF艦
英海軍の整備計画
特に第一次大戦の惨禍に疲弊著しい英国は新造艦の計画を持たなかったが、保有枠一杯に既存艦を維持することとした。あわせて、すでに相当数該当する代替艦手当の可能なクラスから、一部建造計画を見直したG3級(インビンシブル級)巡洋戦艦、N3級(ブリタニア級)戦艦を置き換えていく検討を始めた。
しかし、当初の設計案を条約の制約内でそれぞれの設計を実現することは困難で、あわせて疲弊した国力下での財政て縦の目処は立たず、条約期間内に建造されることはなかった。
わずかに、代替艦として、ロドニー級を新たに2隻建造し、艦隊に編入した。
以下に、検討にあがったG3級巡洋戦艦、N3戦艦の要目を示しておく。
G3級の特徴は、まずそれまでの概念を覆すほどの外観である。その得意な武装配置、機関配置が具現化しようとしたものは、集中防御と砲撃精度、さらには機関の集中による高速力の確保であった。巡洋戦艦に分類されているが、これは同時期に計画されたN3級戦艦との対比によるもので、同時期の戦艦よりも早く、重武装、重防御であった。
しかし条約の定めた42,000トンの制約ではどうしても実現できず、条約期間中に建造される事はなかった。
(48,400t, 32knot, 16in *3*3, 2 ships, 215mm in 1:1250 semi-scratched based on Superior)
前出のG3級巡洋戦艦と同一の設計構想に基づく得意な外観を有している。G3級が速度に重点を置いた一方で、N3級戦艦は重武装にその重点が置かれていた。計画では、速度をネルソン級戦艦と同等の23.5ノットに抑える一方、主砲を18インチとした。
こちらも条約制約により16インチ主砲装備とした場合、ネルソン級で十分で、条約期間中に建造される事はなかった。
(48,000t, 23.5knot, 20in *3*3, 2 ships, 200mm in 1:1250 semi-sucratched based on Superior)
日米両海軍が、条約下でその戦力を充実させることに一定の成功を収めたのに対し、英海軍は既存戦力の維持にとどまり、明暗が分かれる結果となった。
新戦艦
軍縮条約の継続を望んで、新造戦艦の第一弾であるキング・ジョージ5世級をやや控えめな設計とした英海軍であったが、やはりその諸元は列強の新造戦艦に対し、やや物足りず、ライオン級はこれを大きくしのぐ意欲的な設計となった。
前級のキング・ジョージ5世級戦艦は攻撃力にはやや見劣りがしたものの、その防御設計には見るべきものが多く、結局ライオン級は前級をタイプシップとしてその拡大強化型として設計された。
その為、艦容はほぼ前級を踏襲したものとなった。
主砲には新設計のMarkII 16インチ砲を採用し、同じ16インチ砲を搭載したネルソン級の手法よりも15%重い弾体を撃ち出すことができた。この結果、垂直貫徹力で2割、水平貫徹力で1割、その打撃力が向上したとされている。
この新型砲を三連装砲塔にまとめ、前甲板に2基、後甲板に1基を配置した。副砲には、前級と同じく対艦・対空両用砲を採用した。
防御形式は、定評のあった前級のものをさらに強化したものとした。
速力は、基本、前級と変わらないものとされたが、短時間であれば30ノットの高速を発揮することができた。前級同様、5隻が建造された。
(1942-, 44,000t, 28.5 knot, 16in *3*3, 5 ships, 207mm in 1:1250 by Superior)
未成艦・IF艦の性格について、ちょっとトーク。
時折、IF艦・未成艦を作成するために、コレクションをしているような気さえします。そして、間違いなく、コレクションの醍醐味、最大の喜びと言っていいと思います。
コレクションを続けていくと、設計の流れ、と言うか、装備の流れ、デザインの流れ、と言うようなものがなんとなく見えてくるように思います。その流れの中で、次級はこうなるな、とか、この時期の未成艦はこのようになっているはずじゃないか、などと「流れ」の中で考えてゆきます。
いっぽうで、コレクションを続けてゆくと、部品取りに適したモデル、各社の特徴など、模型視点での情報の把握ができます。私の経験で言うと、Delphin社、Hansa社のモデルは部品取りに適しています。さらにこの両社のモデルは構造がはっきりしており、パーツへの分解が可能です。従って、架空艦、IF艦などのオリジナルモデルを製作するときなどは、ベースとしても、部品としても、重宝します。
ご紹介している各モデルも、ほぼ、そのように成り立っています。
アメリカ海軍の未成艦・IF艦
超弩級戦艦 Super-Dreadnought battleship
未成艦:ケンタッキー(サウスダコタ1920)級戦艦 - Wikipedia
前級のコロラド級戦艦は、既述のように日本海軍の長門級が16インチ砲を搭載しているという情報に基づき、本来はテネシー級の改良型として建14インチ砲搭載艦として建造される予定であった。その為、備砲のみ16インチでその防御は16インチ砲に対するものではなかった。
従って、ケンタッキー級は、初めて当初から16インチ砲を搭載することを念頭に設計された戦艦であった。パナマ運河航行を考慮して、艦型に大きな変化を与えず、従来のいわゆる米海軍の標準的戦艦の設計を踏襲した上で、機関、備砲(16インチ12門)と16インチ砲に見合う防御を兼ね備えた艦となった。備砲と防御はもちろん最強であったが、あわせて速力もこれまでの米戦艦を上回るものであった。
とはいえ、日本海軍の同時期の戦艦には大きく劣り、実戦となった場合には、このことは相当の不利に働くことになる。
(42,000t, 23knot, 16in *3*4, 3 ships, 176mm in 1:1250 by Superior)
ケンタッキー級、コンステレーション級の近代化改装モデルの到着
本稿第22回でご紹介した通り、日米両海軍は、太平洋を挟んだ緊張の中で、新戦艦の建造と併せて、保有する既存戦艦各級の近代化改装を、数次にわたって行なった。
既存戦艦としては最も最後に建造されたケンタッキー級(史実ではサウスダコタ1920級として知られている)、コンステレーション級(史実ではレキシントン級として知られている。同級のレキシントンとサラトガは、航空母艦として建造された)についても、同様の対応がとられ、その外観が一変した。
その改装の目的は、他の既存艦に対する改装同様、射撃システムの一新への対応と副砲を廃し対空・対艦両用砲への変更やその他の対空火器の強化、防御力強化等に置かれていた。
これも第22回でご案内した通り、両級は未成艦であるため新造時の模型は製造されていたが、近代化改装後の模型までは存在せず、筆者は、ごく最近になって両級の近代化改装後の3Dプリンティングモデルを発見し、その製作者Tiny Thingajigsに発注をかけ、模型の到着を心待ちにしていた。
直下の写真が到着した未塗装の模型である。
今回、筆者は、比較的柔らかい樹脂であるWhite Natural Versatile Plasticという素材でのプリントアウトを依頼した。柔らかい素材である分、ややフォルムが甘く、もし原型に忠実なシャープな模型を期待する場合には、Smooth Fine Detail Plasticという素材で製作依頼をした方が良いかもしれない。ただし、その場合には、約2.3倍の費用を覚悟する必要があるのでご注意を。
(直上の写真は、到着時の両モデル。上:ケンタッキー級(サウスダコタ1920級)、下:コンステレーション級(レキシントン級)
ケンタッキー級(サウスダコタ1920級)近代化改装後
他級の近代化改装同様、射撃システムの変更、副砲撤去、両用砲を砲塔形式で装備、上部構造物の一新、等々で、艦様は新造時と全く異なる、文字通り近代化された様相となった。
(直上の写真は、ケンタッキー級の新造時(上)と最終改装後(下)の艦様の比較)
(直上の写真は、いずれも近代化改装後の既存戦艦各級の比較。右下から、ネバダ級、テネシー級、ケンタッキー級。上部構造物の配置と、その周辺の対空火器の強化が興味深い。さらに、米海軍としては初めて設計当初から16インチ主砲搭載艦として設計されたケンタッキー級の大きさがよくわかる)
超弩級巡洋戦艦 Super-Dreadnought battlecruiser
未成艦:コンステレーション級(レキシントン級)巡洋戦艦 - Wikipedia
同級のうちレキシントン、サラトガは航空母艦に転用建造され、コンステレーションとコンスティチューションの2隻が建造された。
米海軍はこれまで巡洋戦艦を建造せず、米海軍初の巡洋戦艦となった。
それまで、米海軍の主力艦は21ノットの戦隊速度を頑なに守っており、高速艦で揃えられた日本艦隊、あるいは英海軍のクイーン・エリザベス級、レナウン級、アドミラル級などの高速艦隊に対抗する術を持たなかった。これを補うべく設計された同級であったが、当初の設計では、備砲(16インチ8門)と速力は強力ながら(当初設計では33.3ノット)、その装甲は極めて薄く、ユトランド沖海戦以降に、防御に対策を施した諸列強の高速艦には十分に対抗できるものではなかった。
この為、装甲の強化を中心とした防御力に対する見直しが行われ、代わりに速力を30ノットに抑える、という設計変更が行われた。
(42,000t, 30knot, 16in *2*4, 2 ships, 213mm in 1:1250 by Hai)
同級もケンタッキー級に準じた、射撃システムの変更、副砲撤去、両用砲を砲塔形式で装備、上部構造物の一新、等々の近代化改装を受け、艦様が一変した。
特に、外観上での米海軍主力艦の特徴の一つであった艦上部構造の前後に佇立する篭マストが、塔状の構造物に置き換えられた。
(直上の写真:舷側に迷彩塗装を施してみた)
(直上の写真は、コンステレーション級の新造時(上)と最終改装後(下)の艦用の比較)
この後、「レキシントン級」については、以下のモデル・バリエーションを製作した。
少し文体が違うが、再掲。
(以下は2020年5月31日の投稿)
レキシントン級巡洋戦艦は、ダニエルズプランで建造に着手された、米海軍初の巡洋戦艦の艦級です。元々、米海軍は、戦艦の高速化には淡白で、21ノットを標準速度としてかたくなに固守しつづけ、巡洋戦艦には触手延ばしてきませんでした。
しかし本稿でも既述のとおり、第一次世界大戦の英独両海軍主力艦による「ドッカー・バンク海戦」や「ユトランド沖海戦」の戦訓から、機動性に劣る艦隊は決戦において戦力化することは難しいという情況が露見し、米海軍も遅ればせながら(と敢えて言っておきます)高速艦(巡洋戦艦)の設計に着手した、というわけです。
(背景情報は下記を)
レキシントン級巡洋戦艦の設計当初のオリジナル・デザインでは、34300トンの船体に、当時、米海軍主力艦の標準主砲口径だった14インチ砲を、3連装砲塔と連装砲塔を背負式で艦首部と艦尾部に搭載し、35ノットの速力を発揮する設計でした。
その外観的な特徴は、なんと言ってもその高速力を生み出す巨大な機関から生じる7本煙突という構造でしょう。
モデルは、Masters of Miitaly社製で、White Natural Versatile Plasticでの出力を依頼していました。
(直下の写真は、到着したレキシントン級巡洋戦艦のモデル概観。Masters of Miitaly社製。素材はWhite Natural Versatile Plastic)
本稿で行った「レキシントン級デザイン人気投票」では、「籠マスト+巨大集合煙突デザイン」に継ぎ第二位という結果で、私も大変気になりながらも、14インチ砲搭載艦というところに少し引っかかりがあり(あまりたいした理由はないのですが、この巨体なら16インチ砲だろう、という思いが強く)、なかなか手を出していなかったのですが、この人気投票に背中を押してもらった感じです。ありがたいことです。(なんでも都合よく解釈できる、この性格もありがたい)
と言うわけで、今回はその完成形のご紹介です。
モデルは非常にバランスの取れたスッキリとしたプロポーションを示しています。どこか手を入れるとしたら、当時の米主力艦の特徴である「籠マスト」をもう少しリアルな感じに、かなあ、とは思いますが、今回は手を入れずに仕上げることにしました。
なんかいいアイディアあれば、是非お聞かせください。
上記のように、同級の原案設計の当時には、米海軍の主力艦標準備砲ということで14インチ砲搭載の予定だったのですが、その後、日本の八八艦隊計画が「全て16インチ砲搭載艦で主力艦を揃える」という設計であることを知り、急遽16インチ砲搭載に設計変更した、という経緯があったようです。
こうして同級は、結局16インチ砲搭載の巡洋戦艦として着工されるのですが、その後、ワシントン軍縮条約で制約、整理の対象となり、同級のうち2隻がその高速性と長大な艦形を活かして大型の艦隊空母として完成されました。「レキシントン」と「サラトガ」ですね。
つまり巡洋戦艦としては、同級はいわゆる「未成艦」に分類されるわけですが、その「未成」故に、完成時の姿を想像することは、大変楽しいことです。
筆者もご他聞に漏れず想像の羽を伸ばしたがるタイプですので、今回の「オリジナル・デザイン案」の完成に勢いづいて、筆者の想定するバリエーションの完結を目指してみました。
肝は「煙突」かな?
バリエーション1:二本煙突シリーズ
竣工時:籠マスト+二本煙突
上記リンクにあるように、実際に16インチ砲搭載巡洋戦艦として起工されたものが、完成していたら、と言う想定ですね。(こちらは本稿でも既にご紹介しています)
起工当時の米主力艦の標準デザインであった籠マストと、さすがに7本煙突という嬉しいほどユニークではあるけれど何かと問題のありそうなデザインは、実現しなかったんだろうなあ、と、その合理性には一定の納得感がありながら、一方では若干の落胆の混じる(かなり正直なところ)デザインですね。(アメリカの兵器は時として、量産性や合理性にともすれば走り、デザインは置き去りになったりします。あくまで筆者の好みですが、「デザイン置き去り」が、「無骨さ」として前に出るときは、言葉にできないような「バランス感の無さ」につながり、それはそれで「大好き」なのですが、正直これは「味気なさ」が先に立つと言うか・・・)
(42,000t, 30knot, 16in *2*4, 2 ships, 213mm in 1:1250 by Delphin :こちらはDelphin社のモデルに少しだけ色を入れた程度です)
最終改装時:塔状艦橋+二本煙突
同級の近代化改装後の姿で、米海軍が主力艦に対し行なった、射撃システムの変更、副砲撤去、両用砲を砲塔形式で装備、上部構造物の一新、等々を実施、と言う想定です。艦様が一変してしまいました。
特に、外観上での米海軍主力艦の特徴の一つであった艦上部構造の前後に佇立する篭マストが、塔状の構造物に置き換えられました。
(直上の写真:舷側に迷彩塗装を施しています。筆者のオリジナルですので、ご容赦を。本級は未成艦であるため新造時の模型は製造されていましたが、近代化改装後の模型までは存在せず、ごく最近になって近代化改装後の3Dプリンティングモデルを発見し、その製作者Tiny Thingajigsに発注をかけ、模型の到着を心待ちにしていました。ベースとなったモデルはこちら)
(直上の写真は、上)と最終改装後(下)の艦様の比較)
バリエーション2:巨大集合煙突シリーズ(こちらは筆者の妄想デザインです)
竣工時:籠マスト+巨大集合煙突
そもそも発端は、ワシントン・ロンドン体制で、巡洋戦艦から空母に転用された「レキシントン」の巨大な煙突からの妄想でした。
この煙突がついている主力艦は、どんな感じだったろうか、作っちゃおうか、という訳です。で、その巨大な煙突の背景には大きな機関があり、元々は7本の煙突が初期の設計段階では予定されていたことを知る訳です。おそらくは転用されたのが「空母」なので、高く排気を誘導する必要があったんでしょうが、まあ、今回はそれはそれで少し置いておきましょう。
完成後に改めて見ると、ああ、半分くらいの高さ、と言うデザインもあったなあ、と。(うう、こんな事に気が付いてしまうと、いつか手を付けるんだろうなあ)
直上の写真は、今回急遽製作した竣工時の「レキシントン級巡洋戦艦」で、籠マストと「レキシントン級」空母譲りの巨大集合煙突が特徴です。
本稿でも以前ご紹介しましたが、本来は下記のTiny Thingajigs製の3D Printing Modelをベースに制作する予定だったのです。
しかしShapeways側のデータ不備とかの理由で入手できず、この計画が頓挫。では、ということで、ebay等で、これも前出のDelphin社製のダイキャストモデルを新たに入手しそれを改造しようかと計画変更。しかし少し古いレアモデルだけに新たに入手が叶わず(ebayで、格好の出品を発見。入札するも、落札できず:ebayは1:1250スケールの艦船モデルの場合、当然ですが多くがヨーロッパの出品者で、終了時間が日本時間の明け方であることが多く、寝るまでは最高入札者だったのに、目が覚めると「ダメだった」というケースが多いのです)、結局、手持ちのDelphinモデルをつぶす事にしました。(つまり、これ↓を潰す事に・・・)
Delphin社のモデルは、こうした改造にはうってつけで、パーツが構造化されており、その構造が比較的把握しやすいのです。従って、少し注意深く作業をすればかなりきれいに分解することができます。今回は上部構造のうち、前後の煙突部と中央のボート甲板を外し、少し整形したのち、Deagostini社の空母「サラトガ」の完成模型(プラスティックとダイキャストのハイブリッドモデル)から拝借した巨大な集合煙突(プラスティック製)を装着する、という作業を行いました。
で、出来上がりがこちら。設計の合理性は爪の先ほども感じませんが、なんかいいなあ、と自画自賛。この巨大な煙突は格好の標的になるでしょうから、まず、この設計案は採用されないでしょうねえ。
或いは、上掲の2本煙突デザインでは、7本煙突からこのデザインへの変更の際には機関そのものの見直しが必須のように思うのですが、それが何らかの要因で困難だった(あまりに時間がかかる、とか、費用が膨れ上がる、或いは新型の機関を搭載するには一から設計し直したほうが早い、とか)というような状況で、ともあれ完成を早めた、というような条件なら、有りかもしれませんね。
(やっぱり、煙突の高さ、半分でも良かったかもしれません。ああ、気になってきた!)
最終改装時:塔状艦橋+巨大集合煙突
そして、巨大集合煙突のまま、近代化改装が行われます。米海軍が主力艦に対し行なった、射撃システムの変更、副砲撤去、両用砲をこの場合には単装砲架で装備、上部構造物の一新、等々の近代化改装を受けた後の姿、と言う想定です。
この場合でも、やはり篭マストが、塔状の構造物に置き換えられました。煙突の中央に太い縦線が入れられ、2本煙突への偽装が施されています。
こちらは下記の3Dプリンティングモデルをベースとしています。
このモデルの煙突をゴリゴリと除去し、Deagostini社の空母「サラトガ」の完成模型(プラスティックとダイキャストのハイブリッドモデル)から拝借した巨大な集合煙突(プラスティック製)を移植したものが、下の写真です。
この後、下地処理をして、少し手を加え塗装を施し完成です。
(直下の写真は、巨大煙突デザインの竣工時(上)と最終改装時(下)の艦様の比較)
上から・・・もう説明はいいですかね。
こうやって一覧すると、「どれが好きですか?」と聞きたくなるのですが・・・。また、アンケートかよ、という声が聞こえてきそうなので、今回はやめておきます。
(そのうち、もう一回、巨大集合煙突の高さ、ちょっと変えてみました、なんて紹介をするかもしれませんね。きっとするなあ、これは)
ともあれ、合理性はさておき、やはり巨大煙突、いいと思うんですがねえ。
と言うことで、今回はここまで。
以下に、これまで「レキシントン級」関連の投稿回を下記にまとめておきます。関心がある方は、下記も合わせてお楽しみください。
米海軍の新型戦艦
新型戦艦の黎明期
米海軍はワシントン軍縮条約明けに向けて、これまでの標準的なアメリカ海軍の戦艦とは大きく異なる設計思想を持つ新型戦艦を設計した。
これまで、アメリカ海軍は、常に圧倒的な物量を展開することを念頭に、個艦の性能、速度などの優位性よりも、戦艦戦隊の戦闘単位としての威力に重点を置いた艦隊構想を持っていた。
しかし、ユトランド沖海戦の戦訓、さらには発展著しい航空機と新たなその運用戦術となるであろう航空母艦等との連携には、従来の速度では不十分であることが明らかとなり、新型戦艦はこれまでの標準速力を一新する、高速戦艦が俎上にあげられた。
さらに、この新型戦艦の搭載主砲には複数案あり、当初は、それまでの標準型戦艦と同様の14インチ主砲を四連装砲塔3基12門搭載艦の建造が予定された。
ほぼ各国海軍の戦艦開発の定石として、当然のこと、新型戦艦は前級を上回る性能を有することを目指す。「前級を上回る」と言う要件に照らして考えると、主砲は前級と同等あるいはそれよりも口径の大きな砲を装備する、と言うことになるが、ここでは敢えて前級のケンタッキー級の16インチを下回る14インチとした。速度はそれまでの標準戦艦に対し大きく改善されているので、必ずしも一方的な後退、と言うわけではないが、非常に珍しい選択と言えるであろう。
新開発の14インチ砲は長砲身を採用し従来の14インチ砲よりも高初速、直進性を高め、かつ新型砲塔により、より高い速射性を有し、ケンタッキー級の16インチ砲を上回る性能と評された砲だったが、日本海軍が開発中の新型戦艦には新型16インチ砲を搭載する(実際には18インチ砲)、と言う情報に接しては、やはり16インチ砲にその標準装備を切り換えざるを得ないという背景から、その4番艦、5番艦を16インチ主砲装備艦として建造することになった。
史実では、日本海軍が条約明けに建造する艦が16インチ主砲を搭載することがほぼ確定した段階で、16インチ主砲装備艦として建造された。
都合、新型戦艦はメイン級(1938年 14インチ砲搭載) 2隻
改メイン級(1939年 14インチ砲搭載) 1隻
ノースカロライナ級(1941年 16インチ砲搭載) 2隻
サウスダコタ級(1942年 16インチ砲搭載) 4隻
の合計9隻が就役した。
未成艦:メイン級戦艦
新型14インチ主砲搭載の新型戦艦である。米海軍の戦艦として初めて27ノットの高速を発揮できる戦艦として設計された。14インチ主砲を四連装砲塔3基に搭載している。水平防御にも十分な配慮が施された設計となっている。
(1938: 35,500t, 27knot, 14in *4*3, 2ships, 177mm in 1:1250 by Hansa/Semi scratched)
(メイン級戦艦2隻:サウスカロライナ(手前)、メイン)
製作メモ)Hansa社のノースカロライナ級戦艦をベースとし、これに、Atlas製のプリンス・オブ・ウエールズから4連装14インチ主砲塔を転用した。
IF艦:戦艦 バージニア(改メイン級戦艦)
メイン級の改良型として、建造された。メイン級を合理化してより集中防御方式を徹底したコンパクトな上部構造を持つ設計とした。主砲はメイン級と同じ14インチ主砲を四連装砲塔3基に搭載している。設計当初は、日本海軍の新戦艦が16インチ主砲を装備していても、同級の新型14インチ砲で対処できるのではないかという見方もあったが、検討の結果、十分な防御を得られたとは判断されず、1隻のみの建造となった。後に建造されるサウスダコタ級戦艦の基本設計となった。
(1939: 35,500t, 27knot, 14in *4*3, 2ships, 165mm in 1:1250 by Hansa/Semi scratched)
**この後に建造されたノースカロライナ級2隻とサウスダコタ級4隻は、実在する為、今回は紹介しない。
興味のある方は、本稿、第22回を参照されたい。
製作メモ)前級同様、Hansa社のサウスダコタ級をベースとしてこれに、Atlas製のプリンス・オブ・ウエールズから4連装14インチ主砲塔を転用した。
1:1250スケールモデルでは、Hansa社、Delphin社のダイキャストモデルは、細部まで作り込まれている割には、Neptune社に比べて、比較的安価で中古モデルを入手することができる。筆者は架空艦・IF艦の製作の際に、そのベースとして両社のモデルを利用することが多い。
アイオア級以降の新型戦艦
IF艦:改アイオア級(イリノイ級)18インチ搭載艦の建造
アイオア級建造中に、日本海軍の新型戦艦が18インチ砲搭載艦であることが判明し、加えてその前級である相模級戦艦も18インチ砲を搭載していることが判明した。このため、急遽、建造される予定であったアイオア級5番艦、6番艦を18インチ砲搭載艦として建造することが決定し、さらに、2隻を同級に追加し、4隻の18インチ砲搭載艦を建造することとなった。(イリノイ、ネブラスカ、デラウェア、ジョージア)
一方で、パナマ運河の通行を可能とするために、艦幅はアイオア級に準ぜねばならず、33ノットの速力を保持した上で、18インチ砲搭載による重量増加、さらには同砲射撃時の砲撃精度をこの艦幅でどのように担保するか、難しい課題に対する設計見直しが行われた。
結果、上部構造をコンパクトにすることにより浮いた重量分を主砲関係の重量増加と、18インチ砲装備による防御力向上に向けられることとなった。結果、機関対する余裕が前級よりも少なくなり、30ノットの速度に甘んじる結果となった。
(1944, 55,000 t, 30 knot, 18in *3*3, 4 ships, (6 ships planned), ***mm in 1:1250 by Superior)
(イリノイ級:イリノイ、ネブラスカ、デラウェア、ジョージア)
IF艦:改イリノイ級(バーモント級)の建造:16インチ砲への回帰
上述のように艦幅と排水量の上限が課せられた条件で、様々な工夫が盛り込まれたイリノイ級の設計であったが、そもそもが18インチ砲対応の防御力が予定されていないこと(日本海軍の長門級に対応したコロラド級の設計変更、条約明け後のノースカロライナ級の設計変更時にも、主砲口径のアップとその防御力のアンバランスという同様の事象が発生した)、併せて18インチ砲搭載には不十分な艦幅からくる射撃時の精度不足が判明したことから、イリノイ級5番艦(バーモント)・6番艦(ロードアイランド)は、16インチ砲搭載艦として建造することが決定した。
(1945, 55,000 t, 34 knot, 16in *3*3, 2 ships, ***mm in 1:1250 by Superior)
この設計変更は非常に成功で、速度はタイプシップであるアイオア級を上回る34ノットとなったし、その射撃精度も、米国の戦艦史上最高を記録した。
製作メモ)主砲には、Atlas社のニュージャージー級戦艦の主砲塔を転用した。
アイオア級の項で記述したように、米海軍では来るべき日米の艦隊決戦では、空母機動部隊を中心とした前哨戦で制空権を握った後に、主力艦同士の砲撃戦を行う、という構想を持っていた。これも前述のようにアイオア級はその前哨戦を制するべく設計された空母部隊との帯同を想定した高速戦艦として建造されたが、モンタナ級は、前哨戦の後、主力艦同士の砲撃戦を想定して設計、建造されたいわゆる「低速戦艦」であった。低速といっても、28ノットを発揮でき、サウスダコタ級、ノースカロライナ級などとは同等に行動できる。
主力艦同士の砲撃戦を制すべく、アイオア級と同じ、新開発の55口径16インチ砲を三連装砲塔4基12門、搭載する強力な戦艦となった。
(1946, 60,500 t, 28 knot, 16in *3*4, 4 ships, ***mm in 1:1250 by Superior)
モンタナ級が搭載した主砲は、アイオア級以降の戦艦が搭載していたMk.7 50口径16インチ砲であったが、この砲はサウスダコタ級やノースカロライナ級が搭載したMk.6に比較して、発砲初速が速く、長い射程を誇る高性能砲であった。早い初速から風等の影響を受けにくく、散布界(斉射時の砲弾のばらつき)が小さくなり高い射撃精度を得ることができ、遠距離砲戦に適していた。
日本海軍の未成艦・IF艦
弩級巡洋戦艦 Dreadnought battlecruiser
戦争には間に合わなかったが、戦時予算で急造した鹿島級戦艦、筑波級巡洋戦艦などが相次いで就役し、併せて5隻の戦艦、1隻の二等戦艦、2隻の海防戦艦などが戦利艦として編入され、数的視点から見れば戦前の倍の規模の主力艦を擁する陣容となった。
更にその後、巡洋戦艦鞍馬級の就役に続いた薩摩級戦艦は、世界最大の戦艦として就役した。
しかし、同時期に英海軍が就役させたドレッドノートによって、これら全ての主力艦は、一夜にして「旧式艦」となってしまった。
日本海軍としては初の弩級戦艦である河内級戦艦の建造と並んで、「旧式艦ばかりの二流海軍」からの急遽脱却を図るべく、海軍は欧米列強の既成弩級戦艦の購入を模索し始めた。
あわせて、より深刻な要素として、当時、各国の海軍で導入されていた装甲巡洋艦の高速化への対応が、検討されねばならなかった。すなわち、当時の日本海軍が保有する主力艦の中で最も高速を有するのは装甲巡洋艦(巡洋戦艦)「伊吹」であったが、その速力は22ノットで、例えば膠州湾青島を本拠とするドイツ東洋艦隊のシャルンホルスト級装甲巡洋艦(23.5ノット)が、日本近海で通商破壊戦を展開した場合、これを捕捉することはできなかった。
これらのことから、特に高速を発揮する弩級巡洋戦艦の導入が急務として検討され、その結果、弩級巡洋戦艦「蓼科」「劔」の購入が決定された。
「劔」「蓼科」は、2 艦で巡洋戦艦戦隊を構成し、この戦隊の発足がシュペー提督のドイツ東洋艦隊の本国回航を決意させた遠因となったとも言われている。
IF艦:弩級巡洋戦艦「蓼科」(独装甲巡洋艦ブリュッヒャー2番艦改造)
Battlecruiser Tateshina(Fictional: Based on armoerd cuiser SMS Blücher. IJN purchased 2nd ship of her class under cinsruction and remodled to battle cruiser)
(1912-, 16,500t, 25.4knot, 12in *2*3)(127mm in 1:1250 by Navis)
ドイツ海軍の装甲巡洋艦「ブリュッヒャー」の2番艦を巡洋戦艦に改造、導入したものである。
ブリュッヒャーは、従来の装甲巡洋艦の概念を一掃するほどの強力艦として建造されたドイツ帝国海軍の装甲巡洋艦である。装甲巡洋艦におけるドレッドノートと言ってもいいかもしれない。主砲は44口径21センチ砲を採用し、戦艦並みの射程距離を有し、搭載数を連装砲塔6基として12門を有し、また速力は25ノットと、当時の近代戦艦(前弩級戦艦)、装甲巡洋艦に対し、圧倒的に優位に立ちうる艦となる予定であった。
しかしながら、同時期にイギリスが建造したインヴィンシブルは、戦艦と同じ、30.5センチ砲を主砲として連装砲塔4基に装備し、速力も25.5ノットと、いずれもブリュッヒャーを凌駕してしまったため、ドイツ海軍は急遽同等の弩級巡洋戦艦建造に着手しなければならず、ブリュッヒャーは中途半端な位置づけとなり、後続艦の建造が宙に浮いてしまうこととなった。
日本海軍はこれに目をつけ、この2番艦の建造途中の船体を購入し、「蓼科」と命名、これを巡洋戦艦仕様で仕上げることにした。主な仕様変更としては、主砲をオリジナルの44口径21センチ砲12門から、日本海軍仕様の45口径30.5センチ連装砲塔3基および同単装砲塔2基、として計8門を搭載した。この配置により、首尾線方向には主砲4門、舷側方向には主砲7門の射線を確保した。機関等はブリュッヒャー級のものをそのまま搭載したところから、ドイツで建造した船体をイギリスで仕上げる、といった複雑な工程となった。が、狙い通り就役は「河内級」とほぼ同時期であった。
速力は25ノットの、当時の日本海軍主力艦としては、最も高速を発揮したが、装甲は装甲巡洋艦ブリュッヒャーと同等の仕様であったため、やや課題が残る仕上がりとなった。
IF艦:弩級巡洋戦艦「劔」(独弩級巡洋戦艦 フォン・デア・タン2番艦改造)
Battlecruiser Tsurugi (Fictional: Based on battlecruiser SMS Von Derr Tann. IJN purchaed 2nd ship of her class under cinsruction and remodled to battle cruiser with 12in L50 )
(1912-, 19,800t, 25.5knot, 12in L50 *2*4)(136mm in 1:1250 by Navis)
弩級巡洋戦艦「蓼科」の保有に成功した日本海軍であったが、上記のように、本来は装甲巡洋艦であったために、その防御力には課題が残った。併せて、河内級搭載のイギリス製の50口径主砲がやはり前述のような課題(しなりが大きく、精度が出ない。命数が短い)があったため、日本海軍は当時50口径砲の導入に成功していたドイツを対象に、もう一隻、弩級巡洋戦艦の購入を模索することにした。
白羽の矢が立ったのは、ドイツ海軍初の弩級巡洋戦艦「フォン・デア・タン」の2番艦で、すでにドイツ海軍の上層部の関心が、より強力な次級、あるいはさらにその次のクラスに向いてしまったため、やはり宙に浮いていたものを計画段階で購入することにした。
ブリュッヒャー級2番艦の場合と異なり、今回はその基本設計はそのままとし、主砲のみ、既に戦艦ヘルゴラント級で搭載実績のある1911年型50口径30.5センチ砲に変更し、船体強度などに若干の見直しを行った。同砲では河内級でイギリス製の50口径砲に見られたような問題は発生せず、ドイツの技術力の高さを改めて知ることになる。
主砲の口径の拡大と、それに伴う構造の変更があったにも関わらず、速力はオリジナル艦と同等の25.5ノットを確保することが出来た。
第一次大戦への関与の度合いは欧米諸国よりは低かった日本ではあったが、大戦終了後の景気後退等不況の影響は大きく、さらに大戦終了時から行われたシベリア出兵などの出費からくる厭戦気分から、せっかく英米の譲歩を勝ち得た条約下での主力艦建造の継続に対する世論は、必ずしも支持的と言える状況ではなかった。
しかし、これを一変する状況が、日清・日露両戦争、更には第一次世界大戦中、その後のシベリア出兵を通じて、一貫して実質支配権確立に努めてきた満州で発生する。(ちょっと仮想小説的になってきてしまいますが)
満州北部の北満州油田(史実では大慶油田として1959年に発見)、満州南部の遼河油田(史実では同呼称の遼河油田として1973年発見)の発見である。もちろんこれらの油田発見は、即、本格操業というわけには行かないのではあるが、これに既存の鞍山の鉄鉱山を加え、日本は有力な財政的な基盤を得た。
一方で、北満州油田は新生ソ連との国境が近く、その防衛も含め、日本は満州の日本傀儡下での独立を画策していくことになる。
ともあれ、これにより、日本海軍は八八艦隊計画を部分的に維持し、ワシントン海軍軍縮条約締結時にすでに進水していた加賀級戦艦2隻の建造をそのまま継続し、1925年に艦齢10年を迎える扶桑級に代えて紀伊級戦艦の紀伊と尾張を、1927年には伊勢級2隻の代替艦として、改紀伊級戦艦の相模、近江を就役させる計画を立て、これを推進した。
前級長門級戦艦を強化した高速戦艦である。16インチ砲を連装砲塔5基10門とし、搭載主砲数に対応して大型化した艦型を持ちながら、速力は新型機関の採用で長門級と同等の26.5ノットとした。長門級で取り入れられた集中防御方式を一層強化し、さらに傾斜装甲を採用するなど、防御側面の強化でも新機軸が盛り込まれた。
長門級では前檣への煙の流入に悩まされたが、加賀級でも同様の課題が発生し、二番艦土佐では新造時から長門型で一定の成果のあった湾曲煙突が採用された。しかし、長門と異なり新機関採用により前檣と後檣の間隔を短くしたため、今度は後檣への煙の流入が課題となってしまった。結局、大改装時の新型煙突への切り替えまで、加賀・土佐共に煙の流入に悩まされることになった。
(39.979t, 26.5knot, 16in *2*5, 2 ships, 185mm in 1:1250 semi-scratched based on C.O.B. Constructs and Miniatures /3D printing model)
(就役時の加賀級戦艦2隻:加賀(手前)と土佐:土佐は就役時から前檣編煙流入対策として長門級で採用されていた湾曲型煙突を採用していた)
製作メモ)C.O.B. Constructs and Miniatures社製の3D Printing modelをベースとして、前檣をストックのパーツとプラスティックロッド等で、セミスクラッチした。土佐の湾曲煙突は、Superior社製の天城級巡洋戦艦から転用した。
最終改装時(1941年次)の加賀級戦艦
バルジの追加、装甲の強化、艦橋構造の変更に加え、従来から課題とされてきた煤煙の流入対策のために煙突の換装が行われた。これらの重量増加への対応として、機関の換装も行われたが、基本設計に機関の増強等に対する余裕が十分でなく、結果として速度は低下してしまった。
そのため大戦中は、主力艦隊の序列を離れ、主としてシンガポールにあって西方警備の任務に当たった。
(1941: 47,500t, 25 knot, 2 ships, 187mm in 1:1250 semi-scratched based on C.O.B. Constructs and Miniatures /3D printing model)
(直上:改装後の土佐(手前)と加賀(奥))
製作メモ)C.O.B. Constructs and Miniatures社製の3D Printing modelをベースとして、前檣上部をストックのDelphin社製の伊勢級戦艦から転用した。
1925年に艦齢10年を迎える扶桑級戦艦に対する代替艦として建造が進められた。紀伊級の2隻の完成により、扶桑級戦艦2隻は、練習戦艦籍に移され、舷側装甲の撤去、砲塔数の削減等が行われた。
紀伊級戦艦は、防御方式等は前級の加賀級戦艦の経験に沿いながらも、加賀級を上回る高速性を求めたため、その基本設計は条約締結時に計画破棄となった天城型巡洋戦艦に負うところが多い。巨大な機関を搭載し、艦型はそれまでの長門級、加賀級とは異なり長大なものとなった。
主砲としては加賀級と同様、16インチ連装砲塔5基10門を搭載し、29.5ノットという高速を発揮した。当初、同型艦を4隻建造する計画であったが、建造途上で、米海軍の新戦艦サウスダコタ級が、16インチ砲を三連装砲塔4基12門搭載、という強力艦であることが判明し、この設計では紀伊・尾張の2隻にとどめ、建造途中から次級改紀伊級の設計と連動して建造が進められた。
長門級、加賀級で悩まされた煙の前檣、あるいは後檣への流入対策として、本級から集合煙突が採用され、煙対策もさることながら、艦型が整備され、優美さを加えることとなった。
(1926-, 42,600t, 29.5knot, 16in *2*5, 2 ships, 202mm in 1:1250 semi-scratched based on Team Blue Games with funnel by Digital Sprue /3D printing model )
製作メモ)Team Blue Games 社製の3D Printing modelをベースとして、前檣をストックのパーツとプラスティックロッド等で、セミスクラッチした。さらにオリジナルモデルでは二本の煙突を Sprue社製の集合煙突(3D Printing Model)に換装した。
1933年次 第一次改装時の紀伊級戦艦
紀伊級戦艦は、以降に建造された戦艦群が、その高い機密性保持のために表舞台に登場できなかった事情から、連合艦隊の象徴的存在として長門級とともに長く国民に親しまれ、また海外にも紹介された。
このため比較的若い建艦年次から数度にわたる改装を受けた。
第一次改装においては、防御装甲の強化に加え、前檣、後檣の上部構造を近代化し、あわせて対空装備の強化、航空艤装の追加などが行われた。機関の改善も行われたが、速度はやや低下した。
(1933, 46,600t, 27.5knot, 16in *2*5, 2 ships, 202mm in 1:1250 semi-scratched based on Team Blue Games with funnel by Digital Sprue /3D printing model )
製作メモ)前出の竣工時のモデルから、さらに前檣上部と後檣をDelphin社製伊勢級戦艦から転用した。
最終改装時(1941年次)の紀伊級戦艦
1941年次の改装においては、バルジの追加、対空兵装の強化、装甲の強化はもちろん、機関の大換装も行われ、あわせて艦首部の延長、艦尾の延長など、艦型の見直しも行われ、速度を新造時にまで回復することができた。
長く連合艦隊旗艦の任にあって、通信設備、旗艦設備が充実したため、大戦中も旗艦の任を継続した。
(1933, 50,600t, 29.5knot, 16in *2*5, 2 ships, 208mm in 1:1250 by Tiny Thingamajigs /3D printing model )
未成艦 or IF艦:改紀伊型・相模型戦艦(参考:十三号型巡洋戦艦) - Wikipedia
1927年に艦齢10年を迎える伊勢級戦艦に対する代替艦として建造が進められた。相模級の2隻の完成により、伊勢級戦艦2隻は、扶桑級と同様の措置の後、練習戦艦籍に移された。
相模級戦艦は、前述のように本来は紀伊級の同型3番艦、4番艦として建造されるはずであったが、米海軍が建造中のケンタッキー級(サウスダコタ級1920)戦艦が16インチ砲12門搭載の強力艦である事が判明したため、改紀伊級として設計が見直された。
まずは備砲が見直され、三連装砲塔開発案、連装砲塔6基搭載案、連装砲塔複合による4連装砲塔の新開発など、種々の案が検討されたが、いずれもケンタッキー級を凌駕する案とはなり得ず、最終的には新開発の2年式55口径41センチ(16インチ)砲と称する新型砲を連装砲塔で4基搭載する、という案が採択された。(それまでの16インチ砲は45口径であった)
この新砲搭載と、これまでの高速性を維持するため、艦型は紀伊型を上回り大型化し、実質は条約制限を上回る44,000トンとなったが、これを公称42,000トンとして建造した。
本級は最高軍事機密として厳重に秘匿され、さらに長く建造中と称して完成(1929年)が伏せられ、その完成が公表されたのは条約切れの後(1932年)であった。
ここには日本海軍の詐術が潜んでいた。2年式55口径41センチ砲は、実は18インチ砲であった。他の条約加盟国は、このクラスの建造(特に主砲口径)に強い疑惑を抱いており、これも条約更新が行われなかった要因の一つとなったと言われている。
(1932-, 44,000t(公称 42,000t), 28.5knot, 18in *2*4, 2 ships, 219mm in 1:1250 semi-scratched based onTeam Blue Games with funnel by Digital Sprue /3D printing model)
(就役時の改紀伊級・相模級戦艦2隻:相模(手前)と近江)
製作メモ)Team Blue Games 社製の13号型巡洋戦艦の3D Printing modelをベースとして、前檣をストックのパーツとプラスティックロッド等で、セミスクラッチした。さらにオリジナルモデルでは13号型巡洋戦艦の特徴の一つである巨大な煙突を、 Sprue社製の集合煙突(3D Printing Model)に換装した。
最終改装時(1941年次)の相模級戦艦
初の18インチ主砲装備艦として、最終改装時には、その艦橋構造を行動を共にするであろう同じ18インチ主砲を装備した大和級に準じたものに換装し、バルジの追加、垂直装甲の強化、 対空火器の強化、機関の換装が行われた。
(1932-, 53,200t), 28.5knot, 18in *2*4, 2 ships, 219mm in 1:1250 semi-scratched based onTeam Blue Games with funnel by Digital Sprue /3D printing model)
(最終大改装時の相模級戦艦2隻:相模(手前)と近江)
製作メモ)前出の竣工時のモデルをベースに、さらに前檣上部をAtlas社製の大和級戦艦から転用した。主砲塔を3D Printing modelの18インチ連装砲塔に換装した。
奇しくも、ようやく八八艦隊のうちの戦艦8隻の装備が完了し、日本海軍はこれに第一線戦力として、旧式ながら高速の金剛型巡洋戦艦4隻を加えた、高速艦による八四艦隊を完成させた。
未成艦: 金剛代艦計画
ワシントン軍縮条約下で、日本海軍は英米海軍に対し数的な優位には立てないことが確定した。このため高い機動力による戦場での優位性を獲得するために、条約制約下で速力に劣る扶桑級、伊勢級の4戦艦を破棄し、最も古い金剛級巡洋戦艦を残すという選択をしなくてはならなかった。
金剛級巡洋戦艦は、その優速性ゆえ貴重で、その後数次の改装により、防御力の向上等、近代高速戦艦として生まれ変わっていくが、如何せんその艦齢が古く、いずれは代替される必要があった。
こうして金剛代艦計画が進められることになる。
この計画には、文字通り海軍艦政の中枢を担う艦政本部案と、当時、海軍技術研究所造船研究部長の閑職にあった平賀中将の案が提出された。
未成艦:平賀案:畝傍級巡洋戦艦
海軍技術研究所造船研究部長平賀中将の設計案で、40,000トンの船体に16インチ砲を10門搭載、30ノットを発揮する高速戦艦として設計された。(ちょっと史実とは異なります)副砲を砲塔形式とケースメイト形式で混載。集中防御方式を徹底した設計となった。
畝傍級巡洋戦艦(高速戦艦)として採用され、当初4隻が建造される予定であったが、設計変更が発生し、「畝傍」「筑波」の2隻のみ建造された。
(1936-, 40,000t, 30knot, 16in *3*2+16in *2*2, 2 ships, 185mm in 1:1250 semi-scratched based on C.O.B.Constructs and Miniatures /3D printing model)
徹底した集中防御方式を意識したため、上部構造を中央に集中した艦型となった。初めて艦橋を新造時より塔構造とし、その塔構造艦橋の中層に高角砲を集中配置するなど新機軸が取り込まれ、その結果、やや重心が高くなってしまった。
結果、操艦と射撃精度にやや課題が発生した。
そのため当初4隻の建造予定が見直され、2番艦までで建造を打ち切りとし、3番艦・4番艦に対しては設計変更が行われた。これらは高千穂級巡洋戦艦として建造された。
製作メモ)C.O.B.Constructs and Miniatures 社製の平賀案の最大特徴である素晴らしいモールドの湾曲煙突を持つ3D Printing modelをベースとして、前檣上部をストックのNeptune社製大和級戦艦初期型に換装した。
未成艦:艦政本部案 巡洋戦艦 信貴
海軍艦政本部藤本少将が中心となって設計した。このため藤本案と呼ばれることもある。40,000トン、30ノット等、設計の基本要目はもちろん平賀案と同様である。
平賀案と異なり、比較的広い範囲をカバーする防御構造を持ち、主砲は3連装砲塔3基9門、副砲はすべて砲塔形式とした。
「信貴」1隻が試作発注され、同型艦はない。兵装・機関配置等、後に大和級戦艦の設計に影響があったとされている。
(1936-, 40,000t, 30knot, 16in *3*3, 190mm in 1:1250 semi-scratched based on C.O.B.Constructs and Miniatures /3D printing model)
製作メモ)C.O.B.Constructs and Miniatures 社製のモデルをベースに、前檣上部と煙突をAtlas社製大和級戦艦の両者に換装した。
畝傍級には、上述のような課題が発見され、 特に上部構造の改修に力点が置かれた設計の見直しが行われた。
こうして、畝傍級3•4番艦は高千穂級として建造された。両艦は「高千穂」「白根」と命名された。
主要な設計要目は畝傍級と同じで、40,000トンの船体に16インチ砲を10門搭載し、船体配置の若干の見直しにより、より大型の機関を搭載することができ、速力は32ノットを発揮することができた。副砲は畝傍級同様、砲塔形式とケースメイト形式の混載としたが、後に対空兵装の必要性が高まるにつれ、対空兵装への置き換えが行われた。
(1939-, 40,000t, 32knot, 16in *3*2+16in *2*2, 2 ships,, 193mm in 1:1250 semi-scratched based on Superior)
(直上:新造時の高千穂級)
(直上:改装後の高千穂級:副砲塔を撤去し、対空兵装を集中装備した)
(高千穂級高速戦艦2隻:白根(手前:対空兵装強化後の姿、高千穂(奥:新造時))
製作メモ)Superior社製のモデルをベースに、竣工時のモデルには前檣上部をDelphin社製大和級のものに、副砲塔をAtlas社製大和級戦艦の副砲塔に換装した。改装後のモデルについては、上部構造全体をAtlas社製大和級の上部構造に換装した。
こうして金剛級代艦は都合5隻が建造された。
IF艦(未成艦):超大和級戦艦:播磨級(播磨・伊予)の建造
大和級の建造によって、日本海軍は個艦の性能で米戦艦に凌駕する戦力を保有することに成功したが、いずれは米海軍が18インチ砲搭載艦を建造することは明白であった。事実、既述のようにアイオア級の5番艦以降、改アイオア級(イリノイ級)で米海軍の18インチ砲搭載艦は実現する。
この予見される脅威への対抗策が、A-150計画であった。
A-150計画では、米海軍が建造するであろう18インチ砲搭載艦を打ち破るために更なる大口径砲の20インチ(51センチ)砲を搭載することが計画された。(日本海軍は、2インチ毎の口径拡大を目指すのが常であった。12インチ(前/凖弩級戦艦、弩級戦艦)、14インチ(超弩級戦艦)、16インチ(八八艦隊)、18インチ(相模級、大和級)、20インチ(播磨級))
艦型は時勢の展開を考慮して短縮を目指し、前級である大和級の基本設計を踏襲した強化型、発展型として計画が進められた。
当初、新設計の20インチ砲を大和級同様、三連装砲塔形式で3基9門を搭載する予定であったが、その場合、90,000トンを超える巨艦となることが判明し、当時の日本にはこれを建造する施設がなかった。さらに言えば、18インチ砲三連装砲塔以上の重量の砲塔を回転させる技術もなく、短期間での完成を目指す日本海軍はこれを諦めた。
さらにいくつかのデザイン案の模索の後、20インチ砲を採用して連装砲塔3基搭載であれば、既存の大和級の艦型をほぼそのまま使用し建造期間を短縮できるということが判明し、同案が採用された。
(1943-: 66,000t, 27 knot, 20in *2*3, 2 ships, 217mm in 1:1250 by semi-scratched based on Neptune)
(直上の写真は播磨級戦艦2隻:手前から伊予、播磨の順。両艦ともに、当初から対空兵装強化型として建造され、対空砲として新型の長10センチ連装砲を採用していた)
製作メモ)Neptune社製大和級戦艦の初期型をベースに、前檣上部をAtlas社製大和級のものに換装、主砲等は1:700スケールの山城級戦艦のものを利用している。さらに高角砲の半数を長10センチとするために、1:2000の愛宕級重巡洋艦の主砲を転送した。
前級播磨級において、日本海軍は念願の20インチ砲搭載戦艦を建造したが、その設計過程には無理が多く、結局、時勢の流動への対応から、大和級の船体を流用し、建造を急いだことから、主砲射撃時の散布界が大きく、さらには搭載数が6門では 単艦での運用では十分な射撃精度が得られないことが判明した。
このため米海軍が建造する18インチ砲搭載艦への対応に、大和級の設計をベースとして、18インチ主砲の搭載数を増加させる案が検討された。
駿河級は計画では2隻が建造される予定であったが、日米開戦により1隻、駿河のみ建造された。
18インチ主砲を大和級と同様、三連装砲塔に装備し、大和級よりも1基増やし、4基12門搭載とした。砲塔の増設によって船体は大型化し排水量も大幅に増加したが、機関を強化し、大和級と同速の27ノットを確保した。射撃管制システムも新型が搭載され、改良された装填機構の採用などにより、発射速度を大和級よりも早めることができた。射撃試験の結果、良好な散布界を得ることなどが検証され、日本海軍の最強艦となった。
(1945-: 71,000t, 27 knot, 18in *3*4, 220mm in 1:1250 by 3D printing: Tiny Thingajigs)
製作メモ)Tiny Thingajigs社製の3D printing modelをベースに、前檣をAtlas社製の大和級戦艦の艦橋、アンテナ、主砲塔を流用した。
IF艦:富士級高速戦艦:富士・劔の建造
大和級の建造と併せて、この18インチ砲搭載戦艦の時代にふさわしい前衛支援艦が必要と考えられた。高速で展開するこの前衛艦は、後続する主力艦隊に敵艦隊の速度、運動等の詳細なデータを送信し、射撃管制を高める役割が期待された。
当初、大和級と同じく18インチ砲を搭載する相模級の2隻をこれにあてる予定であったが、やはり前衛には敵艦隊に肉薄、あるいは捕捉から逃れる高速力が必要とされることが明らかとなり、この目的のためには相模級を上回る速度を保有するこれに専任する艦が新たに設計された。
建造期間を短縮するために、ここでも装備類は大和級から流用されることが求められた。機関には大和級と同じものが使用されることが決められ、33ノットの速力が期待されるところから、船体の大きさが逆算された。また、同級は大和級と行動を共にすることが想定されるところから、主砲には同じく18インチ三連装砲塔の搭載が決定された。
これらの要件を満たすために、これまでの主力艦とは一線を画する特異な設計となった。艦前部に主砲塔を集中装備し、その後方に機関を配置、後部には副砲塔等と航空装備、という奇しくも仏海軍のリシュリュー級に似た配置となった。射撃管制機器、上部構造等を大和級と共通化したために、遠距離からの視認では、大和級に実に似通った外観を示している。
(1945-: 38,000t, 33 knot, 18in *3*2, 2 ships, 197mm in 1:1250 by semi-scratched based on Hansa)
(直上の写真では、船体後部に航空兵装、副砲塔等が集中しているのがよくわかる)
(直上の写真は富士級高速戦艦2隻:手前から「劔」、「富士」の順。両艦は対空兵装で異なる装備を有していた。2番艦の「劔」は、建造時期がジェット航空機の発展期に当たったため、当初から対空兵装強化型として実験的に自動砲を採用していた)
製作メモ)Delphin社製のリシュリュー級戦艦をベースに、主砲塔、艦橋、煙突、アンテナ、副砲塔を、Atlas社製大和級戦艦から転用した。
本級は本稿のオリジナルと言っていいと思う。史実でもこのような計画があったと聞いたことはないし、資料も見たことはない。ニーズもあったかどうか、すこぶる怪しい、と言うことでもあるのだが。
製作のきっかけは、全く偶然にDelphin社製のリシュリュー級戦艦の主砲塔基部の直径と、Atlas社製大和級の主砲塔の直径がぴったり一致することに気づいたことであった。ここから大和級戦艦の前衛を務める高速戦艦、と言う構想に発展した。
こうした「気づき」の積み重ねが、今回冒頭でつらつら述べたコレクションの醍醐味であり、こうした成果は、その出来は別として、至福の時、と言っていいと思う。
(直上の写真は大和級 18インチ砲搭載艦の系譜:左から富士級高速戦艦、大和級、播磨級、駿河の順。大和級の系譜は、18インチ砲の強烈な反動を受け止めるため艦幅を広く取っている。一方で水線長を抑え、装甲を効果的に配置するなど、全体的にコンパクト化に成功していると言っていいだろう)
(直上の写真は日本海軍の高速戦艦(巡洋戦艦)の系譜。:左から、金剛級(比叡)、畝傍級、高千穂級、富士級の順。高速化への模索の取り組みとして、艦幅と水線長の工夫が興味深い)
海上自衛隊 護衛艦「やまと」 Battleship "YAMATO" in JMSDF
太平洋戦争降伏に引き続き、日本は戦争放棄と戦力不保持、交戦権の否認を憲法に掲げる国家となった。
しかし欧州における米英とソ連の対立に関連すす不安定な周辺情勢、殊に日本の共産化を防ぎ、アジア全体の共産化阻止の拠点としたい米英(特に米国)の思惑から、様々は注釈に彩られた憲法解釈が行われ、やがて朝鮮戦争の勃発とともに自衛隊の前身である警察予備隊が発足し(1950年)、日本は再び戦力を保持することとなった。
同時期に旧海軍残存部隊は海上警備隊として組織され、1954年自衛隊法施行とともに海上自衛隊と名称変更された。
上述のようにその発足時には国共内戦、朝鮮戦争等で、米英とソ連のある種代理戦争が極東地域では展開されていた。これら共産勢力、あるいはソ連自身の日本への侵攻に対する抑止力として、当時、武装解除の上で海外に展開していた旧日本軍の復員輸送の従事していた残存する行動可能な主力艦を、再武装の上で戦力に組み入れてはどうかという議論が主として英米間で行われた。
当時、主力艦で行動可能だったものは、「大和」「紀伊」「加賀」「土佐」「長門」であったが、これらすべてを戦力化することについては強大すぎ旧軍の復活につながるとの懸念があり、抑止力としてのプレゼンス、という視点から「大和」一隻のみを自衛艦「やまと」として再武装し、自衛艦隊に編入することが決定された。
海上自衛隊に編入された「やまと」は、艦隊防空艦としての役割を負うべく、再武装と改装を受けた。
再武装にあたっては、主砲は従来のままとし、自衛艦隊の艦隊防空艦としての役割期待が大きいところから、対空火器とレーダー装備が一新された。主要な対空火器としては、旧海軍の最も成功した対空砲と言われた長10センチ高角砲を自動化した単装砲を多数搭載している。この砲は最大射程18キロ、最大射高13キロ、毎分19発の発射速度を持つとされ、旧日本海軍では、この対空砲にVT信管を組み合わて運用したが、日本製のVT信管そのものの信頼性が低く、その能力を十分に発揮できたとは言い難かった。
それでも旧海軍では「格段の命中率」「抜群の効果」と賞賛され、その実績以上に士気向上に効果があった。
今回の装備にあたっては米海軍のVT信管技術の導入し、さらに砲塔に自動化機構を組み入れてその信頼性と発射速度を高めた。
一方、個艦防衛用兵装として、多数の機関砲を搭載しているが、これらの小口径砲についてはVT信管には対応しておらず、実戦で効果が期待できないことは、大戦で実証済みであった。
(直上の写真は自衛艦「やまと」:外観は大戦時のそれとほとんど変わらない。艦隊防空用の兵装として自動長10センチ高角砲を16基、個艦防衛用の兵装として、多数の機関砲を搭載している)
模型視点でのコメントを少し:上記の模型は、Delphin社製の「大和」をベースとし前部艦橋と通信アンテナ、主砲砲塔を換装している。更にその主対空砲とした自動長10センチ高角砲として、イタリア戦艦「ヴィットリオ・ベネト」の対空砲を流用した。
(直上の写真は自衛艦「やまと」とその僚艦:奥から護衛艦「あきづき(初代)」「むらさめ(初代)」、「やまと」「あやなみ」の順。いずれも国産の護衛艦第一世代に属する。この時期の自衛隊は、こうした国産の護衛艦に加え、米海軍からの貸与艦で構成されていた)
***予告)登場する護衛艦いついては、近々、別途「開発史」的なシリーズを展開する予定です。お付き合いください。
上記は、本稿前回で紹介した自衛艦「やまと」であったが、もう一案「B案」を作成してみた。
IF艦:自衛艦「やまと」B案
「やまと」は、艦隊防空艦としての役割を負うべく、再武装と改装を受けた。
再武装にあたっては、主砲は従来のままとし、自衛艦隊の艦隊防空艦としての役割期待が大きいところから、対空火器とレーダー装備が一新された。主要な対空火器として米海軍の38口径Mk 12, 5インチ両用砲を連装砲塔に装備し、14基28門を搭載した。
この砲は、米海軍の戦艦、巡洋艦に広く採用されている砲で、最大射程21キロ、最大射高11キロ、発射速度15-22発/分とされていた。これに加えて毎分45発の発射速度をもつラピッド・ファイア型のMk 33, 3インチ砲を連装で8基、さらに個艦防衛用に40mm機関砲を装備し、もちろんこれらは全てVT信管を標準仕様としていたため、その対空能力は、旧海軍時代から格段に強化された。
(直下の写真は、自衛艦「やまと」:外観的には、多数の対空機銃が徹去されたことを除けば、旧海軍時代とそれほど大きな違いはない。この時期、水上偵察機、観測機等の航空兵装の搭載は廃止されているが、後部の航空機用の運用装備はそのまま残されている)
模型視点でのコメントを少し:こちらのモデルも、前出のDelphin社製の「大和」をベースとし、前部艦橋と通信アンテナ、主砲砲塔を換装している。さらに3D printing makerのSNAFU store製のWeapopn setから、いくつか武装を選択し搭載している。
(直上の写真は自衛艦「やまと」の対空兵装:艦の上部構造物周辺にMk 12, 5インチ連装砲塔を配置している。下段お写真はいずれもMk 33, 3インチ連装砲塔(ラピッド・ファイア)の配置状況。すこし分かりにくいが上部構造周辺にも、同砲が防楯なしの露出砲架で配置されている)
(直上の写真は自衛艦「やまと」とその僚艦:奥から護衛艦「あきづき(初代)」「やまと」「はるかぜ」「あやなみ」の順。いずれも国産の護衛艦第一世代に属する。この時期の自衛隊は、こうした国産の護衛艦に加え、米海軍からの貸与艦で構成されていた)
(質問)どちらの方が、自衛艦「やまと」にフィットするとお考えになりますか?感想など伺えれば、幸いかと。
もちろん他のアイディアもあるかと思います。
幸い、まだ数隻の「やまと」のストックがありますので、私が実現可能なアイディアは模型に落とせるかもしれません。ぜひお知らせください。
これも、If艦ならではの楽しみ方かと。
お待ちしています。私のスキルの問題で「実現不可能」も十分ありえますので、その際には平にご容赦を。
IF艦:DDHとDDG時代の護衛艦「やまと」
海上自衛隊は、領海警備とシーレーン保護がその主要任務であり、従って、対潜戦闘能力を中心に、その活動保護のための艦隊防空を、両軸で発展させてきた。
1970年代に入ると、対潜ヘリを搭載したヘリ搭載型護衛艦(DDH)を中心に、汎用護衛艦を複数配置し、この艦隊の艦隊防空を担う防空ミサイル護衛艦(DDG)から構成される護衛隊群、という構成をその艦隊編成の基幹として設置するようになった。
海上自衛隊の発足時から艦隊防空をその主任務としてになってきた「やまと」もこの構想に従い、防空ミサイルシステムを搭載する。
主要艦隊防空兵装としてはスタンダードSM-1を2基搭載し、艦隊の周囲30-40キロをその防空圏とした。他の防空兵装としてはMk 42 54口径5インチ砲を6基搭載している。この砲は23キロの最大射程を持ち、毎分40発の発射できた。個艦防空兵装としては、上記の他にCIWS3基を搭載している。
水上機の運用設備を全廃し、ヘリコプターの発着設備を新設した。ヘリの搭載能力はない。
改修時には、米海軍から巡航ミサイルの搭載能力も検討するよう要請があったが、専守防衛を掲げ、その要求を受け入れなかった、と言われている。
(直下の写真は、1970年代の護衛艦「やまと」(DDG):外観的には、旧海軍の「大和」の上部構造を大幅に改修した。多くのシステムを米海軍と共用し、アイオア級の戦艦等と似た上部構造物となったため旧海軍時代の外観をほとんど残していない)
模型視点でのコメントを少し:こちらのモデルも、前出のDelphin社製の「大和」をベースとし、その船体を利用し主砲塔を換装している。上部構造は同じくDelphin社製のSouth Dakotaの上構を転用している。さらに3D printing makerのSNAFU store製のWeapopn setから、いくつか武装を選択し搭載した。
(直上の写真は70年代DDG「やまと」の対空兵装:艦の上部構造物前後にSM-1の単装ランチャーを2基搭載し、上部構造周辺にMk 42, 54口径5インチ砲を配置している。近接防空兵器として、上部構造の前部と左右に CIWSを搭載している。専守防衛を掲げ搭載を拒んだ巡航ミサイルは、下段写真の前部CIWSとMk 42 5インチ砲の間あたりに搭載される構想であったとされている)
(直上の写真はDDG「やまと」とその僚艦:奥からヘリ搭載型護衛艦(DDH)「しらね」対潜護衛艦「やまぐも」「やまと」ミサイル護衛艦(DDG)「さわかぜ」の順)
IF艦:イージス時代の護衛艦「やまと」
2000年代に入り、海上自衛隊の艦隊防空システムがイージスシステムとなった。
同時に長らく海上自衛隊の艦隊防空を担当してきたDDG「やまと」も、イージス艦として生まれ変わった。
艦の上部構造はイージスシステム搭載に対応する巨大なものに改装され、艦の前後左右に全体で240セルのMk 41 VLS(スタンダードSAM、アスロックSUM、シー・スパロー短SAM用)を搭載した。
その他、近接防空用兵装として23キロの最大射程、毎分45発の発射速度を持つオート・メララ54口径5インチ速射砲4基、CIWS4基を搭載している。
模型視点でのコメントを少し:こちらのモデルも、前出のDelphin社製の「大和」をベースとし、その船体を利用し、あわせて主砲塔を換装している。上部構造はF-toy社製の現用艦船シリーズからストックしていた何隻かの上構をあわせて転用している。さらに同じく現用艦船シリーズのストックから、武装を選択して搭載している。
(直上の写真はイージス護衛艦「やまと」の上部構造:左右にMk 41 VLS、5インチ速射砲、CIWSなどを搭載している)
(直上の写真はイージス護衛艦「やまと」とその僚艦:奥から汎用護衛艦(DD)「あきづき」、「やまと」、イージス護衛艦(DDG)「あたご」の順)
海上自衛隊は初の航空機搭載型護衛艦(DDV)を導入し「いぶき」と名付けた。専守防衛の建前から、あくまで護衛艦と称しているが、空母「いぶき」の通称で通っている。F-35B15機を基幹航空部隊として搭載し、その為、無人機、救難ヘリ等を搭載している。
このDDV「いぶき」を中心に、第五護衛隊群が編成される。第五護衛隊群はその機動性から紛争地域周辺に展開されることが多く、イージス艦「やまと」も、持ち前のその戦闘力から、この護衛隊群に組み入れられることが多かった。
IF艦というよりSF艦:宇宙戦艦「ヤマト」 Space Battleship "YAMATO"
その後の「ヤマト」と言えば・・・(おまけ!)
最終的には「やまと」は「ヤマト」となり、もちろんご存知の通り、宇宙へ飛び出すのである。
タイトルには「2199」や「2202」の文字が散見するので、さらに150年以上後の話である。艦首に波動砲という途轍もない兵器を搭載している。「大和」は常に「何か」を他に凌駕することを宿命づけられている、と言うことだろうか。
写真は1:1000の「ヤマト」。最終的には、オリジナルのデザインに比較的近いところへ回帰することが興味深い。まあ、「ヤマト」は坊ノ岬沖で沈んでいたものに作り込まれた訳なので、当たり前か。
直上の写真は、「ヤマト」僚艦と共に:奥から金剛型宇宙戦艦「キリシマ」、「ヤマト」、磯風型突撃宇宙駆逐艦「ユキカゼ」。
こちらは1:2000スケールの「ヤマト」を中心に。他はノンスケール?(こちらも本格的に展開するなら、星空バックが必須!まあ、その予定は、今のところはないが)
「キリシマ」は、後に「ヤマト」の艦長となる沖田が、「ヤマト」誕生以前に乗艦し艦隊指揮をとった旗艦である。もう一つ「ユキカゼ」は、「ヤマト」に乗組み大活躍をした古代の兄が艦長を務めた艦である。この両艦はガミランの侵攻艦隊との戦闘で、「キリシマ」は大破し、「ユキカゼ」は「キリシマ」の撤退を援護して沈められた。「ヤマト」が姿を現すのはこの戦闘の後であり、従って、この写真の組み合わせは、ありえない、と言うことになる。
それにしても、「突撃宇宙駆逐艦」とは、なんという名称だろうか。勇ましいことこの上ないが、なんとなく悲惨な響きが気にはなる。
「ヤマト」は任務を果たし、還ってくる。何度でも。
日本海軍:大戦期の駆逐艦総覧
しかし、駆逐艦の発展を語る上で、その主力兵器である魚雷の性能発展に触れることは、特に日本海軍の場合には重要と考えますので、巡洋艦発展小史の一部分を再録しておきます。
巡洋艦に対する機動性・高速化への要求から、その主機にタービンが採用され、その燃料も効率の良い重油へのシフトが加速化されました。
本稿ではこれまで何度も触れてきたので、「またか」の感はあるかとは思いますが、防護巡洋艦とは、基本、舷側装甲を持たず、機関部を覆う艦内に貼られた防護甲板と舷側の石炭庫により艦の重要部分を防御する構想を持った設計で、艦の重量を軽減し、限られた出力の機関から高速と長い航続距離を得ることを両立させることを狙った艦種で、一般に巡洋艦の主たる使命を、仮想敵の通商路破壊と自国通報路の防御においた欧州各国にとっては非常に有用な艦種と言え、一世を風靡しました。
しかしこの燃料の重油化への流れの中では、これまでの防護巡洋艦の防御設計の根幹を成してきた石炭庫による舷側防御に代わるものとして、一定の舷側装甲が必要となるわけです。その上で、速力への要求との兼ね合いもあり「軽い舷側装甲を持った巡洋艦」という艦種が発想されます。これが、軽装甲巡洋艦=軽巡洋艦です。
日本海軍について、この流れにもう少し付け加えると、機動性に対する要求の背後には、魚雷の性能の飛躍的な向上と、駆逐艦の発達も合わせて考える必要がありそうです。
魚雷性能の向上
下表は日露戦争期から太平洋戦争の終結までの日本海軍の水上艦艇用の魚雷形式の一覧です。これらの他にも潜水艦用、あるいは航空機用の航空魚雷があるわけです。
西暦 | 和暦 | 形式名称 | 直径(cm) | 炸薬量(kg) | 雷速(低)kt | 射程(m) | 雷速(高)kt | 射程(m) | 装気形式 |
1899 | 明治32 | 32式 | 36 | 50 | 15 | 2,500 | 24 | 800 | 空気 |
1904 | 37 | 日露戦争 | |||||||
1905 | 38 | 38式2号 | 45 | 95 | 23 | 4,000 | 40 | 1,000 | 空気 |
1910 | 43 | 43式 | 45 | 95 | 26 | 5,000 | 空気 | ||
1911 | 44 | 44式 | 45 | 110 | 36 | 4,000 | 空気 | ||
44式 | 53 | 160 | 27 | 10,000 | 35 | 7,000 | 空気 | ||
1914 | 大正3 | 第一次世界大戦 | |||||||
1917 | 6 | 6年式 | 53 | 203 | 27 | 15,500 | 36 | 8,500 | 空気 |
1921 | 10 | 8年式2号 | 61 | 346 | 28 | 20,000 | 38 | 10,000 | 空気 |
1931 | 昭和6 | 89式 | 53 | 300 | 35 | 11,000 | 45 | 5,000 | 空気 |
1933 | 8 | 90式 | 61 | 373 | 35 | 15,000 | 46 | 7,000 | 空気 |
1935 | 10 | 93式1型 | 61 | 492 | 40 | 32,000 | 48 | 22,000 | 酸素 |
1939 | 14 | 第二次世界大戦 | |||||||
1941 | 16 | 太平洋戦争 | |||||||
1944 | 19 | 93式3型 | 61 | 780 | 36 | 20,000 | 48 | 15,000 | 酸素 |
表の見方を説明しておくと(必要ないかも知れませんが)、例えば6年式(大正6年制式採用)の場合、魚雷の直径は53cm、弾頭の炸薬量が203kg、低速設定の27ノットで射程が15,500m、高速設定の36ノットで射程が射程が8,500mということになります。
これが、93式1型(皇紀2593年制式採用)のいわゆる酸素魚雷の場合、魚雷の直径は61cm、弾頭の炸薬量が492kg、低速設定の40ノットで射程が32,000m、高速設定の48ノットで射程が射程が22,000mとなり、性能の高さが際立っていることがわかります。
それ以前にも6年式あたりから、つまり53センチ口径の魚雷の登場から、炸薬量、魚雷の速度(雷速)、射程が顕著に向上し、魚雷の兵器としての実用性が格段に高まったことが想像できます。(上表以前の日清戦争期の日本海軍の魚雷は、炸薬量が約20kg程度、射程が最大で 1000m程。有効射程は300mと言われていました。それが日露戦争期にようやく1000mでも何とか使えるかも、という状況だったわけです)
艦隊駆逐艦の発達
一方、下表は日露戦争期から昭和初期にかけての日本海軍が建造した艦隊型駆逐艦(一等駆逐艦)の艦級の一覧です。
Class | 竣工年次 | 同型艦 | 基準排水量(t) | 速度(kt) | 主砲口径(cm) | 装備数 | 魚雷口径(cm) | 装備数2 | 備考 |
雷級 | 1899 | 6 | 345 | 31 | 8 | 1 | 45 | Tx2 | 英国製 |
東雲級 | 1899 | 6 | 322 | 30 | 8 | 1 | 45 | Tx2 | 英国製 |
暁級 | 1901 | 2 | 363 | 31 | 8 | 1 | 45 | Tx2 | 英国製 |
白雲級 | 1902 | 2 | 322 | 31 | 8 | 1 | 45 | Tx2 | 英国製 |
春風級 | 1903 | 7 | 375 | 29 | 8 | 2 | 45 | Tx2 | |
1904 | 日露戦争 | ||||||||
神風級(I) | 1905 | 25 | 381 | 29 | 8 | 2 | 45 | Tx2 | |
海風級 | 1911 | 2 | 1,030 | 33 | 12 | 2 | 45 | Tx3/TTx2 | |
浦風 | 1913 | 1 | 810 | 30 | 12 | 1 | 53 | TTx2 | 英国製 |
1915 | 第一次世界大戦 | ||||||||
磯風級 | 1915 | 4 | 1,105 | 34 | 12 | 4 | 45 | TTx3 | |
江風級 | 1918 | 2 | 1,180 | 34 | 12 | 3 | 53 | TTx3 | |
峯風級 | 1920 | 12 | 1,215 | 39 | 12 | 4 | 53 | TTx3 | |
野風級 | 1922 | 3 | 1,215 | 39 | 12 | 4 | 53 | TTx3 | |
神風級(II) | 1922 | 9 | 1,270 | 37.3 | 12 | 4 | 53 | TTx3 | |
睦月級 | 1926 | 12 | 1,315 | 37.3 | 12 | 4 | 61 | TTTx2 |
大雑把に分類すると、日本海軍初の駆逐艦である「雷級」から初代の「神風級」までの6クラスが日露戦争を想定し急速に整備された「日露戦争型」の駆逐艦、続く「海風級」から「江風級」が日本海軍独自の艦隊駆逐艦の模索期、その後の「峯風級」以降が第一次の決定版艦隊駆逐艦、と言えるのではないでしょうか?(この他にも、駆逐艦としては、模索期以降、中型(1000t以下)の二等駆逐艦の艦級も存在します。第一次世界大戦で、地中海に派遣された「樺級」「桃級」などがこれに該当します。艦隊型駆逐艦としては、実はこの表の後、つまり「睦月級」の後には、いわゆる「特型駆逐艦」以降の艦級が控えています。「太平洋戦争型」の駆逐艦、日本海軍の駆逐艦の黄金期であり、その頂点かつ終焉のシリーズ、ということになり、上表の「酸素魚雷」との組み合わせで、スペック的にはとんでもないことになるのですが、それらはもしかすると別の機会に)
えっ!模型出せよって!
しょうがないなあ。出します、出します。
(直上の写真は、日本海軍の駆逐艦の各級を一覧したもの。手前から、日露戦争期の代表格で「東雲級」と「白雲級」、模索期から「海風級(竣工時の単装魚雷発射管、その後の連装魚雷発射管への換装後の2タイプ)」、「磯風級」、そして第一次決定版艦隊駆逐艦として「峯風級」、「睦月級」。(「神風級(II)」は現在、日本に向け回航中です。いずれは・・・)
(直上の写真:東雲級駆逐艦:50mm in 1:1250 by Navis 2本煙突が特徴)
(直上の写真:白雲駆逐艦:51mm in 1:1250 by Navis 日露戦役時の駆逐艦の標準的な形状をしています)
模索期の艦隊駆逐艦
(直上の写真:海風級駆逐艦、竣工直後の姿。単装魚雷発射管を装備:78mm in 1:1250 by WTJ)
(直上の写真:海風級駆逐艦、連装魚雷発射管への換装後の姿)
(直上の写真:磯風級駆逐艦:78mm in 1:1250 by WTJ。軽巡洋艦「天龍級」はこの磯風級駆逐艦の形状を拡大した、と言われています。連装魚雷発射管を3基装備し、雷撃兵装を重視した設計です)
そしてここからが、第二次世界大戦期の駆逐艦のお話し、つまり本論部分、と言うことになります。
本稿ではこれまで「艦隊駆逐艦 第1期の決定版」として「峯風級」とその系列の最終形である「睦月級」をご紹介しました。その再録も含め、終戦までの全艦級のご紹介です。
列1 | 竣工年次 | 同型艦 | 残存数 | 基準排水量 | 速度 | 主砲口径 | 装備数 | 魚雷口径 | 装備数2 | 魚雷搭載数 |
峯風級 | 1920 | 12 | 4 | 1215 | 39 | 12 | 4 | 53 | TTx3 | 6 |
峯風級改装:哨戒艇 | (1940) | 2 | 0 | 1215 | 20 | 12 | 2 | - | - | - |
峯風級改装:特務艦 | (1944) | 1 | 1 | 1215 | ? | ? | ? | - | - | - |
神風級(II) | 1922 | 9 | 2 | 1270 | 37.3 | 12 | 4 | 53 | TTx3 | 10 |
睦月級 | 1926 | 12 | 0 | 1315 | 37.3 | 12 | 4 | 61 | TTTx2 | 12 |
吹雪級I型 | 1928 | 10 | 0 | 1680 | 37 | 12.7 | 6 | 61 | TTTx3 | 18 |
吹雪級II型 | 1930 | 10 | 1 | 1680 | 38 | 12.7 | 6 | 61 | TTTx3 | 18 |
吹雪級III型 | 1932 | 4 | 1 | 1680 | 38 | 12.7 | 6 | 61 | TTTx3 | 18 |
初春級(竣工時) | 1933 | 6 | - | 1400 | 36.5 | 12.7 | 5 | 61 | TTTx3 | 18 |
初春級(復原性改修後) | (1935) | 6 | 1 | 1700 | 33.3 | 12.7 | 5 | 61 | TTTx2 | 12 |
白露級 | 1936 | 10 | 0 | 1685 | 34 | 12.7 | 5 | 61 | TTTTx2 | 16 |
朝潮級 | 1937 | 10 | 0 | 2000 | 35 | 12.7 | 6 | 61 | TTTTx2 | 16 |
陽炎級 | 1939 | 19 | 1 | 2000 | 35 | 12.7 | 6 | 61 | TTTTx2 | 16 |
夕雲級 | 1941 | 19 | 0 | 2077 | 35 | 12.7 | 6 | 61 | TTTTx2 | 16 |
秋月級 | 1942 | 13 | 7 | 2710 | 33.58 | 10 | 8 | 61 | TTTTx1 | 8 |
島風 | 1943 | 1 | 0 | 2567 | 40 | 12.7 | 6 | 61 | TTTTTx3 | 15 |
松級 | 1944 | 32 | 23 | 1260 | 27.81 | 12.7 | 3 | 61 | TTTTx1 | 4 |
今回は、その1回目。
艦隊駆逐艦 第一期決定版の登場(峯風級・神風級・ 睦月級)
(直上の写真:右から、「峯風級」「野風級:後期峯風級」「神風級」「睦月級」)
日本艦隊駆逐艦のオリジナル
「峯風級」は、それまで主として英海軍の駆逐艦をモデルに設計の模索を続けてきた日本海軍が試行錯誤の末に到達した日本オリジナルのデザインを持った駆逐艦と言っていいでしょう。12cm主砲を単装砲架で4基搭載し、連装魚雷発射管を3基6射線搭載する、という兵装の基本形を作り上げました。1215トン。39ノット。同型艦15隻:下記の「野風級:後期峯風級3隻を含む)
(直上の写真:「峯風級」駆逐艦の概観 82mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces)
「野風級:後期峯風級」は「峯風級」の諸元をそのままに、魚雷発射管と主砲の配置を改め、主砲や魚雷発射管の統一指揮・給弾の効率を改善したもので、3隻が建造されました。
(直上の写真:「野風級:後期峯風級」駆逐艦の概観 82mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces)
(直上の写真は、「峯風級」(上段)と「野風級:後期峯風級」(下段)の主砲配置の比較。主砲の給弾、主砲・魚雷発射の統一指揮の視点から、「野風級」の配置が以後の日本海軍駆逐艦の基本配置となりました)
同艦級は太平洋戦争には既に休止機関でしたが、12隻が駆逐艦として船団護衛等の任務につき、2隻が陸戦隊支援を主任務とする哨戒艇として、そして1隻は特務艦(標的艦)として臨みました。駆逐艦は12隻中8隻が、哨戒艇は2隻が失われました。
「神風級」駆逐艦(9隻)
「神風級」は、上記の「野風級:後期峯風級」の武装レイアウトを継承し、これに若干の復原性・安定性の改善をめざし、艦幅を若干拡大(7インチ)した「峯風級」の改良版です。9隻が建造されました。1270トン。37.25ノット。
(直上の写真:「神風級」駆逐艦の概観 82mm in 1:1250 by The Last Square: Costal Forces)
(直上の写真:「峯風級」(上段)と「神風級」の艦橋形状の(ちょっと無理やり)比較。「神風級」では、それまで必要に応じて周囲にキャンバスをはる開放形式だった露天艦橋を、周囲に鋼板を固定したブルワーク形式に改めました。天蓋は「睦月級」まで、必要に応じてキャンバスを展張する形式を踏襲しました)
「神風級」は太平洋戦争時は既に旧式艦ではありましたが、主として船団護衛等の任務に9隻が参加し、7隻が失われました。
第一次艦隊駆逐艦の決定版
「睦月級」駆逐艦(12隻)
「睦月級」駆逐艦は「峯風級」から始まった日本海軍独自のデザインによる一連の艦隊駆逐艦の集大成と言えるでしょう。
(直上の写真:「睦月級」駆逐艦の概観 83mm in 1:1250 by Neptune)
艦首形状を凌波性に優れるダブル・カーブドバウに改め、砲兵装の配置は「後期峯風級」「神風級」を踏襲し、魚雷発射管を初めて61cmとして、これを3連装2基搭載しています。太平洋戦争では、本級は既に旧式化していましたが、強力な雷装と優れた航洋性から、広く太平洋の前線に投入され、全ての艦が、1944年までに失われました。1315トン。37..25ノット。同型艦12隻。
(直上の写真:「睦月級」(下段)と「神風級」(上段)の艦首形状の比較。「睦月級」では、凌波性の高いダブル・カーブドバウに艦首形状が改められました)
駆逐艦設計は新次元に:「特型駆逐艦」群の登場(吹雪級I型・II型・Ⅲ型・初春型・白露型・朝潮型)
ワシントン海軍軍縮条約の申し子
「吹雪級」駆逐艦(24隻)
ワシントン軍縮条約の締結により、日本海軍は進行中の八八艦隊計画を断念、さらに主力艦は保有制限が課せられ、制限外の巡洋艦以下の補助艦艇についても仮想敵国である米国との国力差から、保有数よりも個艦性能で凌駕することをより強く意識するようになります。
こうして海軍が提示した前級「睦月級」を上回る高性能駆逐艦の要求にこたえたものが「吹雪級」駆逐艦です。1700トンの船体に、61cm3連装魚雷発射管を3基(9射線:「睦月級」は6射線)、主砲口径をそれまでの12cmから12.7cmにあげて連装砲等3基6門(「睦月級」は12cm砲4門)、速力37ノット(「睦月級」と同等)と、それまでの駆逐艦とは一線を画する高性能艦となりました。
搭載主砲塔、機関形式の違い等から、Ⅰ型、Ⅱ型、Ⅲ型の3形式があり、それぞれ10隻、10隻、4隻、合計24隻が建造されました。
(直上の写真:「吹雪級」の各形式。右からI型、II型、Ⅲ型の順。下段写真は各形式の主砲塔と缶室吸気口・煙突形状の比較。右からI型、II型、Ⅲ型の順:詳細は各形式で説明します)
Ⅰ型(10隻):特徴はA型と呼称される連装主砲塔を採用しています。この主砲塔は、仰角40度までの所謂平射砲塔でした。あわせて、缶室吸気口としてキセル型の吸気口を装備していました。ある程度高さを与え、海水の侵入を防ぐ工夫がされていましたが、十分ではなかったようです。このため10番艦「浦波」では、より海水の浸入防止に配慮された「お椀型」の吸気口が採用されており、このため10番艦は「改Ⅰ型」あるいは「ⅡA型」と呼ばれることもあります。
(直上の写真:「吹雪級I型」の概観。94mm in 1:1250 by DAMEYA on Shapeways)
(直上の写真:「吹雪級I型」の特徴。A型連装砲塔:平射用(上段)とキセル型缶室吸気口)
戦前に演習中の衝突事故で失われた1隻をのぞく9隻が太平洋戦争にのぞみ、全て戦没しています。
Ⅱ型(10隻):概観上の特徴は、連装主砲塔を仰角75度まで上げた対空射撃も可能としたB型としたことと、缶室吸気口を前出の「改Ⅰ型」で採用された、海水浸水のより少ない「お椀型」としたことです。
(直上の写真:「吹雪級II型」の概観。94mm in 1:1250 by Trident)
(直上の写真:「吹雪級II型」の特徴。B型連装砲塔:仰角75度まで射撃可能=対空射撃が可能になりました(上段)と、浸水対策を考慮したお椀型缶室吸気口)
10隻全てが太平洋戦争に参加し、「潮」のみが残存しました。
Ⅲ型(4隻):概観上の特徴は、新方式の採用により缶の数を減らしたことから生じた煙突形状にあります。「吹雪級」は重量が計画を200トン近く超過し1900トンを超える艦になっており、うち機関関連での重量超過が100トンあまりを占めていました。このため空気予熱器により効率を高めた缶(ボイラー)を採用することで缶の数を減らし重量の軽減が図られました。
缶の位置関係から、一番煙突が二番煙突に比して細い、という顕著な特徴となりました。
(直上の写真:「吹雪級Ⅲ型」の概観。94mm in 1:1250 by Trident)
(直上の写真:「吹雪級Ⅲ型」の特徴。B型連装砲塔:仰角75度まで射撃可能=対空射撃が可能になりました(上段)と、浸水対策を考慮したお椀型缶室吸気口と缶室の減少により細くなった1番煙突)
4隻が太平洋戦争に参加し「響」のみ生き残りました。
トピック: 駆逐艦の主砲の話
これまで本稿では数回触れてきているのですが、「吹雪級」以降の駆逐艦で「秋月級」と「松級」以外の艦級では、主砲として「50口径3年式12.7cm砲」が採用されています。
この砲は基本対艦戦闘を想定した平射砲で、50口径の長砲身から910m/秒の高い初速、18000m超の最大射程、毎分10発の射撃速度を持つ優秀砲で、艦隊戦では有効な兵器と考えられました。当初「吹雪級」に搭載されたA型連装砲塔は、平射砲としての実力を発揮すべく、その仰角は40度とされていました。
その後に対空射撃の要請に対する対応として開発された、前述のB型連装砲塔では仰角を75度まで上げるなどの改良が行われましたが、装填機構が対応できず、つまり装填時には平射位置まで仰角を戻さねばならず、対空射撃時の射撃速度は毎分4発程度で、低空からの侵入機に対する以外は対空砲としては全く効果を有しませんでした。
(直下の写真:日本海軍の駆逐艦が搭載したA型砲塔(上段)とB型砲塔(下段)の資料:軍艦メカニズム図鑑「日本の駆逐艦」より引用しています)
このように対空兵器としての実用性の乏しさから、次のC型連装砲塔では仰角が55度に戻され、つまり再び対艦射撃に重点が置かれた本来の平射砲へと戻されます。このC型連装砲塔は「白露級」「朝潮級」「陽炎級」に搭載され、太平洋戦争開戦時の艦隊駆逐艦の基準主砲となりました。しかし開戦後、海軍戦力での航空主兵の傾向が顕著になると、再び仰角を75度に上げたD型連装砲塔が「夕雲級」には搭載されますが、やはり装填機構には手をつけないまま、という迷走を続けることとなりました。
(直上の写真:「50口径3年式12.7cm砲」の連装砲塔の各形式(全て、Neptuneモデル)。(上段)「A型」:仰角40度の平射砲用。(中段)「B型」:仰角75度での高角射撃を可能にしました。しかし装填機構が平射用のままの為、射撃速度は毎分4発程度で、高角砲としての実用性は低いものでした。(下段)「C型」:仰角を再度55度とした平射用です)
同時期の米海軍の駆逐艦は既に全てが5インチ両用砲を搭載し、揚弾機構なしの場合でも毎分12−15発の射撃速度を有しており、これに加えて両用砲用の方位盤などとの組み合わせで、既にシステム化を進めていたのに対し、日本海軍の駆逐艦は上記のような事情で実用的な対空砲を持てず、艦隊防空の任を担わねばならず、多くの駆逐艦が戦争後期には主砲塔を対空機銃座に置き換えて戦いに臨む事となります。
(直上の写真:「吹雪級II型」では高角射撃可能なB型砲塔を装備していましたが、射撃速度の遅さから高角砲としての実用性が乏しく、二番砲を対空機銃座に換装するなどの方法で、対空戦闘能力を補完せねばなりませんでした。大戦中の駆逐艦の多く艦級で同様の措置が取られました)
「初春級」駆逐艦(6隻)
ワシントン条約に続く ロンドン条約では、それまで制限のなかった補助艦艇にも制限が加えられ、駆逐艦にも保有制限枠が設けられました。特に駆逐艦には1500トンを超える艦は総保有量(合計排水量)の16%以内という項目が加えられました。このため1700トン級(公称)の「吹雪級」駆逐艦をこれ以上建造できなくなり(日本としては財政的な視点から、「吹雪級」の増産を継続するよりも、もう少し安価な艦で数を満たす切実な事情もあったのですが)、次の「初春級」では、1400トン級の船体と「吹雪級」と同等の性能の両立という課題に挑戦することになりました。
結果として、竣工時の「初春級」駆逐艦は、主砲として、艦首部に「吹雪級」と同じ「50口径3年式12.7cm砲」B型連装砲塔とB型連装砲塔と同じく仰角を75度に改めたA型改1単装砲塔を背負い式に装備し、艦尾にB型連装砲塔を配置しました。さらに「吹雪級」と同じ61cm3連装魚雷発射管を3基(9射線)を装備し、予備魚雷も「吹雪級」と同数を搭載。加えて次発装填装置をも初めて装備し、魚雷発射後の再雷撃までの時間短縮を可能としました。機関には「吹雪級Ⅲ型」と同じ空気予熱器付きの缶3基を搭載し、36.5ノットの速力を発揮することができました。
1400トン級のコンパクトな船体に「吹雪級」とほど同等な重武装と機関を搭載し、かつ搭載する強力な主砲と雷装を総覧する艦橋は大型化したことにより、無理を重ねた設計でした。そしてそれは顕著なトップヘビーの傾向として顕在化することになります。
(直上の写真は「初春級」竣工時の概観:88mm in 1:1250 by Neptuneをベースにセミ・スクラッチ)
(直上の写真は、「初春級」竣工時の特徴のアップ。左上:艦橋部。艦橋部の下層構造を延長し、艦橋の位置をやや後方へ。艦橋部下層構造の前端に2番主砲塔(単装)を、1番主砲塔(連装)と背負い式になるように配置。右上:2番魚雷発射管。下段左と中央:後橋部分と2番・3番発射管の配置状況。3番発射管自体は、船体中心線に対し、やや右にオフセットした位置に追加。細かいこだわりですが、一応、3番発射管用の次発装填装置を後橋部の構造建屋の上に設置。2番発射管用の次発装填装置は後橋部建屋の左側の斜め張り出し部に内蔵されています)
既に公試時の10度程度の進路変更時ですら危険な大傾斜傾向が現れ、バルジの追加等で何とか就役しますが、この設計原案での建造は「初春」と「子の日」の2隻のみのとどめられました。さらにその後の発生した友鶴事件により、設計は復原性改善を目指して全面体に見直されました。
初春:竣工時の艦型概観(「初春」「子の日」のみ)
このげ初春:復原性改修後の艦型概観
(上のシルエットは次のサイトからお借りしています
http://www.jam.bx.sakura.ne.jp/dd/dd_class_hatsuharu.html
残念ながら、竣工時の「初春級」については 1:1250スケールのモデルがありません。スクラッチにトライするには、やや手持ちの「初春級」のモデルが足りていません。 いずれはトライする予定ですが、今回はご勘弁を<<<セミ・スクラッチによる竣工時モデルを上記に追加投稿しました)
その性能改善工事は、61cm3連装魚雷発射管の3基から2基への削減(併せて搭載魚雷数も3分の2に削減)、主砲塔の配置を艦首に連装砲塔1基、艦尾部に単装砲塔と連装砲塔を各1基の配置と搭載方法を変更し、武装重量の削減とバランスの改善を目指します。さらに艦橋・煙突の高さを下げ、艦底にバラストを追加搭載するなど重心の低下をおこなった結果、艦容を一変するほどのものになりました。その結果、復原性の改善には成功しましたが、船体重量は1800トン近くに増加し速度が36.5ノットから33.3ノットに低下してしまいました。
(直上の写真:復原性改善修復後の「初春級」の概観。88mm in 1:1250 by Neptune)
(直上の写真:「初春級」の特徴である次発想定装置付きの3連装魚雷発射管(上段)と、艦尾部に背中合わせに配置された単装主砲砲塔と連装砲塔:仰角75度の高角射撃も可能とした砲塔でした。この砲塔は装填機構の問題から装填次に平射1に戻さねばならず、射撃速度が低く対空砲としては実用性に乏しいものでした)
復原性修復後のモデルとの比較は以下に。二枚とも、上が「竣工時(今回セミ・スクラッチ製作したモデル)」、下が「復原性修復後」のモデル(Neptune社の現行の市販モデル)。
「竣工時」の過大な兵装とそれに因る腰高感が表現できているかどうか・・・。できているんじゃないかな(とちょっと自画自賛)。
当初は12隻が建造される予定でしたが、上記のような不具合から6隻で建造が打ち切られ、「初霜」を除く5隻が太平洋戦争で失われました。
「初春級」改良型中型駆逐艦
「白露級」駆逐艦(10隻)
(直上の写真:「白露級」の概観。88mm in 1:1250 by Neptune)
「白露級」は前級「初春級」の復原性改善後の設計をベースに建造された準同型艦です。
改修後の「初春級」では前述のように雷装を設計時の3分の2、6射線に縮小せねばなりませんでした。 また、改修後の重量も1800トン弱と、結局、中型駆逐艦の枠を大きくはみ出す結果となってしまいました。(公称上は「初春級」も「白露級」も1400トンとし、ロンドン条約下での1500トン以下の保有枠内である、とされましたが)
重量が増加するならば、ということで、「白露級」は少し船型を拡大し、4連装魚雷発射管2基を搭載し、射線数を「吹雪級」に近づけたものとすることになりました。次発装填装置を搭載し、魚雷搭載数を当初16本として、雷撃能力を向上させています(当初と記載したのは、実際には搭載魚雷数は14本あるいは12本だったようです)。その他の兵装、艦容はほぼ「初春級」に準じるものとなりました。
主砲は「初春級」と同じ「50口径3年式12.7cm砲」でしたが、この砲をC型連装砲塔、B型単装砲塔に搭載しましたが、これらはいずれも仰角を55度に抑えた平射用の主砲塔でした。
速力は改修後の「初春級」とほぼ同等の34ノットでした。
(直上の写真:「白露級」の特徴である次発想定装置付きの4連装魚雷発射管(上段)と、艦尾部に背中合わせに配置された単装主砲砲塔と連装砲塔:いずれも仰角55度の平射用砲塔でした)
太平洋戦争には10隻が参加し、全て戦没しました。
再び正統派艦隊駆逐艦へ(もうロンドン条約、続けないし・・・)
ロンドン条約の保有制約から大型駆逐艦の保有制限を受けた日本海軍は、「初春級」「白露級」と中型駆逐艦を就役させた日本海軍でしたが、先述の通り、小さな船体に重武装・高性能の意欲的な設計を行ったが故に、無理の多い仕上がりとなり、結果的に期待を満たす性能は得られない結果となりました。
このため、次級の「朝潮級」では「吹雪級」並みの大型駆逐艦の設計を戻されることになりました。設計時期にはまだロンドン条約の制約は生きていましたが、ロンドン条約からの脱退を見込んでいたため、もはや艦型への制限を意識する必要がなくなる、という前提での設計方針の変更でもありました。
(直上の写真:「朝潮級」の概観。94mm in 1:1250 by Neptune)
こうして「朝潮級」は2000トン級の船体に、「白露級」で採用された4連装魚雷発射管2基を搭載し8射線を確保、次発装填装置を備え魚雷16本を搭載、主砲には「50口径3年式12.7cm砲」を仰角55度の平射型C型連装砲塔3基6門搭載したバランスの取れた艦となりました。機関には空気予熱器つきの缶(ボイラー)3基を搭載、35ノットの速力を発揮する設計でした。こうして日本海軍は、ほぼ艦隊駆逐艦の完成形とも言える艦級を手に入れたわけですが、一点、航続距離の点で要求に到達できず、建造は10隻のみとなり、次の「陽炎級」に建造は移行することになりました。
(直上の写真:「朝潮級」の特徴である次発想定装置付きの4連装魚雷発射管(上段)と、艦尾部に配置された「白露級」と同じC型連装砲塔:仰角55度の平射用砲塔でした)
太平洋戦争には10隻が参加し、全て戦没しました。
トピック:「特型駆逐艦」の呼称
少し余談になりますが、「特型駆逐艦」の呼称はそれまでの駆逐艦の概念を超えた「吹雪級」駆逐艦の別称とされることが一般的かと思いますが、軍縮条約制約下の高い個艦性能への要求(制限を受けた艦型と高い重武装要求のせめぎ合い、と言っていいと思います)を満たすべく設計・建造された「吹雪級」「初春級」「白露級」「朝潮級」を一纏めに使われる場合もあるようです。
(直上の写真:「特型駆逐艦」群の艦型比較。上から「吹雪級」、「初春級」復原性改善後、「白露級」「朝潮級」の順)
これに対し、それ以前の駆逐艦群(「峯風級」「神風級」「睦月級」)には、「並型駆逐艦」という表現が使われることもありました。(まるで「特盛り」「並盛り」ですね)
本稿では、これに従って、一纏めの流れとして纏めてみました。
無条約の時代へ
ワシントン・ロンドン体制下での、日本海軍の駆逐艦開発の軌跡を追ってきたわけですが、「朝潮級」の開発段階で軍縮体制に見切りをつけた設計に舵を切りました。
今回はその流れを受けて、条約後、つかり無制限時代の駆逐艦設計を辿ります。
そしてその背景には、主力艦隊同士の会戦形式の艦隊決戦から、航空主導と潜水艦等により浸透戦術に基づいた「総力戦」時代の新たな形式の艦隊決戦に、日本海軍がどのように対応を模索したかが、垣間見えます。
甲型駆逐艦は、従来の主力艦艦隊決戦の尖兵としての水雷戦隊の基幹を構成する戦力としての艦隊駆逐艦の完成形と言えるでしょう。
前級「朝潮級」はワシントン・ロンドン体制の終結を見込んで設計された為、それまでの制約を逃れた設計となり、かなりバランスの取れた艦級として仕上がりました。しかし建造途中の第四艦隊事件に始まる一連の強度見直し等の追加要件により、速力・航続距離に課題を残した形となりました。
それらの点を踏まえて、「陽炎級」が設計されます。
(直上の写真:「陽炎級」の概観。94mm in 1:1250 by Neptune)
「陽炎級」駆逐艦は、前級「朝潮級」の船体強度改修後をタイプシップとして、設計されました。兵装は「朝潮級」の継承し、2000トン級の船体に、4連装魚雷発射管2基を搭載し8射線を確保、次発装填装置を備え魚雷16本を搭載、主砲には「50口径3年式12.7cm砲」を仰角55度の平射型C型連装砲塔3基6門搭載とされました。
「朝潮級」の課題とされた速度と航続距離に関しては、機関や缶の改良により改善はされましたが、特に速力については、以前課題を残したままとなり、推進器形状の改良を待たねばなりませんでした。
(直上の写真:「陽炎級」では、次発装填装置の配置が変更されました。左列が「朝潮級」、右列が「陽炎級」。「陽炎級」の場合、1番魚雷発射管の前部の次発装填装置に搭載された予備魚雷を、装填する際には発射管をくるりと180°回転させて発射管後部から。魚雷の搭載位置を分散することで、被弾時の誘爆リスクを低減する狙いがありました)
太平洋戦争開戦時には、最新鋭の駆逐艦として常に第一線に投入されますが、想定されていた主力艦艦隊の艦隊決戦の機会はなく、その主要な任務は艦隊護衛、船団護衛や輸送任務であり、その目的のためには対空戦闘能力、対潜戦闘能力ともに十分とは言えず、常に悪先駆との末、同型艦19隻中、「雪風」を除く18隻が戦没しました。
「夕雲級」駆逐艦(19隻)
(直上の写真:「夕雲級」の概観。95mm in 1:1250 by Neptune)
「夕雲級」駆逐艦は、「陽炎級」の改良型と言えます。就役は1番艦「夕雲」(1941年12月5日就役)を除いて全て太平洋戦争開戦後で、最終艦「清霜」(1944年5月15日就役)まで、19隻が建造されました。
その特徴としては、前級の速力不足を補うために、船体が延長され、やや艦型は大きくなりますが、所定の35ノットを発揮することができました。兵装は「陽炎級」の搭載兵器を基本的には踏襲しますが、対空戦闘能力の必要性から、主砲は再び仰角75度まで対応可能なD型連装砲塔3基となりました。しかし、装填機構は改修されず、依然、射撃速度は毎分4発程度と、実用性を欠いたままの状態でした。
(直上の写真:「陽炎級」(上段)と「夕雲級」(下段)の艦橋の構造比較。やや大型化し、基部が台形形状をしています)
「陽炎級」と同様、就役順に第一線に常に投入されますが、その主要な任務は艦隊護衛、船団護衛や輸送任務であり、その目的のためには対空戦闘能力、対潜戦闘能力ともに十分とは言えず、全て戦没しました。
新しい時代の駆逐艦 (乙型:「秋月級」、丙型:「島風(級)」、丁型「松級」)
艦隊駆逐艦のある種の頂点として「陽炎級」「夕雲級」配置づけられるわけですが、その主眼は艦隊決戦における水雷戦闘に置かれているため、対空戦闘、対潜戦闘等には十分な能力があるわけではなく、日本海軍の駆逐艦設計は、専任業務に特化した特徴を持つ艦級の開発、という新たな展開へと入ってゆくことになります。
それがこの「乙型:艦隊防空」「丙型:水雷戦闘」「丁型:船団護衛(対空・対潜汎用)」の各形式の各形式です。
最初で最後の防空駆逐艦
「秋月級」駆逐艦(12隻)
第一次世界大戦以降、本格的な兵器として航空機は急速に発展してゆきます。これに対する対抗手段として、強力な対空砲を多数装備し艦隊防空を主要任務として想定し設計された艦級を各国海軍が開発、あるいは旧式巡洋艦を改装するなどして対応を試みます。日本海軍も当初は「天龍級」軽巡洋艦、「5500トン級」軽巡洋艦を改装するなどの構想を持ちますが、これらの艦艇に関しては、いまだに艦隊決戦での水雷戦闘能力の補完艦艇としての位置付けを捨てきれず、結局専任艦種の建造計画に落ち着くことになるわけです。そのような経緯から当初設計案では魚雷の搭載を予定せず、艦種名も「直衛艦」とされ、巡洋艦クラスの大型艦となる設計案もありました。
(直上の写真:「秋月級」の概観。108mm in 1:1250 by Neptune:艦首が戦時急造のため直線化しているのが、わかるかなあ?)
紆余曲折の結果、駆逐艦としての機能も併せ持つ「秋月級」駆逐艦が誕生する事となりました。空母機動部隊等への帯同を想定するために航続距離が必要とされ、艦型は2700トン級の大型艦となり、この船体に、主砲として65口径長10センチ高角砲を連装砲塔で4基搭載し、61cm4連装魚雷発射管1基と予備魚雷4本を自動装填装置付きで装備しました。速力は高速での肉薄雷撃を想定しないため、やや抑えた33ノットとされました。
(直上の写真:「秋月級」の最大の特徴である65口径長10センチ高角砲の配置と艦橋上部の高射装置)
65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)の話
65口径長10センチ高角砲(九八式十糎高角砲)は、日本海軍の最優秀対空砲と言われた高角砲で、18700mの最大射程、13300mの最大射高を持ち、毎分19発の射撃速度を持っていました。これは、戦艦、巡洋艦、空母などの主要な対空兵装であった12.7cm高角砲(八九式十二糎七粍高角砲に比べて射程でも射撃速度でも1.3倍(射撃速度では2倍という数値もあるようです)という高性能で、特に重量が大きく高速機への対応で機動性の不足が顕著になりつつあった12.7cm高角砲の後継として、大きな期待が寄せられていました。
上記、射撃速度を毎分19発と記述していますが、実は何故か揚弾筒には15発しか搭載できず、従って、15発の連続射撃しかできなかった、ということです。米海軍が、既に1930年台に建造した駆逐艦から、射撃装置まで含めた対空・対艦両用砲を採用していることに比べると、日本海軍の「一点豪華主義」というか「単独スペック主義」というか、運用面が置き去りにされる傾向の一例かと考えています。
(直上の写真:「秋月級」では、高角機関砲の搭載数が次第に強化されていきます)
同級は全艦が太平洋戦争開戦後に就役し、戦時下での建造も継続されたため、次第に戦時急増艦として仕様の簡素化、工程の簡易化が進められました。結果、12隻が就役し終戦時には6隻が残存していました。
艦隊決戦の尖兵として、 重雷装艦
(直上の写真:「島風」の概観。101mm in 1:1250 by Neptune)
「島風(級)」駆逐艦は 水雷戦闘に特化した艦級といえ、ある意味、新駆逐艦の設計体系で、来るべき総力戦・航空主導下での戦闘の変化等を認識しながらも、未だに「主力艦艦隊決戦時での肉薄水雷攻撃」の構想を捨てきれなかった日本海軍の「あだ花」的な存在と言えるのではないでしょうか?しかしその建造中には、太平洋戦争が始まり、そこでの海戦のあり方の変化は明らかで、流石に同艦級の活躍の場を想定することは難しく、当初の計画では16隻が整備さえる予定でしたが、建造は「島風」1隻のみにとどまりました。
2500トンの駆逐艦としては大きな船型を持つ「島風」の特徴は、そのずば抜けた高速性能にあります。計画で39ノット、実際には40ノット超の速力を発揮したと言われています。(「夕雲級」が35.5ノット)更に15射線という重雷装を搭載しており(5連装魚雷発射管3基)、一方で予備魚雷は搭載せず、まさに艦隊決戦での「肉薄一撃」に特化した艦であったと言えると思います。
(直上の写真:「島風」の特徴である高速性を象徴するクリッパー型艦首:上段。5連装魚雷発射管3基。次発装填装置は装備していません:下段)
1943年に就役した時点で、既に戦局はガダルカナルの攻防戦を終えており、「島風」はキスカ島撤退作戦に参加したのち、主として護衛任務につく事になります。レイテ沖海戦には第一遊撃部隊(栗田艦隊)の1隻として参加し、サマール島沖の米護衛空母部隊への追撃戦には、裁可するものの、結局待望の魚雷発射の機会はありませんでした。
海戦後は、第二水雷戦隊旗艦として、レイテ島への増援輸送作戦に従事し、第三次輸送部隊の一員としてオルモック湾に輸送船とともに突入しますが、米軍機の集中攻撃を受け、輸送部隊は駆逐艦「朝潮」を除いて護衛艦船、輸送船ともに全滅し、「島風」も失われました。
戦時急造を目指す汎用中型駆逐艦
「松級」駆逐艦(32隻)
(直上の写真:「松級」の概観。79mm in 1:1250 by Neptune)
「松級」駆逐艦は、日本海軍が1943年から建造した戦時急増量産型駆逐艦です。32隻が建造されていますが、戦時急造の要求に従い急速に建造工程の簡素化、簡易化が進められ、多くのサブグループがあります。
同級の建造の背景として、太平洋戦争開戦後、日本海軍の保有する艦隊駆逐艦は常に第一線に投入されますが、その戦況の悪化に伴い、多くが失われてゆきます。特に、護衛任務・輸送任務等における対空戦闘、対潜戦闘に対する能力不足は顕著で、それらの補完が急務となります。
しかし従来型の駆逐艦級はいずれも建造に手間がかかるため。新たな設計構想と兵装を持った駆逐艦が求められるようになります。
こうして生まれたのが「松級」駆逐艦で、1200トン級の比較的小ぶりな船体に、主砲として40口径12.7cm高角砲(89式)を単装砲と連装砲各1基として対空戦闘能力を高め、併せて対潜戦闘も強化した兵装としました。
(直上の写真:「松級」の主砲:八九式40口径12.7cm高角砲。艦首部には単装、艦尾部に連装砲が、それぞれ砲架形式で搭載されました(前部は防楯付き)。更に下段の写真では、強化された対潜兵装も。投射基2基と投射軌条2条。爆雷の搭載数は最終的には60個まで増強されました)
一方で雷装は軽めとして4連装魚雷発射管1基を搭載し予備魚雷は搭載していません。搭載艇にも配慮が払われ、「小発」(上陸用舟艇)も2隻搭載可能とされ、輸送任務への対応力も高められました。
(直上の写真:「松級」の搭載艇について。旧モデル(下段)では後方の搭載艇が「小発」に見えなくもないのですが、上段の新モデルでは・・・)
トピック:爆雷の搭載数
「松級」の爆雷搭載数は当初36発であったものを「不足」として60発まで搭載数が増やされています。大戦後期に登場した船団護衛専任艦種の「海防艦」の爆雷搭載数が120発でしたので、それでも十分と言えたかどうか。
それでも駆逐艦の中では「松級」は最も搭載数が多く、艦隊駆逐艦の完成形と言われた「朝潮級」「陽炎級」では36発でした。これが艦隊直衛を専任とする「秋月級」で54発と大幅に強化され、更に「松級」では充実する事になります。
この爆雷を2基の投射機(左右に飛ばす装置)と艦尾の2条の軌条(ゴロゴロと艦尾から水中に落とす装置)から、水中に投下する仕掛けでした。
「松級」に話に戻しますと、機関の選択には量産性が重視され、更に生存性を高めるためにシフト配置が初めて選択されました。一方で速力は28ノットと抑えられました。
建造工数の簡素化については1番艦の「松」が9ヶ月でしたが、最終的には5ヶ月まで退縮されています(参考:夕雲級1番艦「夕雲」は起工から就役まで18ヶ月。同級最終艦「清霜」は起工から就役まで10ヶ月)。また同艦級は、艦隊決戦的な視点に立てば確かに速力など見劣りのする性能と言えるでしょうが、その適応任務は輸送、護衛、支援と、場面を選ばず、ある種「万能」と言えなくもないと考えています。
32隻が建造され、18隻が終戦時に稼働状態で残存しています。
という事で、大戦期の日本海軍の駆逐艦について見てきたわけですが、なんと言っても対空戦闘も対潜戦闘も不得意な艦隊駆逐艦を、輸送任務や護衛任務に投入し続けるしか他に方策を持たなかった、という海軍の現状を改めて振り返ることができた、と思っています。
大戦後期に「秋月級」や「松級」が投入され、あるいは護衛戦専任の海防艦が稼働するわけですが、それまで、満足な対空砲すら持たずに、あるいは十分な数の爆雷すら搭載せずに船団や艦隊の周辺に対空対潜警戒陣をめぐらし戦わねばならなかった駆逐艦乗りたちの苦労を思い、その喪失艦の多さを重ね合わせると、なんという戦いだったのだろう、と思わざるを得ません。