Imperial German Navy (SMS)/ ドイツ帝国海軍
ご紹介しているモデル
前弩級戦艦:5クラス
装甲巡洋艦:6クラス
弩級戦艦:4クラス
超弩級戦艦:2クラス(未成1クラスを含む)
新戦艦:5クラス(未成1クラス、架空2クラスを含む)
新巡洋戦艦:1クラス(未成)
Pre-Dreadnought /Semi-Dreadnought Era
ドイツ海軍の戦艦は、元々がバルト海向けの沿岸用海防戦艦から始まっていることと、キール運河の通行、港湾施設での運用等から、ライバル国のイギリス、フランスに比べひと回り小型であった。近代戦艦の時代に入り、以下の5クラス24隻を建造した。
近代戦艦:前弩級戦艦 pre-Dreadnought battleship
Brandenburg-class battleship - Wikipedia
(1894-, 10013t, 17knot, 11in/L40*2*2 & 11in/L35*2, 4 ships)
28センチ主砲を、前中後部の3基の連装砲塔に搭載している。しかしこの艦の設計時期には未だ斉射法は導入されておらず、のちの弩級艦的発想からの配置ではなく、さらにその前時代の砲塔艦(ターレット艦)の名残であると言えるであろう。速力は16ノットと、やや遅い。
Kaiser Friedrich III-class battleship - Wikipedia
(1898-, 11097t, 17.5knot, 9.4in*2*2, 5 ships)
前級から、主砲口径を24センチに下げ、連装砲塔2基、4門に数を減少させ、その代わり主砲・副砲ともに速射砲とした。中距離で収束した弾道での射撃弾量を増やすことを念頭に開いた設計である。
Wittelsbach-class battleship - Wikipedia
(1902-, 12798t, 18knot, 9.4in*2*2, 5 ships)
前級と一個戦隊を構成し、行動を共にすることを念頭に設計されている。基本的には前級の設計を踏襲し、使用鋼材の改良等を行なった。
Braunschweig-class battleship - Wikipedia
(1904-, 14394t, 18knots, 11in *2*2, 5 ships)
本級から、これまでフランス艦隊としてきたその想定戦闘相手をイギリス艦隊とした。28センチ速射砲の完成により、本級から、主砲を前級の24センチから28センチ連装砲塔2基とし、あわせて副砲を17センチ速射砲とし、砲力を格段に強化した。
Deutschland-class battleship - Wikipedia
(1906-, 13200t, 18.5knots, 11in*2*2, 5 ships)
前級と同一戦隊を組んで行動することを想定して建造された。基本的に前級の改良版である。大きな改良点としては、前級では副砲の一部を砲塔形式としていたがこれを全て砲郭形式とし、この軽量化によって浮いた重量を防御に回した。あわせて機関の強化に努め、速力を保持した。
装甲巡洋艦 Armored Cruiser
以下の6クラス、9隻が建造された。
当初から、準主力艦の位置付けに置かれていた。次第に,その機動性に戦艦との差異を求め、その側面で特性を伸ばしていく。
フュルスト・ビスマルク (装甲巡洋艦) - Wikipedia
SMS Fürst Bismarck - Wikipedia
(1900年、10,700トン、24cm(40口径)連装砲2基、18.7ノット)
ドイツの装甲巡洋艦は、既にその最初の級である本艦から、当時のドイツ海軍の主力戦艦「カイザー・フリードリヒ3世級」「ヴィッテルスバッハ級」と同等の主砲を装備している。外洋巡行性に優れた艦型を有し、速力は戦艦に対し若干の優速であった。
(100mm in 1:1250)
プリンツ・ハインリヒ (装甲巡洋艦) - Wikipedia
SMS Prinz Heinrich - Wikipedia
(1902年、8,890トン、24cm(40口径)単装速射砲2基、19.9ノット)
前級と同様、当時の戦艦と同等の口径の主砲を装備しているが、連装を単装に改め、副砲数を減らし、一方で戦艦に対する優速性を高めている。(100mm in 1:1250)
プリンツ・アーダルベルト級装甲巡洋艦 - Wikipedia
Prinz Adalbert-class cruiser - Wikipedia
(1903年、9,090トン、21cm(40口径)連装速射砲2基、20.4ノット)2隻
主砲口径を縮小し、一方で戦艦に対する優速性をさらに高めている。(100mm in 1:1250)
Roon-class cruiser - Wikipedia
(1905年、9,550トン、21cm(40口径)連装速射砲2基、21.1ノット)2隻
前級の特徴を継承し、戦艦への優速性を一層充実した、大変バランスの取れた艦となった。(101mm in 1:1250)
Scharnhorst-class cruiser - Wikipedia
(1907年、11,610トン、21cm(40口径)連装速射砲2基+同単装速射砲4基、23.5ノット)2隻
艦型を大型化し、強力な機関を搭載し優速性を一層高めた。あわせて主砲を舷側にも配置し砲力を大幅に強化した。首尾方向に4門、側方へ主砲6門を指向できた。(114mm in 1:1250)
(1909年、15,840トン、21cm(44口径)連装速射砲6基、25.4ノット)
主砲は前級と同口径(21センチ)であるがさらに長砲身(44口径)を採用し、戦艦並みの射程を得た。連装砲塔6基12門の主砲数は、従来の装甲巡洋艦の概念を一新するものであったが、既に英海軍にはインヴィンシブルを始めとする巡洋戦艦が建造されていた。
その長射程、高速を有するがゆえに、第一次大戦においては巡洋戦艦部隊に組み入れられ、苦戦することになる。 (128mm in 1:1250)
Dreadnought /Super-Dreadnought Era (around WWI)
イギリスに対抗すべく、急速にその海軍を充実させ、開戦時には弩級戦艦14隻、弩級巡洋戦艦4隻を保有し、弩級戦艦3隻、弩級巡洋戦艦2隻が建造中であった。主砲口径は英艦に比べひと回り小さいが、長砲身砲の安定性では英国を上回り、その伝統的に強靭な防御力とあわせ、英国の超弩級戦艦・巡洋戦艦に匹敵する実力を備えていた
大戦中に、38センチ級の主砲を持つ超弩級戦艦を建造し、同様の超弩級巡洋戦艦の建造計画に着手していた。
弩級戦艦 Draednought battleship
Nassau-class battleship - Wikipedia
(1910-, 18,000t, 19knot, 11in *2*6, 4 ships)(117mm in 1:1250)
ドイツ海軍初の単一口径主砲搭載の戦艦(弩級戦艦)である。速度は低めながら、ドイツ伝統の重厚な防御力を備えていた。
Helgoland-class battleship - Wikipedia
(1911-, 22,000t, 20.5knot, 12in *2*6, 4 ships)(133mm in 1:1250)
強力な50口径30.5センチ砲を主砲として採用した。 艦型は大型化したが、基本的な配置等は前級の拡大版である。
Kaiser-class battleship - Wikipedia
(1912-, 25,000, 21knot, 12in *2*5, 5 ships)(137mm in 1:1250)
初のタービン搭載戦艦で、主砲等の配置が大幅に変更された。これによって主砲搭載数を減らしながらも 、片舷への斉射能力は改善し強化された。
König-class battleship - Wikipedia
(1915-, 25,000t, 21knot, 12in *2*5, 4 ships)(139mm in 1:1250)
基本設計は前級に準じたものだったが、主砲塔の配置を全て首尾線上においたため、外観上は大きく変化した。
超弩級戦艦 Super-Dreadnought battleship
Bayern-class battleship - Wikipedia
(1916-, 28,000t, 22knot, 15in *2*4, 4 ships planned/ 2 ships completed)(143mm in 1:1250)
(1916年、28,000トン: 38.1cm連装砲4基、22ノット)同型艦2隻 2隻未 (143mm in 1:1250)
主砲に38センチ砲を採用した初の超弩級戦艦である。
L20e 級戦艦(計画のみ)
L 20e α-class battleship - Wikipedia
(planned, 43,000t, 26knot, 16.5in *2*4)(192mm in 1:1250)
主砲に42センチ砲の採用を計画していた。速力も格段に改善され、高速戦艦を目指す設計であった。
弩級巡洋戦艦 Dreadnought battlecruiser
(1910-, 19,370t, 24.8knot, 11in *2*4)(136mm in 1:1250)
英巡洋戦艦インヴィンシブルに対抗して設計された。高速を得るためにタービン機関を採用しているが、当時、大型艦用タービンはドイツ国内ではブローム・ウント・フォス社だけしか生できず、同社を巡洋戦艦専用メーカーと定め、戦艦への供給をしばらく見送った。
Moltke-class battlecruiser - Wikipedia
(1910-, 22,979t, 25.5knot, 11in *2*5, 2 ships)(151mm in 1:1250)
実験的な性格の強かった前級フォン・デア・タンの改良型で、主砲を50口径に強化し、主砲塔も1基追加して砲力を強化した。 前部乾舷が低く、波をかぶりやすかった。
(1913-, 24,988t, 26.5knot, 11in *2*5)(160mm in 1:1250)
モルトケ級の改良型。 前部乾舷を一段上げ凌波性を向上させた。艦型を縦長にし、速力を向上させた。
Derfflinger-class battlecruiser - Wikipedia
(1914-, 26,600t, 26.5knot, 12in *2*4, 3 ships)(167mm in 1:1250)
主砲を50口径30.5センチ砲とし、4基の砲塔を首尾線上に配置し両舷への射線を確保した。
超弩級巡洋戦艦(未成艦のみ)Super-Dreadnought battlecruiser
Mackensen-class battlecruiser - Wikipedia
(imcompleted, 31,000t, 28knot,13.8in *2*4, 4 ships planned)(178mm in 1:1250)
主砲を50口径35.6センチ砲と強化する予定であった。
Ersatz Yorck-class battlecruiser - Wikipedia
(imcompleted, 33,500t, 27.3knot, 15in *2*4, 3 ships planned)(182mm in 1:1250)
基本的にマッケンゼン級の設計を引き継ぎ、加えて主砲を 38.1センチとする予定であった。
新戦艦の時代:ドイツ再軍備宣言と英独海軍協定
ヴェルサイユ体制による重度の賠償責任等により、ドイツ経済は疲弊の極みにあり、その混乱の中で1934年、ヒトラーが首相と大統領の両機能を統合し国家元首に就任し政権を握る。
1935年、ヒトラーはヴェルサイユ条約の軍事制限条項を破棄し再軍備を宣言する。
同年、再軍備は受け入れざるを得ないとしながらも、その拡張に歯止めをかけるべく英独海軍協定が結ばれ、総トン数で英海軍の35%、潜水艦保有も英海軍の45 %まで保有が認められた。
これにより戦闘艦の建造制約が名実ともになくなり、ドイッチュラント級装甲艦の強化型として建造される予定で、フランスのダンケルク級戦艦への対抗上から設計を大幅に見直されていたシャルンホルスト級は、30,000トンを超える本格的な戦艦として起工された。
(1939-, 31.500t, 31.5 knot, 11in *3*3, 3 ships, 191mm in 1:1250 by Hansa)
シャルンホルスト級戦艦は当初、前述のように、フランス海軍によって建造されたダンケルク級戦艦に対抗するべく誕生した。この為、主砲は、当初15インチ砲の搭載を想定したが、建造時間を考慮しドイッチュラント級と同様の11インチ砲3連装砲塔を1基増やし9門に増強するにとどめた。一方でその装甲はダンケルク級の33センチ砲弾にも耐えられるものとし、ドイツ海軍伝統の防御力に重点を置いた艦となった。
速力は重油燃焼高圧缶と蒸気タービンの組合せにより、31.5ノットの高速を発揮した。
(シャルンホルスト級3隻:手前からグナイゼナウ、マッケンゼン、シャルンホルスト)手前味噌的な記述になることを恐れずに言うと、本級はバランスのとれた美しい外観をしている、と感じている。
のちに、11インチ主砲はビスマルク級戦艦と同様の15インチ連装砲に置き換えられ、攻守にバランスのとれた、加えて31.5ノットの高速力を持つ優秀艦となった。
特に31.5ノットの高速性能は、当時、ヨーロッパにはこれを捕捉できる戦艦がなく、ヨーロッパ諸国の危機感を強く刺激した。
(主砲を15インチ連装砲塔に換装後のシャルンホルスト級3隻:手前からシャルンホルスト、グナイゼナウ、マッケンゼン)
1935年、ドイツは再軍備を宣言し、同年、英独海軍協定の締結により、事実上、ヴェルサイユ条約による新造艦の建造制約から解き放たれた。
手始めにフランスのダンケルク級戦艦に対抗すべくシャルンホルスト級戦艦が建造されたが、その後、前出の諸列強の新造戦艦の設計に対しては見劣りがし、より強力な戦艦の建造が望まれた。
ビスマルク級戦艦はそのような背景から設計され、最終的には15インチ連装砲塔4基8門を主兵装とする強力な攻撃力、速力30ノットの高い機動性、防御装甲の全体重量へ占有率39%の堅牢な艦体を有する有力な戦艦となった。
英独海軍協定では、一応35,000トンという新造戦艦に対する制限が謳われていたが、公称は制限内としたものの、実際には制限を無視した41,700トンの、就役当時としては世界最大の戦艦であった。
一方で、主砲等兵装配置、防御設計などは非常にオーソドックスで、当時の列強の新造戦艦が、様々な新機軸をその設計に盛り込んだのに対し、目新しさ、という点では特筆すべきところのない艦であった。
これは、ドイツがヴェルサイユ条約下で厳しい海軍戦力に対する制限を課せられ、設計人材、技術等のブランクが生じたため、とする説も見られる。
上記に示すように、本級は確かに強力な戦艦ではあったが、史実では、最初で最後の出撃となった「ライン演習」での目覚ましい戦果(戦艦フッド、プリンス・オブ・ウェールズとの対決と、フッドの轟沈)とその後の悲劇的な最後が伝説化し、実情以上にその戦闘力が過大に評価された傾向がないわけではないと考えられる。
(1940-, 41,700t, 30 knot, 15in *2*4, 3 ships, 202mm in 1:1250 by Hansa)
(ビスマルク級の3隻:手前から、ティルピッツ、ヒンデンブルク、ビスマルク)
(前級シャルンホルスト級との比較。ビスマルク(上)、シャルンホルスト(下)。艦幅が一回り大きいことがよくわかる。シャルンホルスト級は主砲をビスマルク級と同じ15インチに換装後の姿)
英独海軍協定で、戦艦の建造に対する呪縛から逃れたドイツ海軍は、このビスマルク級を起点として、Z計画なる海軍再建を目論んでおり、この後に続くすべての戦艦が、このビスマルク級の設計を基本計としていた。
ドイツ海軍のZ計画
第一次世界大戦の敗戦で、ドイツはその海軍力に大きな制限を課されることになった。1万トン以上の排水量の艦を建造することが禁じられ、その建造も代替艦に限定された。戦勝国側の概ねの主旨は、ドイツ海軍を沿岸警備の軍備以上を持たせず、外洋進出を企図させない、というところであったろうか。
しかし、戦後賠償等の混乱の中で、ドイツにはナチス政権が成立し、1935年に再軍備を宣言、海軍力についても、同年に締結された英独海軍協定で、事実上の制限撤廃が行われた。
主力艦についても、それまでの建艦制限を超えたシャルンホルスト級が建造され、その後、就役時には世界最大最強と謳われるビスマルク級戦艦を建造するに至った。
Z計画は、1939年以降の海軍増強計画を記したもので、このプランには二つの大きな柱があった。一つは英国を仮想敵とした場合、通商破壊戦を展開することが有効であることは、第一次世界大戦の戦訓で明らかであった。これを潜水艦(Uボート)と装甲艦(ポケット戦艦)のような中型軍艦 、あるいは偽装商船のような艦船で行うにあたり、英海軍による北海封鎖を打破することは必須であり、そのためには強力な決戦用の水上戦力が必要であった。
史実では1939年のドイツのポーランド侵攻と共に、英仏がドイツに対し宣戦布告し、第二次世界大戦が始まったため、Z計画は中止となったが、本稿ではドイツのポーランド侵攻後も英仏はこれを非難しつつも宣戦布告せず、Z計画は1942年まで継続する。
戦艦フリードリヒ・デア・グロッセ(Freidrich der Grosse):改ビスマルク級戦艦
フランス海軍のリシュリュー級の優秀な主砲に対抗するために、ビスマルク級の強化改良型として、一隻のみ建造された。設計、配置などその殆どがビスマルクに準じ、唯一、主砲のみ55口径の長砲身15インチ砲を採用した。
この艦をZ経過の派生と見るか、ビスマルク級の改良と見るかは意見が分かれるところである。
(1941, 44,000t, 30 knot, 15in *2*4, 218mm in 1:1250 by Superior)
(ビスマルク級とフリードリヒ・デア・グロッセの艦型比較:上、ビスマルク、下、フリードリヒ・デア・グロッセ 砲塔配置などほとんど同じレイアウトで若干大きさが違うことがわかる)
Z計画に基づき、1939年に起工された。基本はビスマルク級の拡大改良版である。装備の配置、上部醸造のレイアウトなど、酷似している。主砲口径を拡大し、ドイツ海軍初となる16インチ砲を連装砲塔で4基8門搭載した。速力はビスマルク級と同じく30ノットとして、主機はオール・ディーゼルであり、本級の艦体規模においての採用は非常に特異なものであった。
巨大なディーゼル主機の搭載により、長大な航続距離と高速航行が可能となり、一方で艦型は巨大なものになり、煙突が二本となった。
(1942-, 53,000t, 30 knot, 16n *2*4, 3 ships, 225mm in 1:1250 by Hansa)
(直上写真はバイエルン級の3隻:手前からバイエルン、プロイセン、バーデン)
戦艦グロースドイッチュラント(Grossdeutschland)
Z計画に基づき、1941年に起工された。前級バイエルン級をさらに拡大したもので、乙書主砲に17インチ砲を採用する計画があった。しかし、風雲急を告げるヨーロッパの情勢に鑑み、建造が急がれたため、主砲にはバイエルン級と同じ実績のある16インチ砲が採用され、ただし三連装砲塔4基12門と搭載数を大幅に増やしたものとなった.
主機は全級に引き続きオールディーゼルとし、長大な航続距離と、この巨大な艦型にも関わらず、28.8ノットの高速を発揮した。
計画では3隻が建造される予定であったが、第二次世界大戦開戦とともに2隻がキャンセルされ、グロースドイッチュラント1隻が完成した。
本艦の就役がZ計画艦の最後となり、ドイツ海軍はシャルンホルスト級3隻、ビスマルク級3隻、フリードリヒ・デア・グロッセ、バイエルン級3隻、グロスドイッチュラントの計11隻の戦艦で、第二次世界大戦に臨むこととなった。
(1942, 63,000t, 28.8 knot, 16in *3*4, 233mm in 1:1250 by Superior)
(直上写真は、ドイツ海軍の誇る戦艦群の艦型比較:左から、ビスマルク級、フリードリヒ・デア・グロッセ、バイエルン級、グロスドイッチュラント:レイアウトの相似性、艦型の拡大傾向が興味深い)
新たな通商破壊艦
冒頭に記述したように、Z計画。有力なには二つの柱があった。一つは強力な決戦艦隊の整備による英海軍主力艦の撃滅であり、それらはこれまでに記した諸戦艦の建造の目的とするところであった。
もう一つは、上記の艦隊決戦により英艦隊による海上の封鎖線を解き、そこから広範囲に向けて浸透した潜水艦・通商破壊艦を用いた通商破壊戦の展開であり、英国を屈服させるには、こちらの有効な展開にこそ、戦争そのものへの勝機を見出すことができるはずであった。
デアフリンガー級巡洋戦艦は、この目的のために建造された、いわば通商破壊専任戦闘艦であった。
デアフリンガー級巡洋戦艦(O級巡洋戦艦) - Wikipedia
本級は、通報破壊を専任とする為に、通商路の防備に当たる巡洋艦以上の艦種との戦闘を想定せず、従ってこの規模の戦闘艦としては、非常に軽い防御装甲しか保有していなかった。基本、単艦での行動を想定するが故に、複数の巡洋艦との交戦を避けることができるだけの速力を持ち、あるいは運用面では、その強力な火砲で敵艦隊の射程外から、アウトレンジによる撃退を試みるとした。
一方で機関にはディーゼルを採用し、長大な航続距離を用いて神出鬼没に敵の通商路を襲撃することを企図して設計された。
主砲にはビスマルク級と同じ15インチ砲を採用し、これを連装砲塔3基に収めた。
デアフリンガー、モルトケ、フォン・デア・タンの3隻が建造された。(史実では建造されていませんので、ご注意を)
本級は、開戦初期こそ、設計通りに戦線背面への浸透を果たし、その戦果を挙げたが、航空機の目覚ましい発達により、次第にその活動に神出鬼没性が失われ、あわせて軽めに設定された防御力が裏目に出て、主として航空機による攻撃により、すべて撃沈されるという結果となった。
(1941, 38,000t, 33 knot, 15in *2*3, 3 ships, 207mm in 1:1250 by Hansa)
(直上写真は、デアフリンガー級の3隻:手前から、デアフリンガー、モルトケ、フォン・デア・タン)
( 直上写真はデアフリンガー級とシャルンホルスト級の艦型比較。下:デアフリンガー級、上:シャルンホルスト級。デアフリンガー級の大きな二つの煙突位置から、その搭載する巨大な機関が推測できる)
ブログランキングに参加しました。クリック していただけると励みになります。